検査と彼女と父親と

 バイクに乗っての学校からの帰り道、琢磨は思った。

 このまま家に帰ってよいものなのだろうか?と。


『いえ、普通に戻るべきです。と言って普通に戻る方なら苦労はないのですがね……』


 メディのその常識的な回答に若干の諦めと許可を感じた琢磨は、バイクを病院へと向ける。

 自分の最も大切な家族であり、血のつながりはなくとも実の息子同然に扱ってくれている優しい義父風見凪人かざみなぎとと、守ると決めた最初の一人、御影氷華みかげひょうかという女の子がいる、帝大付属病院へと。


 そうして琢磨は病院のいつもの場所にバイクを停め、受付に向かう。一日寝て起きたら痛みも消えてしまったわけだが、それでも足を食いちぎられかけたのだ。万が一何か後遺症が残っていたら面倒大変なのだし、親のコネを使って病院に検査をしてもらおうという魂胆だ。


 最も、メディの検査でも問題はなかったので、大丈夫なのだろうとも思っているのだが。


「あら、息子君どうしたの?」


 そう声をかけてくるのは氷華の担当看護師をしている乾茜いぬいあかねだ。健康的な体つきに赤みがかった髪が綺麗な美人だが、浮いた話を聞かない不思議な人だと琢磨は勝手に思っている。

 

 もっとも茜がそれを聞いたなら「あんたらの前だと恋愛が薄っぺらく思えるの! 悪い!」と逆ギレするだろうが。


「はい、ちょっと昨日いろいろあったんで検査をしたいなと」

「……大丈夫? 心臓回り?」

「いえ、足ですね。問題はないと思うんですが、一応」

「何があったのよ」

 

その言葉にどう答えたものかと琢磨は悩み、「……説明し辛いですね」とだけ答えた。


「へぇ、元担当のお姉さんが信じられない?」

「というか信じてもらえないかと」


 そうして、琢磨は乾に大雑把に事情を話す。


「……そっかー、うん、うちの弟も似たようなこという時期あったよ」

「予想はしてましたけどその反応は割と来ますね」

『一応、先ほどの話は本当だ、と補足させていただきます』

「え、本当なの⁉、痛みは? 足見せて!」


 そうして言われるがままに椅子に座らされ足をくまなく調べられる琢磨。茜は、琢磨のことをよく知っている。かつてはどれだけの運動が大丈夫なのかを知るためだけに平然と死にかけたのを新人時代の彼女は見たことがあるのだ。だから、この少年はやると決めたらやると知っている。それも平然と。

 

 あまりに現実味のない話だが、実際にそういう状況に陥ったらやる覚悟がその心に存在してしまっていることを茜は知っているのだ。



「よし、外傷なし、痛覚反応正常、今のところ正常ね。検査の予約は私がしておくから、先に氷華ちゃんのところ行ってきていいよ。事情を話したらまともにやってくれないだろうから、VRから起きた後でも幻痛があったとかにしておくわね」

「ありがとうございます」

「いいのいいの、君が生きてることは氷華ちゃんにとってのプラスになるからね。間違いなく。仲良くなったから、死んでほしくはないじゃない」


 そういって茜は端末を操作しだす。先ほどまでの子供を安心させる優しい作り笑顔ではなく、命を救う人間としての真剣な顔で。


 その姿に琢磨は頭を下げ、友人の病室へと向かう。


 そこはVIPルーム、10年以上に渡りその一室を私物化しているこの病院の主、御影氷華の部屋だ。


 その中では、最近ようやく伸ばすことができた青い髪をなびかせて、体力維持トレーニングを自主的にしている少女がいた。

 腕は細く、体は小さい。どこがとは言わないが大きさも年相応よりもかなり小さい。そこだけを見ると病弱な少女だ。


 しかし、その目は違った。あふれ出るばかりの生き残る意思。それが彼女の印象を生きている少女へと変える。


 彼女の異名はMrs.ダイハード。死んでも死なないようなタフな女だと主治医が漏らしたことでその名前は広まった。恐ろしいほどの納得と共に。


「あら琢磨くん、お帰りなさい。ご飯にする、お風呂にする? それとも酸化炭素で温かい部屋で愛を語り合う?」

「ただいま。だけどここは俺の家じゃないし、3択はどれもNOだ。練炭とかマジでやめろ」

「あら、つれないのね」

「というか、ただいまにツッコまないのな」

「だって私を琢磨君の帰る場所にのだから、当然でしょう?」

「この女やっぱ強すぎるわ」


 補足しておくが酸化炭素は化学式CO、練炭の自殺で起きる一酸化炭素中毒の原因の物質である。平然と心中しようと提案しているのだこの少女は。そして、琢磨は知らないがこの病室の鍵付きロッカーの中にはガムテームなどのもろもろが存在していたりする。まさに有言実行の女である。


 氷華は病院生活の中で琢磨と知り合い、を結んだ仲だ。付き合いの長さは9年以上、幼馴染と呼べる関係でもある。


 そんな彼女は、十数日後に迫る最後の手術のためにやっていた体力向上のためのトレーニングを切り上げて琢磨と向かい合う。いつものように、内心ウキウキしながら。


「ところで、学校はいいの?」

「刑事さんから帰って休めって言われたよ」

「外傷はないようだけど、喧嘩でもしたの?」

「狼みたいなやつとな」

「……詳しく話を聞かせてくれる? 幸いお金だけはあるから人ひとり追い落とすことなんて不可能じゃないのよ?」

「安心しろ、意味なんかさっぱり分からないけどもう仕留めたから」

「それならよかったわ」

『仕留めたという言葉に疑問はないのですか?』

「大丈夫よメディ。私は琢磨くんがどんな人間でも愛するから。裁判でもちゃんと証言してあげるわ。……ああ、それよりも弁護士に話を通すほうが先かしら?」

「刑事罰の起きることじゃないから安心しろ。マジで」


 そうして、“コイツの場合は信じすぎるのが問題なんだよなぁ……”なんてことを考えながら琢磨は昨夜起きたことを話した。氷華は、それを表面上はクールに、しかし付き合いの長い琢磨にはこれは噴火する前の火山のようなものだと感じさせる表情でしっかりと話を聞いていた。


「そう。それじゃあ《Echo World》だったわね、開発元はDr.イヴ。個人なのかしら?」

「待ってくれ氷華さん、何をするつもりで?」

「ちょっと出るところに出てもらうだけよ。どう考えても関係者でしょうこの開発者」

「その辺は警察に任せよう、な?」

「琢磨君を傷つけたのよ? なら100倍返しが基本じゃない」

「それを基本にすんなよ?」

「あいにくと私は私の価値観を譲るつもりはないわ」

「強すぎるぞコイツ」

「私だもの」

「その返し卑怯だと思うんだが」


 そうして製作者のことを調べ始める氷華、しかし、その顔は芳しくなかった。


「……今どきSNSすらやっていない?」

「何をするつもりだった?」

「ちょっとあることないこと吹き込んで温めようかと」

「それは本当にやめてやれ。それで潰れたインディーズのメーカーって多いんだから」


「じゃあ、探偵でも雇おうかしら?」

「警察がやっててくれるはずだから大丈夫だって。素人がしゃしゃり出るなよ。この世界リアルでは名探偵が事件の解決とかしないんだからな」

「じゃあ自主的に調べようかしらね。幸いもうダウンロードは終わったのだし」

「……いろいろ危ないから、ワールドに入るときは俺に連絡入れろな」

「ええ、けどトレーニングが終わるまでは入るつもりはないから安心していいわ」


 若干信用できない彼女に、一周目終了時に解放されたロビーの機能を簡単に説明して、そこで一周目の動画を見ていてくれと懇願しておいた。彼女の聡明さなら、それだけでこのゲームの異質さと味がわかるだろう。馴染んでほしいかと言えばどうとも言えないが。


《Echo World》のおかしさは多岐に及ぶが、ロビーでの自分のプレイ動画の強制提出機能はその最たるものではないかと琢磨は個人的に思っている。現実での個人情報に関係する言葉には修正がかかる自動機能もそうだが、一人称視点と三人称視点の同時録画をプレイヤー全員分行うとかどれだけのサーバーを使っているのだという話だ。そんなものを600円で新作を売る新規の零細がやれるはずもないだろう。


 だが、その技術力が若干間違った方向ではあるがゲームに向けられているのは琢磨的にいいことだと思っている。《Soul Linker》は魂(らしきもの)を接続するために旧世代のVRゲームとの互換性はない。なので、こういう超技術のバカが出てきて命が軽いゲームを作ってくれるのは大歓迎であるのだ。


 その後は、トレーニングの補助をしたりしつつものんびりと駄弁り、検査に呼ばれるまで過ごしていた。まるで普通の日常であるかのように。


 ■□■


 その後琢磨は精密検査を行い、何も問題はなかったと知らされた。なので、ちょっとの心配と期待をしつつ、顔見知りの医師の案内の元凪人へ会いに行く。


 するとそこには、心配でたまらないのを必死で隠している凪人の姿があった。なにせARタバコの咥え方が逆なのだ。どうしてそれを周囲の方々がツッコまないのかといえば、割といつもの事だからである。


 彼は医術に関係することならその全てを第一線レベルで扱えるスーパードクターなのだが、私生活はダメダメなのである。


「琢磨、警察から聞いたぞ」

「あぁ、ごめん。朝親父が時間なさそうだったし言うの後でいいかなって思ってた」

「……体は、大丈夫なのか?」

「大丈夫、精密検査しても異常なしだったから」

『これが検査のデータです。いつもの心臓のコレ以外は正常値かと』

「そうだな、感謝するぞメディ。お前にはいつも助けられている」

『それが私の役目ですから』


 そうして、凪人は温かい手で琢磨の頭を撫でる。本人は叩くつもりだったのだが、愛する息子は息子なりに頑張ったのだと理解したがゆえにその手を鈍らせた結果だ。


 凪人のこれも、いつものことである。本人の気持ち的には叩いたのできっとどこにも問題はない。


 それが愛が故のことだと、琢磨にはちゃんと理解できているのだから。


「検査が終わったならすぐに帰れ。今日も俺は帰れないだろうが、何かあればすぐに行く。だから、今日のように隠すな」

「わかったよ、親父」

「ならばいい。メディ、琢磨を頼むぞ」

『了解しました』


 そう言って凪人は自分の職場へと戻る。琢磨は、心配をかけてしまったことへの申し訳なさと、心配をしてくれたうれしさで少し複雑に、しかし喜ばしく思っていた。


 そして琢磨は氷華に連絡を入れ、今度こそ家路につくのだった。


 そしてその道中、奇妙な二人組を見つける。

 白衣を着た大柄な女性と、妙な機械を手に持っているなんだか情けなさを感じる青年の二人組だった。


 “メディ、あれ何か分かるか? ”と琢磨は脳内で聞く。


『わかりません、ハンドメイドの機械でしょう』とメディは答える。


 何にせよ関わらないようにしようと思ったその時、信号で停車した位置が悪く彼らにつかまってしまった。


 白衣の女性が尋ねてくる。


「ヤァ少年、さっそくで悪いのだけれど、昨日通信障害が発生したエリアはこの辺りだろう? 何か知らないカイ?」


 それを青年がたしなめる。


「いやいやいや、待ちましょうよ先輩、適当に声をかけるにしても限度がありますから!」


 それに対して女性は言った。


「適当じゃあないさ。なにせ微弱だが。何かあると思ってもおかしくないだろう? ……おそらくだが、君もそう思っているはずだよ少年。いいヤ……」


「風見琢磨クン?」


 琢磨は答えに詰まる。どうにもまた何か妙なことに巻き込まれているままのように感じられたからだ。

 そして何より、白衣の女性のその目には掴んだ手掛かりを決して逃がさないという強い意志が感じられた。とても強く、輝いて。


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