#17

 5


 顔面に水をぶちまけられた。意識が痙攣するように覚醒する。

「起きろ。お前は現行犯だからな、即囹圄れいご行きだ」

 自分の五体を把握しないうちから、両脇から強い力で無理やり立たされた。両手が縛られていてバランスが取れず、足元がよろける。そのまま、引きずられるように歩かされた。囹圄は群青の町の北東に築かれた大規模な牢獄だったか、と朦朧とする頭の片隅で認識する。

「全身痣だらけだが、骨は折れちゃいねえ。タフな奴だ」

「だから、囮に残されたのかもな。……って、町長がいるぜ。珍しいな」

 ようやく像を結び始めた視界が、ぼんやりと人影を映し出す。煙草の臭いのきつい無骨なエントランス、目の前に立ち塞がる人物があった。渋いよれよれのスーツを着たその中年の男は、ロエルを睥睨し、怒りの滲む調子で言った。

「茫洋のロエル、この出来損ないめ……事もあろうに、我々の敵に味方するとは……」

 意外と初対面であるのに、敵意を全面に押してくる。この様子だと、随分前からロエルのことが気に入っていなかったらしい。成果もないくせに食い潰していたのだから当然か。

「ちょ、町長か……師匠は……町に、帰ったか」

「黙れ! 蜃体師どころか人間として不出来なお前に、ホメロを師匠呼ばわりする権利はない!」

 期待を手ひどく裏切った以上、町長クラムの憤怒はある程度ごもっともだが、それにしたって結構な言い草だ。ロエルは苦笑する。

「で……町長様は、に、人間以下の俺を、わざわざ、お見送りに来てくれたのかい」

「そんな訳があるか! これから蜃体師争議制圧の会議だ。連中のふざけたお遊びもここまでにしてやる」

「……要求は呑まないんだな」

「当然! 現帝自身がそう仰ったのだ、私にそれを覆してまで履行する権限はない! 全ては王法、即ち現帝の意向にかかっていて、私はただ遂行するだけだ。仮に……権限があっても呑む気はないがな」

 典型的な小物だ、とロエルは危うく唾を吐きかける。こんな人物が、一年間もロエルの生活支援をしてくれたことが信じがたかった。

「連れて行け」とクラムは指示を下し、ロエルはその訝りごと警吏に運ばれていく。

 と、すれ違う時に、クラムはへん、と妙な息を吐いて、

「これだから、私は一ヶ月で支援を打ち切ったというのに、あの娘は……」

「ちょ、ちょっと待て!」

 ロエルは警吏の力に逆らって、思い切り振り向いた。クラムも呆気にとられて、こちらを見返してくる。

「い、一ヶ月で支援を打ち切った? お、俺は、一年間、支援のもとで、暮らしてきたが」

「何だ、知らなかったのか。随分、図々しい弟子だな、と思ってはいたが」

 町長は勝手に納得すると、顔を背けて言い放った。

「最初の一ヶ月以外、お前にかかった費用は全てホメロの負担だ」

「な――」

 痺れを切らした警吏がぐい、とロエルの腕を引っ張った。絶句したまま、囚人用の護送車へと引っ張られていく。辛気臭い顔をした囚人の並ぶ荷台に詰め込まれ、袰が下りた。

 暗がりの中、ロエルは目を瞠って虚空を見つめる。

 知らぬうちに、見限られていたのか、俺は。

 たった一人、師匠であるホメロを除いて。

 ――この先いつまでも成果が出なくとも、私は決してあなたを見限りません。必ず、蜃体師にしてみせます。

 あの台詞の、決意の深さを今更に思い知った。

 食事代も、小遣いも、家賃も、光熱費も、水道代も、授業の部屋代も、用意したあらゆる器材代も、ロエルの享受した身に余る群青の町の暮らしの全ては、ホメロが与えてくれたものだった。

 何故、ロエルは遠い遥か先のことを言っているのだと、思ったのだろう。

 その時点で既に、彼女はロエルを見限らなかったのだ。

 ――私は……共に闘う仲間が欲しいのです……。

 夜空に呟くホメロの声が、脳内に反響する。

 ロエルは目頭が熱くなり、涙の溢れるのを抑えきれなかった。己の馬鹿さ加減に、頭をかち割ってやりたくなったが、それすらもできずに、ただひたすら赤ん坊のように泣くしかなかった。

 仲間――彼女は、俺を仲間だと、認めてくれていたではないか! 何をのうのうとホメロの敵に協力して、あまつさえ犯罪者として捕まってしまっているのだ。

 ロエルは呻いた。

 俺は何をしている。どうして、囹圄に向かう囚人用の護送車に乗っている。俺はどうすれば良かったんだ。どうして、こんな熾烈な無力感に囚われなくてはならない。どうして、激烈な羞恥に、慚愧に、恥辱に、甘んじなければならない。

 俺が何をしたという。

 俺は、まだ、何も、何も、何んにも、していないではないか!


 日が高く上り詰めた頃合いになって、護送車は囹圄に到着した。ロエルは、堪忍袋の緒を切らした大男に殴られて意識を失っていた。極度に錯乱して、護送車から飛び降りようとしたらしい。湿っぽい卑屈な感慨が、激情の残り香のように喉元をさまよっていた。

 囹圄は、揺籃の国を東西に走る主要路を挟んで、蜃体学校と線対称の場所に位置する。元々城砦だったものを改装したというのも共通する点で、その事実だけでも蜃体学校の様態を皮肉っているようだった。

 最初に連れて行かれた部屋には、一人の痩せこけた蜃体師がいて、囚人一人一人の身体に触れていた。標付を回収しているのだ。後に囚人の標付を施されて投獄、刑期は後から報知されると、囹圄出の男の話を聞いた覚えがある。その時はまさか自分が捕まるとは思っていなかった――今でも捕まったという実感はないが。

 ロエルの番が回ってくると、その蜃体師は眉を顰めた。

「お宅、蜃体師か。群青の騒ぎで捕まったのか」

「あぁ……そんなところだ」

「蜃体師のは取るのが面倒なんだ。これから蜃体師の囚人が増えるのは勘弁してほしいな……」

 彼の言うとおり、ロエルの標付の剥奪には時間がかかった。標付がなくなるということは、暫定的にではあるが揺籃の国民ではないことを意味する。これまで一つずつ自分の証立てを剥がされてきたわけだが、ここに来て最後の拠り所を失った。

 囚人全ての標付剥がしが終わると、蜃体師はくたびれたように座り込んだ。

「おい、次は囚人用の標付けだろ」

 立会人の警吏が注意するが、蜃体師は手を振って、

「冗談じゃない! 俺は標付けなんて出来ねえぞ! 俺の本職は貯蓄なんだよ」

「出来る奴はどうした」

「群青の争議に行っちまったよ。もう帰ってこないんじゃねえかな」

「けっ、蜃体師の癖に……」

 警吏は悪言を吐きつつも標付のないまま、ロエル達を独房へと促した。

 蜃体学校と似てもつかない内装だったが、かの施設はまだ清潔感が保たれていたようだ。埃っぽい廊下、闇から這い出てきたような虫とすれ違いながらロエルが通されたのは、窮屈な小部屋だった。護送車での狂乱ぶりに他の囚人が慄いて、あいつとは別の部屋にしてくれ、という懇願が相次いだらしい。

 鉄製の格子が重々しい音と共に閉められた。

 部屋の明かりは、小さな小窓から差し込む僅かな光だけ。夜には完全な暗闇になるだろう。そのことを想像するだけで、軽く眩暈が起こる。ロエルは粗末な寝台に腰をかけて、頭を抱えた。

 じっとりと蝕み広がる暗晦の外側のことなど、考えている余裕はなかった。争議はアルガの計画通りに運んでいるのだろうか、とか、ホメロはびくびくと心臓クールに篭っているのだろうか、とか言う心配事は、分厚い壁を隔てて遥か遠く、決定的に取り逃してしまったことだった。もはや、ロエル抜きでもそれなりの結末を得ることだろう。結局、自分は尻馬に乗ったに過ぎないのだから、最初から自分がいなくとも――。

 一言、ホメロに謝れないのが心残りだった。

 彼女は自身に同情する資格がないことを言っていた。安易な同情は相手の尊厳を踏み潰してしまう。

 だからこそ別のやり方で、ホメロは示そうとした。一年間、黙ってロエルに付き添ったのは、ホメロなりのやり方だったのだ。共感でも同情でもない。それは、異教国の教義で言うところの〈愛〉というものなのかも知れなかったが、ロエルは〈賭け〉と呼ぶ方が正確な気がした。

 そして、ホメロの賭けは失敗に終わった。それだけだ。後悔しかない、思い返す全ての自分の判断に待ったをかけたい気分だった。しかし、呆れるほどに詮のない感情だった。せめてもの謝罪すら自分には許されていなかった。

 あの夏の暑い日に、始まってしまったロエルの彷徨も、ここに詰んだ。

 朽ちよう、と、ふと思った。死にたい、と、思った。

「死にたい」、と、口にまで出して言った時、だった。

『勝負は死ぬその瞬間までわからない、だろ、何腑抜けてやがんだ』

 デグマが高らかに哄笑した。

 デグマ――異教国の聖なる真理は、古い言葉で教義デグマと呼ぶ。

 ――大蜃体っていうのは、聖典に於ける神の先駆けなのかも……

 もう忘れたと思っていたトラーネの発言が頭の中で反芻される。あれは明らかに、デグマと教義デグマの重なり合いから思い起こされたもの。事実かどうかはともかくその笑い声を聞いて、ロエルはこの大蜃体が神でも良いのではないかという気になった。

『考えてもみろよ、この一年間、俺達はあらゆる試行をして失敗してきた。だが、一度として試したことのない、いや、試そうとも思わなかった条件があるだろ。そして、今なら、それを実験できる』

「今しか試行できない条件……」

 ロエルは息を呑んだ。

「俺は今、標付をつけていない」

『お前は今、何者からも観測されていない』

 観測如何で対象が挙動を変える世界。量子理論。

 ぴょん、と、デグマが床に飛び降りた。細長い顔にくっついた草食獣の眼が、肉食獣の瞳孔を湛えて、ロエルを見上げていた。

 使え、ということだ。かつてない高揚を身体を貫く。

 ロエルはデグマを凝視した。空間を裏返すように出現した蜃体を、元の秩序へと押し返す。何千、何万回と繰り返し意識してきたことだ。ふいに、トラーネが「勉強が嫌い」と言った真意がわかった気がした。仮に彼女に「蜃体見るの、好きなの?」と訊かれたら、ロエルはこう答えたはずだ。

 嫌いだよ。でも立ち止まっている方がもっと嫌だから、仕方なく……。

 デグマが、ひっくり返る。ねじれていた空間への間隙へと。それは裏表逆にした手袋を元に戻す感覚に似ていた。

「!」

 喩えるならば、散々吹き荒んでいた向かい風がはたと止んだような。或いは、落下することに慣れて適応さえ始めていた身体が、支えてくれるたなごころとふいに出会ったような。そんなイメージ――あくまでイメージでしかないが、ロエルは確かに感じた。自らの輪郭が解け、弾け、微細な、あまりにも微細な粒子に蕩けていくのを。踊るようにあどけない足踏みを繰り返すのを。

 そして、視界が強烈な光に満たされる。一瞬で視力が消え、世界が無に染まった。

「うおおああああ!」

 ロエルは思わず手をかざし、ぎゅっと目を閉じた。しかし、あまりにも激しいその光は瞼を貫いて尚も煌々としている。小ぶりな太陽がすぐ目の前に現れたかのようだった。

 闇に閉じ込められるのは苦痛だが、明るすぎることもまた苦痛なのだと知る。そのまま、圧倒的な光の膨張に存在ごと飲み込まれてしまうのではないかと、恐怖が肺腑の底から押し寄せてきた。

 身体に衝撃が走った。もはや上も下もわからない。地面に倒れ伏したのだと、少し後になって気が付く。

 逃げ場を探すロエルの耳に飛び込んできたのは、デグマの台詞だった。

『落ち着けって! その光を出してるのはあんた自身だ!』

「何だって……早く言えよ……」

 それを聞いて、ロエルの中にある永久に冷静な部分がほくそ笑んだ。

 これがデグマの真価。

 ロエルは分散した集中力をかき集めて、元に戻りすぎた蜃体感覚を引き戻す。ちょうど強風に煽られる旗の両端をなんとか掴んでぴんと張るように、遠くの誰かにきちんと信号として届けるべく、探り探りに布の張りを調整していくように。

 平静を取り戻していくに従って、光も段々とその明るさを抑えていく。程なく、ロエルが目を開けてその光源を目視できるくらいに、光は弱くなった。

「……光か」

 ロエルは、空間にふよふよと浮かぶ光の玉を見つめてぼやくように言った。デグマは応えて、

『光を構成する光子は量子的な存在だったな。普段は確率的な波として存在し、観測されると粒子として振る舞う。標付によって俺達は常時観測され、古典物理世界に抑えつけられていたっていうわけさ』

「すると、今の俺は波動として存在しているってことか?」

『試してみな。科学は試行の積み重ねだかんな』

 デグマはそう告げて、鼻先をしゃくって鉄製の格子を示して見せる。ロエルが格子を意識すると、浮かんでいた光の玉が坂道を転がるように格子へと向かっていき、すり抜けていった。それに倣ってロエルは立ち上がると、恐る恐る、格子に近づいていく。

「ぬ、抜けた……」

 果たして、身体は格子を通過した。紛れもなく、ロエルは閉室の外の廊下に立っている。

 あまりの感触のなさに、ロエルが不気味に思いながら身体を見下ろすと――なんと格子の形そのままに、身体が細切れになっていた。驚愕に凍り付くのも束の間、水が穿たれた穴に流れ込んでいくように、その隙間が再構築されていく。瞬きをする間に元通りになっていた。

「俺は光子になっている……のか?」

 ロエルが呆然と呟くと、デグマはちょろちょろと走り回りながら嗤った。

『本当の光子になってんなら、あんたの身体なんかとっくにバラバラになってるだろ』

「それなら……この状態は、一体何だ?」

『光子に干渉するための状態だろうな。今のあんたは言わば、俺の身体に頭から突っ込んでる状態だ。そうして、工員が加工のための道具を手に取るように、あんたも光子を扱うための装備をしている……俺を使って光子のルールに限りなく近づいてるってとこか』

 デグマは、昔に習ったことを思い起こしながら、という風情で喋った。

 詳しくはよくわからないが、郷に入るなら郷に従え、ということだろう。光子を扱うためには、光子という存在に近づかなければならない。ロエルの身体は今、半身を量子のコヒーレンスに突っ込んでいる。

 要するに、今のロエルは波動的な存在であると同時に粒子的な存在でいる。

 剥がされた蜃体師の標付は、絶えずその位置情報を王都に報告していた。いわば、目に見えない軛のようなものだ。そういう形で観測されていたロエルは、どれだけデグマの力を用いようとしても、確定した、粒子的な状態でしかありえなかった。 

 確定した状態でしかなかった手に、不確定の光子など触れようはずもない。

 だが、今は違う。

 軛を外された今の身には――かつてないほどの解放感が迸っていた。

「やった……」

 自然と歓喜の声が漏れ出た。遂に、自分にも、長い間、欲して欲してやまなかった力が手に入ったのだ。そして、ようやく、ここから始めることができる。目指し始めることができる。戦い始めることができる。

 ようやく、あまりにも長い間、無力だった過去の自分を救うことができる。

 そして、自分を見捨てることなく、見限ることなく、諦めることもなく、辛抱強く付き合ってくれた師匠に――報いなければならない。

 ロエルは言った。

「デグマ。群青に戻ろう」

『おうよ。こんな黴臭いところ、さっさとずらかろうぜ』

 デグマの一言に背中を押されるように、ロエルは敢然と囹圄の廊下を走りだした――瞬間、思い切り壁に当たった。

「⁉」

 ロエルは困惑しながら壁から離れ、振り返ってみる。さっきまで、廊下の突き当りなど見えない位置にいたのに、たった一歩踏み出しただけで移動してきてしまった。

「空間が縮んだ、か……?」

『相対性理論では、光速に近づくと周りの空間は縮むというな。俺達が光速に達することはないだろうが、それでも縮みを体感するほどの速度は出せるってわけか』

「室内じゃ、おちおち歩けないな」

 超高速で移動して壁に激突しても大した衝撃がなかったのは、光子と同じく質量がない(か、無視できるくらい軽い)からか。壁に当たったためか、疑似光子状態……親光子状態と言うべきか、は、解除されてしまっている。観測者は人間だけとは限らず、また人間でも触れない限りは見られても平気だろう。

「デグマ、また裏返すぞ。群青へ着くまでに、できるだけ慣れておきたい」

『あー……好きにしてくれ』

 ロエルは息を吐き、再び表裏の裏返った感覚を更に裏返した。蜃体の身体を経由して、物理は未知の局面を作り出す。二度目の親光子化は落ち着いて行えた。

 さっきはこんな状態なのに全力で駆け出したために、一瞬で壁に突き当たったが、牢の中を移動した時には空間の縮小はなかった。なので、今回は慎重な小走りをやってみる。すると、廊下の壁が窄まり、天井が緩やかに下りてきて、床が徐に傾斜していった。まるで、騙し絵の中へと踏み込んでいるような気分だった。

 ひずんだ廊下を進んでいくと、扉らしき細長い切れ目が見えた。その傍らで立ち止まると、畳んだ蛇腹が一挙に開くように絞られていた廊下がぐわんと広がり、目の前に実物大の扉が現れる。

 同時に、今まさに扉から出てきたばかりの、等身大の刑吏の姿も。

「うおわ!」

 ロエルは思わず後ずさる。僅かな距離のつもりだったがそれだけでも空間は大分縮み、厳つい制服をまとった刑吏の姿もそれだけ遠ざかった。

 しかし、刑吏はロエルに気付いた素振りも見せず、悠々としている――というか、完全に停止してしまっていた。再び空間を跨いでその刑吏に近づいてみたが、まるで蝋人形のようにその体勢に留まっている。

「……時間が止まっているのか?」

『体感時間の問題だろ。俺達は光子の時間感覚に合わせた身体になってる。だから、停止している限りでは、俺達の体感時間の方が普通の人間よりも数千倍も早いってわけで、あまりにも早すぎるもんだから止まって見える……ってことだな。よく見れば少しずつ動いてるし』

「本当だ」

『俺達が光速で移動してやっと、同じくらいの時間感覚になるのかもな。速ければ速いほど時間の流れは遅くなる……』

 デグマの考察があまりに流暢に出てくるものだから、ロエルは置いて行かれないよう必死だった。

「つまり、俺達が速すぎて相手が遅く見えるってことで良いんだよな?」

『そうそう。だから、この囹圄の警備は文字通りのザルってこった』

 親光子解除の条件となる被観測も身体の大部分が当たらなければ、格子を抜けられた例からも大丈夫のようだ。ロエルは難なく刑吏の間をすり抜け、最初に標付を剥がされた部屋を通り過ぎ、そのまま囹圄の外へと出る。

 もう見ることすら諦めかけた、揺籃の風景が視界いっぱいに広がった。ロエルは目を眇めて、太陽を見上げる。その燦燦たる輝きを目に浴びて、思わず涙がこぼれそうになった。それは眩しさからだけではない、これまでの苦節が、かの陽光によって浄化されたような気がしたからだった。

『ちょ、ちょっと待ってくれ……あんたまさか、このまま直で群青に行こうってんじゃないだろうな』

 毅然と群青の町の方向を見据えるロエルに、デグマが慌てたように言った。

「何か問題でもあるのか」

『ある……俺、結構これしんどい。休憩させてくれ』

 大蜃体にも疲労の概念があるのは意外だったが、確かにロエル自身も上気して頭の奥がぼんやりしてきていることに気が付いた。今のまま、群青などまで走っていったら、到着する頃にはぶっ倒れているだろう。

 ロエルは少し考えた後、遠くに走るそれを見つけて言った。

「それなら……アレに乗っていこう」

 ロエルの視線の先にあるのは、揺籃の東方、干戈地域と群青の町を結ぶ貨物列車だった。

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