#2

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 長かった冬季が終わり、暑い夏に向けて草木が準備を始める頃。

 広大な草原を貫く一本の舗装路を、一台の乗合蒸気自動車オムニバスが走っていた。エンジンの唸り音に合わせて小刻みに振動する車内、乗客たちは押し黙って終着点へ辿り着くのを待っていた。くたびれきった貴族の服を着た中年男性や、まだ齢十にも満たないであろう少女、目が落ち窪みがりがりに痩せた青年、などなど。

 ロエルは、自分がここにあっては没個性的な、あまりにも平凡な存在であることを自覚していた。齢十五、中庸な体躯、くすんだ髪、不安に濁った瞳、いつの頃からか強張って解けない口元。これから向かう場所には、ふさわしい見てくれだ。

 どう見ても、行き場がなくなってどうしようもなくなった不幸な人間、というわけである。

 やがて、目的地が見えてきた。威容を誇る石造りの建築物。晴天の空の下にあって尚、不吉な影を宿している。一見して、これを教育施設と思える者はいないだろうし、ここが教育施設だと案内されたところで、変な冗談はやめろと言われるのが関の山だろう。それもそのはず、かの建物は、ここ〈揺籃の国〉の内戦時代に築かれた元軍事城砦なのだから、無骨な外観は当然なのだ。

 その城砦のつるりとした壁面に、ぽっかりと空いた搬入口に車が入っていき、停車した。エンジンの停止と共に、客席を覆っていたほろが開き、乗客達がぞろぞろと降りていく。ロエルはすぐ降りる気になれず、最後の一人になってからゆっくりと時間をかけて降車した。

「あ、そっちから入んないで……新入生はあっちの通路から入んな」

 車の運転手が声をあげた。誰かが間違った通路に行こうとしたらしい。口をぽかんと開けた男が、頭を掻きながら「スイマセン」と戻ってきた。それを皮切りに、乗客の列が運転手の示した通路にぞろぞろと向かい始める。ロエルはその列の末尾について、黙々と歩いた。

 黴臭い通路を抜けると、大きな門の前に出た。巨大な鉄製の門扉のスケールに圧巻され、誰もが惚けたように見上げている。だから、その脇の小さな通用口から、白髪の男が出てくるのに気がついたのはロエルだけだった。

「ようこそ、蜃体しんたい学校へ……新入生の諸君」

 その男はもったいぶったように、ロエル達を見渡して言った。よく通る声だった。

「さて、これが最後の機会だ。蜃体学校では、〈揺籃の国〉に住む人間なら誰でも恩恵に預かる〈蜃体〉の取扱について学ぶ。だが、〈蜃体〉はあまりにも多くの可能性を秘めた物体で、王はその濫りな使役を恐れている」

 それは入学書類を提出する際、嫌というほどに読み込んだ学校の規約だった。

 現在、〈揺籃の国〉の繁栄は、蜃体に支えられている。ここまで乗ってきた乗合蒸気自動車オムニバスの燃料も蜃体であるし、歩いてきた通路の灯りも蜃体の作用を利用したものだ。ほぼ無際限にエネルギーを取り出し、利用することのできる蜃体の技術、それは下手をしたらこの国自身を破滅に追い込む悪魔の卵ともなり得る。

「だから、生半可な伝習は許されない。今、この敷居を跨いだら最後、校長が直々に卒業資格を認めるまで、君らはここから出られない。上手くいかないとここの墓地に骨を埋めることになるかも知れない。当然、脱走は犯罪行為だ。捕まれば、甲斐なく一生牢獄暮らしになる。それでも良いと言う覚悟が出来ている者は……着いて来い」

 白髪の男は踵を返すと、通用口に向かった。新入生たちは戸惑うように周りを見回していたが、やがて一人二人とその男の後をついていく。

 ロエルは、彼らの後ろ姿に諦念のようなものが漂っているのを見て、「幸せ」という単語を思い起こした。昔読んだ字引きの言うことには、その原義は「死刑執行に向かう囚人の後ろ姿」のことだったらしい。明らかな不幸であるのに、どうしてそれが「幸せ」になったか――それは死刑が残虐な見せしめの刑に比べれば「まだ幸い」だったからである。

 一度入れば卒業まで出られない蜃体学校だが、門戸は全国民に開かれている。誰でも入学が可能なのだ。そうするとここに放り込まれるのは、本気で蜃体について学ぼうとする熱心な学徒だけではない。没落した貴族の子弟や、土地を追い出された農民、口減らしに送り出された子ども、そして――ロエルのような戦争孤児だ。

 つまり、二度と出られないかも知れないが、野垂れ死ぬより蜃体学校に入れるならばまだ幸い、というわけだ。幸せという概念は、どこまでいっても「最悪よりマシ」の積み重ねでしかない。どれだけ「マシ」を積んで溜めて大きくしていくか、を延々と汲々と求めていく果てしない道程。虚しかろうが、死ぬことの最悪に比べれば――と考えて、生きることをマシにしなければならない。

「ねえ、どうしたの、行かないの……」

 気がつくと、その場にはロエルと不安な心情を隠そうともしない少年の二人だけが残されていた。丸々とした清潔な白い顔を見るに、どこかの貴族出身だろう。普通なら、ロエルのような小僧など歯牙にもかけない階級。蜃体学校の門扉の前だからこそ、元貴族であろうこの少年はロエルに興味を持ったのだ。

「ちょっと考え事を」

 ロエルはそう告げて、まだ開いている通用口に歩きだす。少年はすぐに着いてこなかった。この期に及んで、逡巡しているらしい。ただ、ここで踵を返したとしても、少年に居場所はないはずだ。帰ることのできる場所があるのなら、そもそも此処まで来ることもなかっただろうから。

「来なよ」

 ロエルは足を止め、振り帰って言った。

「君にとっては世界の底みたいな場所かも知れないけど……死ぬよりは多少幸福マシだし」

「う、うん……ありがとう……」

 少年は浮かない顔のままだったが、とぼとぼと歩き始める。ロエルは彼が通用口を過ぎるのを待ってから、自分もその後に続いた。「幸せ」の空気を纏って。

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