別ち相

「……その後、目が覚めると僕はどこかの実験室みたいな部屋で、ベッドに縛り付けられてた。そこで色々良く解らない検査されて、その後、また別のところに移された。理由は解らない、けど、僕は村の生き残り……あの人達は適合者って呼んでたけど、その人達とは全然違うベツモノなんだって。それで移された先で、本当の地獄の始まりだった」

 そこから先の事を、フラインは口を閉ざす。ただ、あらゆる"死"の実験があった、と言って、その時のことを思い出してしまったのか、俯いた顔を青白くしていた。

「そうか。お主は、まだ若いのにそのような……、なんとも言えぬな。それならば、私の生活は余程幸福だったと言えるかもしれん」

「え……?」

「越智姫様は、生まれてから此方まで厳重に幽閉されていたのだ」

「つまらぬ事を言うでない」

 越智姫は多少不機嫌そうに、影の雰囲気を睨んだ。

「お主は、何用でここまで来たのだ。このように広い国、偶然ここへやってきたわけでもあるまい」

 詰問するようにフラインを見据える。ぐっと握った拳が小刻みに震えている事に気が付いたのは影達だけであった。それを受けて、フラインは少し間ためらったが、素直に白状する。

「僕は、僕の国……じゃなくて、もうコミュニティって言うんだけど、とにかくそこのエライ人に言われて、この絶対死線域の原因を調べにきたんだ」

「…………」

 それを半ば予想していたのであろう、越智姫は静かに目を閉じて、何事か考えるように眉をしかめた。その綺麗な造作をゆがめてしまった事に、フラインは多少の後悔を感じる。

「外ではそのように呼ばれているのですな。この漠死結界は」

「バクシケッカイ?」

「この絶対死は、ただ放っておけば際限なく無限に夢現に広がっていくのです」

「え……」

「それを留める為に、急ぎ結界を張ったのですが……張った結界は途方も無く大きく、強力になってしまいました」

「その為に内結界は人は愚か機械の息を止める。"気"と"機"は相容れないものだからな。まあ外の人間が攻撃しても全くの無駄で、都合が良かった。それに多少の細工をして見えないようにごまかしてるのだ」

 越智姫を守るために、という台詞をその影は飲み込んだ。彼女が自分自身の口からそれを明かす決心をするまで、影達は差し出がましい真似はしない。

「そう、なんだ。そういう理由で……。でも―――」

 ふっと、フラインはそこで口元を緩める。

「だけど、それはもうどうでもいいんだ」

「…………?」

 その投げやりな口調に、越智姫は懐疑的な瞳をフラインにむける。それは、影達にとっても同じ心境だ。

「それはどういう事ですかな、フライン殿」

「僕は、もう自由だって事に気がついたんだ。ここなら、誰も僕を捕まえて置けない。見ることも出来ない。もう、あんな所に戻りたくはないんだ」

 そこで、勇気を振り絞るために一拍おく。

「だから、ここに置いて欲しいんだ」

「あ……」

 真っ直ぐな青い瞳に見詰められて、越智姫はさっと顔を朱に染める。或いは、それは彼女自身が望んでいた事でもあったからだ。望み。それは叶う事もないと、半ば諦めかけていたもの。"人"と暮らすという、途方も無くありふれた、当たり前を、彼女は切に望んでいたのだから。だからこそ。

「ま……まあ、良い……よい。お主が、居たいと言うなら……良い」

 それが、精一杯の言葉だった。フラインは、そんな越智姫の心中を思う事も無く、受けいれてくれたことを素直に喜んだ。

「ありがとう! 本当に……本当にありがとう!! 僕は……僕は……」

 言葉に詰まるフラインは感泣し、心を込めて頭を下げる。その様子を、越智姫は優しい目で見守っていた。部屋は暖かな静寂に包まれて、時が過ぎていく。穏やかである。例えば、外の虫達や鳥たちの声も、遠くかすかに聞こえる清水の流れ行く音も、全てがゆったりと時間を越えていく。

「おや、もう日が落ちてしまいましたな……。越智姫様」

 長く感じるその時間を破ったのは亡者だった。

「ん、ああ、そのようだな。さて、晩御飯の仕度でもするかのう」

 流麗に腰を上げると、越智姫は土間から台所へと移動した。その様子をフラインは所在なげに見ている。

「これ! お主は今日からここで暮らすのだろう。炊事洗濯家事仕事を手伝わぬか!」

 前掛けをつけた越智姫にどやされてフラインは飛び上がる。そして慌てて越智姫の元へと向かった。

「ところでお主、家事は出来るのか」

「え、う、うん。訓練所で一通りの事は学んだから」

「ならば問題無いな。お主、一体何を食べるのだ」

「え? えっと、ここに来るまでは……無人の街で手に入れたインスタント食品とか食べてたけど」

「むう。私はアレは好かん。固いばっかりでまるで美味しくない」

「……?」

 フラインが首を傾げていると、影がそっと囁いた。

「越智姫様は、インスタント食品をお湯で戻さずに召し上がったので……」

「なるほど」

 その様子を想像してみて、フラインはくすくすと笑ってしまった。カップラーメンの蓋を開けて、中身を覗き込む様がありありと浮かぶ。

「おい、ふるいん殿に何かつまらんことを言ったのではないか!?」

「いいえ、滅相もありません。ささ、フライン殿。台所へとどうぞ」

「わ、うわ……」

 部屋の隅、影になっている部分から、ぬうっとその影が上へと延びた。そしてそれはゆらゆらと不定形の、何とも名状しがたい存在となって、にゅうーっと細いものが延びる。どうやら、手のようなもののつもりらしい。

「おっと、申し遅れましたな。私共は"亡者"。あるいは、"影"とも呼ばれます。既にこの世を去って永い年月、ただただ、し……越智姫様に仕える為に、存在しております」

 それに呼応するように、家の様々な暗がりからずるりと影が閃いて、次々に姿を現す。

「ゆ、幽霊……」

 フラインは、そんな影達をぐるりと見渡すと圧倒されたように、顔を青ざめさせた。

「これ! 脅かすなと言うに、聞けんのか!」

 そこへ、越智姫がフラインを庇うように前へ出る。

「いやいや、我々は新しい住人を歓迎しておるのです」

「そうです、脅かすとは心外な」

 口々に不満を言う影達を、越智姫は溜息をついて両手を前出す。

「お前達は一々うるさいのだ。解ったから、騒ぐでない……おや、一人足りないようだが?」

 越智姫の疑問に、影達は一斉に動揺した。その雰囲気を察して、越智姫は途端に不安になった。

「何だ? お前達、どうしたというのだ?」

「それは……」

「己を忘れてたろう、おめぇら」

 その声に、他の影達は一斉にぎくりと言ったように固まる。

「何だ、お主。私を放ってどこぞへほっつき歩いていたのだ」

「……越智姫様、己は久しぶりに泣きたいと思う事が出来ましたぜ」

 悲しそうに言う影に、越智姫は不思議そうに首を捻ったが、すぐににこにこと笑顔に戻る。

「ふむ、まあ、良いか。今宵は、ごちそうを作る事にしよう。ささ、お主も早く手伝うが良い。お主の国の料理とか、何かあるのか? まあ、それは追々聞けば良いか。とにかく今日は私の国の料理を存分に振舞うぞ。さ、ぼうっとしていないで」

 上機嫌ではしゃいでいる越智姫は、フラインはおろか、影達ですら驚きを隠せない程饒舌だった。しかし、それに対して影達は、ようやくと、彼女のささやかな望みが叶ったことを知ることが出来たのだ。

「今日は宴会だ! おい、お主達。街へ降りて酒を調達してくるのだ」

「さ、酒ですか!? しかし越智姫様、それは……」

 しぶる影達を、越智姫はすごみをきかせて睥睨する。

「何だ!? 御神酒がなくて、何が宴か。つべこべ言わずに取ってくるのだ!」

「仕方ない、行くか……」

「己はどうなっても知りませんぜ」

「仕方が無いだろう」

 影達はぶつぶつと言いながらも、ぞろぞろと連れ立って外へ出ていく。暗くなったので家の中には暖炉に火がともされているが、外は星明りと月が照らすのみの、闇の中だ。影達は家から出ると、もうはや景色に溶け込んですっと消えてしまった。

「不思議な人達だね」

 その様子を見ていたフラインは、傍らの越智姫にぽつりと呟いた。越智姫は、仕込みに専念しながらも、声だけで答える。

「ああ、私が生まれてからずっと仕えてくれている。奴等がいなければ、私はどうなっていたことだろうな。本当に、感謝している」

 その言葉には、様々な思いが込められているようにフラインは感じた。自分には伺い知れない、彼女達の歴史の深さが垣間見えた。

「そうなんだ」

 フラインの相槌に、越智姫ははっと気がついて、慌ててフラインに向き直る。その顔は湯気に当てられたように赤くなっていた。

「い、今のは、奴等には内緒だぞ。絶対だぞ。決して他言無用だ。いいか!?」

「うん、解った」

 笑顔で答えるフラインに、何か釈然としないものを感じながらも、越智姫は一応安心する。彼女は、生まれてからずっと付き添ってくれていた影達に、心からの感謝をささげている。だが、普段はそんな事照れ臭くて言えない。そして思う。このような事、わざわざ人に、しかも会ったばかりの人間に言ってしまったのが、実に不思議だと思った。しかしこのフラインと話していると、何だかほっとするような安心感が、自分の胸の内にじんわりと広がっていく。ただ、他愛も無い事を話しているだけ。それはいつかの電話を思い出させる。

 そう言えば、と、今まで気が付きもしなかった事に、越智姫はようやく気付いた。幽閉時代、自分が最も人間らしい瞬間を感じていたのは、あの電話での会話の時だったのではないだろうか? 包丁を持つ手が鈍くなりつつ、考える。しかしそれは全てが遅きに失した事だ。今更どう思った所で、もうあの電話は二度と鳴ることはない。そして、自分がその事に搾り取られるように胸を痛めた所で、安易に泣くわけにはいかない。悲しみの涙は、あの焦土の上で全て流し尽くしたはずだ。自分の為には泣けない。

 自分の心の中に埋没していくにつれ、これほど複雑に物事を考えた事についても、あの日から殆ど無かったんじゃあるまいか思った。だとしたら、それはこの異人のせいなのだろうか。傍らで忙しく動く金色の髪の少年は、一生懸命釜と格闘していた。手は動かしたまま、それをぼんやりと眺める。これが人と、人間と一緒に生きる、という事なのだろうか。不意に、フラインが振り返り、真っ直ぐ越智姫の目を見返した。空色の瞳が、優しく微笑む。

「とりあえず、お湯を沸かしたけど。後はどうしたらいい?」

「ん、ああ、なら――」

 越智姫は、その後はずっと二人で会話しながら、夕飯の用意をした。やがて影達が酒を手に手に帰ってきてから、普段からは想像もつかないほど上手くいった料理と、お酒で大騒ぎをする。その夜は、越智姫にとっても、また、フラインにとっても、そして影達にとっても、特別な、とても特別な一日になった。宴会は夜遅くまで続けられ、その日、この国で唯一の灯火は、空が白むまで消える事無く、二人を照らし続けた。

「くーー……」

「スー……スー……」

 蜀台の蝋燭から細い筋煙がゆらりと立ち上る薄暗い室内に、寝息が二つ、入り乱れて響いている。格子窓から入る日差しは、スポットのように床の一部を白く切りとって、もう太陽が昇っている事を知らしめている。そんな中、日の出の為に今にも消え入りそうな希薄な存在の影達が、寝息の元を見下ろしていた。

「今日は随分とはしゃがれていたから、お疲れのようだな」

「ああ。二人ともあどけない寝顔で」

 二人は、寄り添うようにひっついて眠りこけていた。

「ちぇっ、しゃーねえ、後片付けやるしかねえなあ」

「くさるなくさるな、今日は特別な日だ」

「もう日の出か。急がねばな」


 影達は、これで、肩の荷が一つおりたという感慨があった。これから始まるであろう日々を、その時の越智姫を想像するだけで、心が揺さぶられる。もう彼女は独りではないのだ。もう、寂しげにただれた電話を見詰めずに済むのだ。これからは、傍らに見詰め返す瞳がある。微笑み返す顔がある。望めば、その存在と温もりを感じられる。

「さ、片付けるとしようではないか……」

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