はじまりの音を奏でて~中学生編

紫音うさだ

放課後サウンドスケープ

 音楽室へ向かう途中、ピアノの音が耳に入ってきてふと足を止めた。


(……懐かしい)


 近くの壁にもたれかかって、演奏に耳を傾ける。確かめなくても分かる、この演奏は。


 ずいぶんと久しぶりに聞いた気がする。幼馴染の弾くピアノの音。


 奏斗かなとの母親は音楽教師で、小さい頃ピアノを教わっていた時期があった。小学二年生だか三年生くらいでやめちゃったけど。

 今でこそあいつは音楽馬鹿なわけだが、中学に入るまではまったく音楽に興味がなく、年相応の外で遊ぶのが大好きなその辺にいるような普通の男子だった。小学生の時はピアノのレッスンが嫌で嫌で仕方なくて俺に泣いてすがっていた時期もあったが、もともと才能があったのか真面目に練習していなかった割には、腕は相当なものだと俺からすれば思う。奏斗の家って音楽一家だから、おそらく遺伝なんだろうな。

当時の奏斗はピアノを弾けることが人に知られるのを激しく嫌がってたっけな。女っぽいってからかわれてたから。あとは親がそういう仕事だからとか、そういう反動でじゃないかな。


 思わず目を閉じて、演奏に聞き入ってしまう。小学生だった時のことがやたらと脳裏に浮かんでくるのは、今まさに幼馴染が音楽室で弾いているこの曲のせい。



 俺の両親は仕事で深夜まで帰らないことが昔から多くて、いつも奏斗の家に預けられていた。


「今日も帰るの遅くなるから、奏斗くんのおうちでいい子にしてるのよ」


 いくら仲良しの奏斗と一緒とはいえ、小学校低学年ぐらいの俺には毎日寂しくて仕方なかった。

 幼いながらにずっと寂しさを我慢してたものの、ある日爆発して奏斗の家で大泣きしてしまったことがある。


「あらあら音哉おとやくんどうしたの。大丈夫よ、もう少しでお母さん帰ってくるからね」

「どうしたの音哉ー?」


 優しく抱きしめながらおばさんはそう言ってくれたけれど、すぐに帰ってこないのは分かっていた。美味しいおやつを出されたって、奏斗と遊んでたって、あったかいご飯を食べたって、その寂しさは埋まらなくて。


「今日は少し早めにご飯にしましょうね。奏斗、ここ片づけておきなさいね」

「はぁい」


 奏斗はわけが分からないという感じで、でも俺の頭をぽんぽん撫でてくれたのはうっすら覚えてる。人の家で泣いてしまったことは、今でも少し恥ずかしい。


 おばさんが去って行った後もなかなか涙が止まらなくてしばらくそのまま泣いていたら、突然奏斗がピアノを弾きだした。曲名とかよく分からなかったけど、メロディを聞いているうちに俺の涙は止まっていた。どこかで聞いたことがあるような、落ち着くような。不思議なメロディだった。


 それ以来あの曲を聞いたことはなかったけど、すぐに思い出した。あの時弾いてくれた曲だ。


 壁にもたれかかったまま、目を閉じて昔の思い出にふけっていると、不意に音が止んだ。そこでようやく本来の目的を思い出して、慌てて階段を駆け上がる。


「悪い奏斗、遅くなった」

「おー音哉、終わったの?」


 音楽室のドアを開けると、奏斗は窓枠に腰掛けて外を眺めていた。声をかけると降りてピアノの方に向かう。


「もしかして、俺のピアノの音聞こえてた?」

「……少しだけ」


 なんとなく素直に答えられなくて、そういうことにしておく。そっか、とだけ言って奏斗は俺に背中を向ける。


「あのさぁ奏斗。今度お前の家に行ってもいいか?」

「ん? いいけど、どしたの急に。土日どっちもあいてるよ、っていうか家近いんだし帰りに来ても大丈夫だけど」

「なんか、久々にお前のピアノが聞きたくなった」

「いいよー。音哉のためならいくらでも弾いてあげる」


 音楽室を後にして、教室に向かいながら切り出してみる。そしたらあっさりOKしてくれた。いつもの笑顔で。


 奏斗の家に行くのも久しぶりだなぁ。奏斗に誘われて吹奏楽部に入ってからは、ほとんど休みなしで遊ぶ機会なんて年に片手で数えられるくらいだった。部活自体は楽しかったなぁって思えるから、後悔はしていない。

 

 ついでにあの時弾いてくれた曲についても聞こうと思ったけど、急に恥ずかしくなってきたから、やっぱりやめた。

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