19.海賊放送の間に交わされる応酬、なおリタリットは眺めのいい場所に
『こんばんわ親愛なる総統閣下。あなたの偶然に拍手と尊敬を送りましょうか。あなたがそこに居たその多大なる偶然! 嗚呼何って偶然! たまたまあなたはそこに同行して、たまたま武器を携帯していて、たまたま応戦していたら、たまたま首相閣下はお亡くなりになった。それがあなたの偶然、幸運な偶然! それであなたの得たものはずいぶんに大きいですね。それをどう使いましょう? 今この時間にもとある辺境の地方では困っている地方があるというのに。それともその地方のことは放っておきたいですか?』
「何だ?」
モニタールームに入った途端、テルミンは叫んだ。
「何だ、何事があったんだ!」
「わ、判りません。今まで当直で、ずっと深夜放送を流していたんですが、急に―――」
放送のチャンネルを変えようとしても、その砂嵐は変わらなかった。強力な妨害電波が入っているのだ、と彼は気付いた。
「ずっとこうなのか?」
「いえ、つい三分前くらいです。それからこの調子で、ひっきり無しに喋り続けています」
「……ずいぶんと忌々しい声だな……」
ち、とテルミンは舌打ちをする。何か、この声には奇妙な既視感に似たものがつきまとう。それが何なのか、テルミンにはいまいちよく思い出せなかったが、既視感に似たものがあることだけは、確実だった。
「発信地を特定できるか?」
「この場からでは無理です。当局から機材が無くては」
「よし、とりあえず記録を取っておけ。そっちは、すぐに警備本部へ連絡を取って、発信地の特定を急げ」
はい、とその晩の官邸の当直の兵士は宣伝相の言葉に返事をした。
テルミン自身も、中央放送局へ直通の回線を開く。案の定、ゾフィーはまだ局内に居た。周囲がざわついている。明らかに、局内もこの突然の事態に動揺していた。
「そっちの局ではどうなんだい?」
『駄目よ。うちから出す電波がことごとく潰されている、って感じ』
「今、発信源を調べさせている。ここ数年、無かったらしい、プロパガンダの海賊放送だが――― くそ、何って強力なんだ」
『強力よ。こんなの、うちの局だってそう知ってる人がいないわ。今、うちの方も結構混乱しているの。新しい情報が入ったら連絡するわ』
「頼むよ」
テルミンはそう行って、回線を切る。ふう、と息をついて、とりあえず報告を、と振り向いた時だった。
足が止まる。思わず目を見開いた。
「総統閣下」
戸口に、ヘラがいつの間にか立っていた。そして低い、乾いた声でつぶやく。
「何か騒がしいと思ったら」
総統閣下、と聞いて、当直の兵士達は一斉に起立する。眠りかけだったらしく、やはりあまりしっかりとした格好ではない。だがふわりと手を上げるその動作は、普段公式の場で兵士が目にするそれと同じだった。
「いい。そのまま仕事を続けてくれ。誰か俺に、具体的に説明をしてくれ」
「では自分が」
兵士の一人が改めて立ち上がり、状況の説明を繰り返す。ヘラはふうん、とあごに指をやりながら、未だに続く放送の声に耳を傾ける。
「発信源は現在探索中です」
「判ったそのまま続けてくれ。宣伝相はちょっと来てくれ」
「はい」
テルミンはそのままモニタールームを出るヘラに続いて廊下に出る。
赤いジュータンの敷かれた廊下を数歩歩いたところで、口を開いたのは、ヘラの方だった。
「テルミン」
「はい」
「お前は、あの声に聞き覚えはないか?」
「聞き覚え、ですか?」
「そうだ聞き覚えだ」
ヘラはくるりと振り向く。
「聞き覚えというか――― そこまで、はっきりしたものではありませんが、既視感の様なものは…………」
「ふうん」
ヘラは目を伏せた。
「お前は気付かなかったのか」
え、とテルミンは思わず声を立てた。
「聞こえなかったのか? お前は、あの声が誰かに似ているとは思わなかったのか?」
「誰かに、ですか?」
「そうだ誰かに。俺達の、とっても良く知っている誰かに。声の高さはやや違うがな。声の質だ」
「……」
腕を組み、試す様に問いかけるヘラに、テルミンは困惑した。確かに既視感に似たものはあった。だが、具体的に誰かと問われても、彼には思い当たるふしはなかった。
「あの奇妙に響く声。俺は良く知ってるし、お前も知ってるはずだ」
「そう言われても俺には」
「ゲオルギイだよ」
はっ、と彼はヘラの顔を見つめた。
「本当に、気付かなかったんだな? お前」
「俺は、あなた程に元首相のそばに居た訳ではないですから……」
「それはそうだな」
ちょっと来い、とヘラはテルミンの手を引っ張った。予想外に強い力に、テルミンはぎょっとする。
引っ張られて行った先は、執務室ではなく、ヘラの私室だった。この部屋に入ることは、テルミンでもそうは無い。よほどの内密の話か、そうでなかったら、よほど私的に話でも無い限り、ヘラはこの部屋にテルミンを呼ぶことはない。
「一体何の用ですか」
「話の続きだ」
ヘラはくっ、と口の端を片方上げた。
「確かにお前は、俺ほどにはゲオルギイの奴とは面識が無い。と言うか、声も直接身体にどう響くか、なんて考えたこともないだろう?」
「そうですね」
テルミンは困惑しながらも、そう答える。一体何を言いたいのだろう、と彼は考える。今の今になって。
「だが、お前は、あの男の声だったら、いつでも聞き分けられるんだろうな」
「あの男?」
「帝都政府の派遣員だ」
「ああ、それなりに面識はありますからね。少なくとも、俺にとっては、ゲオルギイ前首相よりは」
ふうん、とヘラは何度かうなづいて見せる。
「なるほど。あくまで俺にもそういう訳か」
「何のことです?」
ヘラは黙って、デスクの引き出しを開けた。中から、何やら小さなものを取り出す。手の中に握り込んだそれを、ヘラはテルミンの目の前でぱっと広げた。
「……!」
その途端、テルミンの両目は大きく広がった。
「お前の忘れ物だよ」
ヘラの手の中には、あの時落とした、口紅程の大きさのライトがあった。
「ヘラさんこれを何処で―――」
「それはお前が一番良く知っているだろう?」
血が一気に足まで落ちていく様な感覚が、テルミンの身体に走った。その彼の動揺に気付いてか気付かずか、ヘラは半分伏せた目で彼を眺めると、腕を組んで訊ねた。
「お前、俺がこの邸内にお前より長く住んでるってこと、忘れていない?」
「知っていた…… つもりでしたが」
「抜けてるな」
くっ、とヘラは喉から声を立てた。
「まあ、知らない人間だったら、隠せていたさ。上等」
「……いつから……」
「さあ。お前が俺とあのケンネル科技庁長官の間を疑うよりは前かなあ? いや、疑っていた、じゃないかな。知ったんだろ?」
「……ええ」
「スキャンダルは御法度だものなあ。俺以上のスキャンダルを隠し持っている奴が。それで俺と同じ屋根の下で、ずっと逢瀬を繰り返していた訳ね。いい身分だな」
「……」
「心配せんでも、それでお前をどうこうしようって気は無いさ。お前は俺の大切なブレインだろ。腹心だろ。俺の最高の部下なんだろ?」
「……」
「そうだな? 答えろ」
有無を言わせぬ口調で、ヘラは言葉を投げつけた。テルミンは握りしめた手にじっとりと汗が溜まり始めるのを感じる。
「……そうです」
「そうだよな。お前が俺をこの役につけたんだ。逃げるなよテルミン。今更」
「逃げるなど……」
「俺が何も知らないと思っている? お前スペールンの計画には難色示してるそうだな」
「……あれは、財政上の問題が」
「財政上の問題は、何とかするのが部下だろう?」
くくく、とヘラは笑う。テルミンは口を歪めた。
「それでは、あなたはあの計画に賛同するというのですか?」
「面白いじゃないか」
「あれは――― 無謀です。あの男は、この首府周辺だけではなく、ゆくゆくは、この星系全体にあんな都市計画を行き渡らせようとしている。それは無理です」
「何でそう思う?」
「先ほども言いました通り――― 財政上の問題もあります。それに、首府はいいです。首府にはそれなりの機能が元々決まっていましたから、機能を重視し、それを補充する方向で、足りないものは足し、要らないものは削るというその方向でいいです。ですが、その方法を、それなりの歴史の積み重ねがある地方でするのは無謀だと言うのです」
「さぞそんな風に強制的に作られた場所は、見た目には綺麗だろうなあ」
「総統閣下!」
「資金はライを上手く使えばいいのじゃないのか?」
「それは……」
「それとも、ライには、手を付けてはならないものがあるというのか?」
テルミンはぐ、と息を呑んだ。
「…………ケンネルは………… あなたに何を言ったんですか? 総統閣下」
「お前は聞いていないんだな」
「あなたは聞いているのですね」
「当然だ。俺は総統閣下、だからな。聞きたいか?」
テルミンは喉のあたりを押さえる。ヘラはそんな彼を見て、同じ言葉を繰り返す。
「聞きたいか? テルミン。聞きたいのなら、聞きたいと言ってみろ。話してやる。あれが何なのか」
「……」
「言ってみろ、ほら」
ヘラは手を伸ばす。そして喉を押さえるその手を取り、引き剥がした。
「……聞きたい…… です」
「上等だ」
*
『……さてそんな偶然が上手く回ることが世の中にはあるもんですね。しかし普通は上手く回らないことがとっても普通なんでして、思惑通りにものごとが進むということはありゃしません。その昔やっぱりそんなことを考えたお馬鹿な輩がおりまして、それがひとりふたりでなかったから質が非常にお悪い。
若者ってのはそぉですよね。全く。後先が見えないんですよこれが。起こしたことが何であるのかも全く判らないまま無闇に突進するから周りにメイワクかけてしまうというのにプロの言うこと聞かないから起こすのは結局とんでもないことになっちまうんですよ。ええ全く。準備は万端にしなくてはね、総統閣下』
「……これ、何処から流れてるんだ?」
BPはそこに置かれていた小さなラジオを掴んで、訊ねた。周囲の構成員達は、揃って首を横に振る。
「判らない。だが我々の代表の命令だ。この時間にはラジオは付けておくように、という。時々連絡用の電波が入ることがある。乱数表が読まれることが大半なんだが」
冷静な声で、「赤」と「緑」の構成員は彼に説明をする。
「乱数表」
「指令が暗号化されている。乱数表自体がよく更新されるから、解読される可能性は低いと考えていい。絶対ではないが」
「けど、こんな放送は俺達も初めて聞いたぞ」
その場に居た数名が口々に言う。
「お前は心当たり、あるのか? BP」
「……」
BPはすぐには答えられなかった。確かにこの声は、自分が聞き違えるはずがない。
懐かしい、相棒の声だ。
一度向こうの街に戻ったが、またあの集団に参加するためにやってきたのだろうか、と彼は推測する。だがその時に与えられた役割が、これ、なのだろうか。
「知り合いの声に似てる、と思った」
「へえ。だとしたら、ずいぶんと妙な声だよな」
「妙か?」
「妙、というか、何か、響くよな」
そうだよな、とあちこちから同意する声が聞こえる。板張りの部屋に、数名が思い思いの格好で、待機している状態だった。
「何か妙に耳につくんだよ。良くも悪くもさあ」
「結構な、頭痛い時だと、近寄るな、って感じだよなあ。響きすぎだから」
「だけど、そうでなけりゃ、何か耳を傾けたくなるよな」
好きなことを、とBPは思わず爪を噛む。
「だけど割と、この電波、近くないか?」
「ああ、もしもこれがいつもの海賊電波だとしたら、発信源は今居るこの首府の中のはずだ」
「首府の?」
BPは顔を上げる。そうだ、と言う仲間の一人の手には、幾枚もの紙があった。手紙だった。それはあのラルゲン調理長からのものだった。
「首府の何処かに、昔から反体制組織がよく使う海賊電波の共同通信場所があるというんだ。ただそれはその担当の奴しか場所は知らない」
「そーいえば、昔、やっぱり何かこういう口調で喋り倒す海賊電波の喋り手って居たんじゃないか?」
「緑」の一人が仲間に問いかける。そうだったかな、と大半の者が首を傾げる中で、一人だけ、そういえば、と口を開く者が居た。
「どんなのだったんだ? 俺も話にしか聞いたこたないけど」
「あー、でも俺だって、実際に聞いたのは一度しかねえぜ?」
「こういう口調だったのか?」
BPは身を乗り出す。
「あー…… そうだった、といやそうだった気がするな。うん。何か実にまあ、人を怒らせるようなことをぐたぐだと喋っていた様な気がするね」
「人を怒らせる」
BPは苦笑する。
「つーか、政府の連中が怒る様な、ってのがやっぱり多かったかね」
「さすが古参だねえ。よく知ってる」
「馬鹿やろ。でもなBP」
その「古参」の「緑」の一員は、BPに向かって声を投げた。
「実際、8年前の水晶街の騒乱の時に、あの時居た構成員がかなりの人数しょっ引かれてる。死んだ奴だって少なくない」
「銃撃戦だったのか?」
いや、と古参の男は腕を組んだ。
「どちらかというと爆発だ。つーか、血気にはやった学生どもが、こっちの指令を無視して、首相暗殺計画って奴を立てやがった」
「へえ」
周囲がいつの間にか聞き耳を立てていた。BPもまた、何も言わずその昔話に聞き入る。彼が言わずとも、なかなかその話は最近加入した者などにとっては興味深いものらしく、
「首相っていうと、当時はゲオルギイだよな。エーリヒ・ゲオルギイ」
「ああ。その当時の首相が、新しく出来た地下鉄の完成行事に出席した。どうもその時に、学生どもは、そこから地下鉄で官庁街に戻る特別列車を狙ったらしい」
「妥当な線かね」
「赤」の一人がぽんとつぶやく。
「まあ学生が考えたにしちゃ、まあまあじゃないのかね。特別列車だから、一般市民への被害は少ない。無差別殺戮じゃないとしたら。ただ、そこで使ったのが、オーソドックスに爆発物で、しかもその取り扱いを大してレクチュアされてない奴だから、始末に悪かった」
「げ」
集まっていた者達は、顔を見合わせる。
「結果として、爆発は起こった。だけどそこで死んだのは、皮肉にも、それを仕掛けた連中だったらしい。数発あったらしいが、それを爆発させた奴は、そこから逃げ遅れて爆死」
「げ」
「不発だった奴は、通過列車に轢かれて死んだ。通過してしまってから引き上げられた遺体は、ぐちゃぐちゃだったらしいな。真っ赤で、肉やら血やらでまみれて真っ赤になって地下鉄の床に転がされてたらしい」
「見たのか?」
「いや、その時は。聞いた話だ」
地下鉄。BPは相棒の話が目の前に浮かび上がってくるのを感じた。
たぶんメトロだと思うんだよ。
何つーのかな、布を一気に金属で引き裂いた様な音ってゆうか。
そこでオレが見たのは、真っ赤に染まった床。
「それで、その時死んだのは、学生だけか?」
BPは訊ねる。古参の「緑」の構成員は、ああ、とうなづく。
「当時もその学生の…… ああ、当時その事件を引き起こしたのは、首府の最高学府、中央大学の学生達だったんだ」
「やだねー。頭いいくせに、そんなこと引き起こすんだからね」
「俺達が言えた義理か?」
BPはふう、と肩をすくめる。
「その時も、一応ウチの――― っていうか、当時はまだ、もっと組織自体が規模が小さかったらしいんだが、そう、お前らの『赤』の方面から、その大学担当がついたらしいんだ。学生の中から、組織に入った奴が、それに当たった。目的は、学生内部の組織化、かな。ただ、そいつへの指令と行動には、武力闘争は含まれていなかった」
「そうなのか?」
「学生は、頭でっかちの奴が多い。こっちはこっちで、それなりに訓練受けて、その上でなるべく一般市民には最低限の被害で済ませようとする効率やら経済的効果とか考えているというのに、連中は、若気の至りか何か知らんが、熱くなったら手におえない」
「それが若いってことじゃないのーっ」
けけけ、とまだ二十歳になるかならないか、という「緑」の構成員が口をはさみ、笑った。
「うるさいな。だが若気の至りもほどほどなら、確かに世間にアピールできる度合いが大きい。それも当て込んで、そういった理屈込みで、学校にも担当を送り込んだらしいが」
「らしいけど?」
「その担当は、水晶街以来、行方が知れないらしい。もっとも、当時の構成員は、今と違って、誰かと組んで行動するということが無い。単独行動が多かった」
「それって、どちらかというと、軍の工作員とか、そういうのに近い行動じゃないか?」
「何だBP、それはお前の記憶か?」
「いや」
BPは即座に首を横に振る。
「これは知識だ」
「だがBP、記憶と知識は、切り離して考えられるものじゃないだろう?」
彼はえ、と声を立てた。
「お前のその知識は、お前のいう人間のたどってきた道筋に付随するものだ。それはお前という人間の身体の記憶と言ってもいいんじゃないか?」
「かも、しれない」
BPは静かに答える。
「認めるのか? お前がこうだと言われている過去は」
「俺は『思い出せる』訳じゃない。相変わらず、俺の中でそれが直接情景として連続して浮かび上がるとかという訳じゃない。ただ、俺がその場にその様にして居たら、俺だったら、確かにそう動く、ということは理解できる」
そこに居た構成員達は、複雑な表情で、彼の言葉を聞いていた。
「だが逆に、その頃の俺が、例えばあのライの状況を知ったり、辺境の、当時の反乱軍側の状況を知ったなら、俺は明らかにこっちへ身を投げたと思う。そういう意味で、知らなかったことが俺の罪だというなら、それはそうなのだろう、と思う」
「ふむ」
「緑」の古参の男は、腰に手を当てると、なるほどな、とつぶやいた。
「まあいいさ。ここではお前を糾弾する暇は無いしな。お前が優秀な狙撃手だということが、今は大切だ」
そうかもな、という空気が辺りにただよう。空気は均質ではないが、とりあえずはその路線で行こう、という雰囲気は充分にBPにも感じられた。
「それで、続きを聞いてもいいか?」
「何を」
「その当時の学生の構成員のことを」
「―――って言っても、俺も知っているのはこんな程度だぜ?」
「でも、当時もこんな」
BPはラジオの方を向く。
「こんな放送が流れていた、って言うんだろう? 当時のこんな放送も、水晶街を最後に、無くなったのか?」
「ああ、確かに時期は一致するな」
「緑」の古参の男は首をひねる。
「だが詳しいことは、誰も知らない。そもそも、誰が電波を飛ばしていたのか、それがその学生の構成員だったのか、それも今となってははっきりしないんだ。ただ、その地下鉄の爆破の、暗殺未遂事件が起こったことが、水晶街の引き金になったことは事実だ」
「あ、それは言えてるね」
それまで黙っていた「赤」の若手の一人が口をはさんだ。
「そっちの事情はともかく、俺、水晶街の、当日のことだけは覚えてるよ。ただ結局はとっとと逃げ出したんで、何とかこうやって居るんだけどさ」
「確かにあれは、逃げるが勝ち、だったな。お前学生だったっけ?」
「いや、野次馬。まだガキんちょでさ。実業の予科入ったばっかだったぜ。だけど、何かあるじゃないか。どきどきする様な、って夜でさ。戒厳令が敷かれたから、つい夜中にこっそり家を飛び出してしまった!」
はあ、と辺りのため息が彼の耳に届く。「赤」の若手は、それが聞こえているのかどうなのか、指を立て、楽しげに続けた。
「たぶんさ、その暗殺計画が失敗した、って辺りから、当時の学生達、とりあえず学校に集結して、それから移動したんだよ。で、手分けして、水晶街の百貨店やら小売店を占拠した」
「ああ」
そう言えばそうだったな、と楽しそうに笑みを浮かべる同僚の顔を見ながら、構成員達はうなづく。
「結局どの位居たのかな?」
「総勢、53人だ、って言ってたな」
別の「赤」の構成員が答えた。さすがだね、と若手はにっと笑う。
「その53人が手分けしてさ。あ、そーいえば、思い出した」
「何?」
BPは不意にぽん、と手を打った若手に問いかけた。
「俺その時、また何かあの『放送』が聞けるかと思って、小型ラジオ持ってたんだ」
「何だお前も聞いてたのか?」
「言われるまで、忘れてたよ。さすがに思春期のガキでしたから、その後に楽しいことが多くって」
「そんな奴が何でこんなとこに居るんだよ……」
「緑」の古参は頭を抱える。
「人生成り行きだもん。でも実際、うん、思いだし始めるとするする行くね。で、ラジオ。持ってって、時々ヘッドフォンつけるんだけどさ、意外に何も言わない訳さ。何か、俺、それがあの頃煽動してるって思ってたからさあ、てっきりそれで余計に煽るのかと思ったら」
「何も言わなかった?」
うん、と若手はうなづく。
「そのせいなのかどうか判らないんだけど、何かまとまりが無い感じだったな。俺ビュークレ百貨店のトイレとかに時々隠れて、あとは結構あちこち走り回ってたんだけど」
「…………よく生きてたよなあ」
「ホントにそう思うよ。でもま、ビュークレってでかいじゃん。で、俺すばしっこかったし。…………まあさすがに夜になって、首府警備隊が出てきそうになった時に、ラジオ抱えて帰ったけど」
「ほんっとうにお前、よく捕まらなかったなあ」
「だから今こんな役をしてるんでしょ」
全くだ、とその時、皆の笑い声が響いた。だがBPは笑う訳にはいかなかった。
「そのラジオの――― 電波を、お前当時聞いてたんだよな」
「うん。まあ時々。と言っても、今思い出したようなもんだけどさ」
「その時、暗号名でも何でも、その時喋っていた奴は、名乗ったりしなかったのか?」
「名前」
ふむ、と若手は首をひねる。
「何だっけ。何か色の名前っぽかったんだけど」
「ああ、それはあり得るな」
古参の男が口をはさむ。
「当時はまだ、色の名前は組織を意味していた訳じゃない。当時は構成員一人一人に色の名前がついてたんだ。かくなる俺にもついてたんだぜ?」
「へーえ。何って言うの?」
「忘れた。何かこっ恥ずかしいものだったから、返上したよ。でもそいつには色の名前があったはずだな。……え、と……」
「何か赤っぽい…… ピンクじゃなくマゼンタじゃなくオレンジじゃなくオーカーじゃなく……」
「ローズ、ヴァイオレット、カーマイン、ヴァーミリオン……」
「それだ!」
若手はつぶやく一人に指を突き付けた。
『……それでは次のニュース』
奇妙に言葉が、BPの耳に入り込む。
『記念すべき来年の新年の祝賀祭は、現在首府に建造中のスタジアムで我らが偉大なる総統閣下の演説で始まるとのこと。何が起こっても当局は一切感知致しません』
「……しかし、なあ……」
「赤」の構成員の一人は、あのライの調理長ラルゲンから届いた手紙を見ながら、感心した様にうなづいた。
「よく覚えていたよなあ、この人なあ」
「ああ、ラルゲン調理長か?」
ああ、と構成員はうなづく。
「かなりこれは助かるぜ」
「と言うと?」
ばさ、と構成員は、床に一枚の紙を広げた。だが元々は一枚の紙ではない。幾つもの紙を継いで継いで継いで一枚にした様なものだった。
「図面?」
紙をのぞき込みながらBPは問いかける。
「ああ、図面。現在の総統官邸のな」
「官邸の」
「あの官邸が、どういうつくりになってるか、BP判るか?」
彼は首を横に振る。知る訳が無い。
「だいたい一般に判るのは、外回りだけだ。新聞やらTVやら……時々映されるだろ? そこからとりあえず、建築に詳しい奴を動員して、まず外回りから予想されるおおまかな形を取り……」
「後は、中に潜り込んだことのある奴から、少しづつ情報を取り入れていった。だが、さすがにこの官邸は参ったらしいよ」
「何で?」
彼は短く問う。
「何かな、建築学科出身の奴によると、あの官邸は、それこそ植民初期の時代から、どんどん継ぎ足したものだ、って言うんだよ。で、そのたびに、その時どきの建築の流行や、趣味や、はたまた用途が付け加えられる訳だ」
「つまり?」
「見取り図はひどく作りにくい。常識が通用しない。木に竹を継いだような作りだから、何処に何があっても不思議じゃない。となると、潜り込むためのセオリイも役に立たない」
なるほど、とBPはうなづいた。
「ところが、だ」
構成員は、ばさ、とラルゲン調理長の手紙をその上に放り投げた。
「彼の報告は、実に有効だ。さすがに中でしばらく勤務していた者の見てきたものは違うな」
「しかしさすがに、情報を回してくれるとは思わなかったが……」
「無論、我々の代表も、情報漏洩に関しては、自分達とのつながりが判らない様に気を付けることを約束したさ。だがあの調理長、結構あの官邸に対して根深い何とやらを持っていそうだな? こう言ったらしいよ。『あんな猜疑心のかたまりの様な建物は無くなればいいんだ』って」
へえ、とBPはつぶやく。そんな気持ちがあの調理長にあったのか。
「で、このラルゲン氏によると、この官邸には、その昔、その猜疑心のかたまりの様なある時代の首相が作らせた、という裏の通路があちこちにあるのだという」
「何だって彼は、それを知ってたんだ?」
「さあね。ただ、結構彼の勤務していた、っていう調理場、っていうのは、抜け道の出口だったりしたんじゃないかな」
「なるほど」
BPはうなづく。
『逃げ道は無い。今現在面している真の危機に対し、目を開き、耳を澄まし、自分が何をすべきか見定めなくてはならない。あのかつて民衆を棄て、裏口からこそこそと逃げ出したある時代の首相のように、背を向けることは許されない! 我々にできることは何か?』
鋭い声だった。
できることね。
BPは聞こえない程度の声でつぶやく。
リタお前、一体何を知っている?
そんなことはどうでもいい、とは思いたい。それは相棒が自分に言ったことでもある。リタリットが一体何だったのか、そんなことは、彼は実際、どうでもいいことだった。
ただ、その過去が、今現在の相棒に何らかの行動を起こさせているなら、話は別である。そして彼は苦笑する。
何てことない。気になっているのは、自分も同じじゃないか。
結局、自分が知らない相手のことだから、気になるのだ。無論自分自身も、知らない。だが、知っている者は居る。そして自分の中に、確実にそれは蓄積されている。
その場その時の相手が居ればいい、というのは嘘だ。
結局、過去も現在もひっくるめた、相手の全てが欲しいのだ。
「……それでBP、お前は……」
構成員の言葉にはっと彼は我に返る。何だよ聞いていなかったのか、と言われ、彼は苦笑いを返す。
目の前の仕事は、片付けなくてはならない。そして、自分自身の過去にも向き合わなくては。
そして、その上で、自分達は、また出会うのだ。
*
「……」
テルミンは言葉を無くしていた。
「どうだ? これがパンコンガン鉱石の謎、だ。ケンネルが俺に寝物語に話した現実、だよ。だから帝都の連中は、この惑星に、結局は実力行使をしていない」
そう言って、ヘラはいや違うかな、と天井に視線を投げた。
「違うな。帝都の連中は、いつだって、こんな惑星一つ、破壊することはできるんだ。実際、自分達の母星を破壊している訳だからな。ただ時期が悪いのと、ライの上にあるバンコンガン鉱石の、正確に場所が判らないことから、連中は強硬路線を取らないだけた」
「ゲオルギイ首相は、知っては……」
「知ってた訳がないだろう? あの男が」
何を馬鹿なことを、とヘラは口元を歪める。
「だけど奴は、パンコンガン鉱石が帝都政府、いや皇族にとっての貴重なものであることだけは、政治家の感覚で判っていたんだろうな。何をどうしても、これだけは取引材料に使える、と。だから技術研究所や科学技術庁に解明を急がせた。ケンネルも、俺達が政権を握る前から研究には関わってた」
「だけど、何であんたには言うんです」
「何でだと思う?」
テルミンは首を横に振った。彼には既にあの旧友の行動がよく判らなくなっていた。
「俺には…… 判らない。何で奴はあんたと寝たんです? 何であんたは……」
「久しぶりだな、テルミン、その口調は」
くっ、とヘラは腕を組んで笑う。
「俺、お前のそういう口調好き」
「……ヘラさん」
「いつの間にやら敬語が身に染みついて。俺は嫌いだと言ったのに」
「だけどあんたは総統閣下で」
「傀儡の、な」
ゆっくりと、ヘラはテルミンに近づいていく。
「ケンネルは俺に実権なんか無いこと知ってるんだよ。そして俺がそれを使う気なんかないこともな。それはそうだ。実権はお前にあるんだからな、テルミン」
「それは……」
「逆に聞きたい。何でお前はあの男と関係していた? どちらが先だ? お前が俺を広告塔にしようとする前か? 後か?」
テルミンは自分の身体がこわばっているのに気付いた。上手く言葉が出て来ない。この目の前の、大きな、綺麗な、印象的な瞳にこれだけ強く見据えられたことは、一度たりとして無いのだ。
「まあいいさ。でもこれだけは答えろ。何でお前は俺を欲しがらなかった?」
「……!」
「別に俺は、構わなかったがな」
「ヘラさん……」
「お前の問いの答えだ。ケンネルは、俺が誘ったんだよ。ただ楽しみたかったからな。素直な奴は好きだね。それともお前は、誰かにするより、誰かにされる方が好きか?」
「……違う……」
「何が違う?」
テルミンは、黙って首を横に振る。繰り返す。それしかできなかった。このひとには、判る訳がないのだ、と彼は心中、つぶやく。
「言い返したいことがあるなら言ってみろ。言わなくては俺は判らない」
「……俺は、あんたがとても好きだったんだ……」
「ふうん。じゃ何で?」
「あんたには判らない! 俺はあんたというひとが、とても好きで……好きすぎて、どうしても、手が出せなかったんだ……」
ああそうだ、とテルミンは言葉にしてから、納得する。このひとは、自分の中の、宝物の様なものだったのだ。
それが今ここで、こんな風に糾弾されたとしても、あんな風に、別の男と楽しんでいる様な光景を目にしたとしても、決して、壊れることの無い、唯一無二の。
「俺には、あんたは、そういうひとだったんだ……」
「でも、過去形だろ」
あっさりとヘラは切り捨てる。
「俺は、人間だ。お前の思い描きたい様な実体の無い何かじゃない」
判ってる、とテルミンは思う。判ってはいるのだ。だが、そう思いたかったのだ。ずっと。
「俺にも、そういう奴が居た」
乾いた声。彼ははっとして息を呑む。
「昔、同じ戦場で、生きることだけを考えて戦ってた頃、俺の相棒は、俺にとって、そういう奴だった。生きるためには結局何でもやる俺と違って、何処かで自分のできることできないことに線を引いてた奴だった。すごい馬鹿だと思った。だけど、その馬鹿が馬鹿だから、俺は、そいつを絶対に守ってやりたいと思った。一緒に居たいと思った。ずっと一緒にやっていけると思った。―――だから、手を出せなかった」
「……」
「でも結局その結果は何だ? 何になった?」
何もならないじゃないか、とヘラの乾いた声は言った。
「お前は気付いていたはずだ。俺の相棒の存在を」
「―――ええ、知ってました」
テルミンは素直に答える。今更隠しても仕方が無かった。
「では何で探さなかった。何が俺の望みかを、結局お前は知ろうとはしなかったじゃないか。お前はお前の理想の俺を、そこに祭り上げて、それを見ていたかっただけじゃないか?」
「……否定は…… しません」
「そうだろう?」
「……だけど俺は」
「だけど俺は? 言ってみろ、テルミン」
「……もし、あんたの前に、その相棒が…… S・ザクセンが現れたら、きっとあんたは全てを放り出して行ってしまうだろう、とう予感があったから」
「確かにな」
「それは嫌だった。ええそうです。俺は、あんたをそういう目で見てました。あんたが居るにふさわしい位置で、ふさわしい姿をしている、それを見るためには、何でもすると、あの時思ったんだ」
「は。ひどい食い違いだな」
くくく、とヘラは再び笑う。だがその笑いは次第に大きくなった。そして急にそれを止めると、ヘラは笑いを顔から抹消して、目の前の腹心に告げた。
「安心しろテルミン。せっかく手にしている座だからせいぜい守ってやるさ。だが覚えておけ。俺は、こんな地位は、どうでもいいんだってことはな」
ええ判っています、とはテルミンは言わなかった。
代わりに彼がしたのは、一礼をして部屋から出ることだった。
テルミンが出た後の部屋でヘラは、ふうと息をつく。そして、目についた、昼間公式の場で着た服を片手で掴むと、大きく床に投げつけた。
*
「あ、宣伝相閣下、御覧下さい」
モニター室に戻った彼を待ち受けていたのは、報告を手に手にした部下達の姿だった。
「どうした? 発信源は判ったか?」
気持ちの動揺はなかなか治まらなかったが、職務にそれを反映させてはいけない、というのはテルミンの信条だった。
「はい。ですが、これは移動しています」
「移動?」
「機材より、発信者が端末を持って移動していると考えた方が良いと思われます。ただ……」
「ただ?」
「結局は、発信位置が判った時には、相手は既に移動している、ということになりかねません。しかし、この端末は、未登録のものではないです」
「登録済みのものなのか?」
「いえ、未登録ではない、というだけです」
「となると……」
テルミンはち、と舌打ちをする。ゾフィーが普段持っているような、携帯型放送用端末は、残らず当局に登録されているはずだった。だとしたらそこから現在の持ち主を探すことは難しくはない、と……普通は思われる。だが。
「未登録ではない」と「登録されている」とは違うのだ。
もしや、と彼は思う。かつての閣僚の中に、未登録ではない端末を持っていた者が居ただろうか?
居たのかも、しれない。
『それでは夜の淋しいひとときをお過ごしの諸君、今宵はここまで』
*
「……ここまで」
ぴ、とボタンを押すと、そんな音が鳴った。
リタリットは、建物の屋上の、階段室の上にあたる部分へと上り、そこで明るく光る衛星を眺めていた。そしてポケットから煙草を取り出して、火をつける。ふう、と一息つくと、そのまま座り込んで、膝を抱えた。
そこから見るこの首府の景色が、一番いいのだ。
「森」を挟んで向こう側の官庁街、東にはこんな時間にも人がにぎわう水晶街、西には駅。工事中の幕がやや無粋だが、流れていく列車の窓の明かりがきらきらと輝く。そして南には、闇が広がっている。その向こうは郊外だった。そしてこの郊外に、首府のベッドタウンがある。
彼はしばらく目を細めて焦点をぼやけさせ、その明かりを眺めていた。
「ここが、一番眺めがいいんだ、か……」
リタリットは、つぶやいた。
そこは、中央大学の校舎の屋上だった。
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