第30話 証言と謝罪

(……あれ?)

 目を開けると、玲奈の目には見覚えのない景色が飛び込んできた。

 どうやら、カーテンで仕切られたベッドに寝かされているらしい。校内でこんなベッドがある場所といえばあそこしかない。ほら、ほんのり消毒液のにおいが漂っている。

(誰かいるかな?)

 なんとなく、遠くに物音が聞こえるような気もするけれど、気のせいかもしれない。玲奈はゆっくりとベッドからはい出した。

「──ああ、佐々木さん。目が覚めたのね」

 内側からカーテンを開けると、机に向かっていた坂出先生がこちらを見た。そのまま立ち上がりこちらに向かってくる。

「どう? 痛いところとか、気分が悪かったりとかはない?」

 坂出先生が気遣わしげに聞いてくれる。玲奈は首を振った。首に強く圧迫された感覚が残っているだけで、痛いわけではない。

「……生徒会長? 大丈夫?」

 この声は──と思っていると、やはり祐輝が姿を現した。今までに見たことのないような、いろんな感情が入り交じったような表情をしている。

「園田くん……」

 思ったように声が出ず、かすれたような声になってしまった。とっさにのどに触れる。

「何があったの?」

 どこか焦りをにじませたような声で聞く祐輝を、坂出先生がすっと制する。

「……あなたが倒れているのを見つけた一年生たちがね、ここまで運んでくれたのよ。園田くんはその一人」

 坂出先生は、玲奈と祐輝両方を落ち着かせるようにゆっくりと言った。なるほど。どうして祐輝がここにいるんだろう、なんて疑問に思う暇もなかったけれど、そういう事情らしい。

「何があったのか、少しでも覚えていることはあるかしら?」

 坂出先生の言葉に玲奈は記憶をたどる。

「知らない一年生に呼ばれてボックス街に行ったんです。そしたらその子はすぐにいなくなってしまって、後ろから誰かに首を絞められて……」

 そう、それで気づいたらここにいたのだ。その間に何があったのかは何も覚えていない。覚えていないというか、知らない。

「首絞めた、って……悪質ね」

 坂出先生が腕を組む。祐輝の顔も心なしか険しくなった。

「あの、いったい何が……?」

 わけがわからずに尋ねると、坂出先生はなぜか祐輝を見やり、「園田くん」と呼びかけた。祐輝は無言でうなずく。

「生徒会長、俺ちょっと出てくるけど。すぐ戻るから」

 そう言ってまたカーテンの向こうに姿を消してしまった。まもなくして、入り口のドアが開き、そして閉まる音がする。祐輝が出て行ったのを見届け、坂出先生が玲奈に視線を戻した。

「佐々木さん。あなたの身に何があったのか、わかってる範囲で話すわね」

 坂出先生の言葉に、玲奈はしっかりとうなずいた。


「せい、てき……ぼうこう……?」

 それが「性的暴行」に変換されるまでに少し間があいた。意味が分かった途端、背筋がすっと冷える。坂出先生は静かにうなずき、話を続けた。

「佐々木さんが見つかった時ね、シャツのボタンが開いていて、まるで脱がされかけているような感じだったそうなのよ」

 思わず自分の耳を疑う。あわてて自分の格好を確認するが、一番上以外は全てきちんとボタンが留まっていた。

 そんな玲奈を見て、「それは私が」と坂出先生は自分を指さす。彼女が整えてくれたということらしい。

「彼──さっきの園田くんね。あの子がとっさに自分のブレザーをかぶせて隠してくれて、ここにはその状態で運ばれてきたの」

 玲奈の表情を見て、坂出先生が慌てて付け加えた。そういうわけで他の人の目には触れていないから安心していいわよ、ということらしい。それはつまり、祐輝にはばっちり目撃されているということになるのだけれど。

「園田くんが……」

 こんな時でもイケメンはイケメン対応ができるらしい。思わず感心してしまう。

 案外、「あられもない姿」を見られたというショックはそれほどでもなかった。正直自分では覚えていないし、あまりピンとこない。それに、祐輝にはあんな美人のお姉さんたちがいるのだ。何とも思わなかったに違いない。

「それ以外は制服も乱れてなかったし、時間も限られていたし。一応未遂じゃないかってことになってるわ」

 未遂──遂行の意志ありきの表現だと思う。玲奈は無意識に自分の両腕を抱いた。

(……ん?)

 状況がつかめてきたところでふと玲奈の脳裏を疑問がかすめる。ボックス街にはひと気がなかったはずなのに、祐輝はいったいどうやって助けに来てくれたのだろう。

 そんな問いを口にすると、坂出先生はうなずいて教えてくれた。

「あなたを呼びに来たっていう一年生。彼が園田くんたちに知らせたの」

 ああ、あの子が、と玲奈は彼の姿をおぼろげに思い浮かべる。

 と、入口でコンコンコン、とノックの音がした。坂出先生が「いいかしら」というふうにこちらを見たので、玲奈はうなずく。坂出先生は「どうぞ」とその場で声を上げた。


 祐輝と一緒に戻ってきたのは、メガネをかけたおとなしそうな感じの男の子だった。目が合った瞬間、玲奈は「あ」と思い至る。

「佐々木先輩、本当にすみませんでした!」

 そう言って深々と頭を下げる。そう、気を失う前にも、彼にはこうして謝られた記憶がある。が、今回もどうしていいかわからない。

「あの……何に対する謝罪なの?」

 頭を下げられ続けるのも気が進まないので、玲奈は質問を投げかけてみた。思惑通り、彼は顔を上げてくれる。しかし悔しげに下唇をかみしめていた。

「佐々木先輩をこんな目に遭わせたのは、実質僕なので……」

 聞きながら、それは違うと玲奈は思う。玲奈が首を絞められたとき、彼は走り去った後だった。実際に手を下したのは彼ではない。玲奈をボックス街まで連れてきたのは彼だけれど。

 助けを求めるように視線を向けると、祐輝は期待通りその意図をくみ取ってくれた。

「こいつ、下靴盗まれて。返してほしけりゃ生徒会長を連れてこいって脅されてたんだよ」

 祐輝の言葉で、玲奈は靴のことを思い出した。

 そうだ、確かにあの時靴が一足落ちてきた。あの時はわけが分からなかったけれど、あれはこの子が盗られた靴だったということらしい。ということは、一応ちゃんと返してもらえたのだ。玲奈の身柄と引き換えに、だけれど。

「……君、名前は?」

 すでにかなり恐縮しているので、これ以上威圧感は与えないように声音に気を遣う。彼ははっと顔を上げ、また視線を落とした。

「奥野洋介、です」

 彼──洋介はそう答えると、また口をキッと引き結んだ。玲奈はふっと息をつく。

「じゃあ、奥野くん」

 名前を呼ぶと洋介は顔を上げた。玲奈はしっかりと目を合わせる。

「私がなんで呼び出されたか──あのあと私がどうなるかは、知らなかったんでしょ?」

 玲奈が聞くと、洋介はうなずいた。

「はい、でも──」

「──だったらもういいから」

 玲奈は洋介が何か言いかけるのを遮るように言葉を継いだ。洋介が責任を感じていることも、後悔していることも、もう十分に伝わっているのだ。

 そしてそこにあるはずの自分の持ち物が忽然と姿を消したときの焦りと絶望は、玲奈も身をもって経験したことがある。だから洋介を責めることは自分にはできないと、玲奈は思うのだった。

「あのまま逃げ帰らずに助けを呼んでくれたんでしょう。それでもう十分だから。……ありがとう」

 洋介は虚を突かれたように立ち尽くしていたが、すぐに「すみません」と小声で言い足した。


「──ところで佐々木さん」

 突然横から声がしてどきりとする。洋介の登場で、坂出先生のことをすっかり忘れてしまっていた。もちろんそんな実情はおくびにも出さないのだけれど。

「保護者の方に連絡して迎えに来てもらう? 学校も、落ち着くまでは休んでいいって清水先生も言ってたけど」

 そうか、担任の清水先生も巻き込んでいるのか、と玲奈はぼんやり思う。いや、よく考えてみたら校内で一人の女子生徒が襲われたなんて大事件だ。いずれ全校に知れ渡るだろう。もちろん、狙われたのが玲奈であることも。

(その方が無理、かも……)

 みんなが飽きるまで、性犯罪の被害者とみなされ続けるのだと思うと耐えられそうになかった。玲奈はきっぱりと首を振る。

「明日からもちゃんと登校します。親に連絡もいらないです、心配かけたくないので。それから」

 玲奈は祐輝と洋介をちらりと見やり、それから坂出先生に視線を戻した。

「この件は隠密に済ませてください」

 一年男子二人が驚いたのが雰囲気でわかる。一方、坂出先生は表情を変えなかった。

「多分無差別犯じゃなくて、ターゲットは私だけですよね。だったら他の人に危険はないはずですよね。それに──」

 言い募る玲奈を、坂出先生がそっと手で制した。素直に口をつぐむ。

「佐々木さんの気持ちはわかったわ。詳細は伏せる。でも注意喚起しないわけにはいかないから……そこはわかってね」

 坂出先生の言葉に玲奈はうなずいた。

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