第27話 袖野白雪の授業

 編集者の私――花園はなぞの美咲みさきと、担当作家であり伴侶の袖野そでの白雪しらゆき(ペンネーム)は、我が子、一花いちかのために小学校の授業参観に行くことになった。

 私は有給を使ったから問題なし。白雪さんも小説家という名の自由業なので、いつでも学校に行く準備は整っている。

 しかし、私は内心、気が気じゃない。同性同士の結婚が最近になって認められたとはいえ、未だに同性愛者に対する偏見と好奇の目はある。

 私達二人のせいで子供たちが同級生にいじめられたらどうしようかと思うと、私はいてもたってもいられなかった。

「落ち着いてください、美咲さん。大丈夫ですよ」

「でも……」

 私の動揺を見透かしているのか、白雪さんはポンと背中を軽く叩き、そのまま背中をさする。

 逆になんで白雪さんは落ち着いていられるのだろう。やはり私とは価値観が違う気がする。

 一花の教室に後ろ側のドアからそっと入ると、教室の後ろ側は保護者――お母さんでいっぱいだった。

 ああ、そうか。こういう授業参観って通常女の人ばっかりだから、私達がいたところで誰も夫婦だなんて思わないよね。やっと安心した。

「おお、やっと来たか、袖野くん」

 突然、授業をしていた年配の教師が白雪さんに声をかけた。

「遅くなりました」

 白雪さんも当然のように返事をする。え、なに? 何が始まるんです?

「授業の途中だが、保護者の皆さんを含め、紹介したい人がいます。小説家の袖野白雪さんです。みんなは袖野先生のこと、知ってるかな?」

「ニュースでやってた!」

「女の人とけっこんしたひとでしょ?」

「すごいきれいな人ー!」

 白雪さんは落ち着き払った様子で子供たちの机を横切り、黒板の前に立つ。

「――はじめまして、袖野白雪と申します。『袖野白雪』はお話を書くときの名前です。本名は花園白雪。このクラスにいる花園一花の父親です」

 いきなり現れた大人気恋愛小説家の登場と、『父親』という発言に、教室がどよめいていた。

「わぁ、お父さん来てくれた!」

 一花だけが場違いに喜んでいる。

「お父さんって、この人、女の人だよ?」

 一花のクラスメイトが疑問を投げかける。うん、その疑問はもっともなものであろう。

「えっとね、うちにはお母さんが二人いるから、お父さんとお母さんで区別してるの」

「お母さんが二人いるなんて、変なの~」

「うん、一花も変だと思う! 面白いよ!」

 そう言って、一花はクラスメイトの冷やかしにも動じず、キャッキャと笑う。

「今日は袖野先生に授業をしてもらおうと思ってこの教室に呼びました」

 年配のおじいちゃん教師の言葉に、私は耳を疑った。聞いてない、そんなこと。

「本日はわたくし、袖野白雪が皆さんに授業させていただきます。よろしくね」

 そう言って、ニッコリ笑うと、教室がシン……と静まった。白雪さんの笑顔に見とれているのだ。

「みんなは、『法律』って知ってるかな?」

 白雪さんは珍しく敬語を使わず、子供たちに語りかける。

「この国のルールでしょ?」

 少し勉強が出来るらしい子供が答える。

「そのとおり、法律とはこの国のルールです。政治家っていう偉い人が決めています。それで、この間、新しいルールができました。ニュースを見てる子なら知ってるかな?」

 教室は静まり返る。どのルールのことだろう、と子供たちは興味津々だ。

「男の人同士、女の人同士でも結婚できる、というルールです。このルールが出来る前は、女の人同士、どんなに好きでも結婚はできませんでした」

「せんせー、結婚ってどうしてもしなきゃいけないものなの? 好き同士だけじゃダメなの?」

「良い質問ね」

 手を上げて質問を投げかけた児童に、白雪さんはニッコリと微笑みかける。

「結婚すると、いろんなことができるようになります。難しい言葉で言うと『権利』かな。好き同士だけだと、大好きな相手が死んじゃったとき、その相手が持っていたものをもらうことができません」

「えっ、形見ももらえないってこと?」

「その大好きな人の家族が譲ってくれる場合もあるけど、大抵の場合なにももらえません」

「そんな……かわいそう……」

「だから、性別が同じ人同士でも結婚できるルールが最近作られました。そのルールのおかげで、わたくしも世界で一番大好きな女の人と結婚することが出来ました」

 白雪さんがちらっと私を見た気がした。顔に熱が集まる。

「そでのせんせー、なんで女の人を好きになったの? 女の人なのに男の人を好きにならないなんて、変だよ」

「あら、わたくし、男の人も普通に好きですよ?」

 子供たちはざわざわし始めた。

「でもね、男の人より好きな人が女の人だっただけなんです。世の中には同じ性別の人しか好きになれない人もいますけどね。中には、男も女も愛せない人もいます。まだ君たちは小学生だからそういう人たちと接する機会がないかもしれないけど、自分たちも大きくなったら同じ性別でも大好きな人ができることもあるかもしれませんね」

「えー、男同士好きとか気持ちわりー」

 いかにも生意気そうな男の子がうげー、と言いたげに舌を出す。

 ああいう子に限って、将来ゲイになったりするんだよね、と私は微笑ましい気持ちで眺める。

「そうね、気持ち悪く感じるかもしれませんね」

 白雪さんはその子供が素直に思った気持ちを否定しない。

「ただ、そういう人たちが世の中にはいるってことを知っておいてほしいの。そして、君たちにはそういう人たちをいじめたり馬鹿にしないでほしい。本人たちは真剣に愛し合っているんです。君たちには好きな人、もういますか? そういう大事な人を傷つけられたりバカにされたら、きっと君たちも悔しい気持ちになると思う。たまたま性別が同じだっただけで、性別が違う人同士のカップルと何も変わらないのよ」

 教室内は、またシン……と静まり返った。保護者の皆さんも感極まった様子で白雪さんの話を真剣に聞いている。

「……一花は、児童養護施設から引き取った養子です。養子っていうのは、血がつながってないけど大切な我が子です。わたくしたち夫婦は性別が同じなので養子を引き取ることでしか子供を作れませんでした。みんな、よかったら一花と仲良くしてあげてね」

「はーい!」

 一花のクラスメイトたちは元気よく返事した。小学生のこの元気の良さは好感が持てる。

「わたくしの授業は、これでおしまいです」

「えーっ、もう終わり?」

「もっとおはなしきかせて、せんせい!」

「ハッハッハ。みんなワシの授業より熱心に聞いとるのう! やっぱり袖野くんを呼んで正解じゃったわい」

 年配のおじいちゃん教師は大笑いしていた。

 しかし、授業終了のチャイムが鳴ったので、児童たちは「あーあ、もっとお話聞きたかったなあ」とぶつくさ文句を言いながらランドセルに教科書をしまい始める。

 今は六時間目。本日最後の授業だった。

「そ、袖野先生! いつもご本拝読しております!」

「あの、あとでサインいただいても……? あ、握手だけでもいいので!」

「私も!」

 白雪さんはあっという間に保護者の皆さんに囲まれてしまった。白雪さんの小説と美貌は同性でも骨抜きにしてしまうのである。


 白雪さんが保護者の肉の壁を抜けるのに、少々時間がかかってしまった。

「お待たせしました、美咲さん」

 白雪さんはゆっくりとこちらに歩み寄る。

「びっくりしましたよ、白雪さん。私、何も聞いてないのにいきなり授業が始まったんだもの」

「いやぁ、そいつぁすまんのう。ワシが無理言って頼んだんじゃ」

 あのおじいちゃん先生が、禿げ上がってもはやスキンヘッドの頭を掻く。

「この方は、わたくしの小学校の恩師なんです。まさか、一花の通う学校にいらしてたなんて驚きましたわ」

「ワシもワシも。いやぁ、袖野くんは小学生の頃から美少女でのぉ。危うくワシも犯罪者になるところじゃったわい」

 問題発言をしながらガッハッハ、と豪快に笑うおじいちゃん先生。

「お父さん、お母さん! しゅん兄ちゃんと昇陽しょうよう兄ちゃんも授業終わったから、一緒に帰ろう!」

 一花の声のするほうを見ると、ランドセルを背負った瞬と昇陽が手を振りながら廊下を歩いてくるところだった。

「一花、大丈夫か? お父さんとお母さんのことでいじめられなかったか?」

「何かあったら兄ちゃんたちが守ってやるからな」

 瞬と昇陽は心配していたらしかった。

「大丈夫! お父さんの授業、すごくかっこよかったから、多分イジメてくる人なんていないよ!」

「いたとしても、弁護士に相談する準備は出来ておりますから、安心してくださいね」

 白雪さんは不穏な笑みを浮かべていた。なんだかんだで私達夫婦は養子を溺愛しているのである。

「それじゃ、帰ろっか」

「先生、お元気で」

「おう! またな、袖野くん」

 白雪さんとおじいちゃん先生はすれ違いざまにハイタッチした。……小学校時代、仲良かったんだろうな。

「そういえば、白雪さんの小学生時代の話、聞いた覚えがありませんね」

「あら、気になります?」

「好きな人のことは何でも知っておきたいでしょう?」

「ふふ、もう、美咲さんったら……」

 私の言葉に、白雪さんはわずかに頬を染めた。

「お父さんとお母さん、ラブラブ~!」

「もう、恥ずかしいから学校ではいちゃつかないでくれよな」

 子供たちが冷やかす。

 私達はみんな幸せな笑顔で、家族揃って帰路につくのであった。


〈続く〉

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