美人作家×新米編集者~美人恋愛小説家には恋愛がわからない~

永久保セツナ

第1話 憧れの美人恋愛小説家には恋愛が理解できない

花園はなぞのくん、話があるんだが」

 そう私を呼び出したのは私――花園はなぞの美咲みさきが勤めている出版社の編集長。

 な、なんだろう……私なにかやらかしちゃったかな……。

 私はまだまだ新米編集者、入社したてのひよっこだ。

 そんな私を編集長が呼び出すなんて、なにか出版社が傾くようなミスでもしたのかと思うだろう。

「君、袖野そでの白雪しらゆき先生の本が好きって言ってたよな」

「へぁ……はい」

 緊張で上手く舌が回らない私を無視して、編集長は話を続ける。

「担当してみないか?」

「…………?」

 ???

 言われた意味がわからず、頭がフリーズする。

「あ、あの、どういう意味でしょうか」

「袖野先生を担当していた編集者が降りることになってな。代わりに花園くん、君に袖野先生を任せたい」

「え……えええ!?」

 私は驚愕で大声を出す。編集長が思わず耳をふさぐ程度の音量だったらしい。

「い、いいんですか!? 私みたいな新米が袖野先生の担当編集者になるなんて……!」

 袖野白雪といえば売れっ子の恋愛小説家だ。繊細な心理描写、読んでてドキドキするほど甘い恋愛模様。

 私は袖野先生の大ファンで、彼女の執筆した本はすべて自室の本棚に収まっている。

 正直な話、袖野先生に会ってみたい一心でこの出版社に入社したレベルである。

 この出版社に勤めていれば、彼女が会社を訪れた時に偶然会えないかな、なんて。

 それが……いきなり袖野先生の担当編集者!? 無理無理、心の準備できてない! いや、担当できるならしたい! 揺れ動くファン心!

「君、面接の時も袖野先生への情熱を語ってたから丁度いいだろう? それに、いま手が空いてる編集者で女性は君しかいないからな……」

「?」

 担当編集者は、女性でなければならないのだろうか。女性作家だから同性の編集者のほうが都合がいいとか?

 しかし、そんな些細な疑問は袖野先生を担当できる幸せの前では吹っ飛んでしまった。

「担当、したいです! 是非やらせてください!」

 私は二つ返事で引き受けた。

 ――これが、のちに頭を抱えることになるとは、このときの私は思いもしなかった。


 まずは袖野先生にご挨拶に伺うことにした。

 編集長から教えてもらった住所を頼りに、スマホのマップと見比べながら辿り着いた場所は、今どきあまり見かけない立派な日本家屋。

 純和風の平屋だ。結構大きい。こんなところに一人で暮らしているのか? というか、住所ここで合ってるのか?

 しかし、編集長が間違えていない限りは何度確かめてもここだし、なんなら『袖野』という表札までかかっている。……袖野先生って、本名なんだ……。

 すうはあと深呼吸をして、意を決した私は玄関のチャイムを鳴らす。

 カラカラと引き戸を開ける音がして――和服の美女が顔を出した。

 まず、白雪という名前に恥じぬ、雪のように白く美しい肌に目が惹かれた。たしか三十歳のはずだがシミひとつない。

 そして、烏の濡れ羽色という表現がふさわしい艶のある黒髪。それがゆるくみつあみにされて肩から垂れ下がっている。この肌と髪だけで、『白雪姫』の芝居のオーディションがあれば一発で合格だろう。

 闇のように黒い瞳が私を映していて、ゾクッとするほど、一目で虜になっていた。

「……?」

 袖野先生は、何も言わない私を不思議そうに見つめ、首をかしげる。

「わたくしに、なにかご用事でしょうか」

「ハッ……! あ、あの、はじめまして! 新しく袖野先生の担当編集になりました、花園美咲と申します!」

 我に返った私は、しどろもどろになりながら自己紹介をする。

「あら……前の方も降りてしまったのですね。お別れの挨拶くらいはしたかったのですけれど」

 袖野先生はまた不思議そうに首をかしげる。

 前の方『も』?

 なにか引っかかるものを感じた。袖野先生の担当編集は、そんなに頻繁に入れ替わるものなのだろうか。

「まあ、立ち話もなんですから、お上がりくださいな。可愛らしい編集者さん」

 袖野先生は優しい微笑みを浮かべて家の中へ招いてくれる。

 さっすが袖野先生、優しそうでいい人そうだなあ……あんな甘くて繊細な小説を書く人だもん、作品は作者を映す鏡だよね。

 私は和室へ通され、座布団まで敷いてもらった。袖野先生自らお茶を淹れてくれたので、持ってきたお土産のお菓子を二人で食べる。

「私、袖野先生の大ファンで! 袖野先生のお書きになった本は全部目を通しております!」

「あらまあ、ありがとうございます」

 懸命に言葉を紡ぐ私に、袖野先生は微笑ましいといった様子で、闇色の目を細めて微笑む。

 憧れの作家さんが目の前にいるときの気持ちが果たして読者の皆さんに伝わるだろうか。

 私としては、正直「袖野白雪って実在してたんだ……!」という心持ちである。

 袖野先生はサイン会などのイベントは行わないし、座談会などにも参加しないので写真もほとんど出回っていない。

 ただ「性別は女性でなかなかの美人らしい」という噂が独り歩きしている状態だった。

 まさかここまで美人とは思ってなかったけど。

「美咲さん……とお呼びしてもよろしいですか?」

「みっ、みさきさん……!?」

 袖野先生が! 私のことを! 下の名前で!

「お嫌でしたか……?」

「いえ! いえ、ちっとも! ありがとうございます!」

「……?」

 何に対して「ありがとうございます」と言われたのかあまり理解していない様子だった。

「美咲さん、わたくし、実は小説について悩みがあるのです」

「先生が、小説に悩みを……?」

 小説家にとって、小説で悩みを持つということは作家人生に関わる重要事項である。私みたいな新米が解決できるだろうか……?

「あのっ、私で良ければお悩み聞きますから!」

「ありがとうございます」

 そう言って、先生はまたあの闇色の瞳を細める。

 この瞳はなにかの魔性を感じる……見つめられているとドキドキする。

「実は、わたくし、恋愛が理解できないのです」

「…………え?」

 袖野先生に言われた言葉の意味がわからなかった。

「恋愛が理解できないって……今まで恋愛小説を何冊も書いてきたじゃないですか」

「あれは、他の作家さんの恋愛小説やハウツー本を参考にして、想像を膨らませて書いたものです」

 そ、想像だけであんな繊細な恋愛描写を……!? ある意味すごいな。

「ですが、そろそろそれも限界が来てしまって……わたくしの恋愛小説、なんというかリアリティがないでしょう?」

 リアリティがあるかと問われれば嘘になる。

 平凡な女子高生が金持ちのイケメンに見初められたり、職場で存在感のない女子社員が勤めている会社の若社長と恋に落ちたり……。

 でも、恋愛小説ってそういうもんじゃないの? 無理にリアリティとかなくても成立するジャンルだし……。

「ですから、美咲さん」

 私の目の前に座り直した袖野先生は、その細い手で私の手を握り、闇色の瞳で私の目を見つめる。

「どうか、わたくしに恋愛を教えていただけませんか?」

 ……いやいやいや。

「私、女ですよ?」

「この際、女性同士の恋愛モノにも挑戦してみようかと」

「そんな軽いノリで!?」

 袖野先生の探究心は性別すらも超越するらしい。

「以前の担当さんは男性の方だったのですが、その方にも恋愛のご教授をお願いしたら『妻子がいるから』と断られ、『ならば奥さんに恋愛を教えてほしい』と頼みましたがすげなく断られ……」

「先生には倫理観とかないんですか?」

 不倫とかそういうレベルを超えている。奥さんにまで手を出そうとする人初めて見た。

「先生はその……バイセクシャルなんですか?」

「わかりません。恋などしたことがないものですから」

 ああ……そういえばそのせいで今こうなってるんだった……。

 私はやっとすべてを理解した。編集長が「手が空いてる編集者で女性は君しかいない」と言った意味。袖野先生の担当が次々と入れ替わる理由。

 男性編集者と袖野先生を一緒にしたら危険だからだ。

 でも編集長……残念なことに女性でもダメみたいです……。

「ダメ、でしょうか……? 美咲さん……」

「あ、あの……先生……」

 またあの闇色の瞳が私を見ている。私は異性愛者のはずなのに、ドクドクと心臓が高鳴る。

「…………恋愛を教えればいいんですよね……? 私がした恋愛経験とかで良ければ……お話しします……」

 私は降参した。こんな美人に迫られたら……抗えない……。

「嬉しい。ありがとうございます、美咲さん」

 袖野先生は両手を合わせて破顔した。

 こうして、美人恋愛小説家・袖野白雪と、その担当編集者・花園美咲の奇妙な関係が誕生したのであった。


 〈続く〉

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