カクタスマン

 フィエナが俺を満面の笑顔で抱きしめてくれる。彼女はブロンドで美人でグラマラスで。

 非の打ちどころのない最高の女性だ。それに可愛らしい子供たち、ジェシーとステフ。

 治安の良くて気候も穏やかな高級住宅街でもひときわ目立つ、でかいプールとスタジアムがまるまるが入りそうな巨大な庭付きの家。

 乗馬用の馬の厩舎に、車庫に整然と並べられた高級スポーツカー。

 いつでも最新の映画が楽しめるシアターと、専用のトレーニングジム。

 もちろん大型犬も一緒だ。

 まだまだあるぞ、プライベートジェットに高級ホテルの三ツ星ルームをそのまま海に浮かべたようなボートとか。


 これぞまさにアメリカンドリーム!成功した者だけが許される最高の暮らしだ!

 羨まない者なんて一人もいないだろう。だが一つだけ大きな問題がある。


「やぁミッチ! よく来てくれた! さぁさっそくBBQの準備をしようぜ、とっておきを用意したんだ」


 ここは俺の家じゃないってことだ。


 俺の名前はミッチ・ホービー。この道18年のプロレスラーだ。リングネームは……


「わぁ! カクタスマンだ! 来てくれたのね!」「カクタスマン、今日はマスクはしていないの?」


「こらこらお前たち、今日はカクタスマンじゃなくて、ミッチおじさんって呼んであげなさい」


 そう、カクタスマン。サボテン男だ。受けるだろ?

 俺に与えられたギミックは恐怖の怪奇男、カクタスマン!刑務所を何度も脱獄し、厳重に守られた精神病院に監禁されている男。

 生れてすぐに母親の首を絞め、父親を焼き殺し、猟奇殺人犯に育てられた。

 常に革の拘束具を付け、口にはハンニバルのレクター博士よろしく、噛みつき防止の金具を嵌められている。

 まったく馬鹿げてるが苦手なマイクパフォーマンスが要らないのは素晴らしい。



 そしてそこで、わお!超高級なTボーンステーキを豪快に網焼きにしてるのはロッキー。

 誰でも知ってるよな?あのスーパースターのザ・ハンターの名前だ。


 プロレスファンでなくたって彼を知らない者はいない。テレビを付けたらいつだって彼の顔が映ってる。

 どんなつまらない玩具でも、不味くて量の少ないお菓子でも、ハンターの顔が入っていればそれだけで大人気。

 ロッキー主演の映画が公開されていない月は、自殺者が増えるなんて統計もあるほどだ。

 間違いなく、世界で一番成功したプロレスラーの一人だ。


 しかも彼は人格者だ。体の不自由な子供や、支援を必要とする人たちへの救済基金に、匿名で寄付しているのを俺は知っている。

 おっと、こんだけ持ち上げておいて、実は裏の顔があるんだろうと思っているよな?

 ハッハッハッハッ! 無いんだ、これが。


「皿を取ってくれフィエナ さぁ焼けたぞミッチ! 酒も山ほどあるぞ! 今日は僕に付き合え!」


 こんな時でも自然に人に気を使えるのがロッキーという男だ。俺に付き合えだって?

 本当は俺の息抜きのためにわざわざホームパーティーを開いてくれたんだろう?

 まったく、こいつは生まれついてのスターだ。



 それに比べて俺はずっと格下だ。なんて言えばいいかな、そうゲームで言えば中ボスみたいな立ち位置だ。

 そこそこの知名度があって、そこそこの強さの奴。

 俺はこの通り、デブで短足で不細工な男だ。およそスターになんかなれはしない。

 鏡を見るたびに思うよ、一体どこの星から来たんだこの不細工はってな。


 リングの上では俺はカクタスマンだから狂人を演じている。自分からコーナーポストに突っ込んだり、髪の毛を引きちぎったりするんだ。

 もちろん楽しいわけがないが、観客受けはそこそこだ。とにかく、数少ない怪奇系レスラーとしてはまぁ、名前は通ってる。


 俺の試合を見たことがある人は?いない?

 ファイトスタイルもカクタスマンとハンターはまるで違う。正反対だ。

 ハンターは華麗な技とパワー、そして類まれなる身体能力で正統派の試合も、テクニカルな試合もなんでもこなせる。

 それにクリエイティブな男だ。どうすれば客が喜ぶのか心で理解している。

 ここでこう投げられようとか、ここでぶん殴ろうとか、的確な仕事ができるんだ。


 俺は…… 俺はやられ役さ。

 いつもボコボコにやられる。


「──スパイン・バスター! カクタスマンがリングに崩れ落ちる!」

「──わお! こりゃぁタマげた! カクタスマンの股間に強烈なヘッドバッドだ! こりゃぁタマらん!」


 蹴られ、殴られ、投げ飛ばされて高い所から落ちたり。凶器で血まみれにされる。

 俺には並外れたパワーも無いし、動きもトロい。華麗な技も出せなけりゃ、玄人好みの難しい技もできない。

 見ための通りのグズ男だ。でも誰にも負けない所がある。


 一つはやられっぷりだ。


「──見ろ! 強烈なクローズラインで体が一回転したぞ!? 130kgもあるのに! カクタスマンがリングの上で痙攣を起こしてる! 危険だ!」

「──血で顔が真っ赤だ! リングに落ちてるのは肉片か? カクタスマンが制裁を受けている! アンビリバボー!!」


 俺が相手の技を受けると、その威力は何倍にも見える。思いっきり傷めつけられて、泡を吹いて倒れるんだ。

 こいつにはコツがいる。数歩歩いて、リングの中央まで行って、そこでバタンだ。

 そうすれば相手は次の技につなげやすくなる。例えば倒れてる俺に向かってコーナーからダイブしたりとかね。


 それとタフな事だ。俺は痛みに強いし、流血にも慣れてる。

 だから人間がボロボロの挽肉にされる試合を見せたいのなら俺だ。

 リングの上ではもちろん、時には場外でだってボコられる。

 レスラーにとって、カメラが回っているのならどこでも戦場だ。控室、エントランス、階段にビルの屋上や駐車場。

 場外乱闘でも危険な投げ技を食らうハメになる。リングのマットも硬いが、リノリウムの床やアスファルトの地面ほどじゃない。

 階段の角に頭を打って失神しかけたこともある。


 「おいみんな見ろ! この醜い男を! 今からこのフッカーズ様がこいつをバラバラにしてやるぜ!」


 俺はプロのやられ役だ。


 それでも俺は翌週にはまた同じようにボコられるんだ。

 赤黒い血で顔を真っ赤にして、自分の髪の毛を引き抜きながらカメラに向かって笑うんだ。

 自分で見てもゾッとする。完全にイカれた男だ。


 そんな俺とハンターは実はタッグチームを組んでいる。チーム・シャープシューター。

 ハンターはその名の通り、相手を狙う正確無比な狩人で、俺はその相棒の…… 猟犬ってとこかな。

 タッグでも俺の役回りは同じさ。とにかくボコられる。

 人気のあるイケメンや、バカでかい図体のマッチョ野郎にズタズタにされるんだ。

 相手の汚い罠にはまって、数人がかりでリンチ合ったり、凶器で傷をつけられる。

 常にチームをピンチに陥れるんだ。

 ハンターはスーパースター、彼の株を下げることは出来ない。だが俺は別だ。チームが負けるストーリーを組まれた時はフォールを奪われるのは俺だ。


 タッグでの戦いの醍醐味は攻防が激しく入れ替わり、大技を連発するところだ。

 基本的にリング上に上がれるのは互いに一人ずつ、入れ替われたい時はリングの端まで行ってタッチしてやる必要がある。

 だがノロマな俺は中々タッチに行けない。相手は敵である俺を存分にボコッて、疲れたら休んでいた仲間にタッチ。

 また虐殺を開始する。俺はなんとか反撃を試みるもすぐにやり返されちまう。

 やきもきするだろ?畜生、何やってるんだカクタスマン!早くハンターに代われ!負けちまうぞ!

 観客のストレスがMAXになる。俺は何度もマットに叩きつけられて立ち上がる事もできない。


 そこをハンターが救出する。ギリギリの所で這いずってタッチに成功して、ハンターが大逆襲。

 一人で相手チームをなぎ倒してチームを勝利に導く。

 観客の興奮は一気に最高潮だ!すげー!やっぱりハンターは最強だ!ってな。

 情けないやられ役の俺の人気はあまりない。ファンよりもアンチの方が多いくらいだ。


 ハンターの入場曲がかかると会場から地震が起こるほどの歓声が上がる。

 だが俺の場合は、それよりもブーイングが多い。仕方ないのさ。

 ある時は入場前に、俺に生の卵が投げつけられたことがあった。路上で知らない少年に絡まれたこともある。

 その度にハンターは本気でキレる。

「ふざけるな貴様! 僕の相棒に何をしやがる!!」



 なんでそんなに俺たちは仲がいいのかって?

 あれは6年前の試合……。伝説のワン・ナイト。



「──新進気鋭のスーパーヒーロー! ハンターの登場だ! 切れ味鋭い技の数々で、狂人カクタスマンを地獄に送ることが出来るのか!?」


 綿密に打ち合わせをした。何度もリハーサルをして詳細を詰めた。

 俺はそのころには既にキャリアを積んだベテランだったが、あいつはまだ若かった。


「こんなのは辞めよう あり得ない! こんなのはプロレスじゃぁない」


「いいからやるんだ、俺の心配なんかするな! この通りにやれば最高のショーになる! お前はスターになるんだろう?」


「あんたを殺してしまうかも」


「安心しろ俺は不死身だ」


 あいつは小さな島の、貧しい家で育った。俺も若い頃はトレーラーの中で暮らしてたもんだ。

 その辛さはよくわかる。

 会社も彼を推していた。絶対に受けるキャラクターになれるとフレッドは確信していた。

 俺も両手を上げて賛成だ。

 あいつは本物だ。


「──なんてことだ! これは…これは、なんていう大事故だ!」


 アリーナ席に梯子をかけて逃げ出したカクタスマンを、ハンターが無情にも追いかける。

 カクタスマンは8メートルの高さから音響用のスピーカーセットに落下し、火花と炎に包まれる。

 社長のフレッドが青ざめて立ち上がる姿が会場のスクリーンに映る。

 医者が駆けつけ、救護班がストレッチャーを担いでやって来た。

 だがイカれ野郎のカクタスマンは、医者の首を絞めて襲いかかるんだ。会場が悲鳴に包まれた。狙い通りにな!

 もちろんそこにハンターがやってきて医者を救出する。


 2万人の観客が「ホーリーシット」の大合唱だ。


「──ハンターの勝利!! 凄まじい殺し合いを制し、カクタスマンを完全に破壊! 若きヘヴィー級王者がここに誕生しました!! 二万人の観衆が新王者を称えています!! ホーリーシット!!!」


 俺は血まみれで、右腕を骨折し、歯が二本折れた。先週奪ったばかりのチャンピオンベルトもあっという間に返還さ。

 だが俺は一人で、自分の足でバックステージに戻った。

 俺は悪役だからな。


 バックヤードは暗いし、それに大勢のスタッフが走り回りせわしない。舞台の裏側ってのはどこでもそんなもんさ。


「ミッチ! 最高だったぞ!」「俺は感動した、あんたをリスペクトするよ!」「おいおい早く医者に見せろ! 体を大事にしろよ」


 試合を見ていた選手たちが俺に声をかける。

 あいつも、あいつも、みんな俺と試合をした奴らだ。俺との試合の後、人気がブレイクした。

 観客にはモテないが、バックステージじゃ俺はリスペクトされている。

 社長のフレッドもわざわざ俺の所に飛んでくるほどだ。


「パパ!」「あなた!」

 ああ、涙で顔をぐしゃぐしゃにした妻と娘が、血まみれの俺にハグをしてくれる。


「ミッチ!!」


 ははは、見ろよ。俺をぶちのめしたロッキーが涙目で俺を抱きしめにくる。馬鹿野郎が、自分もボロボロのくせに、なんで俺の心配なんかするんだ。


 レスラーってのは誰もがスーパースターになれるわけじゃない。俺みたいなやつも必要なんだ。

 考えてみてくれ、スーパーマンしか居ない世界でスーパーマンは必要か?

 悪人や、弱者がいるからスーパーマンはスーパーマンなんだ。

 だから俺は今日もリングにあがる。そしてボコボコにされる。

 ああ、まぁあまり家族を心配させないようにはしたいかな。


 みんなが無様な俺の姿を求めてる限り、俺はリングに上がり続ける。

 血まみれになりながら笑顔でこう言うのさ、Have a nice day!

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