大切な君を


 リーリの部屋はほぼ全壊し、その周辺は最早屋敷の様相を呈していなかった。セルバスが全ての黒幕で元凶だと知ったリュカは、最初は酷く驚き、その後悲しみ、そして最終的にオレをめちゃくちゃ叱った。


「もう! こんなにお屋敷を壊して! 修理するのがどれくらい大変か分かってるんですか!? そこに座ってください!」


 怒る元気が戻ってきたのは大変喜ばしいことだが、それがたっぷり三時間も続けば心身ともに疲れ果ててしまう。ひたすら正座させられ続けた両脚は痺れを通り越して感覚すら失った。さらに、これはリュカの怒りが収まったことで説教が終了したわけではなく、顔を真っ赤にして帰ってきた魔王にリーリの無事と事の顛末を説明するために一時中断したに過ぎない。やっぱりリュカは怒らせてはいけない。

 屋敷に帰ってきたのは夜中だったのだが、もう朝陽が空に顔を出し始めていた。すっかり目が冴えてしまって、オレは中庭の休憩所に一人座っていた。

 屋敷の中では、魔王とリュカが修理について話し合いをしながらリーリの看病を続けている。火毒蜂の毒はまだ身体に残っているらしく、もう二、三日は安静にしておかなくてはいけないそうだ。彼女は今、壊れた部屋からリュカの部屋へと移されて眠っている。


「ちょっと様子見てくるかな」


 つい数時間前まではあんなにも苦しそうにしていたのだ。そりゃ少しは心配にもなる。まだちゃんとした医者に診せたわけではない。何と無く、リーリを見舞う前に彼女の部屋だった場所に立ち寄ってみる事にした。もうほとんど建物の原型はとどめていないが、ところどころに棚やタンスの上に並べられていたぬいぐるみの残骸が転がっていた。

 悪いことをしてしまった。いくら敵を倒すためとは言え、ここはリーリにとって大切な場所だったはずだ。思い出の品だってたくさんあっただろう。その全てを考え無しにぶち壊してしまった。

 その時、ふと視線をやったリーリのベッドの中に、何か光る物を見つけた。


「これは……」


 可愛らしい羊のぬいぐるみだった。光ったのは首元に取り付けられている銀の鈴だ。他のぬいぐるみとは違い、ここにあると言うことは、


「ずっと抱き締めてたんだな」


 あまりに強く抱き締めていたためか、少し綿が寄ってしまっていた。白い毛並みは黒ずんでいて、随分古いものだとわかる。

 リーリが何故オレをこの部屋に近づけたくなったのかはもう分かった。ここは、可愛らしいぬいぐるみで溢れていた。いつもキツいことや厳しい言葉ばかりを口にしているあいつは、実はそういう趣味だと知られてしまうのが嫌だったのだろう。バカだな。別にからかったり変に思ったりしないのに。だってあいつは、可愛らしい一人の女の子なのだから。


「持っていってやるか」


 ぬいぐるみを丁寧に拾い上げて胸に抱えた。軽いな。喜んでくれるだろうか。嫌がるだろうか。一応今は体調は万全じゃないし、少しくらいなら怒られても怖くない。リーリの元へ、ぬいぐるみを届けに行く。到着したリュカの部屋の中からは、特に物音は聞こえてこない。軽い気持ちで扉を開ける。


「おーいリーリ。ぬいぐるみ持ってき、て……」


 ここでオレは、二つ間違いを犯した。一つは、ノックをせずに扉を開けたこと。女の子の部屋に入るのにあるまじき行為だ。オレが悪い。そしてもう一つは、リーリが汗をかいていたことを忘れていたことだ。風邪を引けば風呂に入らず、濡らしたタオルで汗を拭いたりする。当たり前だ。

 そしてリーリは、絶賛その最中だった。


「え、エドガーさま!?」


「き、っさま!!」


 リーリは寝間着を脱ぎ、下着姿になっていた。上半身には何も身につけていない。蝋燭と窓から入り込む朝焼けの淡い明りを浴びながら、リュカに背中を拭いてもらっていた。

 一つだけラッキーだったのは、リーリがオレに背を向けていたことだ。長い黒髪を片手でたくし上げていて、その美しいうなじから背中へつと流れる曲線を晒している。お尻のところには、黒い犬のような尻尾があった。

 くびれを描く綺麗な腰。もう一方の手は胸を隠している。


「あ! ご、ごめん!」


 反射的に謝って、急いで扉を閉めた。そのままその場にずるずると座りこむ。

 み、見てしまった。裸を見てしまった。何もかもが見えたわけではないが、まだ熱で火照った身体と、流れる汗。何より、うなじから背中、腰、尻へと続くラインが強烈に脳に残って忘れられない。何度も何度も、線をなぞるようにリーリの身体がフラッシュバックする。


「う、わ……」


 自分でも顔が赤くなっているのがわかる。落ち着かない動悸が頭で鳴り響く。以前、団長の裸は見たことがある。見たというか見せられた訳だが、あの衝撃的な瞬間は今でもよく覚えている。リーリの身体は、団長同様に見事に引き締まっていたが、肉感というか柔らかさが残っているものだった。


「エ、ド、ガー、さま!?」


「ひぃ!?」


 オレがもたれかかっていた扉がリュカに蹴り開けられた。このお行儀の良い娘がこんな暴挙をするのだと頭の隅で変に感心していた。が、今はそれどころじゃない。


わたくしの言いたいことは、分かりますね?」


「はい……」


 リュカの背後には、ベッドの上で座るリーリが見える。彼女は目を忙しなく左右に動かしながら、そして、オレと目が合った。


「っ!」


 その時、リーリは一度オレを叱りつけるようにキッと睨むと、その後、なんと笑った。その顔には、リュカにこれから怒られるオレを応援するような、仕方ない奴だな、と言うような感情が宿っている。


「どこを見てるんですか!!」


「あ、すみません!」


 そんな、リーリが初めて見せた表情に、オレの目が奪われているのをリュカが怒鳴った。


「今日はもうご飯抜きです!」


 轟々と続くリュカのお説教を、オレはどこか上の空で聞いていた。それが終わる頃には、太陽はちょうど頭上真上まで昇っていて、陽射しが少しずつキツくなってきていることを実感した。







 腹が減った。この日は昼食と夕食は本当に食べさせてもらえなかった。それだと言うのに、食堂にはしっかり座らされて、より空腹を味あわされた。リュカって本当に怒ると怖いよな。魔王はリーリが助かったことを心から喜んで、特別な酒を何本も飲み干してご機嫌だった。主人にここまで愛されるリーリは幸せだな。それも本人の頑張りがあればこそだが。

 オレは今、ベッドに入ったはいいものの、どうしても空腹が我慢出来なくなって、何か食べ物を漁るためにキッチンに向かっている途中だった。すると、ふとを目を向けた中庭に、ある人物が立っていた。


「寝てなくて良いのか?」


 中庭に出て、背後から声をかけた。


「まだ少し身体が重いが、外に出たくなってな」


 リーリが中庭の噴水を見つめていた。オレを振り返ることはしない。長い黒髪は膝の裏まであり、月と星に照らされて美しく輝いていた。着ているものもいつもの執事服ではなく黒いワンピースだった。心を落ち着けていなければ、夜色の女神と見間違えるところだった。


「なんだ? じろじろ見て」


「あ、いや。執事服以外を着てるのは初めて見たからさ、ついな」


「ふん」


 リーリは噴水の端に腰を下ろした。それと同時に水が噴き上がる。


「私は、人間を憎んでいる」


 唐突にリーリは話し出した。


「小さい頃、村を人間の騎士に襲われた。父も母も兄も妹も、皆殺された」


 リーリの青い瞳は、水面を撫でる自身の手を見つめている。


「生き残ったのは私だけ。そこをセルバスさんに拾われ、この屋敷で仕えさせてもらった。槍の稽古も彼につけてもらったのだぞ」


「そうか」


 セルバスについて話すリーリの口調は穏やかで、決してあいつを憎んでいないことが伝わってきた。ただ静かにその死を悼んでいるようだった。


「魔界三叉槍という言葉を知っているか?」


「いや、知らない」


「魔界で最も優れた三人の槍の使い手に贈られる称号だ。その者達は、三本の神槍がそれぞれ与えられる」


「セルバスが、自分のことをそう言っていたな」


 リーリと決闘した時、こいつは魔界三叉槍の跡を継ぐ者だと自称していた。つまり、こいつはセルバスを師と仰ぎ、目標にしていたわけだ。


「じゃあ、お前があの槍を受け継ぐのか?」


 あの槍はオレの一撃でも折れることも壊れることもなかった。今は魔王が預かっている。


「いや、今の私ではとても扱えたものじゃない」


 リーリが首を振る。月光を背にしたまま片手で水をすくい上げ、垂れる水滴を舌で舐めとる。その姿は妙に色っぽい。


「なら、いつかお前の武器にしないとな」


「簡単に言う」


 つまらない冗談のように二人して笑った。オレの言葉でこいつが笑ったのはこれが最初のことだった。いつもの頑固な雰囲気はなく、柔らかい少女の笑顔だった。なんだ、そんな顔も出来るんじゃないか。


「なぁ」


「ん?」


 リーリは立ち上がると、オレに背を向けた。


「あの時の約束は、まだ続いているのか?」


「約束?」


「決闘の時のだ。言わせるな!」


 別に言わせたつもりはなかった。オレがあの決闘の後にリーリに手を差し伸べたこと。あれは魔界においては「オレのものになれ」と言う意味を示すものらしい。

 リーリの獣耳は、せかせかと動き続けている。


「ああ、あれか。あれはなぁ……」


 あれは、だいたいオレが意味なんて知らずにやったことだった。有効も何もない。そう言おうとしたら、


「や、やっぱり! やっぱりいい! 何も言うな!」


「はぁ?」


「べ、別にお前の答えを聞くのが怖かったとか、有効だと良いなと思ったとかではないからな! 勘違いするなよ!」


 リーリがあわあわしながら両手を振る。獣耳は変わらずぱたぱたしていた。


「なんだそれ」


「何でもない! ああもう! 私は行く!」


 つかつかとオレの隣を通り過ぎようとするその手を、オレは左手で掴んだ。リーリは髪をなびかせて振り向いた。その目は、驚いたように見開かれてオレを見る。


「え?」


 言うべきことを、言いたいことを、伝えたかった。


「助かって、本当に良かった」


 リーリの青い瞳をきちんと見て言葉にした。


「助かってくれてありがとう」


 こいつのことが、こんなにも大切だと分かってしまった。その上で、またこうして話が出来ることが、言い表せないほど嬉しかった。リーリは、


「っ!」


 一度その目を潤ませると、顔を伏せた。手を振り払われるかと思ったが、逆にぎゅっと握り返された。


「……やる」


「え?」


「夜食を作ってやる。どうせ腹を空かせているんだろう」


 絞り出すような声だった。涙するのを必死でこらえているようだった。そんなこいつがおかしくて、また笑ってしまった。


「ああ、頼むよ」


 リーリは顔を見せてくれない。繋いだ手をそのままに、オレを引いて歩く。揺れる黒髪が眩くて、見惚れてしまうのを抑えきれなかった。最後に、リーリはもう一言だけ追加した。


「別に、お前のためじゃないからな」

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