手荒い歓迎 前編
視界にアスモディアラの屋敷が入ってきていた。宵闇の中、馬車は真っ直ぐに走り抜ける。雲のない夜空には、二つの月と幾千の星々が輝いていて、ランプが必要ないくらいだ。日本で暮らしていたよりずっと空が美しい。ただ、そんな星の絨毯が照らす地上は、少し違和感が生まれていた。
「おかしい。屋敷に灯りがついていない」
「本当ですね」
「いや、普通に寝てんじゃないのか?」
「まだ夕食時だ。何かあったとは考えたくないが……」
ゴクリと生唾を飲み込む。まさか、他の魔王勢力が攻めてきたのか? あまりにほのぼのとしすぎていて忘れていたが、魔界は今抗争状態なのだ。灯りのついていない屋敷は不気味にも見え、それがより一層不安をあおる。
「いや、おそらく問題ないだろう。屋敷の中から魔力を感じる。それに、大規模な戦闘があったにしては、屋敷やその周囲に被害がなさ過ぎる」
しかし、馬車から身を乗り出した団長が目を細めて判断する。その確信ある言葉は信用出来るだろう。何せこの人は暁の騎士団団長だ。屋敷の玄関前に到着したが、目を合わせることなくこの場の全員が音を出さないようにしていた。
「しかし様子がおかしいのも事実だ。私が確認してくるから、リュカはここに……」
「待て。下手に分かれるより一緒になっていた方が良い。その方が安全だし、いざと言う時行動しやすい」
「む……」
リーリの提案を即座に団長が却下し、場を仕切る。リーリは少し不満顔だが、団長の言うことに納得したのだろう。静かに頷いて馬車から降りる。
「では、私が前だ。二人はリュカを囲んでいろ」
「わかった」
「それで良いだろう」
「す、すみません」
闘えないリュカが申し訳なさそうに小さくなるが、この場合は仕方ない。リーリが玄関の巨大な扉に手をかける。左手に握られた銀色の鍵が月光に映える。しかし、
「……開いてる」
それだけでリーリとリュカの体温が下がったのがわかった。それでも一度こちらを振り返ったリーリが、小さく頷いて扉を押し開ける。当然屋敷の中は灯りひとつなく、何も見えない。
「少し待ってろ。炎よ」
リーリが廊下の燭台に魔法で火を灯していく。照らされた絨毯に足跡が残っているようなこともなく、これと言って目立った変化はないように見える。静まり返った屋敷には、誰の気配も感じられない。
「おい。奥の、左手の大きな部屋。そこに何か複数人潜んでいるぞ」
しかし、団長が長剣を引き抜きながら、指で示す。その方向は、
「食堂だな」
足音を立てないように廊下を進んでいく。オレは一人勝手にトラップの類いを警戒していたが、そんな様子もない。
「おい、本当にいるのか?」
リーリの声は張り詰めた糸のようだ。獣耳をパタパタと動かして、周囲を警戒している。
「ああ、間違いない。四、いや、五つの魔力を感じる。一つはかなり大きい」
だが、そんなリーリよりも団長の感覚の方が優れているようだ。もちろん、オレとリュカはそんなことまるでわからないので、二人について行くことしか出来ない。大して暑くもないのに、額から汗が噴き出す。
「え、エドガーさま……」
「大丈夫だ」
リュカがオレの服の裾を掴む。その手が少し震えている。朱と蒼の瞳は今にも泣き出しそうだ。それでも、物音だけは立てないよう慎重に歩いている。そして、食堂の扉の前に四人が揃って立つ。
「私が突入するから、貴様らはしっかりリュカを守っていろ。いいな」
リーリが小声で詠唱を開始し、その右手にハルバードを構える。その穂先が緊張で揺れていた。
「行くぞ!」
リーリが扉を蹴り開けた瞬間、食堂にいきなり灯りがともった。天井につるされた大きなシャンデリアが太陽のように光る。その眩しさに一瞬目がくらみ、手で目を抑える。そこに、
『リュカちゃん!! 婚約おめでとう!!』
盛大な拍手と、色とりどりに舞う紙吹雪。そして、明るい声と笑顔が、オレ達四人を出迎えたのだった。
「この人がリュカちゃんの婚約者ぁー!? 全然普通じゃん!」
「本当、意外性のかけらもないよねー!」
豪勢な食事の皿の前に座るオレは、二人の女魔族に絡まれていた。
「背が高いわけでもないしぃ、カッコいいわけでもないしぃ」
「ムキムキなわけでもないしぃ、魔族でもないよねぇ」
その二人は、オレの背後を行ったり来たりしながら、口々に失礼な感想を言い合っている。二人が動き回るから、絨毯の上に羽毛がはらはら落ちていく。
「こぉら。カヤ、サヤ。婚約者くん虐めたらあかんやろ? ほら、こんなに固うなってしもとるやん。こっちおいで」
「はぁい」
カヤは青いショートカットで青い瞳。サヤは赤いショートボブに赤い瞳。そして二人ともへそだしのちびティーにホットパンツという、何とも開放的な装いだ。
「だってアヤちゃん! あの人全然面白味ないんだもん!」
「そうだよアヤちゃん! つまんないよ!」
そしてオレへの文句は止まらない。
「堪忍なぁ婚約者くん。この子ら、ちょっと失礼やけど、悪気はないんよ。許したってや」
「はぁ」
そして、アヤと呼ばれた、おそらく一番年上の女魔族。フレアのロングスカートに肩を出した白シャツ。その上に水色のカーディガンを羽織った大人っぽいその人が、オレに杯を差し出してくれる。セミロングの茶髪が綺麗だ。
「これでも飲んで、水に流したってや。三十年ものの蜂蜜酒。結構いけるんよ」
「いや、オレ酒は……」
「なんだとー! アヤちゃんの酒が飲めないってか!」
「飲めないってかー!」
カヤとサヤがまた騒ぎ出す。この二人はおそらく双子だろう。髪と瞳の色以外で見分けがつかない。
「そぉなん? ほな、これならどうや。突撃豚のソーセージ。肉汁がたまらんよ」
「そ、それなら」
ただ、アヤさんはいつまでたっても皿を渡してくれない。それどころか、
「はい、あーん」
ソーセージを突き刺したフォークを直接差し出してくる。
「ちょっとアヤさん!」
オレの向かいで粛々と料理を食べていたリュカが、怒った声で反応した。食器が小さく音を立てる。
「あはは。リュカちゃん、そんな怒らんでええやん。冗談や、冗談」
「冗談とは思えません!」
二人楽しそうに会話を始める。すると、リーリが空いた皿を片付けに、オレのそばにやってきた。
「おい、リーリ。この魔族たち……」
「ああ、魔王様の領地で暮らすハーピーたちだ。少々騒がしいが、悪い連中じゃない」
そう。こいつらは、ほとんどが人間とかわらない姿だが、膝から下が鳥の足、そして、肩からその先が美しい白い羽になっていた。さっきから絨毯が羽毛まみれになっているのはそのせいだ。食堂を駆け回るカヤとサヤが、床に羽毛を撒き散らす。
「そこで、死を覚悟した私の所に、当時の騎士団長が駆けつけてくれたのだ。敵をバッタバッタと薙ぎ倒し、囚われた私を救い出してくれたのだよ。それがきっかけで、私は騎士団に入ろうと決意したのだ」
「騎士団長かっけぇ!」
「すげぇな!」
そして、団長は二人の幼い男ハーピーにかこまれて、何やら嬉しそうに自慢話をしていた。団長もそうだが、あのハーピーたちは騎士が怖くないのだろうか。
「フフ。珍しいやろ? 雄のハーピーってだけでも稀やのに、双子ときたもんやからね。多分やけど、ハーピーの歴史上初のことやで」
「いや、そんなつもりで見てたわけでは……」
そうか。男のハーピーは珍しいのか。団長の話に聞き入る十歳前後に見える二人は、姉二人と同様、それぞれ赤と青の髪を短く坊主頭にしていた。
「そう言えば、魔王様とセルバスは?」
「んん? 魔王ちゃんは仕事。領地の視察に行っとる。ほんで、セルバスちゃんは……」
「逃げた!」
「逃げたよあいつ!」
カヤとサヤが、リュカを左右から抱きしめながら叫ぶ。
「逃げたって?」
オレの質問に答えてくれたのは、別の料理を運んできてくれたリーリだ。
「セルバスさんは、カヤとサヤがあまりに騒がしいから苦手にしていてな。ハーピーたちが屋敷にやってくる時は、決まって休みをとるんだ。今回はおそらく魔王様の視察に帯同しているのだろう」
「へぇ」
「意外と繊細なんよねぇ」
アヤさんが悪びれず言う。ただ、確かにセルバスの逃げたくなる気持ちもわかってしまう。この姉弟、とにかくうるさいし落ち着きがない。小学生を相手にしている気分だ。
「さぁさぁみんな! リュカちゃんにお祝いのプレゼント渡すんやろ? 一列に並びや」
羽毛を撒きながら、アヤさんが手を、いや、羽を叩く。
「そうだった!」
「そうだった! プレゼント!」
そして四人が、食堂の隅に置かれたカラフルな箱を手に、リュカの元へ駆け寄る。
「え、良いんですか?」
「ええよ。受け取ってやってや」
リュカは少し戸惑いながらも、頬を上気させて嬉しそうだ。最初にカヤがリュカに箱を手渡す。
「はいコレ! 一角魚の骨の詰め合わせ、ダシをとるのに使ってね!」
「わぁ嬉しい! ありがとう!」
「私はこれだよ! 突撃豚の骨! これも良いダシがとれるよ!」
「やった! 嬉しいな!」
大変和やかな空気で結構なのだが、気になることがあったので、隣で妹弟たちを眺めるアヤさんに聞いてみる。
「あの、魔界、いや、ハーピー族は、プレゼントに骨を渡すのが習わしなんですか?」
「まさか。あの子らちょっと変やから」
あの子ら、の中にはおそらくリュカも含まれている。豚や魚の骨に目を輝かせているあの娘は本当に変人だ。そして、弟達が二人で一つの箱をリュカに渡す。
「僕らこれだよ! 爆発岩の岩塩! お料理に使ってね!」
「うわぁ! こんなにいっぱい! 集めるの大変だったでしょう?」
「うん。でもリュカ姉のお祝いだから、頑張ったよ!」
箱一杯に詰まった灰色の塩に、リュカの喜びははち切れんばかりだ。二人の弟ハーピー達を抱きしめる。
「そうや。弟らも大概変わりもんやったわ」
カラカラ笑いながら言う、アヤさんの悪戯心が透けて見える。キャーキャー言いながら羽毛と羊毛がじゃれあっている。微笑ましい光景だが、どこか牧場のように見えてくる。
「さて、うちからは婚約者くんにプレゼントやで」
「え、オレすか?」
まさかの展開に、素直に驚いてしまう。当然この人とオレの面識など無い。オレの好みがわかってるはずがないのだ。となると、またダシや調味料の類いなのだろうか。でも、やっぱり少し期待してしまう。この人は見た感じまともそうだしな。そして差し出すオレの手のひらにコトリと置かれたのは……
「はい、精力増強の秘薬。リュカちゃん可愛いけどちんちくりんやし、婚約者くんが張り切りやすいようにな」
「あんたも大概だよ!」
小さな瓶を握りしめて、大声で叫んだ。
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