一章 千年後 その1

「んっ…………」

 寝苦しい夏の夜のように、俺はうめき声のような声を漏らしながら瞼を開ける。

 目がしばしばとする……変な違和感を覚える。ぼやーっと視界が滲む。

 それでも何度かパチパチと瞬きを繰り返すとようやくピントが合う。

 長い夢を見ていたかのような、深い眠りから覚めたかのような、そんな感覚。

 不思議と心穏やかな気分で、寝覚めは意外にも悪くない。

 それにしても、いつの間に寝ていたのだろうか?

 いまいち昨日の夜のことが思い出せない。

 すると、ふと女性の声が俺を呼ぶ。

「随分とたっぷり寝たようだな、ギル。寝坊だぞ」

「なっ…………!」

 どういうことだ、俺の寝室に誰かいるのか……!? 強盗か?

 俺は勢いよく起き上がろうと身体に力を入れるが、思うように身体が動かず、自力で身体を起こせない。

「――ッ!」

「おいおい、私の声を忘れるとは酷いじゃないか」

 そう言いながら、声の主は俺の身体を支えるように抱き抱えると、俺の身体を起こす。

 俺の眼前に垂れる黒い長髪に、その隙間から見える鋭い眼光。

 すらっと伸びた手足に、都の踊り子ですら振り返りそうなほどグラマラスな体型。

 赤と黒のセクシーなドレスに身を包み、蝶の形の髪飾りを付けた美女。

 間違いない、こいつは―――

「なんだよ、クロか……」

 俺は不法侵入者が旧知の仲であることに安堵を覚える。

「なんだとは失敬な。誰のおかげで生きてると思っているんだ?」

 そう言い、クロはやれやれと言った様子で俺を見下ろす。

 あれ、クロってこんなに大きかったっけ?

いや、それよりも俺の声こんなに高かったか……?

 何か嫌な予感がして、俺は慌てて辺りを見渡す。よく見ると、そもそも俺の部屋何かじゃない。どこかの遺跡……なのか、薄暗い石造りの個室だ。俺が横たわっているこの寝床もベッドというよりただの石の塊だ。

「何がどうなって……」

 俺は額に手を当て、冷静に俺が眠る前のことを思い出そうとする。

 ――が、その時視界に入った自分の手に違和感を覚え、俺は慌てて両の手をまじまじと見つめる。

 おいおいおい、何だこれ……?

 何でこんなに縮んでるんだ――!?

 俺のアホ面を見て、クロが口を開く。

「あー、どうやら君の傷を癒すのに生命力を根こそぎ使ってしまったようでね。可愛らしいガキの姿なんて笑っちゃうけどねえ。まあいいじゃないか、その程度で済んで」

「おいおいおい、クロ。ちょっと待て、ちゃんと説明してくれ。何でおれの身体がガキの頃に戻ってるんだ? そしてお前は何でここに居る? というか、傷を癒すってなんだよ!」

「寝起きそうそう質問が多いやつだなあ。まずはおはようだろ?」

「悠長か! 今そういうのいいから。もったいぶらないで教えろ」

 クロはふぅっと軽く息を吐き、腕を組む。たわわな胸が腕にポンと乗っかる。

「ま、疑問を持つのも無理ないか。あの時は意識何て殆どなかったし」

「…………」

「じゃあ、簡潔に。ギル、君はあの最終決戦で瀕死になった。そして私が君をここに連れ込んで、ギフリッドの力を借りて蘇生の魔術を使ったんだ。長い年月をかけて、傷を癒すギフリッドが編み出した禁術をね」

 最終決戦…………瀕死……。

 その時、何かが弾けるように脳に電流が走る。

 思い出した、何もかも――

「……そうだ、俺はエレナに助けられて……他の奴らは……」

「死んじゃったねえ、彼らは。まあ、君だけでも生き残れたんだから御の字だろう?」

 俺の鼻がぴくっと痙攣する。

 ムカっとした感情が、身体の奥底からふつふつと湧き上がる。

 ――が、いちいちクロに腹を立てても仕方がない。

 そもそも吸血鬼が人間に興味がある訳がないんだから。

 こいつに悪気は一切ない。

 俺は心を落ち着かせるためにも、一度深呼吸する。

「……あいつら、俺なんかの為に……」

「まあ、君たち人間風に言うなら、彼らの犠牲を無駄にしないためにもこれからの人生を大事に生きるしかないんじゃないかな。……我ながら臭いこと言ってるな」

「いや……その通りだ。もう今更後悔したところで事実は変わんねえんだ。エレナや他のみんな、それにクロとギフリッドが繋いでくれた命だ。……まあこんなガキ見たいな形に成っちまったのは正直驚いたけど、わがままは言ってられないよな」

「その通り。闘いは終わったんだ、平和な世の中だよ。これからは好きに生きるといいさ」

 そうだ、終わったんだ。

 今は、そのことを喜ぼう。

「にしても、俺は大分眠っていたのか? 何かそこら中埃塗れだし……これだけ俺の身体が退行するほどには結構な年月が経っちまってるんだろ?」

「まあ、君たちの感覚で言えば結構な年月が経ってるのかな?」

「やっぱそうだよな。五年……十年経ってても不思議じゃねえよ」

「千年」

 …………ん?

 俺はどうやら耳も退化してしまったようだ。上手く言葉が聞き取れない。

 俺はゆっくりとクロの方に顔を向ける。

「すまん、ちゃんと聞き取れなかったみたいだ。俺が眠りについてから何年経ったって?」

 クロはニコニコした表情で今度は口をしっかりと開けて声を発する。

「だから、千年。百年を十回繰り返したとも言うし、それでもわかり辛いって言うなら、大体365000回太陽が昇ったくらいさ。これで理解できたか?」

 俺は余りの衝撃に目を見開く。

 何か良く分からないものが喉の奥につっかえて、息がつまる。

 完全に、動きが停止する。

「くっくっく。ギル、君が驚くなんて珍しい。完全無欠とまで言われた魔術師が、たかだか千年の眠りについていたくらいで驚くとは、これは面白いものを見たぞ」

 俺はやっとのことで息をする。

「ば、バカ野郎! お前たちと一緒にするな! 千年だぞ!? 何もかも変わってるどころか、変わってないものを探す方が難しいだろうが!」

「何を言ってるんだ。少なくとも私は変わってないだろ? ほれみろ、ぴちぴちのお姉さんだ」

「そういうことを言ってるんじゃない! ――――あぁもう!」

 くそ、最悪だ……。

 これじゃあ俺が報告に行く国王すらいないだろうし、ましてやエレナやジーク達の親族なんて遠い昔に死んじまってるじゃねえか! いやまあ子孫は生き残ってるだろうけど……。絶対俺なんて知らないだろうし。というか、この世にもう俺を知っている奴なんて誰一人いないんじゃ――。

「……いや、お前が居たか」

「?」

 不覚にも、千年経ったと本人が言った今でも、まるで変わらずにそこにいるクロこと吸血鬼のクローディアに妙な安心感を覚えてしまう。

 くそ、屈辱だ。

 俺は大きなため息を付く。

 これじゃああいつらの分まで生きるとかいうレベルじゃねえよ。完全にゼロからのスタートじゃねえか……。

「ま、私達からしたら千年なんてあっという間だからね。世界も大分変ったし、君も目新しいこの世界を見てそこそこ楽しめると思うよ」

「簡単に言ってくれるなあ。こっちは寝起きにいろいろ衝撃の事実を突きつけられて絶賛困惑中なんだが」

「はは、そんなナイーブな玉か君は。明日にはケロっとして新しい人生を謳歌しているだろうさ」

「勝手なこと言ってくれるな……と、言いたいところだが……」

 否定できないのが辛いところだ。

 この吸血鬼、伊達に長い付き合いじゃないな。

 そうだな、もうここが千年後だということは疑ってもしょうがない。クロはそんな下らない嘘をつくタイプじゃないし。

 腹をくくって第二の人生を歩むしかねえか。

 魔術しか取り柄がないし、まあ、千年経ったって言ってもまだ通用するだろ。

「俺の家とかはあるんだよな?」

「もちろんさ。――あっ、といっても、君の生家はもちろんとっくの昔に朽ち果てたけどね。そりゃもう見るも無残に。諸行無常だねえ。代わりと言っちゃあ何だが、ここの近くの森に私が丹精込めて楽しく作ったツリーハウスがあるんだ。当面はそこでのんびり暮らそうじゃないか。君もそんなナリじゃあ一人ではやり辛いだろう?」

「あの家結構気に入ってたのに……時の流れは残酷だな。まあいいさ、そのツリーハウスとやらで当面どうしていくかのんびり考えるとするか」

 とりあえずは、この生に感謝しよう。

 事態は突拍子もなさ過ぎて飲み込むのに時間がかかりそうだが、俺は確かに生きている。

 クロはニッコリと笑うと、俺の足と首の下に腕を差し込み、お姫様抱っこする。

「なっ……おいばか! 下ろせ!」

「何言ってるんだ、君まだまともに立てないだろ? このまま我が家まで連れてってあげよう」

「いやそうだけど……ああくそう、屈辱だ……! さっさと大人に戻りてえ!」

「ふふふ、私は結構かわいくて好きだぞ」

「お前の好み何ぞ知るか!」

 こうして、俺の第二の人生と呼ぶべきものが始まりを告げた。

 千年後の世界。

 俺は上手くやっていけるんだろうか。

「――はぁ。この先が思いやられるよ」

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