12 黒き鱗粉

「クロム・ウォーカーといったな。なぜお前は私に師事したいのだ」


 初めて会ったとき、ヴァレリーは俺をうろんげに見つめた。


「強くなりたいんです。彼女にふさわしい男になるために。いざというとき、彼女を守れるように」

「彼女とは?」

「その……幼なじみの女の子です」


 言いながら、照れてしまう。


 好きな子を──イリーナを守れる男になる。

 強さを目指す理由としては凡庸だろうか。


 だけど俺にとっては、命を懸けるのに値するほどの理由だった。


「素質はそれなりにありそうだな。まあ宮廷魔術師クラスにはなれるか」


 ヴァレリーは俺をジッと見つめ、うなずいた。


「それに何よりも純粋な瞳をしているところが気にいった。お前なら、いずれ私の望みを叶えてくれるかもしれん」

「えっ?」

「いや、それはまだずっと先のことだ。まずはお前を鍛えてやる。私の修業は厳しいぞ、クロム」


 俺が奴に弟子として認められた瞬間だった。


「よ、よろしくお願いします、賢者様!」

「ヴァレリーでいい」

「は、はい、ヴァレリー……師匠!」


 そして俺は奴に鍛えられ、魔法の力を磨き上げた。


 四年の後、十七歳にしてシャーディ王国付きの魔法使いに認定されるだけの力を得た。

 そして、勇者パーティに選ばれ、仲間たちとともに戦った。


 いつもヴァレリーは俺を的確に指導してくれたと思う。


 魔法の師匠としての奴は優秀だった。

 人格面でも、そのときは本性を知らなかったから、素直に尊敬していた。


 いつかこんな魔法使いになりたい、と憧れていた。

 なのに──。




 追憶を振り払い、俺は奴を見据えた。


『なんだ、あいつらは大切な弟子なんじゃなかったのか?』


 なぜ、こんな質問をしたんだろう。


 ヴァレリーには、果たして弟子を想う心があるのか。

 かつての俺に対して、そして現在の弟子たちに対して。

 心のどこかでは、この問いに首肯してほしかったんだろうか。


 復讐に塗りつぶされた俺の心になお残る──奴への、一片の憧憬なんだろうか。


「大切な弟子?」


 ヴァレリーの返答は、心の底から蔑むような嘲笑だった。


「あんな連中は使い捨ての道具にすぎん。魔法の研究は一人でやるより、ある程度の実力を持った魔法使い複数人でやる方が効率がいいからな。それで育てていただけだ」


 奴の返答を聞きながら、心の芯がすうっと冷えていくのを感じる。


「……ついでに、自分の性欲処理用にか?」

「ふん、人の趣味に口出しするんじゃない」


 ヴァレリーは口の端を歪め、笑った。


「弟子どもの代わりなどいくらでもいる。まして、私は勇者パーティの一員、賢者ヴァレリーだ。弟子志望は世界中から殺到している。また私好みの容姿とそれなりの素質を持った者を選別するだけだ」


 下種だな、どこまでも。

 俺は奴をにらんだ。


 尊敬し、憧れたこともあった。

 だけど、そんな気持ちが──俺の心の片隅に、もしかしたら一片くらいは残っていたかもしれない、最後の憧憬は。

 最後の未練は。


 今、完全に消え失せた。


「さあ、クロム。お前の【闇】を我が手中に──」


 ヴァレリーが俺を見てニヤリと笑った瞬間。


「何っ……!?」


 奴の背後にある黒と金の魔法陣──『レムセリアの戒め』の一部に亀裂が走った。


「──そんな程度で、俺の【闇】を抑えられると思うなよ、ヴァレリー」


 今度は俺がニヤリと笑う番だった。




『術者の絶望値及び憎悪値が上昇中……第二規定に到達しました』

『儀式の進捗率が85%に到達しました』

『術者の【闇】の出力が666%上昇しました』

『【闇】の具現化を基本形態から鱗粉形態へと移行しました』

『【闇】に対する干渉拘束波動を無効化しました』




【闇】の声が響く。


 感じるぞ。

 体の底から、あふれるような力が湧き上がるのを。


 古代の魔導装置が干渉した作用なのか。

 あるいはヴァレリーと対面したことで、俺の憎悪がさらに高まったのか。


 全身から吹き上がる『力』は、漆黒の鱗粉のような形をしたエネルギーとなって周囲に広がる。

 その鱗粉が、装置から放たれる稲妻に触れたとたん、


 ばぢぃぃっ!


 耳障りな音を立てて、稲妻を消し飛ばす。


「馬鹿な──『戒め』の効果を打ち消しただと!? あり得ん──」


 ヴァレリーがうめいた。


「魔王クラスの【闇】ですら一時的に封じこめるほどの出力だぞ。それを跳ね除けられるわけが……」

「どうした? お前の切り札はそんな程度か?」


 俺は一歩踏み出した。


 装置からは間断なく稲妻が──【闇】への干渉波が放たれるが、そのことごとくが漆黒の鱗粉によって消し飛ばされる。

 続いて、爆音が響いた。


「装置が──!?」


 うろたえるヴァレリー。


 奴の背後にある巨大な魔法陣が白煙を上げていた。

 あっという間に炎に包まれ、『レムセリアの戒め』は焼け落ちてしまう。


「なんだ、お前の力は──」


 ヴァレリーが恐怖の表情を浮かべて後ずさった。


「なんなのだ……お前の、憎悪は……」

「俺の力は、お前たちが与えてくれた」


 口の端を吊り上げ、俺は昏い愉悦の笑みを浮かべる。


「憎悪。怨念。怒り。悲しみ。絶望。そして──復讐の殺意。そのすべてが俺を強くした。俺の【闇】を育んだ──」

「【闇】が、どこまでも増大していく……だと……!?」


 俺は全身から黒い鱗粉を吹き出したまま、さらに歩みを進める。


 奴の切り札は破壊した。

 俺を戒めるものは、もうない。


「さあ、復讐の時間だ」



※ ※ ※

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