p.78 襲撃

 


 アストルが視察に来るという情報を聞いた夜、ルーシャはナザ・パパンにあるバーに足を運んでいた。半年前に独り立ちをした頃、ちょうどルーシャは誕生日を迎えたため成人したのだった。国によって成人と定める年齢は異なり、ルーシャの戸籍はセルドルフ王国にあり、セルドルフ王国では十八歳で成人となる。


 成人してから何度か酒を口にする機会があったが、ルーシャは付き合い程度にしか飲んだことがなくまだ酔うという感覚がわからなかった。それに酒よりもまだジュースのほうが美味しいと思えてしまうため、あえて酒を飲むことがなかった。


 そんなルーシャでも、今日はアルコールの力を借りたかった。


(・・・兄さん)


 そのフレーズが頭から離れない。考えたところで何かが変わる訳ではないし、アストルがここへ来るからと言って鉢合わせることがあるわけではない。ルーシャは一介の魔法術師であり庶民でしかなく、かたやアストルは一国の未来を背負う王子であり偶然再会するなどということは有り得ない。


 それにどうしても会いたくなければ、さっさとここを去って忘れるということも選択肢にある。


 それでも、ルーシャの脳裏に呪いのようにアストルの存在がこびりつく。その名を聞くことも、その存在を思いおこすことも楽しいことではないのに、どうしてもアストルのことに固執してしまう。



 溜息をつきながらもルーシャはバーの様子をぼんやりと見る。

 バカンス地らしい軽快な音楽が流れる店内は活気で溢れている。バーカウンターにはルーシャ以外にも客が座り、一人で飲むものやカップルの姿が見受けられる。テーブル席にはグループ客が楽しそうに酒を片手に盛り上がる。


 店内は少し薄暗い照明だが、店内の内装全体が淡い色合いの木材が使われているため重苦しくはなかった。バーカウンターの奥ではバーテンダーが酒を作り、その背後の壁棚には様々な種類の酒が並ぶ。酒の瓶には様々な色や形のものがあり、それを眺めているだけでも楽しいものだった。



 ルーシャは少し酒とつまみを口にしたが、それでもやはり気は晴れることなかった。会計を早々に済まし、ルーシャは店を出る。


 ナザ・パパンは南国に位置しており、夜でも暑い。ルーシャは軽装のまま夜の浜辺を訪れる。頭の上には満天の星空が広がり、新月のため星の光が多く見える。昼間とは異なり暗い海はどこか恐怖を感じるところはあるが、規則的な波の音は妙に耳心地よい。白い砂浜を静かに歩きながら、ルーシャは陽気な音楽が流れたバーの中よりも、こうして自然の織り成す音を聞く方が幾分も気分が紛れた。



(・・・ん?)



 気分が紛れたところで心が晴れた訳ではなかったが、ルーシャは奇妙な気配に気づく。少しルーシャから距離をとりながらも、何者かの気配がピッタリと張り付いて来る。後ろをそれとなく振り返るが人影は見当たらず、建物や木の影に誰かが隠れているようだった。


 ルーシャは旅をする中で、以来の仕事をこなす中で危険な目にあうこともあった。若い女の一人旅は治安の悪い所へ行けば度々山賊などに出くわし、仕事内容もレベルの高いものとなれば魔法術師や傭兵などと対峙することも多い。そのなかでルーシャがなんとか生きてこれたのは魔力探知に秀でていたからであり、ルーシャは息をするかのように魔力を感じ取ることが出来た。


 ぴったり張り付いてくる気配を振り切ろうと、ルーシャはさりげなく早歩きをする。砂浜から街の中へと入り、入り組んだ路地に入り相手を陽動する。相手の気配に勘づいたとバレれば相手が即座に動き出す可能性があり、ルーシャは危険を回避するため、相手の器量を把握するため入り組んだ路地を選んだ。


 数日滞在しているとはいえ生まれ育った街ではなく地の利はない。音響魔法を行い、帰ってきた魔力の響きで入り組んだ路地裏を把握して進む。



「っ!」



 だが、相手も生易しくはなかった。突如として背後から何かが飛んできた。ルーシャはとっさに少し避けたため、その何かがルーシャの右太腿を掠めただけですんだが、ルーシャの心臓は一気に跳ね上がる。


 掠った右太腿は短パンに覆われたところだったが、薄い布地は怖いほど美しく切られ、ルーシャの体に浅い傷がついている。そこから冷たい何か──恐らく血が静かに滴る。

 少し前にある建物のコンクリート製の壁には研がれたナイフが力強く突き刺さっており、モロにくらっていたら一瞬で命を立たれていたであろう。


 新月のせいで月明かりがなく、路地裏であり光も少ない。ルーシャは後ろを振り返るが、自分を狙うものの姿は一切確認することが出来ない。だが、何かが──誰かが確実にこちらに殺気を向けている。見えない誰かと向き合いながら、ルーシャは神語を構成する。せめて相手の正体を知りたい。


 相手が何者かにより、ルーシャの取るべき対応も変わる。剣士などの物理攻撃に特化した物ならば間合いをとりながら魔法術で逃げることを考えるし、魔法術師などならば相手の魔法術をより早く的確に分析して対応しなければならない。たまに魔法術師で剣士という人間がいており、それが相手ならばルーシャの手に負えるものではない。


(・・・相当な手練みたいだけど)


 見えない相手から放たれる空気が尋常ではなく、あまりに殺気立った空気にルーシャは鳥肌が立つ。その殺気が間違いなく自分に向けられており、単純に死の恐怖を感じる。

 さらに飛んできたナイフはあまりにも的確で、そのナイフ捌きがちょっとの鍛錬で得られるものでは無いとすぐに分かる。さらに磨き抜かれたナイフの切れ味は恐ろしいほど鋭い。


「っ!」


 だが、ルーシャが周囲を照らすための光魔法を発動させる前に相手が瞬時に動く。再びナイフがルーシャ目掛けて飛んでくる。先程とは違い同時に複数本の凶器がルーシャを襲い、それをなんとか避けたり、魔法術で弾き返しルーシャは自分の身を何とか守る。


 襲われている相手もわからなければ、その動機も分からない。魔力探知に秀でているルーシャは、相手の魔力の動きで時には感情の変化も概ね把握することも出来る。大きな感情でなくては魔力に反映されないので分からない。


(なんて憎悪)


 軽く探知するだけで相手の魔力のその根源をルーシャは瞬時に感じ取る。激しく燃え盛る憎しみが容易に感じとれ、ルーシャはその強さにたじろぐ。



 相手はルーシャに容赦することなく、いくつものナイフを暗闇から雨のように投げつけ、ルーシャはそれをなんとか防ぐ。次々と降り注ぐそれらに集中していたルーシャは無意識に相手の魔力を見失う。


「っ!」


 ナイフの雨を捌いていたルーシャの背後を相手がとり、いつの間にか後ろから切りつけられる。すんでのところでかわすも、ルーシャはなんの余裕も反撃もできず相手の一太刀を避けるので精一杯だった。薄暗い路地では相手の顔も、持っている武器の数や形状も分からない。ルーシャは狭い路地で、なんとか相手の攻撃を間一髪でかわしていく。


 ルーシャはごく一般的な魔法術師であり、剣術や武術の経験もなければ鍛錬もしたことが無い。それでも、魔法術師として生きていくにあたり剣士と対峙することもあり、そのなかで命からがら相手との間合いの取り方や、攻撃の避け方を体で覚えてきた。

 と言っても、ルーシャに一切の余裕はない。相手の次の行動を読むという高等テクニックはまだないため、今目の前の攻撃を避けていくだけだった。


 汗がしたたり息が上がる。夜になり太陽の光がないとはいえ、南国の夜は暑い。どこか湿気た空気があたりに充満し、ルーシャは気だるく感じる。だが、相手は一切手を抜くことも好きを見せることも無い。



 だが、ルーシャも伊達に大魔導士に鍛え抜かれてはいない。余裕のないこの状況下でもルーシャは自身の魔力を練り上げる。魔力の特性は感情に起因し、感情によって魔力の効果も変わる。ルーシャは自身の魔力を「楽」の感情に転化し、その魔力で光魔法を発動させる。「楽」の感情は魔力を軽量化し、魔法術の発動が早くなる。だがその反面、重みにかけており魔法術の持続はせず効力も劣る。


 ルーシャは効力よりもまず、相手の不意をつきその姿を確認するために光魔法を発動させた。






──────────


憂鬱な気分で夜の散歩をしていたら・・・誰かに襲われたんだけど?!

なんで?!

しかも、めちゃくちゃ憎しみの感情がつよくて。


私なんかしたかな??


いやもう、死にそうなんですけど・・・。



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