p.63救護

 ルーシャは言い様のない不安と焦りを抱えたまま、躊躇いは少しあるものの歩いていた。そこにはなんの根拠もなければ、誰かの目撃証言があったわけでもない。それでも、なぜか自分の中でそこへ行くのが一番しっくりくるし、そこに行かなければならない気もしていた。まるで、何かに導かれるかのようにルーシャはひとつの森の中に足を踏み入れていた。




 数時間前まではナーダルがどこに行ったのかもわからず、ただ焦りに任せてユングの街中を走り回っていた。どこにもナーダルの痕跡すらなく、見かけたという人もいない。忽然と姿を消したナーダルは、まるで初めからルーシャの目の前にいなかったのではないかと思えてしまえるほど、なんの根拠も残していなかった。




 そんななか、ルーシャはユングの鉄道駅でたまたま一つのポスターを目にする。何がというわけではないが、たまたま視界の片隅に入ったポスターが妙に気になったのだった。それはユングの街の北西にある針葉樹の森の単なるPRポスターだったのだが、妙に何かが引っかかったルーシャはそこへと向かってみることにした。




 行き方を調べると鉄道を乗り継いでかなりの時間を要すると分かったため、できる範囲の空間移動の魔法を使いなんとか森にたどり着いたところだった。魔力協会の支部には空間魔法に使う位置を特定するピンがあり、また観光スポットや何かの役割を担っている役所や学校などにもピンがあることがある。そういうものを探して利用しながらルーシャはできるだけ最短ルートで森に来たのだった。




 森の中はあまりにも静かで、ここだけ世界から──時間という枠から逃れているかのようだった。白く降り積もった雪があらゆる音を吸収し、無音の銀世界をつくりあげている。冷たい空気に体の芯から凍え、吐息の白さにこの森の中がいかに冷えきっているのかが分かる。




 世界から切り離されたようなそこで、ルーシャはふたつの魔力に気付く。ひとつはよく知っていて、今朝からずっと探し続けていたナーダルの魔力。もうひとつはどこかで感じたことのある気がする、強く歪んだ魔力だった。


 やっと、ナーダルを見つけられたと安堵する気持ち半分、もうひとつは未だに消えない漠然とした不安がルーシャのなかで渦巻く。




 魔力を頼りにナーダルの居場所をつきとめ、ルーシャは雪の中を躊躇うことなく進んでいく。足場は悪いが雪国の田舎で生まれ育ったルーシャにとって、この森の中に降り積もる雪はさほど困ったものでもなかった。さらに今は魔法術をある程度使えるため適当に足場を溶かしながら進むことが出来る。




 徐々にナーダルの魔力を強く感じ、ルーシャはその距離を詰めていっていることを実感する。冷たい空気が体にまとい、魔法術で薙ぎ払ったとはいえ雪の寒さに足先はかじかむ。急いで歩くため体は火照り汗が滴り、この雪世界の空気の冷たさが妙に心地よい。








 森に入って幾分がすぎたかも分からない。


 だが、ルーシャはその姿を確実にとらえた。針葉樹の隙間から、はっきりとナーダルの姿が垣間見えた。ホッとしたのもつかの間、ルーシャはその光景を目の当たりにしてしまう。






「マスターっ!!」




 ほぼ悲鳴のように師匠を呼び、ルーシャは駆け寄る。何が起こったとか、何をしていたとか今はそんなことどうでもいい。目の前でナーダルがその体を剣で貫かれている──それが現実だった。




 ルーシャがナーダルを見つけたその瞬間、それはまさにアストルの剣でナーダルが貫かれたときだった。


 驚き焦るルーシャなど気づいていないのか、ナーダルはその真白な刀身でアストルを貫き、その美しくも清らかな魔力が魔法術を発動させた。




「兄さん?!」




 ナーダルに駆け寄っている途中でルーシャはアストルの存在に気が付き、兄の剣が真っ直ぐと師匠を貫いている姿を目撃する。一体何が・・・と思うが、今はそれどころではない。




 アストルの体が眩しいほど発行し、何かの魔法術が発動する。ナーダルは青ノ剣をそっと引き抜き、そのまま力を抜き意識を失う。発光しているアストルがどうなっているのかは分からないが、アストルの剣がナーダルの体から引き抜かれナーダルは地面に放り出される。




 おぞましい程の鮮血が真白な雪の絨毯の上に広がり、その色彩のコントラストに純粋な恐怖を感じる。


 ルーシャは慌ててナーダルに駆け寄り、雪の地面に膝をつきその意識と傷を確かめる。




「マスター、分かりますか?!」




 強く呼びかけるルーシャの声にも、叩いて起こそうとする刺激にもナーダルは一切反応することは無い。眉ひとつ動かさず、その顔はどこが青白くも思われる。ルーシャは震える手を抑え、急ぎながらも丁寧に神語を構成しナーダルの止血を行う。治癒の魔法術は失敗した時の反動が対象にダイレクトに反映し容易に人を傷つけ、時には命をも奪いかねないリスクを背負う。




 止血を終えたルーシャはナーダルの上下する胸を確認し、息があることに安心する。脈を確認すれば弱めだが触れることができた。安心しきれないし不安もあるなか、ルーシャはアストルのほうを見た。




 アストルはいつの間にか膝から崩れ落ち、その体からは力が抜け、雪の上で転がり意識を失っていた。淡く体全体が発行し、その体内からはナーダルの魔力を感じる。




 何が起きたのか、二人がどうしてこのような事になっているのか分からないことだらけだった。しかも、どう見てもナーダルは重体でアストルも安全であるとは言い難い。情報もあまりにもなく、緊急事態への対応に何をすべきなのか分からず不安と焦りだけが先行する。ルーシャは体の底から冷え、無意識のうちに手先が震え、自分の鼓動だけを強く感じる。狼狽えそうな自分を叱咤するように、ルーシャは自分の両頬を手で強く打つ。




(しっかりしなきゃ!)




 自分にそう言い聞かせ、ルーシャは通信魔道具・パロマを取り出す。これをオールドから譲り受けてから何度となく使ってきたが、ひとつ使っていない機能があった。魔力協会の地本部連絡部門に直接繋がるという、緊急要請の連絡だった。




 ルーシャは躊躇うことなくその緊急連絡先に連絡を取る。そして応答した魔力協会員に急患が二名いること、自分の居場所を伝えた。相手は冷静に情報を聞き出すと、ルーシャにそこに待機するようにと言い連絡を切った。




 連絡が途絶えた水晶を握りしめ、ルーシャは倒れているナーダルとアストルを見る。このままでは寒さで2人の体力が奪われていき、凍死してもおかしくはない。ルーシャは魔法術でふたりを一所にまとめ、そこで暖風の魔法をドーム状に発動させ循環させる。さらに地面を温めて雪を溶かすと同時に、その溶けた水で二人が濡れないよう即座に水分を蒸発させる。広大な森のなかでごく一部分だけの雪が溶け、禿げたような地面が現れる。




 交互に師匠と兄の容態を確認しながら、ルーシャは自分に何ができるか考える。だが、現状がまったく分からず、アストルがなぜここに居るのか彼の中で何が起きているのか、ナーダルは何故剣で貫かれたのか分からない。簡単な外傷治癒の魔法術は扱えるが、内臓領域までとなると医師免許のいる高度な分野の魔法術となる。




 医術の心得も知識もないルーシャは、ひたすらナーダルとアストルの呼吸と脈を確認することしか出来ない。とりあえず二人を温めてはいるが、これが正しい判断なのかさえ分からない。正解がわからず、誰にも頼ることの出来ない時間は妙に長く感じる。






 早く、一刻も早く──と願って待ち続けるしかない、魔力協会からの救援を。一呼吸、一瞬きするその瞬間さえ随分と長い時間のようにさえ思えてしまう。時間感覚が焦りと恐怖で狂ったルーシャは、ただ信じて救援が来るのを待つしかない。




 ルーシャの青い瞳が不安げに揺れ、意識を失った二人を見つめる。どちらも見知った二人だが、こうして意識のない姿を見ることは何故か怖かった。眠っているかのような姿なのに、寝顔を見るのとはまた違う感覚にルーシャは心臓の鼓動を強く感じて胸が痛くなる。




 何度辺りを見回したか分からない中、ルーシャはその魔力に気付く。全く知らないが、突如として探知できる魔力が複数個現れた。いくつかの魔力が魔力探知を行いルーシャたちの魔力に気が付き、こちらに近づいてくる。




「ここですっ!」




 魔力協会員と思しき姿を見た瞬間、ルーシャは大声を上げて手を振る。救護班は急いでルーシャの元へ駆け込み、重体のナーダルと意識のないアストルを見つける。それぞれが手際よく二人の状態を確認すると、すぐに担架に乗せて魔力協会へと運ぶ。ルーシャは一人の救護班員に状況を聞かれ、彼らと共に魔力協会まで移動しながらことの次第を話す。






 そして、不安を抱えたままたどり着いたのは魔力協会思想本部にある、協会随一の大病院だった。そのままナーダルは緊急処置のため運ばれていき、アストルも正確な状況の確認のため精密検査へと運ばれていく。ルーシャは待合で待つようにと言われ一人取り残されたのだった。
















───────



マスターがいなくなって、不安でたまらなくて・・・


そんななか、たまたま見たポスターに何でか引かれてやってきたのが森だった。




なんで、兄さんがマスターを?


マスターが兄さんに何が魔法術をかけていたから、何かがあったんだとは思うけど。




助けを呼んで救護班が来たけど・・・マスター。



お願い、助かって。



これがただの悪夢だって誰か言って。

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