p.58 巨星堕つ

 人が三十人ほど入れるであろう部屋に、今はルーシャとシバ、オールドだけがいた。




「生き急ぐもんでもないのにねぇ」




 部屋の前方にある棺を覗き込みながら、シバは深いため息とともにそう呟く。そこには穏やかに眠るレティルトがいた。今にも起きてきてくれるのではないかという寝顔のようだが、その瞳が開くことは永遠にない。






 レティルトは死んだ──最強の女騎士に復讐を望んだが故に。






「ほんっと馬鹿よ!あんたは・・・」




 涙をぽろぽろ流しながら、オールドはルーシャの隣の椅子に座って悪態をつく。その言葉に笑って応えてくれるその存在がもういないだなんて信じられない。




 魔力協会員によって協会の術ノ本部へと運び込まれたレティルトは、その身体を綺麗整え棺に入れられた。ついて行ったルーシャは通信用魔道具・パロマでシバとオールドに泣きながらも事の顛末を掻い摘んで知らせ、ふたりは飛んできたのだった。




 オールドとレティルトの付き合いは厳密に言えば長い。外交に消極的だったナーダルとは違い、レティルトは他国の王族と会うこともあれば、何かと政治話などをすることも多かった。権力が一切ないとはいえ、一国の第一王女であるオールドも付き合い程度には幼い頃から何度かはレティルトと顔を合わせたことはあった。




 オールドは特に政治に関わる身ではないのでレティルトとは、当たり障りのない世間話を少しくらいしかしたことがなかった。だが、氷の城の事件でレティルトと深く関わることとなり、その人柄に触れ、なぜレティルトが人々から慕われ尊敬されているのかが分かった。味方でいてくれることがこれ程心強いと思える人物などそうそういないだろう。




 情報通の物知りで、政治経済から様々な国の諸事情や一般常識まで何でも幅広く知っていた。さらに魔法術の扱いにも秀でていたし、武術や剣術もそれなりに出来た。料理や簡単な裁縫、家事といったことまでこなせていたし、人の話もきちんと聞いて自分の意見をも持っている。分からないことがあれば教えてくれるし、出来ないことがあっても責めることなどしなかった。




 むしろ、レティルトが出来ない知らないことのほうが知りたいくらいだった。話せば気さくに話してくれるし、人を小馬鹿にしたような態度も取らない。些細な冗談を言い合いながら対等に接してくれて、危険なことからは守ってくれる。本当に友人として、人間としてレティルトはオールドにとってかけがえのない存在だった。




「あんた達は少し休みな」




 項垂れ涙を流すふたりにシバは優しく声をかける。




「・・・でも」




 何かを言いかけたルーシャの言葉をシバが素早く遮る。




「ただでさえ揺れ動いている心だ。ろくな休息もとらないで、魔力の暴走を起こしてもあたしゃ止めないよ?」




 冷静で的確なその言葉にルーシャの言葉が詰まる。


 今、棺で眠るレティルトだが明日には葬儀が行われる。魔力教会での葬儀では参列者が魔力で創った花をその棺に入れ、その魔力を元にしてその亡骸を燃やして弔うという。その花を創る過程において、大切な人を失った人間は感情が不安定で魔力の暴走を起こしやすいと言われている。




「お願いしましょ」




 鼻声となってしまったオールドだが、静かにシバの言葉に頷く。淡い金髪をなびかせながらオールドは部屋を出ていく。


 ルーシャはそれを追いかけるようにレティルトの眠る部屋を出る。








「お前さんこそ、次世代の担い手だと思った年寄りの期待はなんだったのかね」




 二度と開くことのない、固く閉じられた瞳のその顔を見つめながらシバは答えることのできないレティルトに呟く。シバのその瞳は揺れ動き、そしてその声はあまりにも儚い。




 シバとレティルトは直接的な面識は一切ない。レティルトはシバを生きる伝説と尊敬していたし、自分が直接関わることない雲の上の存在のように感じていた。魔導士としてその知識と腕は現代を生きているものは誰もシバと肩を並べることすらできないであろう──それほど、シバは卓越した存在であった。




 シバは大魔導士として何度もロータル王国を訪れたことはあったし、そのなかでレティルトの噂を幾度となく聞いてきた。さらに何度も執務や公務の姿は見てきており、誰もが彼を王たる資質があると言っていた意味をよく分かっていた。




 ある程度の優秀さは努力すれば得られるし、ある程度の信頼も人間関係を構築していけば得られる。しかし、レティルトのもっているその才能ともいえる風格は別格だった。自然と人を引き寄せ、人の上に立つだけの風格が備わっていた。これが人の上に立つ人間なのかと、一目見ただけで彼が国王になり国を治める姿を想像出来てしまった。




 レティルトこそが、これから先の未来を率いるのに相応しいだろう。変革が多いこの世を正しく、明るく、余計な争いをせずに治めて次世代へとそのバトンを渡してくれると信じていた。




「イツカが始めたこの協会の真価を発揮できるのは、お前さんだと思ってたんだがね」




 国だけではなく今現在の世界そのものを担う者として、シバは直接的な面識のないレティルトに期待を抱いていた。


 永世中立機関であるこの魔力協会を率いて、どんな時代の荒波がきても乗り越え、初代会長・イツカが夢見た平穏な世の中を実現するであろうと、なんの躊躇いもなく信じていた。




 今までに様々な人間を見てきたシバはレティルトに初めてであった時、これが長年世界が待ち続けてきた先導者なのだろうと確信した。今まで人の上に立つ人間を数多く見てきたし、尊敬する人物も数多い。だか、レティルトのもっているそれは何もかもを凌駕するほど著名に光り輝いていた。




 無言でレティルトを見つめるシバだが、静かに後ろを振り返る。そこには音も立てずにひとりの男が立っていた。




「久しぶりだね」




 ここに現れた男をみてシバは一切驚きもせず挨拶をする。


 レティルトの存在は多くの人間が知っているが、あの反乱のあと彼が生きのびたのかということを知るものはほとんどいない。さらにそんなレティルトがつい数刻前にリーシェルに挑み命を落としたこと、その亡骸が魔力協会に預かられていることなどほぼいない。




「ご無沙汰していた。変わらず元気そうで」




 深々と頭を下げるのは黒髪に黒い瞳の長身の男──黒騎士だった。




「お前さんこそね」




 どこか表情を和らげるシバ。黒騎士は静かに音も立てずレティルトの棺に近づき、その眠る姿を見つめる。黒い瞳が小さく揺れ、その瞳が閉じられる。




「随分と暗い表情かおだね」




 小柄な老女であるシバは長身の黒騎士を見上げる。




「惜しい人を亡くした」




 悼むような声で黒騎士は言葉を紡ぐ。ポツリと呟くような言葉は宙に漂い静かに消えていく。




「同感だね」




 目を伏せシバは二度と目覚めることの無い、ひとりの青年を神妙な面持ちで見据えるのだった。






 翌日、レティルトの葬儀はひっそりと厳かに行われた。本来ならば一刻の王家の血筋として大勢の人間に見送られるはずだが、立場が微妙なため親族と近しい関係者にのみ彼の存在と死が通達され、参列できるものだけがやってきた。


 親族としては弟のナーダル、あとは母方の親戚であるダルータ家の者が何名が参列していた。そのなかにはナーダルとレティルトの従姉妹でもあるエリスの姿も見えた。




 その他には魔力協会の責任者としてフィルナルの姿が見受けられた。いつもと変わらず近寄り難い雰囲気を醸し出しながらも、その顔は亡くなったレティルトを悼んでいた。フィルナルはロータル王国出身であり、レティルトと面識はあまりないが祖国の王子と国民という間柄ではあった。




 他の参列者はルーシャの知らない人間ばかりであった。あとから知った話では、その中にはレティルトのかつての側近やなじみの情報屋などがいたという。だが、一国の──誰もが王位に相応しいと思った王子の葬儀としては参列者があまりにも少なく、粛々と進められていく葬儀にレティルトの今現在の立場がどういうものなのかということが嫌でも分かってしまう。




 ルーシャは棺の前に立ち、その眠ったような穏やかな顔を見つめる。まだ、レティルトが起き上がってきてくれるのではないか、その声で自分の名を呼んでくれるのではないか、その手で優しく導いてくれるのではないかと思えてならなかった。


 だが、そんな淡い期待は願い入れられない。




 ルーシャは自分の中の魔力をその手に集める。魔力のその根源は感情であり、ルーシャはレティルトを思い浮かべ、彼とすごした短い一時を思い起こしひとつの花を作り上げる。


 花弁は輝かしいほどの太陽を思わせる黄色、その花弁は大きく真っ直ぐとしており、花弁を支えるがくや茎はしっかりとした太さで、そこに生える葉は力強く真っ直ぐとしていた。


 その輝かしい花はルーシャから見たレティルトそのものだった。眩しいほどに存在感があり、輝かしいほどの気品と威厳を持ちながらも、その芯のしっかりとした性格で真っ直ぐとルーシャを導いてくれていた。




 各々がレティルトを思い、その魔力の花を捧げる。色とりどりな花を捧げられ、レティルトの最後を飾る。それぞれから見たレティルトがその花には映っていた。


 その花の魔力でレティルトの遺体は燃やされていく。もう二度と目覚めないレティルトを、参列者は言葉にならない思いを込めた魔力で天に送るのだった。










 * * *






 眩しいほどに晴れ渡る空の下、ルーシャとナーダルはベタル王国の王城にその身を寄せていた。レティルトの葬儀の後、オールドが二人を気遣い旅を再開するまでの休息の場として自分の家に招いたのだった。王城に行くことにルーシャは気が引けたが、だからと言って暗い表情のナーダルと二人きりでいることも考えものであったため、素直にオールドの好意に甘えた。




 ベタル王国は大陸の中でも内陸にあり、周囲を他国に挟まれている。だが、特に他国との間に大きな小競り合いもなく平和な国であった。ルーシャたちの訪問と滞在が突然のことだというのに、城の誰もが歓迎モードであった。第一王女の友人と弟子ということだが、それだけで驚くほどの優遇を受ける。たしか、ベタル王家のイートゥル家には貧乏王家と揶揄されているということを噂で聞いたが、待遇で特に不届きや不便は感じなかった。




「お客様はちゃんともてなすわよー」




 驚いた様子のルーシャに対し、オールドは笑ってそう釈明した。オールド曰く、税金の無駄遣いをしないために他の王家に比べ王族の暮らしが質素倹約なためそう言われているとの事だった。確かにオールドの身なりは良い生地だし、センスの良いものだが他国の姫君が身につけているようなきらびやかなものとは違っていた。当初、それはオールドがキラキラしたものを好んでいないのだと思っていたが、それだけではないようだった。




「ま、ナーダルが動く気になるまでは適当に寛いどいたらいいわよ」




 オールドは笑ってそう言ったが、ルーシャはなにかすべきなのかとやきもきしながらベタル王国で時間を過ごしていくのだった。










 ベタル王国の王城は広く、その敷地内には広大な森も有していた。真夏の森は青い葉を有した木々が生い茂り、その木漏れ日の下で寝転がるととても気持ちが良かった。




「こんにちは、セルト王子」




 名前を呼ばれ声のした方に目をやると、金髪に青い瞳の1人の王女が立っていた。彼女はオールドの妹であり、次期ベタル王国の国王と定められている第二王女だった。メノール・フレント・イートゥルはにこりと笑い、なんの躊躇いもなくナーダルの隣に腰掛ける。地に腰掛けることも、服が汚れることも厭わないあたり、どこかさすがオールドの妹だと思えてしまう。メノールもまたなかなかの庶民派王女のようだった。


 さすがに寝転んだままは悪いと思い起き上がろうとしたナーダルの耳に、メノールの言葉が届く。




「わー!これはなかなか良い心地ですね」




 上を見上げナーダルと同じ視界を目にしたメノールは、その木漏れ日に思わず口を開いたようだった。今にも同じく寝転がりこんでしまいそうな彼女にナーダルは思わず口元をほころばせる。




 ナーダルは起き上がり、メノールと他愛のない話を積み重ねる。時期国王となるべく日々走り回っているとは思えないほど、メノールは穏やかな人柄だった。町娘として街中にいても気づかないのではないかと言うほど、あまり王族感が感じられない。それがメノールの性分なのか、それともイートゥル家の性分なのか・・・。






「これを託してもいいかな」






 ナーダルは意を決したように隣に座るメノールにあるものを渡す。


 それはふたつの異国の剣だった。黒い鞘に収まったそれらは、倭国の言葉で言えば「刀」と称される剣で、かつてハルが使っていたものだった。




「倭国の気術士総取締の玲華様に返してもらいたくて」




 倭国は独自の魔力活用があり、それを気術といった。そしてその気術士たちの組織の総取締を行っているのが、現在の帝の妹である玲華であり、彼女は元々ハルの主人であった。ハルが持っていたふたつの刀のうちのひとつを彼に授けており、本人亡き今は彼女に返すことが一番良いと思えた。




 メノールは時期国王として執務や公務をこなしており、そして他国とも盛んに国交をもっていた。それは国の統治者だけではなく、その国の重要人物とも関わっており倭国も例外ではなかった。彼女の交友関係の広さは王家の中でも噂とはなっていた。ベタル王国にある、魔力のある者が王位を継げないという鉄壁の掟は他の王家にも有名な話であった。いつまでも掟に縛られて大変だという声もあれば、時代錯誤だとも、もっと未来を見すえた改革をという他国の声もあった。そんななか、第二王女のメノールは様々な声を聞きながらも自国や自分たちに否定的な者とも積極的に交流しており、その姿勢は頭が下がるものもあった。そして、ナーダルはそんな交友関係の広いメノールだからこそ頼めるお願いをした。




「セルト王子から言付かってと伝えても?」




 ずしりと重い刀を二本受け取りながら、メノールは窺うようにナーダルを見返す。




「うん、大丈夫」




 どこか視線をそらせながら、ナーダルは首を縦に降る。本来ならばナーダル自身が玲華にこの刀を返すと共にハルの最期などを伝えたいところもあった。しかし、主人を守るがためにその命を亡くしたということは、ナーダルはハルに命を投げさせたということを指す。それが主人と従者──王子と騎士にとってはそうすべきことであったとしても、ナーダルは自分のために全てをハルに捨てさせてしまったことに納得はしていないし、そうさせてしまった自分が堂々とハルの関係者に会うことに躊躇いがあった。




「責任をもって玲華姫にお送りしますね」




 それ以上の言及など一切することなく、メノールは首を縦に振るのだった。












 そうして、ナーダルとルーシャはベタル王国で穏やかな数日を過ごした。何かがあって吹っ切れるというものではなく、時間が解決してくれるというものでもない。人を一人、それも何よりも大切な家族を失うということはそういうことだった。それでも、いつまでもここで厄介になっているわけにもいかなかった。




「ありがとう、オールド」




 いつも通りの笑顔を装いナーダルはオールドに礼を言い、ひっそりとベタル王国をルーシャとともに発つ。
















──────────


怒涛のケルオン城での一件が終わった。


レティルトさんが亡くなるなんて・・・。




聞きたいことも、分からないこともたくさんある。


でも、今はそんなことよりレティルトさんのことばかり考えて思い出してしまう。


マスターはどうなんだろう。


何も言ったりしないけど、それを言える相手すらもいないんじゃないかって・・・。




また、旅がはじまる。


まだまだ心の整理はつかないけど、私たちは生きていかなきゃならない。


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