p.56 青ノ誓約
爆煙により視界を遮られ一瞬だけ隙が生じたリーシェルだが、すぐにレティルトが広範囲に魔力の爆発を起こした理由を察する。明らかに自分に敵意を向けてくるレティルトとは違い、ナーダルは最初からリーシェルのことを視界の端には入れているが、ずっとあの氷漬けの
すぐにリーシェルの足は部屋の中央奥の方向へと向く。
「行かせねぇって」
だが、レティルトがその目の前に立ちはだかる。爆煙の中であるが、レティルトはリーシェルの居場所を把握しその目の前に現れた。徐々に爆煙が晴れていくとはいえ、視界の悪いなか因縁の二人が真っ向からむかいあう。
「死ぬ気?王子」
先程までの余裕をもった表情から一変し、リーシェルの顔が怖いほど冷静になり目の前のレティルトを見つめる。それだけで空気が凍りつき、世界最強の女騎士の真髄を垣間見せる。だが、それに気圧されるレティルトではない。
「死ぬ気はない。ただ、命をかける覚悟をしてるだけだ」
リーシェルは強い──それは百も承知のことだった。噂ではなく、この目で見てきた彼女の実績と実力は嫌になるほど本物であった。戦場ではその頭脳と剣術で相手を圧倒し、彼女が超えてきた屍の数は百や二百といったものではない。軍議でも抜きん出た策を用意し、時には敵対する軍部の人間と机上で戦うこともあった。女が軍部にいること、将軍を拝命していることを気に入らない者がいれば実績でとことん自身の能力を証明した。そして培ってきたものと、不思議と人を圧倒し凍え上がらせる空気を持ってリーシェルはそこにいた。
その最強の女騎士に剣を向けることがどういうことか、分かっていた。──命を捨てるようなものであることを。
だが、それでも許せないという気持ちの方が勝る。どのような理由があろうと、親を殺されて許せることはない。自分も命を狙われ、すべてから裏切られた。何も誰も信用出来ず、生きることが苦しく、だからといって死ぬ理由もなかった。生き別れた弟の身を案じながらも、あの日に不敵な笑みを浮かべ国を掌握したリーシェルの顔ばかりが浮かんでいた。
兄の策略によりなんとかナーダルはリーシェルの手から離れ、必死に走る。晴れゆく爆煙を感じながらも、背後でレティルトの魔力が一層強くなるのを感じた。魔力は心の力であり、感情でその性質や量が変化する。
(激しい怒り・・・)
幼い頃から感じていたからこそ、ナーダルは兄の魔力の変化を肌で感じる。激しく燃え盛り全てを壊してしまうほどの魔力が部屋に広がる。それは燃えカスや灰すらも残さない高温で激しい業火のように猛り、存在だけで人を圧倒させる。近づくことさえも許さず、揺らめくだけでその熱気のような力が漂う。何もかもを──己自身さえも灰にしてしまいかねない怒涛の魔力がレティルト自身の心を映す。
レティルトの怒りは国を裏切り、両親を殺したリーシェルにだけではない。第一王子であり、次期国王とはやし立てられながら何も守れず、ただ逃げることしか出来なかった自分に対するものでもあった。
守るべきものは数え切れないほどあった。
国土も、国民も、家系も、家族も、歴史も──その両肩に乗るにはあまりにも多くて重いものを背通ってきた。その重圧が苦しいと思うこともあったし、それを護れるのかとさえ自問自答したこともあった。
王たる資質があると国内外の様々な人間から言われるたびに、それに応えなければならないというプレッシャーと、それを成し得ようという決意があった。護るということは簡単なものでもないし、綺麗事だけでは出来ない。敵対勢力は国内外にあるし、時には他国との交渉や小競り合いをいなし、国内での反乱因子の鎮圧や反対勢力との話し合いも行ってきた。
大規模な戦争はしていないが、小競り合いでの戦場に出たこともあるし、裏切り者の始末さえしたこともあった。王家とは象徴ではなく、その力をもって土地と人民を治める。その権威をときには見せねばならないこともあり、レティルトは国を治めるために秩序と権威をもって執務を行ってきた。
幾万もの人の命を、人生を背負うことにいつも責任を感じていた。だからこそ、リーシェルの反乱を止められなかったことに自分を責める。
あの日、城の全てが寝返った。信頼していた臣下も、懇意にしていた騎士も、何もかもが迷いながら、震えながらレティルトに剣を向けた。それがどういう行為になるのか全員がわかっていたなか、それでもそうせざるを得ない状況に追いやられていた。
レティルトは生き残るために容赦なく斬りかかってきた人間を斬りつけたし、どれほど時を共にしてきた人間であろうと躊躇いなく倒した。その中にはリーシェルの恐怖に負けたがどうしても踏ん切りのつけられない者が、自らレティルトの剣に突っ込んできた人間もいた。
恐怖という最悪の権力に屈し、さらに裏切りという最低の行為ゆえにその命を捨てさせた──それがあまりにも許せなかった。
守るべきものをその手で守れなかったレティルトは裏切り者のリーシェルを恨み、無力な自分を呪った。国を、人民を守るためにいるはずの自分のこの手は一切何も守れなかった。ただの将軍の気まぐれのような行動に数多の命と人生を狂わせた。
「ただの戯れにしちゃ、随分とやりすぎなんじゃねぇか?」
激しい怒りを宿す瞳は最強の女騎士を射抜くかのように見据え、その声はあまりの怒りでむしろ冷静だった。今目の前でこの女が平然と息をしていることも、余裕の笑みを浮かべることも、その言葉を聞くことさえ、その存在の何もかもが怒りを助長させる。
「その戯れに尻尾を巻いたのは貴方たちでしょ?」
くすりと笑い、そうリーシェルは言葉を紡ぐ。その一言でレティルトのなかの魔力が、感情が一瞬で爆発する。
晴れきっていない爆煙の中、レティルトは傷だらけの身体でリーシェルに斬り掛かる。怒りで滾った魔力を瞬時に練って神語を構成して魔法を展開し、その移動スピードを数倍あげる。とっさのことだがリーシェルは当たり前のようにそれを剣で受け止める。
「残念だわ、こんな形であなたとお別れだなんて」
小さく溜息をつきリーシェルは構えを変える。
(・・・なに?!)
ことの成り行きを見守っていたルーシャの背筋に、ゾクリと悪寒が走る。取り巻く空気が一変して凍りつく。今まで燃えたぎるようなレティルトの感情と魔力が部屋中に充満していた。だが、それが一瞬で凍りつく。
レティルトもすぐさま異変に気付き守りの体制に入る。魔力により移動速度の底上げは維持したまま、リーシェルの攻撃に備える。
「っ!!」
来ると分かっていたが、リーシェルの一撃があまりに早くて重い。剣でなんとか受け止めたが、一撃を受止めただけで息がつまる。だが衝撃と重さの余韻を残しながらも、リーシェルは次の一太刀を浴びさせる。それを避けたレティルトだが、魔力で移動速度を上げたにもかかわらず深く左腕が切りつけられる。
だが、痛みに気を取られている暇はない。剣の嵐がレティルトを容赦なく遅い、それを避けて受け止めるので精一杯たった。痛みと流血によるダメージ、そして体力が削られていくことでレティルトの集中力が落ちていく。もう、どれくらいのダメージを受けたのか、どれくらい傷を負って血を流しているのかさえ分からない。
(・・・レティルトさん!)
ルーシャは自分を包むレティルトの魔力が弱くなっていっていることに気付く。魔力は術者の感情であると同時に生命にも直結する力であった。それが弱まるということは、レティルトの集中力が切れているか、その命が危ぶまれているかを示すが、今回はその両方であることは明確だった。
祈りながらルーシャは事の
転がり込むように蒼竜のもとにたどり着いたナーダルは息も絶え絶えに、蒼竜を覆う氷を登る。氷は蒼竜の足元あたりから末広がりになっており、足場のように平らなところがいくつかあった。そこを器用に登っていき、蒼竜のすぐ近くまでナーダルはやってくる。
冷たい氷が体を芯から冷やすし、目の前に鎮座するその存在と魔力があまりにも圧倒的でもあった。
その存在を目にしながら、淡く光る氷に青ノ剣を突き刺しナーダルはひと息吸う。
見上げる瞳はどこか決意に満ちており、ナーダルにとってここに来ることがどういうものなのかということがその瞳だけで分かってしまう。生半可な覚悟ではなかった。
氷に突き刺した青ノ剣を氷から抜き再び手にしたナーダルは躊躇うことなく、その真白な刀身で自分の右腕に切り傷をつける。そこから真っ赤な血が滴り落ちる。
赤々とした血液はナーダルの腕を伝って氷の上に落ち、先程剣を突き刺した氷の割れ目へと入っていき、徐々に氷全体が淡い赤に染まっていく。その色が血の色だと分かっているからか、ルーシャは妙に怖く感じてしまう
淡い赤色の氷と、そのなかに囚われた蒼竜を見つめながらナーダルは静かに口を開く。その声は凛として、そして何故か部屋全体に静かにだが響き渡る。
『この名と、この血と、この魔力のもと静神・ソートと誓約する
古き鎖を解き放ち、永き夢路から舞い戻れ
その魔力の恩恵のもと、青ノ第二者としてナーセルト・ダルータ・ルレクトが申し入れる』
──────────
リーシェルさんめちゃくちゃ強い!
世界最強って言われているのがほんと、納得出来るくらい。
スゴすぎじゃない?
そして、レティルトさんのあの怒りが肌を刺し、全てを焦がしてしまうほど禍々しい。
周りの全てを、自分自身を焼き切ってしまいそう。
マスターもレティルトさんも大丈夫かな・・・。
何も出来ず、祈ることしか出来ないなんて本当に約立たずでしかない。
でもかと言って、私が下手に手を出せば逆に人質になるか、私を庇って・・・って形になりかねない。
何もしないことが状況を悪化させないことだなんて・・・つらすぎる。
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