32.裏切りと狂気の末路

 未だ物々しい雰囲気に広間は包まれている。

 キリルをはじめとする鬼蛇きじゃ族は、まだ回復出来ていないようだ。それだけ、オリヴィアの浄化の魔力が強かったのだろう。

 鬼蛇族が不穏な動きをしないよう、そちらにも意識を向けながら、リベルトはルーゲの言葉を受け止めていた。


「鬼蛇族が国境砦を襲撃した、すぐ後です。このキリルが私に接触してきたのは。竜王を贄にすれば、竜王国にまでは手を出さない、むしろ次代の竜王を掌握するだけの力を与えてくれるという取引に、私は乗りました。何も難しい事はありませんでした……言われるままに鬼蛇族を雇い入れ、守りの魔導具を壊すだけで良かったのですから」


 そこでルーゲは低く笑った。嘲るような笑みは一体何に向けられているのか。


「今日は私の長年の夢が叶う日だと、喜びで心が震えていたのです。まさかキリルが妹君を贄にしようとするとは思いませんでしたがね……私としては竜王であるあなたが死んでくれるなら何でもよかった。あとは鬼蛇族のせいにして、この広間の面々をすべて殺し、新しい竜王や仕える者を選べばよかっただけです」


 辿るはずだった最悪の未来に、リベルトは目眩がしそうだった。

 オリヴィアがいなければ、殺されていたのは自分だけではなかったのか。それを為そうとしていたのがルーゲだったという事に、リベルトは強い憤り感じずにはいられなかった。同胞を、命を何だと思っているのか。


「オリヴィアは最初から、あんたがリベルトに悪意を持っている事に気付いていたのよ。だからあの子はこの城に来たんだもの」

「はっはっは、最初から注意しなければならなかったのは、妹君だったというわけですか」


 一歩進み出てリベルトの隣に並んだロザリアが、言葉を発した。怒りに満ちた苦々しげな声だった。

 それを軽く受け流すようにルーゲが笑う。悪事が露見したにも関わらず、いつもと何も変わりのない姿だった。


「あなた達を呼び込まなければ、全ては上手くいっていたのかもしれません。頂点に立つ竜王をも手の内にする……即ち私が本当の王になるはずだったのです」

「竜王ってのは時代の強者なんでしょ。あんたが選ばれないのも納得だわ」


 溜息をついたロザリアの、天色の瞳が魔力を帯びて色濃く輝きを放つ。


「リベルト、あんたには悪いけど……この男には魔女の裁きを受けて貰う。魔女の怒りを買った罪を、その身で償うといいわ」


 リベルトは頷く以外になかった。本来ならば全て調べあげ、裁きの場にて罪が下されるべきだろう。しかし相手にしているのは

 魔女は何者にも靡かず、従わない。魔女を敵に回す事の恐ろしさをルーゲは理解していなかったのかもしれない。


『契約者は我ら魔女を裏切った。故にこの契約を破棄とする』


 ロザリアの声に魔力が宿る。指をぱちんと鳴らした瞬間、低くもあり、高くもある不気味な嘲笑が広間に響き渡る。それが大鎌から発せられていると気付いた瞬間、刃が勢いよく振り下ろされ、そしてルーゲの体を突き抜けて消えていった。


「は、っ……い、いやだ……私は……!」


 ルーゲは恐怖に顔を歪ませて、周囲に忙しなく目を向けている。刈られたのは命ではなく――


「……ルーゲは何を失ったんだ」

「さぁね。……安寧、じゃない? この男が欲しかったのは最上の地位で栄華を掴む事でしょうから。自信、自尊心、名誉、何もかも失っただろうけど自業自得だわ。かは分からないけど、命を刈り取られた方がましだったかもね」


 ゆっくりとロザリアの瞳が穏やかな色に変わっていく。多少は気持ちが晴れたのか、その表情も先程までよりは落ち着いていた。



「くくっ、あはははは! 最高だね、魔女って。手に入れられなかった事が本当に悔しいよ」


 不意にキリルの声が響いた。未だ血の気は失せているが、拘束されているにも関わらずその顔は愉悦に満ちていた。


「さて竜王様、俺達の事はどう裁く? 一族郎党何もかも皆殺し?」

「お前達には裁きの場に立ってもらう。処刑もやむなしかもしれんが、まず鬼蛇族の長と――」

「ふふ、そんな事させてあげない」


 リベルトの言葉を遮ったキリルの口端から一筋の血が流れた。それを合図としたかのように、他の鬼蛇族も口から血を流して前のめりに倒れていく。


「おい!」

「この身を、我らが神に捧げる……。殺されてなんて、あげない……」


 確実に死が近付いている中で、キリルは楽しげに笑っていた。歪んだ口端から更に血が溢れていく。その黒瞳には相変わらず狂気が宿り、死への恐怖は微塵も見えない。


「あーあ……オリヴィアちゃん、欲しかったんだけどな……」

「ふざけないで。あんたになんて絶対に渡さないわよ」

「ははっ、いいね、ロザリアちゃん。君の……そういう勝ち気なところも可愛かったんだけど」


 その瞬間、前触れもなくキリルの体が炎に包まれた。キリルだけではなく、他の兵士達も炎に焼かれている。キリルの笑い声が更に大きくなる。

 驚くほどに火の回りが早く、キリル達の体はあっという間に炭と化してしまった。消火をする暇もなかった。肉の焼ける臭いだけが残っていた。


「くそ……」

「リベルト様! 息のある者がおります!」


 端にいた年若い兵士が、全身が爛れた状態ながらも未だのたうち回っている。


「死なせるな!」

「はっ!」


 治療の術を持つ衛兵が、鬼蛇族の兵士を取り囲んでいる。淡い治癒の光が溢れ、暴れる兵士が少しずつ大人しくなっていった。



「……俺は何もできなかった」


 炭化したキリルだった残骸を見ながら、リベルトが小さく呟いた。後悔にまみれた声は暗く、重い。


「そうね、狸爺クソジジィに翻弄されて、鬼蛇族にいいようにやられて情けなかったわね」

「手厳しいな」

「でもあんたは竜族の為に、オリヴィアの為に死のうとした。オリヴィアを助けてくれた。あんたを認めたわけじゃないけど、出来なかったわけじゃないわ。甘いだとか何だとか狸爺は言っていたけど、そんなあんただからなんじゃないの」

「……あり――」

「お礼なんてやめてよね、気持ち悪い。もう一度言うけど、あんたを認めたわけじゃないんだからね」


 ふん、と鼻息も荒く、盛大に舌を出したロザリアはオリヴィアの休む小部屋へと向かっていった。その背を見送るリベルトは苦笑いで肩を竦めた。


「……出来なかった事よりも、出来る事を考えるべきか」


 小さく呟いたリベルトは、治療を受けている兵士の元へと歩みを進めた。焼け爛れていた皮膚も気管も再生されたのか、譫言うわごとを繰り返している。その声を聞き取ろうと、傍らに膝をついたリベルトは耳を澄ませた。


「こ、怖い……死にたく、ない……」


 リベルトの眉間に皺が寄った。怒りの気配に、治療にあたっていた衛兵達が一瞬怯む程だった。勢いよく右手を振りかぶり、兵士の額を平手でばちんと強く叩く。そこに怪我人への配慮は欠片も無かった。


「当たり前だろ、甘えんな。死ぬってのも、死なれんのも怖いに決まってんだろうが。……治ったら魔封処理をして牢に入れとけ。国境砦のディーも呼び戻してくれ」

「かしこまりました」


 衛兵達に指示を出したリベルトは、玉座に向かい、そこに座った。いつしかこの座り心地にも慣れてしまっていたらしい。しかしそこから見下ろす景色が、今までとは異なっているようにも見えて、リベルトはまた溜息をついた。


「やる事が山積みだが、まずは……」


 リベルトの視線がオリヴィアの休む小部屋に向かった。思い出すのは鮮血を散らしてくずおれる肢体。その光景を掻き消すようにリベルトはかぶりを振って背凭れに深く体を預けた。



 

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