30.まるで、春の木漏れ日のような
リベルトの目の前でくずおれる華奢な体。胸から溢れる真赤な血は、黒剣を伝って床に飛沫を散らす。
「オリヴィアぁぁぁぁ!!」
ロザリアの悲鳴が響く。
いくら暴れても兵士の拘束は緩まらない。ロザリアは必死にオリヴィアの名前を呼び続けている。声が掠れても、嗚咽が混じっても、応えてくれる事をひたすらに願って。
リベルトの目の前が赤くなる。怒りと哀しみ――昔、母が目の前で死んだ時も同じだった。また自分は繰り返すのか。同じように大切な人を失うのか。
自分の意思とは関係なく、体が変化していくのが分かった。魂が震える。失ってはいけないと魂が叫んだ。
「グアァァァァァァァ!!」
悲痛を孕む咆哮が広間に響く。窓が震え、割れてしまう程の威圧だった。
半竜に身を変えたリベルトは魔封じの枷を力任せに引きちぎった。枷が食い込んで左手が千切れ落ちた事にも気付かなかった。
オリヴィアの傍らに膝をつき、黒剣を引き抜く。溢れ出る血も構わず、残る右手を胸に当ててありったけの魔力を込めた治癒魔法を注ぎ込んだ。命を繋ぎ止める為に。
「……くそ、魔女といっても所詮は女か。おい、竜王を殺せ。そのまま贄の儀式に入る」
キリルが舌打ちをして兵士達に命令をする。それに従った兵士達が一斉に距離を詰めて、リベルトに斬りかかった。
「邪魔を、するな……!」
リベルトの威圧に兵士達は思わず剣を取り落とす。毒で弱っている事など感じさせないその様子を見て、キリルは何度目かも分からない舌打ちをした。
「……
キリルが苛立った様子で立ち上がり、兵士から剣を奪ってリベルトに向かった時だった。
――光が溢れた。
光の中心にいるのはオリヴィア。血の気の失った顔で意識もないが、その胸にある傷口から碧色の光が溢れ出している。その光はオリヴィアの魔力そのものだった。
碧光は広間全体を包み、降り注ぐ。暖かくも穏やかな、春の木漏れ日のような優しい光。
「これは……癒し、か?」
激昂していた感情が、光によって落ち着きを取り戻していく中で、リベルトは失った左手を見た。碧光が粒子となり、手を形取って再生していった。
「ぐ、っ……」
呻き声と同時に剣が落ちる音がした。キリルをはじめとした鬼蛇族が、膝をついて頭を抑えている。皆一様に苦悶の表情で、嘔吐して痙攣しているものもいた。
「癒しと浄化。それに
声の主は、拘束から抜け出て駆け寄ってきたロザリアだった。涙に濡れた天色の瞳が、鋭くリベルトを睨み付けている。
「早くこれを壊してちょうだい。あたしは、オリヴィアを助けたい」
「ああ」
促されるままに、真封じの枷を引きちぎる。壊れた枷をキリルに向かって投げつけたロザリアは、両手をオリヴィアに翳した。天色の瞳が色を濃くして、ロザリアの髪が魔力を帯びる。小さな音と共に髪飾りが壊れ、ほどけた髪が風に舞った。
一瞬でオリヴィアの周りに魔法陣が描かれる。五芒陣の頂点から、オリヴィアの胸に光が集う。
見守るリベルトの側に、枷を壊したカミラとイリスが駆け寄ってきた。二人の傷も全て治っている。オリヴィアから溢れた癒しの魔力のおかげだろう。
「わたくし達も治療の心得はございます」
「ありがとう、お願い」
「オリヴィアは助かるか?」
カミラとイリスもオリヴィアに向かって治癒魔法を展開する。リベルトはオリヴィアの手を握りながら、ロザリアに問いかけた。握る手が氷のように冷たくて、不安が胸を焦がすようだった。
「あたしを誰だと思っているの。これでも治癒魔法は当代随一って言われてるんだから。でもまぁ、あんたにもお礼を言ってあげる。あんたが治癒してくれてなかったら、危なかったかもしれない」
力強い言葉に、リベルトは心から安堵した。
少し心に余裕が出来て、手を握ったまま周囲を見回すと、鬼蛇族はいまだに苦悶の呻きをあげている。毒が浄化された事で力を取り戻した竜族の衛兵は、真封じの枷を壊して立ち上がっている。リベルトの目配せに応えて、衛兵達は鬼蛇族を拘束していった。そして、拘束されたのはルーゲもだった。
「この魔力が、オリヴィアの本当の力なのか?」
「そうよ、オリヴィアは体に対して魔力が多すぎるし強すぎるの。だから体が壊れないように無意識に抑えていたんだろうけど……こうして
ロザリアは意識を失っているオリヴィアの額を軽くつついて、溜息をついた。
三人がかりの治療が効を奏してか、オリヴィアの命は取り止められたようだった。まだ顔色は悪く、その体も冷たい。しかし繋ぐ手からは確かに鼓動が伝わってくる。
「この子は……魔力が余りにも強すぎたの。だから魔式に転化出来なくて、魔法が使えなかっただけ。でもあるひとつの方法でなら、魔力を制御して魔法を使えた」
「それが、歌か」
「気付いちゃったのね。そうよ、八年前にあんたを助けたのはオリヴィア。その代償に、この子は声を失ったのよ」
「……俺のせいで」
「オリヴィアはあんたを助けた事を悔いてなんてなかったし、声が無くなっても恨んだりしなかった。だからあんたも自分を責めるのはやめてよね」
「だが……」
「あんたを責めていいのは、オリヴィアだけよ。そのオリヴィアが責めていないんだもの、他の誰も責める事なんて出来ないでしょ。我が妹ながら人が良すぎて泣けてくるわ。この子があんたを責めてくれたら、あたし達だってあんたをぶん殴ってやれたのに」
リベルトはロザリアの言葉に、ただ頷くしか出来なかった。
オリヴィアの頬にそっと触れる。その瞬間、いままで朧気だった八年前の少女の姿が鮮明に浮かび上がった。
ピンク色の髪に赤いリボンをつけた、碧の瞳の女の子。少し困ったように笑う、優しい表情。大丈夫だと、治してあげると歌ってくれた。手を伸ばせば、竜の掌に頬を擦り寄せてきた。
意識を失った少女と、いま目の前にいるオリヴィアの姿が重なった。
「……また助けられたんだな」
「うちの妹は凄いでしょ」
「ああ、まったくとんでもねぇよ」
次第にオリヴィアの呼吸が整ってきたのが分かった。白のブラウスが血に染まって破れているが、既に出血は止まり傷も塞がっている。
「もう大丈夫。意識を取り戻すまでには、まだ時間が掛かるだろうし休ませたいんだけど……」
「隣の部屋を使え。安全が確認されたわけじゃねぇから、悪いがまだ帰してやれねぇ」
「それだけが理由じゃなさそうだけど。ま、いいわ」
魔法陣がゆっくりとその形を消していく。それを待って、イリスがオリヴィアを抱えあげた。カミラの先導で、ロザリアも共に広間を後にした。
隣室といっても扉があるわけでもない。騎士達が謁見の際に控える、扉の無い小部屋だった。そこなら広間からも様子が分かる。
改めてリベルトは、拘束されて壁際に並ばされた鬼蛇族と対峙した。
オリヴィアの光が消えても、彼らはいまだに苦悶の表情を浮かべていた。両手両足がしっかりと拘束され、武器を隠し持っていないかも確認されている。
そして同じように並ばされていたのは、もちろんルーゲも同じだった。穏和な表情は消え、憤怒と怨恨の視線をリベルトに向けている。その様子に、幼い頃に教育係だったルーゲと共に過ごしたあの時間はもう戻らないのだと、リベルトは理解するしかなかった。
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