24.手紙
全ての魔導具の解呪が終わったのは、予定通り次の日の夕方だった。
すっかりと清浄な空気で満たされた部屋で、綺麗に整頓された魔導具を眺めるロザリアは、腰に手をあて満足そうに頷いている。
そんな姉の様子に表情を綻ばせながら、オリヴィアは開けていた窓をそっと閉めた。揺れの収まったレース刺繍のカーテンが、夕陽の色に染まっている。
窓を離れたオリヴィアは魔法布を始めとする解呪導具を、丁寧に
昨晩に
悪意が目に見えるのは本当だという事。これは幼い頃からで、悪意が靄となって視認できるという事。
最近、お城に『悪意を体に宿した人』が増えている事。その人達が何に悪意を向けているのかは分からないけれど、悪い兆しだと思う事。
どうか気を付けて欲しい。自分に出来る事があれば頼って欲しい。
オリヴィアが見てきたものを知らせるのと、最後には願いを込めた手紙を書いたのだ。
それを誰に託そうかとオリヴィアが考えていた時に、部屋にノックの音が響いた。
「ごきげんよう、ロザリア様。解呪が終わったそうですな。いやはや素晴らしい」
入室してきたのはルーゲだった。その後ろには侍女長のカミラが控えている。
オリヴィアはルーゲが靄を纏っている事に驚きを隠せなかった。いままでルーゲはリベルトの話をしていない時には、こうして体から溢れさせたりはしていなかったからだ。
いったい何がこの城で起きているのか、オリヴィアは不安から
「解呪は終わりました。もうその効力を失っている魔導具もありますが、殆どのものはまだ使えるでしょう。危険なものもありません。急かしてしまうようで申し訳ないのですが、今晩中に確認して頂けますか? 明日の朝には帰りますので」
「おや、そんな慌ててお帰りにならなくとも、ゆっくりされてはいかがですかな。陛下と一緒に城下町を散策されるのも宜しいかと」
「いえ、帰ります」
相変わらず愛想もなく話を断ち切るロザリアだが、ルーゲはやはり気にしていない様子で笑い声を上げるばかり。
靄が見えるオリヴィアには、それさえも空恐ろしかった。
「では確認をさせて頂いて、また明日の朝食後にでも伺うとしましょう。いや、それにしてもあれだけの魔導具を解呪なさるとは。まこと優秀な魔女ですな」
「どうも。……そうだオリヴィア、カミラさんにお願いしたら?」
賛辞の言葉を軽く流したロザリアは、ふと思い付いたように振り返った。視線はオリヴィアが持っている手紙に注がれている。
オリヴィアは頷いて、少し遠回りにカミラの元へ歩み寄った。ルーゲには出来るだけ近付きたくなかったからだ。
カミラは腹部で手を揃えた美しい姿勢のまま、どうかしたかと首を傾げている。
「わたくしでお役に立てる事はありますか?」
オリヴィアは魔法黒板を持っていない事に気付いて、助けを求めて姉を振り返った。
「その手紙を、竜王様に渡して貰いたいんです。お願いしてもいいですか?」
「かしこまりました」
オリヴィアが差し出した手紙を、カミラはにこやかに受け取った。両手で大切そうに持っている様子に、オリヴィアは内心で安堵の息をついていた。
カミラはこの城の中でも信用できるからだ。彼女からは靄が見えない。以前にリベルトに精油を渡して欲しいと託した時も、厭わずに届けてくれた事もある。厳しそうに見える時もあるけれど、それは職務に忠実なだけで実は優しい人なのだとオリヴィアは思っていた。
「ではまた明日」
話が終わるのを待っていたルーゲが、尚も穏和そうな表情を崩さずにカミラを連れて去っていく。それを見送ったオリヴィアは深く息を吐いて、その場に座り込んでしまった。
「大丈夫?」
魔法黒板を持って近付いたロザリアが、体を支えるようにしてオリヴィアを立たせた。オリヴィアは黒板を受けとると、魔石に触れて文字を紡ぎ出す。
【大丈夫よ、ありがとう。手紙も渡せて良かったわ】
「あの人なら信用できるでしょ?」
【ええ、カミラさんからは靄がみえない。それより、ルーゲの靄が凄いの】
「あたし達には向けていなかったんじゃなかったの。あいつが悪意を向けているのはリベルトで……」
【わたし達にじゃなくて、きっとあの悪意は全部リベルトに向けられてる。悪意が抑えきれなくて体から溢れてきているみたいだった】
文字を目で追いかけていたロザリアは柳眉を寄せた。
「リベルトと何かあったのかしら」
【わからない。悪意の中に潜んでいた、苛立ちと不愉快さは何となく感じ取れたんだけど】
「それ以上探らない方がいいわ。飲まれてしまうもの」
オリヴィアは小さく頷くと、窓向こうで燃える夕陽に目を向けた。遠くの稜線が金色に染まっている。夜と夕が混ざり合った濃紫が帳となって下りてきていた。雲も月もない空が不穏な気配を映しているようで、オリヴィアは胸に巣食う不安から逃れられないでいた。
*****
「……カミラ、先程の妹君の手紙だが」
「はい」
執務室に向かうべく歩を進めていたカミラの肩を、一歩後ろを歩いていたルーゲが掴んだ。足を止めたカミラは、矛先の向かった手紙に視線を落とす。
「リベルト様のところには私が持っていくよ」
「しかしこれは……」
「職務に戻りなさい。私がリベルト様に渡しておく」
穏やかな声だが、有無を言わせない響きがあった。
自分よりも上位の竜であり、職位としても上のルーゲにカミラは逆らえなかった。
「……では、宜しくお願い致します」
「安心しろ、ちゃんと渡すさ」
手紙を差し出すカミラの手が微かに震えている事に気付いたルーゲは、にこやかに笑いながらカミラの肩をぽんと叩いた。
一礼してその場を去るカミラの気配が遠ざかった事を確認して、ルーゲは柱の陰に潜んだ。押し花が飾られた白い封筒には、綺麗な文字でオリヴィア・バルディと差出人が書いてある。
封蝋を割ろうと指先に力を込めるも、バチっと電撃が走って開けることは叶わなかった。どういう仕組みか知らないが、識別する何かがあるようだ。
眉を寄せたルーゲは掌に炎を生み出すと、手紙を一瞬で燃やしてしまった。灰となって床に落ちた手紙の欠片を靴先で踏み潰す。
黒く煤けてしまった靴を絨毯に擦り付けてから、何事も無かったかのようにルーゲは歩き出した。行き先は竜王執務室。
『解呪が終わった』という報告をしなければならない。手紙の事は、追求されてもどうにでもなる。そんな事を考えて、ルーゲは独りで低く笑った。
すべては竜王国のために。
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