国立大教育学部「中退」の私が、勉強と読書を語る理由

大海 樹鈴

努力の仕方はわかる。ただやらないだけで。

世には努力しても報われない人間と、努力の仕方がわからない人間と、努力しない人間がいる。

張り切って言える話ではないが、私は第3の人間である。

努力など、くそくらえ。最低限の労力でそこそこの結果を出せればいいじゃないかという積み重ねでこの年まで来てしまった。

今はそうしてきたことを後悔し、焦っている。

焦る発端になった出来事は、小学校ひと回り分歳下の親戚が、それまでなんとか孫内実績一位だった私の駅弁国立大入学という記録を悠々越えて、有名国立大の理系学部入学を確約したからである。


喜ばしい事だし、悔しさは微塵もない。親戚もその両親も、超人ばりの努力型の天才だからである。アレには、人生何周したってなれっこない。

それは鼻から諦めている。



それでも古傷が痛むようにチクチクと上を目指すべきだったのではないかと心の中のもう1人の私が囁く。


大学中退を考えた時、工学部の転部、編入等も視野には入れていた。とはいえ、同級生が卒業する年に再入学、更に修士、博士課程と進んだ頃には三十路近い。そしてそこまでいったとしても、成功が確約されているわけではない。

結局私は目の前の、無難で、泥臭くて、大半の日本人の、普通階級の暮らしを選ぶことにした。

自分よりずっと学歴がパッとしない私大文系学部生で。部活留年してて、決してイケメンではないカラダの相性が良いだけの相手に。魂捧げて、退学と共に就職の道を選んだ。

共働きが当然で、家事も育児もこなし、旦那の悩みを聞いて朝から晩まで休むヒマない。けど充実している人生が待っている筈だった。


しかし、今私にあるのは、家事も育児もしてくれる最高の旦那サマと旦那サマとの可愛い娘との、ラブラブ絶頂期生活である。

学歴がパッとしないとは言ったが、蓋を開けてみれば私が世間知らずなだけで世間の評価は高く、地頭の良さも学力さえも旦那サマの方が良いというオチであった。

ついでに私がグータラ嫁であるため、一人暮らし未経験にも関わらず同棲中に大抵の家事をこなせるようになり、料理に至っては旦那サマの方が100倍美味いというスパダリ具合である。



実に要領がいい。私は、要領の良さだけが取り柄だ。私個人の学歴と名声というプライドを棒に振った代わりに、親戚内初孫権と、無職でありながら安定した生活基盤を手に入れたのであった。


私は、無職から、ママに昇格した今だからこそ努力による躍進をしたいと考える。

とはいえ、大々的にパソコンを広げてやるような趣味は乳児がいると出来ない。

そこで、努力の矛先を勉強に向けようと考えた。


かつて大学で勉強へのやる気を失った理由は、

偉人の伝記のような活気溢れる議論が交わされる「大学」(オックスフォード等)の情熱溢れる雰囲気は駅弁国立大にはなく、優秀な生徒さえ「課題だから」というスタンスであった事であった。


決して勉強することが嫌いなわけではない。創作の糧にするためインプットし、アウトプットしていく。その積み重ねがいつか、いい作品につながるやもしれない。

ーーーーーー区切りーーーー

「と、いう硬い前書きはともかくとして、本エッセイは、主に

私の

・読書感想文

・考えをまとめるメモ帳

として使用します」

「実家の本棚から引っ張り出して読むことも多いので偏るかもしれませんが、ご期待ください!」




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