#5-3

「ねえ、お嬢さん。俺からのプレゼントを受け取ってくれない?」

 オペラの下校時間に合わせて、学園に姿を現したノワールは、彼女の友達からの不躾な視線を受けてもなお、オペラをじっと見据えて花を差し出した。「ありがとう」と笑って受け取るオペラはいつも通りで、それもそのはず、ノワールは花なら何度もオペラに贈ったことがあるのだ。

 それでもオペラは毎回、本当に嬉しそうに笑ってそれを受け取ってくれる。

 過去、ノワールが恋人に贈ってきたプレゼントは、もっと高級な品ばかりで、宝石や、ドレスなど、値段のつけられないようなものも数多くあったのだ。それでも彼はオペラにとなるとなにを贈れば良いのかわからなくなるところがあって、だからこそ石鹸や香水などの、オペラが好んでいる――とノワールが思うような――ものや、花に偏ってしまうのだった。

 思えば、オペラ=サフランに対して、ノワールは自分自身の格好が悪い部分を数多く見せてきている。彼女の前では、どうにもいつものようにスマートにいられないのだ。

 それがなぜか分からないけれど、そのことに対して、どこか心地よさや安心感のようなものもあったのに――肝心のオペラが、ノワールのそういう部分に対して嫌気がさしていたのだとしたら、ここまでの人生のなかで、一等に情けないではないか。

「オペラ、なにか欲しいものはある? してほしいこととかさ、行きたい場所だとか」

 ふたりで帰り道を歩きながら、ノワールがそうオペラを質問責めにすると、オペラは「どうしたの、急に」と朗らかに笑っている。「ノワールがくれるものなら、私はなんでも嬉しいわ」

「そういうことじゃなくってさ」と口に出してから、いやそういうことじゃないのなら、一体どういうことなんだろう、とノワールは心の中で自問自答する。

 そんな彼の百面相を見ながら、オペラは首を傾げている。「じゃあ、私、約束が欲しいわ」とオペラが呟いて、ノワールはそれを鸚鵡のように訊ね返した。「約束?」

「……ううん、なんでもないの」

 オペラはノワールの問いに答えず、自分から言い出したその言葉を濁して目を逸らす。彼女の横顔が寂しそうなものに見えて、ノワールは「これはますますまずい」と不安で頭が痛くなりそうだった。

「自分がこんなに情けないなんて、思いもしなかった」

「ううん、にわかに信じられないんですけどね……オペラさんが、ノワール様を振るなんて」

「信じられなくても、本当に振られたんだよ」とソラに言いながら、自分で自分の言葉にノワールは傷ついて深い息を吐いた。

 夕刻のシュヴァルツ城は物寂しく、ノワールはやっと、この城にオペラを呼んだことはあっても、彼女を案内したことがないことに気が付いた。勿論故意にではないけれど、思えば自分が彼女の家に上がり込んだときだって、毎度酔って前後不覚のときばかりで、「本当に情けないな」とノワールはひとりごちる。

「なにが情けないんですか?」

「良いんだよ、ソラ。気にしないで」

 使用人にふらふらと手を振って誤魔化し、ノワールはテーブルに頬杖をつく。

「オペラが喜ぶものって、何だと思う?」と稍々間を置いて訊ねる主人に、ソラはかぶりを振った。「さあ。なんでしょうね。女性の喜ぶものなんて、考えたこともないし」

「ただ、オペラさんって、物に釣られてどうこうするような女性ではないと思うんですよね……」

 ソラの意見に、ノワールは怒るどころか目を丸くして「物で釣っていたかな?」と問い返した。ソラがあいまいに笑ったのを、肯定と捉えて、ノワールはますます頭を抱える。「だめだな、なんだか頭でっかちだ」

「お嬢さんが喜ぶことがしたいだけなんだよ。でも、いままで以上のことを、と思うとどうにも考えつかないんだ。いままでどうしていたっけ、他の子は、と思っても、それはもう、オペラには当てはまらない気がして」

「どうしたらいいんでしょうね……」

 答えを知っているような声色でソラが有耶無耶に答えるのをききながら、ノワールは回答が一向に見つからない自分に、ほとほと嫌気がさしてきていた。

◆◆


 オペラ、と兄に呼ばれて、オペラは読み止しの本から顔をあげた。サフランの屋敷のサンルームは日当たりが良く、緑からこぼれる光も、本を読むにはちょうどいい。

「あちらを見てみろ」とブルーノが指さす方向、サンルームから見える屋敷の裏手に、ノワールの姿がある。オペラはちょっと首を傾げて、「あら、なにか用事があるのかしら」

「兄さん、教えてくれてありがとう。ちょっといってくるわね」

 本を閉じ、いつもとなにも変わらない様子で、オペラは椅子から軽やかに立ち上がり、サンルームを後にして屋敷の裏口から外に出る。そこに立っていたノワールは、オペラがでてくるとは思っていなかったようで、目を丸くして「あれ、お嬢さん」と驚いていた。「あら、ノワール。私に何か用事があったわけではないの?」

「用事は、特に。考え事をしていたら、ついここにきてしまってたみたいでさ」

 照れたようにそう、指の腹で髪を弄っているノワールに、オペラはふふと笑い声を溢した。「変なノワール。どうせだから、上がって頂戴。お茶を入れましょう」

「ううん、良いんだ。お嬢さん」とノワールがオペラをまっすぐ見る。どこか弱ったときの顔をしているな、とこっそり思っていたオペラは、ノワールに「なあに?」と首を傾げた。「……お嬢さん、俺とずっと一緒にいるのは嫌?」

「へ?」とオペラが声を上擦らせたが、しかしノワールの目は真摯で、オペラはみるみるうちに顔を真っ赤に染める。「ええっと……、どういうことかしら……」と頬を両手で包んだオペラに、ノワールは一歩だけ距離を詰めた。

「あのさ、お嬢さんが俺と一緒にいたくないなら、そう言ってくれて良いんだ。それで構わない……ことはないけれど、やっぱりこういうことは、お嬢さんの気持ちも重要だと思うし。でも、理由だけきかせてほしい」

 詰め寄るノワールに、目をぱちぱちと瞬きながらオペラは呆然としている。「えっと」と彼女はまた困ったように視線を逸らし、「何の話なの? ちょっと変よ、ノワール」

「変」といわれるのは、彼も分かっていたようで、彼は苦笑を溢すと、すこしだけ首を傾けた。「うん、そうかもしれない。変になったみたいだ」と笑ったノワールの顔が泣きそうに歪むのを、オペラは見た。

「ノワール」とオペラは彼の名を呼んで、その肩に指を伸ばす。しかしそれが届くよりはやく、ノワールは言った。「俺と結婚してほしい、お嬢さん」

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