第565話 畑を耕し、そこに青春をばらまく

 「今日も良い天気だなぁ」


 天気は晴れ。時間はあっという間に過ぎていき、気づけばもう春だ。


 春が訪れたことで、草木が生い茂り、鳥や虫の行動が活発化しつつあるこの暖かな気候は良いことばかりではない。


 そりゃあ冬と比べて暖かくなった分、活動しやすくなったのは人間も例外じゃないけど。


 でも、


 「草むしり面倒くさい〜」


 晴天の下、ただただ畑の上で中腰のまま、長時間草をむしり続けるのは地獄なんだ。



 *****



 「少し前まではここまで雑草ボーボーじゃなかったのに......」

 「ね」


 俺が呟くと、額に浮かべた汗を、首に掛けたタオルで拭った葵さんが、短くそう返してきた。


 俺と彼女はお揃いのツナギ服姿である。暖かくなったこの時期でも、長袖長ズボンで長靴を履いていた。


 それが最も安全に仕事ができる仕様なんだ。


 というのも、農業という職種は、実は意外にも危険と隣り合わせの仕事だからである。


 どれだけ暑くても肌を露出させていたら、草木や害虫によって肌を傷つけてしまうことがあるからな。


 男の俺はそこまで気にしないけど、俺の目の前に居る葵さんはそんなこと言ってられない。


 「春とは言え、外で働くと汗かくね〜。水分補給はしっかりと取るんだよ?」

 「はい、葵さんの肌から滲み出たスポドリを舐めます」


 「市販の! スポドリを飲もうか!!」

 「すみません、暑さで頭が逝っちゃったみたいです。葵さんのミルク飲みたい」

 「畑に埋めるよ......」


 さーせん(笑)。


 でも汗ってしょっぱいから、塩分補給にもなっていいと思うんだよね。これ以上言ったら、埋められそうだから言わないけど。


 とまぁ、話は戻すが、何事も安全第一。作業していて怪我しちゃったとか全然笑えない。


 特に農機具を扱うときとか、その辺の安全は自身でしっかりと管理しないといけないのだから、農業とは農作物を育てて集荷するだけの仕事、などとは口が避けても言えないのだ。


 「喉が乾きましたね。葵さんも水分補給します?」

 「え、あ、うん」


 葵さんも喉が乾いてたらしいので、俺は近くの日陰に置いておいた水筒を取りに行き、再び彼女の下へ戻った。


 ちなみに持ってきた水筒は一つだけだ。


 「......なんで一つ? 私のは?」

 「え、これを二人で飲めば良くないですか?」


 「っ?! だ、駄目だよ! し、仕事中にそんなごにょごにょ......」

 「はい?」


 「ま、前もお互いの口で飲ませ合って、そのままずっと、き、ききキスしちゃったから仕事長引いちゃったし......」

 「え? なんでと決まってるんですか?」


 「っ?!」

 「僕そんなこと一言も言ってないのにな〜」


 などと、意地悪くもにやにやしながら俺が言うと、葵さんは顔を真っ赤にしながら、こちらをキッと睨んできた。


 おおーかわいかわいい。


 自爆したくせに睨むんじゃないよ。


 ま、口移しで飲ませ合う一択だけどな!!


 ひゃっはー!!


 俺は水筒の蓋を開け、口の中いっぱいにスポドリを含んだ後、そのブサイクな面を葵さんに近づけた。


 が、


 「っ?! カズ君避けてッ!!」

 「?」


 そう叫んだ葵さんが真横に飛び込んだが、俺は彼女が何故そんな行動を取ったのか理解できなかった。


 しかし次の瞬間、


 「っ?!」


 後頭部に強い衝撃が走った。


 何か鈍器のような物で、思いっきり殴られた感じだ。


 思わず、口の中に含んでいたスポドリを盛大にぶちまけるバイト野郎である。


 「か、カズ君ッ!!」


 俺の下へ葵さんが駆け寄ってくる。


 俺は後頭部に何をぶつけられたのか、辺りを見渡してある物を発見する。


 「す、水筒......」


 水筒だ。銀色で保冷機能がバツグンの水筒。これが俺の後頭部にぶつかったと見るべきだろう。


 マジかよ。俺、後頭部に水筒ぶつけられたの? 殺人未遂じゃね?


 無論、俺が日陰から持ってきた水筒とは別の水筒である。


 「あら、ごめんなさい、和馬。喉乾いていると思って、水筒渡しに来たわ」


 そんなこと言いながら、こちらへやってきたのはポニ子こと陽菜だ。


 彼女も俺ら同様の作業着姿で、相変わらず可愛らしいポニテを左右に揺らしている。


 「渡しに来たって言うか、完全に投げてたよね?」

 「キャッチしてって言ったじゃない」


 「このクソ静かなド田舎でも聞こえませんでしたが......」

 「聞こえたら避けるじゃない」


 なるほど、殺す気だったのね。よくわかりました。


 俺は後頭部を擦りながら、これ以上何も言うまいと決めたのであった。


 「陽菜が居る前で、姉さんとキスしようとするからですよ」


 と、今度は千沙がそんなことを言いながら、俺らの下へやってきた。


 そう。今日は中村家三姉妹と一緒に同じ畑の上で作業をしていたのである。


 俺と葵さんは草をむしり、陽菜は俺らの付近で作物を収穫し、千沙は隣の畑を耕していた。


 「どう? 結構収穫できた?」

 「そこそこって感じ」


 葵さんが陽菜にそう聞くと、彼女はいまいちと言った様子で答えた。


 陽菜が収穫していた作物はスナップエンドウ。まだ実が生ってからそこまで育っていないからか、彼女が手にしている収穫籠の中に入っているそれらは小振りだ。


 彼女の胸のように小振りだ。


 俺が小振りなスナップエンドウと、小振りなひっぱいを交互に見ていると、陽菜にギロリと睨まれてしまった。


 視線バレバレってか。怖い怖い。


 ちなみに“ひっぱい”とは“陽菜のおっぱい”という意味で、“貧乳”の“ひ”から成り立っている用語では無い。無いったら無いのだ。


 「私は畑を耕してヘトヘトですよー」

 「うお」


 すると千沙が俺に寄りかかってきながら、そんなことをぼやいていた。


 千沙が作業していたのは、隣の畑を耕すことだが、言うまでもなく鍬を持って手作業でやるもんじゃない。


 耕運機という人類が生み出した兵器によって広大に、かつ効率的にムラなく耕していたのだ。


 なので千沙ちゃんは耕運機が装備されたトラクターを操縦していたわけだが、正直、この中で一番楽な仕事をしてると思う。


 いや、ムラなく耕すのに神経使うとは言え、そこはベテランの千沙ちゃんだ。きっと欠伸しながら慣れた作業をしていたに違いない。


 「千沙、暑苦しいから離れてくれない?」

 「うっわ。姉さんとはキスしようとしていたくせに、妹のハグはNGですか。最低です。訴えます」

 「はいはい。三股彼氏と付き合ってる時点で訴えても仕方ないわよ。それよりお昼ご飯にしましょ」

 「もうそんな時間か〜」


 とまぁ、そんなこんなで俺らは束の間のお昼休憩を取ることになった。

 

 本日はお天気が優れているということで、今から四人で軽トラの下へ行き、持ってきたお弁当をそこで食べる予定である。


 軽トラの場所まで辿り着いたら、さっそく昼食の準備に取り掛かった。


 俺は軽トラの荷台のガードの固定部分を解除して、皆が乗りやすいようにした。荷台の上を軽く叩いて綺麗にした後、レジャーシートを敷き、お弁当を展開する。


 お弁当には、四人が食べても余りあるような数のおにぎりや、唐揚げ、ミニトマトといった割り箸や楊枝で摘めるおかずが詰め込まれていた。


 俺らはウェットティッシュ等で手を綺麗にしてから、さっそく手を合わせて、いただきますをする。


 「お。一個目のおにぎりは梅干しだ。俺、中村家の自家製梅干し大好きなんだよね」

 「ふふ。ありがと」

 「私、梅干し苦手なんで、兄さんがハズレ引いてくれて助かりました」

 「は、ハズレとか言わないの......」


 「こんな風におにぎりの中身が何入っているかわからないのって、すごく楽しいよな」

 「ね。握った私でも見分けつかないから楽しみよ」

 「そこは禿同です。苦手な具が入っていたら、兄さんに渡せばいいだけですし」

 「千沙はいい加減好き嫌い無くした方がいいよ」


 四人でこうして仲良く過ごす日々の繰り返し。


 とても平和で充実した生活を送っていると言えるだろう。


 ......そう、とても充実した生活を送っている。


 「はぁ......」

 「「「......。」」」


 なのに......なんだろうなぁ。


 ふとした瞬間、つい考えちゃうんだよ。


 俺、このままでいいのかなって。


 去年の終わり頃まで脱童貞を喜んでいたからかな。実際は脱童貞していなくて、ただの俺の妄想というオチだったわけだが。


 もちろん、どれだけ時間が経っても尚、俺は童貞のままである。


 依然として童貞。徹頭徹尾、童貞。エターナル童貞。


 初詣で童貞を卒業したいって神様に懇願しても、先方は俺の願いを叶えてくれそうにない。


 いや、他力本願の俺が一番いけないんだけどね。


 そんなことわかってるんだけどさ......。


 「あれ、このおにぎり、やけに塩が効いているな」 

 「兄さんの涙がそれに落ちてますからね」


 と、このように、突拍子もなく、自身の頬を涙が伝うのもしばしばである。


 若くして涙腺が弱くなってしまったらしい。童貞とは本当に百害あって一利なしだ。タバコみたい。吸ったこと無いけど。


 ぽけーっとしながら、陽菜が作ってくれたお弁当を食べていると、おにぎりの入っていたお弁当箱が空であることに気づく。見れば、おかずが入っていたお弁当箱も空だった。


 「あれ?」

 「さ、最後の一個はカズ君が食べたよ」

 「まだ食べ足りなかったのかしら? ごめんなさいね。次はもっと作るから」

 「兄さんって燃費悪いですね」


 お前に言われたくないんだけど。


 三人にそう言われ、俺は自身の腹を擦った。


 腹は満たされている。意識しないとそのことに気づかないとか、かなり重症のようだ。


 「いや、お腹いっぱいだよ。ごめん。ぼーっとしてた」

 「「「......。」」」


 楽しい楽しい彼女たちとのランチタイムも終わりだ。


 俺は重たい腰を持ち上げて、荷台から寄っこらせと降りた。


 そのとき、


 「ちょっと待ちなさい」

 「へ?」


 不意に陽菜に呼び止められ、頬に柔らかなものが当たる感触を覚えた。


 目をパチクリとさせた俺は、視線を横に移すと荷台に乗っている陽菜が、至近距離に居ることに気づいた。そして彼女の顔は俺の顔の真横にある。


 キスだ。頬にキスされたのだ。


 彼女と今までに幾度となくキスしてきた俺だが、陽菜はキスする先が相手の口であろうと頬であろうと顔を赤くする。


 それは今も、付き合い始めた頃も変わらない。


 必死に大人ぶろうと素振りを見せる彼女だが、どうしてもそういった行為に走ると、決まって初々しいところを見せてくる。


 俺はそんな彼女の急な行為に戸惑った。


 「え、えーっと、陽菜さん?」

 「べ!」


 “べ”?


 「べッ、別にあんたが切なそうにしてたから、キスしてあげたわけじゃないんだからね! 頬にご飯粒が付いていたから、取ってあげただけなんだからね!」


 などと、古代文明と言われてもおかしくないツンデレを炸裂する陽菜である。


 陽菜はそう言い残した後、早々にお弁当箱を片付けて、軽トラの助手席に乗り込んだ。


 「あ、ずるいです! 私も!」


 すると今度は千沙が、陽菜がキスしてきた頬とは別の、反対側の頬にキスをしてきた。


 勢いはあったが、それとは裏腹に、彼女の唇が優しく当たった先がじんわりとした。


 千沙も陽菜と同様、頬を紅潮させている。そんな彼女は俺から離れた後、舌舐めずりをしていた。


 悪戯っ子ぽい仕草でそんなことするもんだから、思わず俺もドキッとしてしまった。


 「ふふ。ご飯粒付いてましたよ、兄さん」

 「ち、千沙まで......」


 次女、末っ子の思わぬ行動に、俺はただただ立ち尽くしている。


 それから千沙は軽やかな足取りで、トラクターの下へ向かっていった。


 俺の両頬、ご飯粒付いてたのか......。


 いや、二人がキスする建前なのは流石にわかるけど。


 と、そこで俺は最後に残った葵さんを見てしまった。


 彼女と目が合うと、先方はどうやら俺以上に事態の理解が追いついておらず、顔を真っ赤にしながらあたふたしていた。


 「わ、私は......」


 お、落ち着いて、最年長ちょうじょ......。


 葵さんが言う“どっち”とは言うまでもない。右の頬か左の頬、どちらにキスをするかだろう。


 妹二人は、俺の頬に付いたご飯粒を取るという建前でキスしたわけだが、葵さんはそれを自身の唇で上書きしていいものかと葛藤しているようだ。


 が、事は時間の問題だったのか、葵さんは勢いに任せて、妹たちと同じく、俺にキスしてきた。


 に。


 「ご、ごごご飯粒付いてた!!」


 そこには流石に付いてないだろ。どんな食べ方やねん。


 葵さんは俺から離れて、陽菜と同じく軽トラへ慌てて乗り込んだ。


 そして次の瞬間には車のエンジンをかけ、今にも車体は動き出そうとしていた。


 三姉妹の急な行為に、呆然としていた俺だが、助手席の窓からひょっこりと顔を出した陽菜の呼び声によって、意識をそちらに向ける。


 「続きは夜ね! 残りの仕事、頑張りなさいよ、あ・な・た」

 「お、おう」


 可愛らしくもウインクしながら言ってきたので、上手い返答ができなかったバイト野郎である。


 「先帰ってるね! ごめん!」

 「あ、はい」


 葵さんはまだ照れているのか、上擦った声でそう言い放って、軽トラを走らせた。


 そしてその軽トラを追いかけるよう、トラクターが俺の前を通り過ぎていく。


 「今夜は寝かせませんよ、兄さん♡」

 「ま、前見て運転しろよ」


 トラクターの操縦者、千沙は去り際にらしくもない投げキッスをしていった。


 「......。」


 ぽつんと一人、畑の上に残された俺は天を仰いだ。


 「はは。童貞、童貞って。気にしすぎだろ」


 乾いた笑い声と、やけくそに言い放った開き直り。


 それなのに、胸のうちからじんわりと満たされるものがあって、俺はそれに幸福感を抱いている。


 そう、高橋和馬という男は現金な人間なんだ。


 「仕事、するかぁ」


 タオルを首に掛け、袖を捲り、両手に作業用手袋をした。


 さて、今更だが、今を生きる学生たちに聞きたい。


 あなたはバイトするとしたら、どこでバイトしたいですか、と。


 コンビニ? スーパー? 居酒屋?


 きっとそれら先々で良し悪しはあるだろう。


 例えば、バイトしているうちに、交友関係が広がっていくこともあれば、もしかしたら年が近い人と出会って、恋仲に発展することもあるかもしれない。


 そんな出会いがあるかもしれない数あるバイトの中で、お勧めしたい所がある。


 そのバイトは、どれだけ暑かろうと寒かろうと外で働かなくちゃいけなくて、


 虫が苦手でも虫と対峙しなくちゃいけなくて、


 学生にとって貴重な土曜日・日曜日きゅうじつに働く羽目になるバイトだ。


 「でもさ」


 俺はそこで一旦止めてから、声を大にして叫んだ。


 「最ッ高に! 楽しいぞぉぉぉおお!!」


 そこでバイトすれば、充実した生活を送れるなんて根拠は無い。


 だから示す。


 これから俺が示していく。


 俺の生き様が最高だったって証明していくんだ。


 だからその証明は物語として残していきたい。


 そして物語ならタイトルを付けないと、だ。


 胡蝶しすぎないよう、格好つけすぎないよう、それでいて誰もが楽しんでくれるような、若干の馬鹿っぽさを持ち合わせたタイトルがいい。


 「そうだなぁ......よし」


 ――“畑を耕し、そこに青春をばらまく”


 それくらいが、きっとちょうどいい。

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