二 目が覚めたら白

 しかし、翌朝のことだ……。


「――うわあ、一面真っ白だ……」


 年末恒例の深夜のお笑い番組を観ているうちに図らずも寝落ちしてしまい、気づけば初日の出もとっくに登った後に目覚めてみると、カーテンを開けた窓の外は真っ白になっていた。


 薄曇りなのか白く霞んだ空の下、道路の上も、遠くまで連なる家々の屋根もすべてが真っ白だ。


 最初は昨夜から降り続いた雪で一面の銀世界になったものだとすっかり思い込んだ。


「……いや、違う。そうじゃない」


 だが、しばらくその銀世界…いや、白世界を眺めていると、そうではないことに気づく。


 どう考えても、雪が積もるわけがない所まで白いのだ。


 雪のせいで地面や屋根が白いのはわかる……だが、それだけじゃない。その白い屋根の下に見える壁も、その壁に穿たれたガラス窓や玄関のドアも、白い地面から生える樹々や電柱、そこに掛けられた電線までもがすべて真っ白い色をしているのである。


 いや、そればかりか白いブロック塀の上を歩いてゆく野良猫も、白く濁ったような空を飛んでゆく小鳥の群れまでもが白色なのだ。


 それらを隔てる輪郭線は、陽の光の加減によってできる微かな陰影によって辛うじて識別できる程度である。


 例えるならば……そう、イタリアの画家ジョルジュ・デ・キリコの絵のような、シュールレアリスム的な白と影だけでできた世界である。


 俄然興味を覚え、着の身着のまま急いで外へと飛び出してみると、思った通り白い道路は雪が積もっているわけではない。


 その証拠にいくら歩き回ってもその表面に足跡のつくことはない……アスファルト自体が白くなっているのだ。


「もしかして、店の中とかもそうなのか?」


 白い道の上を歩き廻る内、近所の白くなったコンビニにふと目が留まり、今度はそんな興味が僕の中に湧いてきた。


「ほおう……これはまた……」


 早速、やはり白く見える自動ドアを開けてコンビニ内へ足を踏み入れると、案の定、僕の期待を裏切ることなく店内もやはり真っ白だった。


 壁や床、天井や棚ばかりではない。その棚に並んだお弁当やおにぎり、サンドウィッチ、冷蔵庫に整然と並ぶ清涼飲料水のペットボトル、マガジンラックに差し込まれた雑誌類まで、すべてが白以外の色彩を失っているのである。


 ただ、よくよく見ると窓や自動ドアのガラス壁は透明なままであり、目に白く映るのは背後の景色が透けて見えるからみたいだ。どうやらこの白い世界を邪魔しないものに関してだけは元のままであるらしい。


「あああ、うちの店があ~! こんな色のない商品、どうやって売ればいいんだあ〜!」


 そんな、まるで塗装前のジオラマのようになってしまった店内の景色に、よく見知ったコンビニの店長もハゲ頭を両手で抱え、右往左往しながら嘆きの叫び声をあげている。


 だが、そんな店の心配をしている場合でもないと思う……なぜならば、彼自身も店内同様、真っ白になってしまっているからだ。


 コンビニの制服はもちろん、髪も顔も瞳の色も、デッサンの練習に使う石膏像の如く全身文字通りの白づくめである。


「……いや、待てよ? 人間も白くなってるってことはまさか……」


 だが、今さらながらにその可能性に思い至った僕は、何もかもが白くてわかりにくい店内の中、その配置からそれらしき長方形の凹み目星をつけ、そのドアの奥にあるはずのトイレへと急いで駆け込む。


 透明なガラス壁の様子からして〝白い世界〟を邪魔しないもの……即ち、光を透過したり反射したりするものは元のままのはずだ。


「…っ! やっぱりか……」


 思った通り、鏡もこれまでと変わらず、真実とは前後左右の反転した世界をそこに映し出していた。もっとも、その映り込む真実の世界自体が真っ白なので、それが白い世界を映す鏡像なのか、それともただ白い色してるだけなのかも判然としないのであるが……。


 だが、注目すべきはそこではない。重要なのは、僕もやっぱり店長みたく白くなっていたということである。店長もだったが、黒目まで白いので本当に石膏像のようだ。


「こいつは面白いな……」


 こちらの動きに合わせ、真っ白な鏡の中の世界で揺らめく自分の石膏像に、強い興味を覚えた僕は白目だけの瞳を大きく見開く。


「面白い……もしかして、絵馬に書いた〝世界が面白くなりますように〟っていう僕の願いを神様がかなえてくれたとか?」


 一瞬、夢かとも疑ったがそうでもないようだし、この超常現象としか思えない事態にその可能性も考えてみる。


「……いや、まさかな。僕なんかの願いで世界が変わるわけもないか……」


 だが、いくらなんでもそんな僕を中心に世界が回っているわけがないし、「観察することによって世界は確定する」という量子力学の不確定原理的な作用が働いて、このような事態が生じたとももちろん思えない。


 もとより、それほど僕は中二病的思考を持ってはないので、アホウな推論は早々に捨てて、とりあえずこの〝面白い世界〟を楽しむことにした。


 トイレを出た僕はペットボトルの並ぶ冷蔵庫の扉を開け、中身もラベルも全部〝白〟なのでよくわからないが、とりあえず一本手に取ってレジへと向かった。


「へ……あ、はい! 毎度ありがとうございます……」


 別段、いつもと変わらぬ調子で僕が声をかけると、狼狽えていた店長も我に返り、反射的にバーコードリーダーをペットボトルに当てようとする。


「バ、バーコードがない! しかも、数字も見えない……え、ええと、151円になります……たぶん」


 だが、値段の映る液晶画面もレジのキーに書かれた数字も白くなっているため、値段を入力する術がないのだ。


 なるほど。全部白いと、そういう困った面もあるわけか……。


「はい。じゃ、ちょっきりで」


 それでもペットボトルの値段はだいたい同じなので、その金額を告げる店主に僕はちょうどの小銭を渡す。


 財布を覗くと紙幣もやはり白紙になっていたが、小銭はそれぞれ大きさや重さが違うし凹凸があるため、なんとか判別ができる。


「さてと、これはいったい何かな……」


 ペットボトルを購入してコンビニを出ると、早々僕はその蓋を開け、見た目は牛乳かカルピスにしか見えないその液体を一口飲んでみる。


「…んぐ!? コーヒーか? しかもペットには珍しく無糖ブラック!」


 予想外にも、それはブラックコーヒーだった。真っ白い色なのにブラック……このすべてが白い世界では、見た目に騙されてはいけないようだ。


 ホワイト・・・・・ブラックコーヒーの苦味に驚いた後、再び僕は白い景色の中を散策し始めする。


 住んでいる郊外から人口の多い駅前の方へ向かうにつれ、僕同様、この異変を確認しようと外へ出て来た人々が目につくようになる。


 やはり皆、白い石膏像のような見た目だが、僕のように興味津々辺りを見回す者、先程の店長のように慌てふためく者、数名の友人同士できゃっきゃと騒ぐ者達などなど、その反応は様々だ。


 そういえば、この白い世界はどこまで続いているのだろうか?


 見渡す限り純白の景色を眺めていた僕は、そんな疑問にふと襲われる。


 そこで、駅前まで歩いてゆくと、商業ビルの壁に張り付けられた巨大スクリーンを見上げてみた。


「――繰り返し臨時ニュースをお伝えします。新年明けて早々、すべてのものが白色化するという異常な現象が起きています。お伝えしておりますスタジオもこの通りすべてが白一色です」


 思った通り、そのスクリーンに映るテレビ放送ではこの異常事態に臨時ニュースを流していた。


 ニュースを伝える女性キャスターが言う通り、そのスタジオも彼女自身もやっぱり真っ白だ。


「各国の報道を見る限り、全世界規模での現象のように思われます。現在、その原因はまったくわかっておらず、政府は急遽対策委員会を設置し、各界の専門家を招集してあらゆる面から調査を進めていく方針です……」


 やはり石膏像のように見える女性キャスターは、淡々とした中にも驚きを隠しきれない声の調子でそんな情報を付け加える。


 その話からして、このすべてが白くなるとう現象は世界的に起きていることらしい……つまり、どこまで行ってもこの世界は、今見ている景色と同じように真っ白になってしまったということだ。


 だが、なぜこんな異常すぎる現象が突然起きたのだろう? しかも、世界規模で一瞬にして……こんな自然現象聞いたことないし、さりとて人為的に起こせるようなものにも思えない……もしや、宇宙人の仕業だったり?  いや、UFO同様、そう見せかけてじつは米軍が密かに開発していた新型爆弾が誤作動で炸裂してしまった可能性も……でも、ただ白くするための爆弾なんてなんの役に立つんだ?


 いろいろと仮説を立てて考えてみるが、どれもこれも論拠に乏しいどころか微塵も納得させてくれるようなものではない。それほどまでにこの全世界規模で起きている白化現象は、突拍子も掴みどころもない冗談のような出来事なのである。


「……ま、面白いからいっか」


 そんな人智を超えている異常現象、僕のような凡人が考えたところで原因がわかるわけもなく、僕は思考を放棄すると、再びこの〝白い世界〟を楽しむことにした。 


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