第一一四食 家森夕と夏風邪少女②

「……ま、大きな病気とかじゃなくて良かったよ」

「うう……本当にすみません、ご迷惑ばかり……」

「それはもういいから」


 自室のベッドに寝かせた真昼まひるが何度も謝ってくる中、俺は一人小さくため息をついていた。

 近所の診療所でてもらったところ、彼女の症状はなんてことはない、普通の夏風邪だったらしい。……ただの夏風邪なのにわざわざおんぶして連れていった俺のことを、病院のおばちゃん看護師さんがやたらニヤニヤ見てきて恥ずかしかった。なにが「青春ね~」だ。仕方ないだろ、心配だったんだから……。

 俺が小一時間前のことを思い出して口元を押さえながら渋い顔をしていると、真昼が口元まで引き上げた掛け布団の向こうから「あ、あの……」と不安そうにこちらを見上げてくる。


「お、怒ってますか、お兄さん……?」

「ん? いや真昼に怒ってるわけじゃ……体調悪いなら悪いって言ってほしかったけどな」

「うぐっ……ご、ごめんなさい。自分でも体調悪いことに気付かなくて……」

「ああ、たまにあるよな、それ。〝やまいは気から〟って言うけど、自分が『大丈夫だ』って思ってると案外気付けないっていうかさ」

「はい、私風邪なんて滅多に引かないし……それにちょっと熱があっても、が分からなくなってたっていうか……」

「?」


 俺のことをまっすぐ見上げたまま、ごにょごにょと布団の下で何事かを呟く真昼。心なしか先ほどまでよりも顔が赤い気がする。一応もう薬は飲ませたが、流石にそんな速効性はないか。


「(でも言われてみれば、ここまで弱った真昼を見るのは初めてだよな……)」


 俺の知る真昼は元気で活発な女の子だ。もし風邪のウイルスが侵入してきても飯を食って寝ている間にあっさり死滅させられそうというか……完全にただのイメージだけれども。

 思えばここのところ、真昼は祭りやら花火大会やらで人混みへ赴く機会も多かった。直前に帰省していた疲れもあって、免疫力が低下していたのかもしれないな。


「しかし……なるほど。ここのところ真昼の様子がおかしかったのは体調不良のせいだったんだな?」

「え?」

「……え?」


 一人納得しかけていた俺に、真昼が一瞬きょとんとしたように首をかしげて……そして直後にハッとしたような――まるで「いいこと思い付いた!」と言わんばかりの表情を浮かべた。


「そっ、そうなんですよっ! い、いやあ、このところ体調が良くなくて、つい普段より変なテンションになっちゃってたっていうかっ!?」

「え……じ、自覚あったのか? さっきは『自分でも体調が悪いことに気付かなかった』って……」

「う゛っ!? え、えっとそのっ……!? そ、そうですっ! じ、実は少し前から具合悪いなーって思ってたっていうかっ!?」

「!? だ、だったらなんですぐに言わないんだ! 我慢してもっと悪化したらどうする!?」

「ひゃっ!? ごごご、ごめんなさいっ!?」


 つい声を荒立ててしまった俺に、真昼はがばっと布団を頭のてっぺんまで引き上げて隠れてしまう。……まったく、本当にどうして言ってくれなかったんだか。お陰で、彼女がなにか俺には言えないような大きな悩みでも抱えているのではないか勘違いし、青葉あおばに相談までしてしまった。

 とはいえ杞憂きゆうに終わったのならそれがなにより、か。


「……さっきも言ったけどさ」

「……?」


 俺の声に、布団の中の真昼がもう一度ひょっこりと顔を出す。


「次はちゃんと頼ってくれよ。今日みたいに目の前で倒れられると……その、なんだ……心配、するだろ」

「!」


 我ながら恥ずかしいことを言ってしまったと思い、頬をきながら微妙に目線を逸らす俺。そんな俺に、真昼は驚いたようにぱちくりと目をしばたたかせ――やがてふわりと微笑んだ。


「ふふっ――はい。次からは気を付けますね」

「お、おう、そうしてくれ」


 注意されたというのに一体なにが嬉しいのやら、にこにこと――以前までの彼女と同じように笑う真昼。……花火の時にも感じたことだが、どうにも俺は彼女がたまに見せる穏やかな表情に弱いらしい。


「じゃ、じゃあ俺は部屋に戻るから。ちゃんと水分って暖かくして寝てろよ、いいな?」

「はい――あっ、お、お兄さんっ!」


 なんとなく座っていられなくなってさっさと帰ろうとする俺のことを、真昼の声が呼び止める。


「い……今でもいいですか……?」

「? なにがだ?」

「そ、その……今、お兄さんのことを頼ってもいいんですか……?」

「今? そりゃいいけど……なんだ? なにか食いたいもんでもあるのか? ああ、それならコンビニでプリンでも買ってきて――」

「そ、そうじゃなくて」


 すると真昼は――そっと布団の下から片手を差し出してきた。


「ちょっとだけ――て、手を、握ってほしいです」

「は、はあ?」


 よく分からないお願いだった。……もしかして、風邪のせいで気弱になってしまっているのだろうか?


「だ、ダメ、ですか……?」

「い、いや、それくらい、別にいいけど……」


 と言いながらも俺は内心でかなり動揺していた。普段からテンションの上がった真昼に手やら腕やらを引かれることはよくあるのに、いざこうして正面から求められるとどうしていいか分からなくなる。

 それでも真昼の頼みだ、無下むげには出来ない。そもそも「頼れ」と言っておいてこたえてやらないなど、単なる極悪人じゃないか。


「……」


 俺がそっと――壊れ物にでもれるかのように右手を彼女の手のひらに当てると、彼女は俺の指先を包むようにして柔らかく握り込んだ。

 静かな部屋の中、真昼の体温が伝わってくる。……熱い。右手の指先だけが、燃えるように熱かった。


「……」


 見れば、真昼は真っ赤な顔で繋がれた二人の手を見つめている。どこかうるんだその瞳は妙につややかで――普段の可愛らしい少女とはまるで別人のようだ。


 ――どれくらい、そうしていただろうか。


「そッ! それじゃあ俺、もう戻るからな!?」

「は、はひっ! す、すみません、変なお願いしちゃって!?」

「い、いや全然大丈夫だったけどねっ!? そ、それじゃあお大事にっ!?」

「あ、ありがとうございますっ! おお、お兄さんも気を付けて帰ってくださいねっ!?」

「お、おうともさっ!? すぐ隣だけどっ!」


 どちらからともなく手を離した俺たちは、やがて一気に恥ずかしさの津波が押し寄せてきたように、互いに思いっきり顔を逸らしながら早口でまくし立て合う。

 そして俺は真昼の部屋を飛び出し――ちなみに真昼から鍵を借りてきちんと施錠せじょうした――、すぐさま自分の部屋に飛び込んだ。


「(うぐおおおおおっ……!? な、なんだこれ、なんなんだこれはっ……!?)」


 身悶えるかのように畳んだままのマットレスに顔面を打ち付ける俺。冷静に考えれば特になんでもないことのはずなのに、右手の指先に残る熱にとてつもない罪悪感を覚えてしまう。


『~~~~~っっっ!!』


 ちょうどその時、薄い壁一枚をへだてた向こう側からも俺の心境を表したかのように悩ましいうめき声が聞こえてきたような気がした。

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