第四〇食 こども少女とオトナ男子



「んぃだあっ!? ~~~~~っ!」

「こら、我慢しろ」


 うたたねハイツ二〇六号室に、色気のない女子高生の悲鳴が響く。部屋の中では消毒液を染み込ませたコットンを手にしたゆうが、真昼まひるの右膝に出来た真新しい擦り剥き傷を治療しているところだった。


「……はい、これで終わりな」

「うぐぅ~……し、染みました……!」


 言いながらテーブルの上にぽてん、と突っ伏した少女に夕は苦笑する。

 本日の体育祭、真昼の出場種目だったクラス対抗リレー。夕には運動はそれほど得意ではないと自称している彼女だったが、クラスメイトや組み合わせの妙も手伝ってなかなかの活躍を見せていた。見せていた……までは良かったのだが。


「まさか、バトンを渡した直後にすっころぶなんてな。すぐ後ろに誰も居なくて良かったけど」

「お、お恥ずかしいところを……」


 アンカーにバトンを渡し、気が緩んだのか盛大に転倒してしまったことを思い出して頬を赤く染める真昼。よりにもよってバトンタッチ――衆目の集まる瞬間に転んでしまったのが最悪だった。放送部の生徒に「おおっと一年一組、これは大丈夫でしょうかー!?」などと半笑いの声で実況されたことが恨めしい。


「でも、真昼が転んでまで頑張ったお陰で二位になれたんだぞ? だったらそれは名誉の負傷ってやつだよ。言わば勲章みたいなもんだ」

「お、お兄さぁん……!」


 夕のフォローに感激し、真昼は瞳をうるうると潤ませる。……まあ実際にはトップバッターの亜紀あきが開幕から高順位をキープしてくれていたのが大きかったのだが、それでも彼からこんな風に言って貰えることは素直に嬉しかった。


「お兄さん、今日はわざわざ観に来てくれて本当にありがとうございました」

「ん? ああ、こちらこそ。やっぱり祭りってのはいいもんだよなあ……自分が選手として参加するのは嫌だけど」

「あははっ。じゃあじゃあ、秋の文化祭にも良かったら来てくださいね。歌高うたこうの文化祭は毎年すっごく盛り上がるんですから!」

「へえ、行ったことあるのか?」

「はい! 中等部の学生は学生証だけ持っていけば出入り自由だったので、毎年ひよりちゃんたちと遊びに行ってたんです! 今年は私たちも絶対すごい出し物やりますから、楽しみにしててくださいね!」

「はは、気が早いなあ。まだ何ヵ月も先のことだろ?」

「えへへ、そうなんですけどね。……でも」


 そこで真昼は、ほんの少しだけ寂しげな目をしてうつむいた。


「去年までは……今日のお兄さんたちみたいに観に来てくれる人なんていませんでしたから」

「!」


 中学生の頃から実家を離れて一人暮らしをしていた真昼にとって、体育祭や文化祭、そして授業参観といった学校行事で両親に来てもらうということは難しい。

 実際、中学時代に親がこちらまで足を運べたのは進路選択に際する三者面談の時くらいのものだった。もちろん夏休みなどを使って帰省し、両親と話す機会をなるべくもうけるようにはしていたが……それでも彼女の父母が学校での真昼の様子を直接目にすることはほとんどなかったと言っていい。


「だから、今日は本当に嬉しかったんです。お兄さんに私の友達を紹介出来たし、私が頑張ってるところを見せられたし、それにおにぎりだって美味しいって言って貰えましたし……最高の思い出が出来ました!」

「……そっか」

「はいっ!」


 満面の笑みで頷く真昼に、夕は心の中で思う。こんなに明るく振る舞っていても、やはり彼女は寂しい思いをしてきたのだと。

 だが、少なくとも今の彼女はそうではないはずだ。一大学生に過ぎない夕では真昼の親代わりにはなれないだろうが……それでも彼女の寂しさをまぎらせることくらいは出来る。

 自分の存在が多少なりともこの少女の支えとなれるているなら――それは夕にとって本望なことだ。


 元より彼が真昼に料理を教えている根底には、彼女の特殊な生活環境そのものに対する危惧があった。差し出がましいかもしれないが……まだ高校生こどもの少女に、少しでも普通に近い生活を送らせてやりたいと思ってしまったのだ。

 それは温かい料理であり、誰かと共にする食事であり、気軽に相談が出来る大人オトナの存在であり。そのどれもが少し前までの真昼にはなかったもので――今の真昼にはあるもの。

 そしてそれこそが夕と真昼、二人を繋ぐ関係のすべてである……少なくとも、夕にとっては。


「……さあ、メシにするか。体育祭で疲れてるだろうし、今日は俺が作るからな」

「お兄さんが作ってくれるんですか!? わーい、なんだか初めて会った日を思い出しますね!」

「フッ、甘いな真昼……今日の晩飯はあんな料理とも呼べないベーコンエッグなんかとは比にならんぞ……?」

「えっ……? き、今日の夜ご飯っていったい……?」


 無駄に格好良く言った夕に、真昼がごくりと喉を鳴らす。ノリの良い女子高生に対し、自炊男子はこれでもかというほど溜めに溜めて――渾身のどや顔で告げる。


「――唐揚げ、さ」

「カラアゲ! やったー! 私の大好物ですっ! というかお兄さん、唐揚げなんて作れたんですか!?」

「おいおい、あまり俺を舐めるなよ? そんな生意気な口をく子には……フライドポテトも食らわせてやろう」

「キャーッ! お兄さん素敵ですっ! それじゃあ私はおにぎり作ります! 今度は塩加減が下手だなんて言わせませんから!」

「ほほう? 良かろう、ならば三度みたび審査してやろうではないか!」

押忍おす! よろしくお願いします!」


 謎のテンションで掛け合いながら、夕と真昼は揃ってキッチンへ向かう。

 そうしてこの夜、二人はまた少し親密さを増したのであった。

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