第196話

 私の名前は五十鈴川エルフ!!

 今、私は、玉椿町で地獄の特訓の最中にあった!!

 そう――!!


「ですから、キーボードを見てはいけません。見るのは画面です。人差し指にもっと意識を持っていってですね」


「キーボード見ないでどうやって目的の文字を打てばいいんですか!! おかしなことを言わないでください!!」


「ですから、人差し指の基本位置を覚えておくんです。いいですか、このJとFの位置を基本に、一つずつ指を割り振ってですね」


「先生!! 指は五本しかありません!! キーはいっぱいあります!!」


「その一つ上下と覚えるんです。大丈夫です、慣れればすぐですから」


「いっていることが無茶苦茶だぁ!!」


 自分より年下の女の子にパソコンを教えて貰っているのだ!!

 なんか、スッタダカダカダカスッタカターとパソコンのキーボードを打つ、中学生の女の子にパソコンを教えて貰っているのだ!!

 けれど、物理的に無理なことを言われて困っているのだ!!


 なんで、おかしいでしょ!!

 指は五本しかないのよ!!

 なのに、その五本の指を、キーボードの全部のキーに対応させるとか!!


 下の段と、上の段、さらにもう一つ上の段もあるんだよ!!


 三倍だよ!!

 三倍のキーがあるんだよ!!

 それに、よくわからないキーもあるんだよ!!


 押せる訳ないじゃん!!

 どうやっても無理じゃん!!

 意味分からないじゃん!!


 なんでそんなスッタダカダカダカスッタカターって打てるの!!


「んー、九十九ちゃん、こんな感じでいいの?」


「……はい、基本はばっちりですね、流石は廸子さんです」


「できるのぉ!?」


 一緒にパソコンを教わり始めた、なんか従兄のお兄ちゃんの彼女っぽい、見た目が完全にヤンキーな人が普通にできてる!!

 なんで!! なんでできるの!! 意味分かんない!!


 意味がわかんないよ、こんなの理不尽だよ――!!


「うわぁああああん!! 辛いよ、地獄だよ、意味分かんないよぉ!!」


「こら、そうやってまたキーボードを叩かない。ちゃんと基本に忠実に、教えたホームポジションをしっかり覚えていれば、誰でもできるようになりますから」


「うぇえええええん!!」


 私の地獄はまだ始まったばかり!!


◇ ◇ ◇ ◇


「はー、よっこいせと。ニートだから引っ越すにも荷物が少なくて済むわ」


「いらっしゃいボウズ。風呂にするか、飯にするか、それとも俺と稽古するか?」


「気持ち悪いギャグほんとやめて、セクハラですよ誠一郎さん」


 お前が言うかという顔が妻から飛んでくる。

 ついでに九十九ちゃんと、彼女にしごかれていた従妹の幸穂チャンからも冷たい視線を送られた。


 ひどい、これから一つ屋根の下、一緒に暮らすことになるのに。

 そんな人をセクハラマスターみたいな目で見なくてもいいじゃないの。

 まるで、犯罪者でも見るような目で見なくてもいいじゃないの。


 もう結婚しちゃったから、コンビニに行く理由に困らなくなって、セクハラする理由もなくなった俺に、これから真面目に旦那をやろうとしている俺に、そんな仕打ちをすることなんてないじゃないの。


 傷つくわ。

 ハートがとても傷つくわ。


 まぁ、それはともかく。


「これから一つ屋根の下、お世話になるよ。よろしくね九十九ちゃん」


「……はい、よろしくお願いします、陽介さん。できれば、可及的速やかに、お二人で暮らす家を決めて出て行って欲しい所ですが、こればかりは仕方ありませんね」


「これは、かんげいしているのか、されていないのか」


「九十九ちゃんてば素直じゃないから」


「いえ、私としましては、やはり若い二人が気兼ねなくいちゃつくには、実家を離れた方がいいかと。私も多感なお年頃ですので、夜中に聞こえてきてはいけないものを聞いては、成長に著しい悪影響を受けてしまうと危惧しているといいますか」


「しない!! しないから九十九ちゃん!!」


「流石に家族同居してたらそういうのは遠慮するから!! あと、普通に妊娠してるからそういうのは御法度だから!!」


「……安定期に入れば」


「「なんでそんなこと知ってるの!!」」


 冗談ですよと口元を隠して笑う元お子ちゃま女将。

 いったいどこでそういうのを習ってくるのだろう。


 というか、大人をからかうもんじゃないと思うんだが。


 神原家の教育はいったいどうなっているのだろうか。


 と、思った矢先、後ろで腹抱えて大爆笑している廸子の爺さんを見て気づく。

 そうね、この家はそういう家だったね。


 俺のセクハラの師匠が出てきてしまっては、もう何も言えないわ。

 この人たち、廸子は別として、遺伝子レベルでそういうの好きな人たちだったと思い出して、俺は同居を選んだのをちょっと後悔した。


 こんなことなら、美香さんたちみたいに、どっか安い空き家を借りるんだった。


「えっ!? 陽介さんここで暮らすの!? というか結婚するの!?」


「あ、幸穂ちゃんも来てたんだ」


「幸穂さん、前に説明しませんでしたっけ? 陽介さんと廸子さんができちゃった結婚したって?」


「「言い方!!」」


「……何ができちゃったの?」


「「そしておぼこい!!」」


 幸穂ちゃん。

 そこは普通に気がつくところでしょう。

 普通の女子高校生だったならば、察してしかるべきところでしょう。


 女子中学生でも知っている言葉をなんでしらないんだ、幸穂ちゃん。

 

 いや、別に知っていたら知っていたで、またきつい視線を向けられることになるから、それはそれで俺としては助かる。けど、一般常識として、知っていてもいい知識でしょう。できちゃった婚がどういうものかは。


「できちゃったというのはですね」


「「説明しなくていいから!!」」


「あー、けどー、そうですかー。お二人とも仲いいですもんね。結婚おめでとうございます。あ、うちのお母さんとお父さんには、私から話しておきましょうか?」


「……あ、はい」


「……よろしくお願いします」


 普通に祝福されちゃった。

 そして、宮川さんとこに連絡入れるのそういえば忘れてたよ。


 本当は、俺からちゃんと連絡しなくちゃいけないんだけれど。

 うぅん、まぁ、そう言ってくれるなら、それに甘えておこうかな。

 俺が挨拶したところで、今度は幸穂ちゃんの行為を無下にしちゃうし。


 弱気を察されて、げしりと肘鉄を廸子から食らう。

 なにすんだよとつっかかると、ちゃんとしろお父さんと赤い顔で言われた。


 お父さんて、お前。


 まぁ、そうですけれども。


 いかんな。

 むず痒くって、なんも言えなくなってしまった。


 廸子もなんか、お父さんと俺を言ったはいいけれど、そこからどうしていいのかわかんないって感じで、ちょっとフリーズしちゃってるよ。

 おいおいどうすんだこの空気って感じだ。


 にやにやと意地の悪い身内の視線が二つ飛ぶ中、悪い空気を断ってくれたのは、幸穂ちゃんだった。


「えっと、確かお二人は幼馴染みだったんですよね?」


「あ、うん」


「そうだね」


「すごいですね。幼馴染みで両想い、そして結婚なんて。漫画やラノベだったら王道みたいな展開じゃないですか」


「……んん、まぁ、そうかな」


「……言われてみると、そうかもしれないね」


「憧れるなぁ。私も、そんな恋してみたいなぁ。純愛だなぁ」


 言えねぇ。


 三十歳まではっきりしないまま、うだうだとした感じで付き合いつつ、最近ようやく踏ん切りが付いて男と女の関係になったら、思いがけず廸子が妊娠したので駆け足で結婚したとか、口が裂けても言えねえ。


 夢見る少女に向かって言える内容じゃねえ。

 ちっともロマンチックじゃねえ。


 そして、言いたそうにむずむずしている二人がいる。

 少女の夢をぶち壊そうとする、悪い神原家の人間が二人いる。

 やべぇ。


「あのですね、幸穂さん、実は二人は」


「あーあー!! そうなの、俺たちめっちゃ純愛!!」


「漫画みたいな感じで結婚したのよ!! ほんと、幼馴染み同士で結婚するとか、すごいでしょう!! 大恋愛だったのよ、もう、大恋愛!!」


「……大恋愛」


 ほぅっとした顔を幸穂ちゃんがした隙に、ささっ、もう遅いからと彼女を家の外へと案内する。


 すごいですね、どういういうなれそめだったんですか。

 プロポーズはいったいどんなだったんですか。

 そんなことを聞いてくる従妹に、適当に答えながら、俺はなんとかその場を誤魔化したのだった。


 これはあれだな。

 後で、駅まで送るのに、またいろいろ聞かれるな。


 俺の家でご飯を食べてくるように言って、神原家の居間に戻ると、いやらしい顔をした二人が待ち構えている。


「大恋愛ですか」


「純愛ねぇ。三十年もかけてするようなことかと俺は思うがね」


「だぁもう!! あんたら人がせっかく真面目にやろうとしているのに、そうやってからかうことないじゃないでしょうよ!!」


 がはは、うふふと笑う兄妹。

 これからこの人たちと、一つ屋根の下で暮らして行くのか。

 そう思うと、なんかちょっと不安が――。


「まぁけど、いいんじゃねえの。俺は嫌いじゃないぜ、大恋愛」


「私も、陽介さんがきちんと廸子さんと結婚してくれたことを、嬉しく思っていますよ。えぇ、大恋愛、おおいに結構じゃありませんか」


「……二人とも」


 あらためて、ようこそ、神原家へ。

 そう言われて、俺は、廸子に手を引かれて、彼らと同じテーブルに着いた。


 神原家の、小さな小さなテーブルに。


「よし、めでてえ日だし、今日は飲むか!!」


「だーめ。爺ちゃん、どさくさに紛れてそういうのはナシ」


「お風呂の順番はどうしますかね。陽介さんの今後のお仕事次第かと思いますが、やはり先に入られた方が」


「いやいや、九十九ちゃんが一番で良いよ。アタシらはその後で」


「……アタシら?」


「やらしーなー、廸子ぉ。おめぇ、もうちょっと実家なんだから遠慮しろよ」


「そういうんじゃねえって!!」


「……ははっ!!」


 思わず漏れた微笑みを不思議に見つめる顔はない。

 だって俺たちは――もう、家族なのだから。


「いやけど、お前、風呂入るの辛かったらちゃんと言えよ。それくらいなら俺も手伝うからさ」


「たんにアタシとふろはいりたいだけだろ」


「ようすけすけべー」


「陽介さん、そういうのはもうちょっと、子供の居ないところでやってくれます」


「かんばらいちぞくてのひらがえしうますぎてほんとこわい」


 ほんと、こわいわ。


 ははっ。


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