第187話

 誠一郎さんへの挨拶は終わった。

 俺も腹は据わった。


 残すは俺の両親達に、事情を話すだ。

 それに際して誠一郎さんは――。


「まぁ、あっちゃんがぐちぐち言うだろうが、あれは結局口だけだから。千寿の奴は、あれやこれやとプレッシャーかけてくるが、そこは上手く逃げろ。いざとなったらちぃちゃんを使え。あの子が出てくりゃ、なんも言えなくなる」


「……すみません、なんかこういうの、誠一郎さんに相談するべきことじゃないのに、相談に乗ってもらっちゃって」


「仕方ねえだろ。この町で一番修羅場くぐってんのは俺なんだから。あっちゃんも無茶苦茶やってるが、それでも徳治郎さんがいたからな。友達に向かって言いたくないが、徳治郎さんと二本柱で生活してたからなんとかなってただけだから」


「……返す言葉もございません」


「ほんでもって、徳治郎さん死んだ後は嫁さんが警察官に戻ったからここまで生きてこれた訳で。ぶっちゃけ、あいつ単品だととてもじゃないが生きてけてないぞ」


「ほんと無茶苦茶言いますね?」


「だってあいつ自分で愚痴ってるもん。お前らの前では言わんけどさ」


 え、親父、そんなこと誠一郎さんに愚痴ってたの。


 いつもの様子からはちっとも想像つかない。

 常に上から目線で、ろくでもないのに自信満々で、ほんとしょーもねーなこいつと思っていた親父が、誠一郎さんにそんなことを愚痴ってたなんて。


 いや、自分のことを考えればそんなもんか。

 俺もこうして誠一郎さんに、家族には言えない弱みを話している訳だし。


 そう思うと、なんだか嫌な汗が出てきた。

 誠一郎さんも、これみよがしににやにやとこちらを見つめている。

 まるで、ようやく気がついたかとばかりの悪い笑顔だ。


「おめーら親子揃ってほんとそっくりだよ。違うのは女の趣味だけかね」


「……うへぇ」


「まぁ、男は多かれすくなから子供の前では格好つけたがるからなぁ。あっちゃんだけじゃなく、だいたいの男なんてのはこんなもんだぜ?」


「まじですか?」


「消防団の飲み会に顔を出せ。みんな仕事の愚痴と家庭の愚痴ばっかだぞ。えらそうに自分を言う奴なんていやしねえ。会社や家庭だけで虚勢は充分なんだよ」


 消防団の飲み会。

 そういや、三ヶ月に一回くらいの頻度で、夏祭りやら防災訓練にかこつけてやっているが、そういう理由があったのか。


 みんな、自分に自信がある訳じゃないんだな。

 実際に父親になっても、この不安は続くんだな。


「まぁ、そういう訳だから、あっちゃんは俺が出れば黙る。いろいろ秘密を知ってるからな。どの口が言うんだよって、切り出されたらしまいよ」


「けど、それ言ったら、二人の友情にヒビが」


「それくらいでどうにかなるほど、俺らも浅い付き合いじゃねえよ。心配すんな」


 それより、なにより、やはり姉貴だと誠一郎さんは言った。

 あれは、ちょっとどう出てくるか分からないからな、と。


「なまじ千寿はシングルマザーとして気を張ってるのもよくねえ。誰にも頼らずに生きているっていう自負がある。美香の件はあったがあれは別口。自分一人で生きていけると思っている奴ほど、この世に厄介なことはねえ」


「……何か姉貴に対して借りがあればいいんでしょうけどね」


 ふと、ちぃちゃんを巡る、早川家のお家僧どのことを思い出した。

 だが、アレは俺が知っていただけで、別にその解決に何か寄与した訳ではない。


 女の細腕一つで、ちぃちゃんを育て上げている姉貴。

 いや、けど、家族にもそれなりに頼っているぞ。

 俺も、お袋も、ちぃちゃんの面倒見てきたし。


 ただまぁ、家に収入を入れているのも間違いないし。


 うぅん。


「まぁ、分からん。お前らのことをけしかけていた節もあるから、結婚することは反対はしないだろう。ただ、お前に無茶を言うかもしれん」


「無茶な要求ですか」


「アイツはけっこうなんでもできるからな、いきなり正社員で働けとか、そういうことを言ってくる可能性はある。手取りについても口出しするかもだ。稼ぐ能力については、ほんと、化け物だよ千寿は。とてもあっちゃんの子供とは思えない」


 そういう奴には、金を稼ぐのがどれだけしんどいというのが分からねえ。

 まるで今まで散々言われてきたみたいに、誠一郎さんはため息を吐き出す。

 そんなため息を今度は押し込むように、アイスティーのグラスの中に残った氷を口の中に放り込んでかみ砕く。


 俺もそれに習って、アイスコーヒーのグラスに残った氷をかみ砕くと、ようやく男達の密談は終わった――。


◇ ◇ ◇ ◇


「……そうか、廸ちゃんが妊娠しちゃったか。そりゃ、もう、仕方ねえな」


「けどまぁ、まだお医者さんで診てもらった訳じゃないんでしょう。勘違いの可能性もあるから。そんな焦る必要はないんじゃないかしら」


「いや、俺としてはもう宙ぶらりんな状態はダメだと思ってるんだ。けじめをつけるためにも、籍はちゃんと入れておこうと思う」


「……陽介」


 家に帰ってさっそく、俺は親父とお袋にことの次第を説明した。


 姉貴は例によって夜勤。

 ちぃちゃんは、もうすっかりと眠っていた。

 夜中のリビングで、俺たちは顔をつきあわせて、唐突な家族会議を始めた。


 男らしいこと言うことになったわねと涙ぐむお袋。

 対して、はーん、どこまで本気なんだかという感じの顔の親父。


 なるほど、こりゃ甘ったれの目ですわ。

 さすが誠一郎さん、よく親友のことを分かっていらっしゃいますわ。

 もうちょっと、こっちがどういう気持ちでこんなこと言ってんのか想像しろよ。


 と言いつつ、俺もこれからこの人たちに、いろいろと甘えられることは甘えようとしている人間なので、四の五の言える立場じゃない。


 お袋を同席させれば変なことは言わないだろう。

 これは誠一郎さんの入れ知恵だった。


 なので、二人に大事な話があると言って、俺は廸子の妊娠と入籍について切り出した。ただ廸子は同席していない。それはまた日を改めてにしておいた。


 誠一郎さんとの話だけで、俺と廸子は既に疲れ切っている。


 明日も廸子は仕事だ。

 俺も、職業訓練校がある。


 それこそ、ちゃんと環境を整えてからだ。

 いきなり結婚しますだなどと、話を切り出されても困るだろう。

 なまじ、俺らはご近所さまな訳。中途半端な話をして、話がまとまらないまま、妙なタイミングで顔を合わせて気まずい空気になるのは避けたい所だ。


 そう、それである。

 実のところ、この二人に対して、先に話をした理由はそこにある。


「で、頼みたいことがあるんだけれど。廸子と正式に挨拶ができるようになるまで、姉貴にはこのこと黙っておいてくれないだろうか」


「そうねぇ、同じ職場だものねぇ。変な空気になっちゃうと困るものねぇ」


「お互いギクシャクとした感じじゃたまらんものな。まぁ、理屈は分かる。だがお前、陽介、ちょっと男らしくねえんじゃねえのか? そんなこそこそと?」


「別に姉貴が廸子と同じ職場じゃなかったらこんなこと頼まないよ」


 まずは、廸子の今の生活をちゃんと守ってやる。

 彼女が産休を取得するまで、俺がしっかりサポートする。


 それが、今の俺がやらなくちゃいけないことであり、できることだ。


 誠一郎さんとの約束。

 廸子とお腹の子供を守るために俺がやるべきことだ。


 親父達を前にして頭を下げる。


「大丈夫、そんなに時間はかけない。というか、姉貴も薄々と感づいてはいるとは思う。ちょっとの間だけ。俺と廸子の時間が合う時まで、協力してくれないか?」


「分かったわ陽介」


「別にそれは構わんが……。陽介、お前、結婚なんてホントにできんのか? お前のような無職が? というか、お仕事決まるかどうか微妙なんだろ?」


「結婚してても無責任な男なんて世の中いっぱいいるわよ」


 問い詰めてきた親父にカウンターパンチを食らわすお袋。

 改心の一撃でも貰ったように何も言わなくなる親父。

 お袋もまたえぐいことをするもんだ。

 ほんと、今まで苦労をかけられっぱなしだったもんな。


 だが、それでも、俺は彼に向かって頭を下げた。


 下げるべきだと思った。

 廸子と、子供のために。


「正直、すぐに就職できるとは思っていないし、結婚することで責任を果たしたとも思っていない。これから親父にもお袋にも、もちろん姉貴にも迷惑をかけることになると思う。それを無責任だとなじられたら仕方ない」


「まぁ、そうなるわな」


「けれど、俺は、廸子と結婚したいと思っているし、お腹の子を幸せにしてあげたいと思っている。だから、力を貸してくれないか、親父、お袋」


 ふと、親父のこちらを見る目というか、空気が変わった気がした。

 何かが彼の中で腑に落ちたのだろう。


 相変わらず、自分のことは棚に上げて、偉そうな態度をとる、俺の遺伝子の半分を担当する男は、まったくどうしようもねえどら息子だと吐き捨ててきた。

 吐き捨ててから。


「まぁ、人間としてどうかってのはあるけれど、最低限、人の親っぽいことは言えるしできてるし、これなら大丈夫かね」


 と、俺を言ってくれた。


 どうやら親父も俺を認めてくれたようだった。

 まぁ、下手なこと言えばブーメランを投げる嫁が隣に居ては迂闊なことは言えないのだろう。


 とはいえ、その顔は、俺を祝福してくれているよう見えた。


 かくして親父たちへの話は済んだ。

 俺たちの問題はあと一つ。


 姉貴。

 彼女をどう黙らせるかだ。


 これはまぁ、追々考えるが、苦労するのは間違いないだろう。

 けど、親父とお袋が味方についてくれるなら。

 俺たちの結婚を認めてくれているのなら、たぶんなんとかなる。


 ふふふ、と、唐突に笑ったのは母さん。


「お父さん、偉そうに言っているけれど、徳治郎お爺ちゃんにアタシのこと紹介したときよりは、まだ陽介の方がマシなこと言ってるわよ」


「……そうだったかなぁ?」


「ようちゃん、あのね、お父さんと私が結婚したときなんだけれど、この人、実はその時会社でやらかして無職になって」


「やめろよ母さん、子供の前で!! そらもう済んだ話じゃないの!!」


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