第164話

「ダーリン。今日はどうやってようちゃんと廸ちゃんを困らせてあげようかしら」


「まったく困った人だなハニー。君という人は、その美しさだけで周りの人間を困らせるというのに、どうしてそこまで小悪魔なのか」


「あ、美香さんちーっす。今日もラブラブっすね」


「美香さん、実嗣さん、いらっしゃーい。相変わらずラブラブですね」


 あたし、田辺美香!!

 実嗣さんと幸せのお裾分けにマミミーマートにやって来たの!!

 そしたらびっくり、なんか普通に流されたわ!!


 なにこれ!! なにこれ!! どういうことなの!!


 いつもだったらようちゃんも廸ちゃんも、げっそりとした顔をしてこっちを見てくるはずなのに、どうして余裕なの!?

 私たちのラブラブパワーの前に、ひれ伏す二人が!?

 幼馴染みという関係性から前に進めないはずの二人が!?

 どうして平然とした顔をして立っているの!!


 これは間違いない!!


「ダーリン警戒して!! これは間違いなく何かあるわ!! いいえ、あったんだわ!! この二人に何かが!!」


「どうしたんだい美――ハニー?」


「あ、今日はダーリン・ハニー呼びでいちゃついてんですね美香さん」


「もー、本当に勘弁してくださいよ、美香さんも実嗣さんも」


「なにこの大人の余裕!! はっ、まさかあんた達!!」


◇ ◇ ◇ ◇


「やっちゃったのねー!?」


 やっちゃったとは。

 相変わらず言葉遣いが下品だな美香さんは。

 やっちゃったってアンタ。


 もっとこう、素敵な言い方があるじゃないのよ。

 そういう直接的な表現しかできないなんて、乙女力が足りてないんじゃなくて。


 そして、四十路も近いのにうろたえるなんて、まだまだなんじゃなくて。


 おほほ。

 俺は久しく感じたことのない優越感と共に、狼狽える美香さんを眺めた。


 そうです。

 一線を越えましたが何か。


 もうお前達のくそ甘ったるい空気に臆する豊田陽介では無いわ。

 こちとらたった一晩で、AからCを突破し、SにEのXに到達したのだ。


 恋愛経験値はこちらの方が上。

 結婚を前提としたおつきあいなぞ片腹痛いわ。

 もう結婚秒読みと言って差し支えない、むしろ結婚しないといろいろと申し訳ない段階まで俺たちは踏み込んでいる。

 君たちのように、性格の不一致で別れるみたいな選択肢、選べないのよね。


 うん――。


「どうしよう廸子、なんか、美香さんが察しちゃったっぽいんだけど」


「皆には秘密にしておきたいけど、よりにもよって美香さんにばれちゃったか」


 余裕綽々みたいな切り返ししたけれど、全然そんなことありません。

 内心もう、どうしていいのやらって感じでいっぱいいっぱいです。

 なんでよりにもよって感づくかな美香さん。

 俺と廸子は蒼い顔を見合わせた。


 遅かれ早かれ、こういうの態度に出てくる。

 俺たちもいつかは周りに言わないといけないとは思っている。


 ただ、もうちょっとこう、秘密の恋人期間を味わいたかった。

 せめて俺が再就職するまで、この甘ったるい関係のままで居たかった。


 けれどまさか、こんなすぐにばれるなんて。


 さすが美香さんというかなんというか。

 伊達に飢えているだけはあるな。

 長年、男に縁が無かったせいで、恋愛については鼻が利くようになった彼女に、迂闊に接した俺たちがバカだった。


 救いと言えば、この場にババアがいないことだろう。


 ババアとか、家の皆には、今のところ上手く隠せてるんだけどな。

 美香さんにはバレちゃったか。

 恋愛の脳美香さんを欺くのは、やはり難しかったか。


「ようちゃん、そして廸ちゃん。まぁ、あんたら二人いい歳だから、そういう関係になっちゃうのも仕方ないかなって、お姉さんも流石に思うわ」


「いやまぁ、逆に俺たちはいつになったら美香さんがそういう関係に」


「黙らっしゃい!! 今は私のことはいいのよ!!」


「……はい」


 いや、本当はよくないだろ。

 俺たちより、あんたらのほうが立場をはっきりした方がいいだろ。


 なにをいつまでも恋人気分で居るんだよ。

 二人ともアラフォーカウントダウン始まってんだぞ。

 だいたい美香さん、実嗣さんを完全に振り回しているけれど、割と端で見てて大丈夫かなって思うようなことしてるからな。

 今どきダーリン・ハニーなんて、普通の人間なら引くぞ。


「ハニー、そんなに声を荒げたらいけないよ。感情的になればなるほど、伝えたいことっていうのは伝わらなくなるものさ」


「でもダーリン」


 けど引かずにぐいぐいやるからほんとすげぇよ実嗣さん。


 なんなのこの人。

 聖人か何かなの。

 美香さんのこっぱずかしい要求に素面で応えられるとかどういう懐なの。

 ちょっと教えてもらいたいわ。そこんところ教えて貰いたいわ。


 まぁ、そりゃ今は置いとくとして。


 実嗣さんに諭されて、ちょっと落ち着いた美香さん。

 少しマジな顔をして彼女は俺を見つめてきた。


「ようちゃん、よく聞いて。ようちゃんは、廸ちゃんにひどいことしてる自覚をもっと持つべきよ。これだけ長いこと女の子を待たせてるんだよ。関係を持ってないから許されたけれど、関係を持ったからには責任を取らなくちゃいけないんだよ?」


「……もちろん」


 割ときつめに頭をどつかれる。

 返事が遅いと、美香さんは俺に向かって鬼の形相を向けた。


 玉椿峠のツインドラゴン。

 ツインテールオーガー。


 彼女は、俺と廸子のことを本気で思って声を荒げてくれていた。

 それにもっと誠実に応えねば。


「もちろんです、俺は廸子を幸せにします。そう思ったから、その覚悟を形にしたいから、俺は廸子と関係を持ちました」


「……陽介」


「口で言うのは簡単よ。これまで逃げてきたようちゃんに本当にできるの? いつも、千寿やおじさんに頼ってたようちゃんが、廸ちゃんを幸せにできるの?」


「します!!」


 今度はよどみなく、迷い無く、即座に答えた。

 そう言わなければいけないと心の底から思った。


 俺の発した言葉は重たい。

 これを言うことができずに、俺は今日という日まで来てしまったのだ。

 そりゃ、当然、俺にも葛藤はあった。


 けれどももう逃げられないのだ。


 逃げるのはもうやめだ。

 真っ向から、廸子と、俺たちの関係に立ち向かう。

 そう心に決めたからこそ、俺はあの夜、廸子を抱いたのだ。


 いまさら笑って冗談にして逃げられない。逃げたら廸子を泣かせてしまう。

 それだけはしちゃいけないんだ。


 だからこそ、俺は美香さんに対して胸を張った。

 背中に廸子の視線を感じながら、俺は彼女をこれ以上不安にさせないように、精一杯の男を見せて目の前の姉貴分の問いに答えた。


 もう一度、美香さんが俺を睨む。

 昔の俺だったら引いていただろうそれを、歯を食いしばってなんとか堪えた。


「……そう。なら、いいわ」


「美香さん」


「大人の恋愛に、口を出すのは野暮よ。私たち、もう分別の着いた大人でしょう。ようちゃんがそう決めたなら、それ以上、私も口出ししない。それに、ようちゃんが廸ちゃんに誠実であろうとする限り、協力を惜しまないわ」


 誰よりもめざとく俺たちの関係を嗅ぎつけ、誰よりも激昂した美香さんは、誰よりも深く俺たちのことを祝福してくれた。


 辛い時代が長かったのがそうさせるのか。

 それとも生来の気質か。

 たぶん両方だろう。


 彼女が見せたその表情は、俺の心を救ってくれた。

 廸子とのことを心から祝福してくれていると、そう感じられた。


 ありがとう、美香さん。

 もう一人の姉貴。

 姉貴の千寿が決して気づかない部分に目を向け、俺たちを導いてくれる人。


 貴方のような人が居てくれて、本当によかった。


「けれどね、ようちゃん、これだけは聞かせて欲しいの」


「……なんですか、美香さん」


「たぶんヘタレのようちゃんのことだから、きっとAくらいまでだと思うんだけれど。段階でいうと、二人はどこまで関係しちゃった感じなの?」


 あ、これ、分かっていない奴だ。


 肝心の、どこまでやったかまでは分かってない奴や。

 恋愛経験がなさ過ぎて、なんかあったのは分かるが、深度までは分からない奴や。


 もう完全に察されたと思って観念した俺たちは思わず顔を見合わせる。

 どこまで言っていいものかなと、顔を見合わせる。


 そして――。


「まぁ、A+くらいですかね?」


「+ってことは!? まさか、舌を!!」


「そこはご想像にお任せします」


「やだーっ!! もうっ!! 破廉恥!!」


 これ、Xまでいっちゃったって言ったら、どうなるんだろうな。

 きっと大変なことになるんだろうな。

 そんなことを思って、俺たちは美香さんに、関係性を虚偽報告した。


 うん。


 四十路ピュアピュア待ったなしはヤバい。

 はやく結婚しろ、美香さん。


「あのね、確か聞いた話によると、サクランボの茎で練習するといいらしいよ?」


「それはテクニックの指標であってトレーニングではないです」


 ほんと、はやく。

 なんとかして実嗣さん。


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