第105話

「ちぃちゃん、今日は学校お休みだし、よーちゃんと虫取りでも行こうか?」


「やっ!! ひかいちゃんとなぁとびするの!! よーちゃんはちぃのことはいいから、ゆーちゃんといちゃいちゃしてきなさい!!」


「休日はほら人の目が多いから難しいのよ。廸子も普通に忙しいし」


「やっ!! いーやっ!!」


 普通に断られた。

 今まで、遊びの誘いを一度も断られたことのない姪に断られた。

 これは、いったい、どういう、ことだ。(困惑)


 いやいや期。

 これが俗にいう、育児三大迷惑反抗期の一つ、いやいや期か。

 いや、玉椿町一のよいこちゃんであるちぃちゃんに限ってそれはない。


 これは何か高度な駆け引き。

 何者かがちぃちゃんを通して、俺に仕掛けてきた挑戦状。


 親父か、ババアか、まさか――廸子か。

 誰か知らないがいい度胸じゃ。


「ちぃ、遊びにきたぞー」


「ひかいちゃん!! いまいくー!!」


「待ってちぃちゃん!! えっ、ちょっと、マジで!! マジで俺より光ちゃんを優先しちゃう感じ!! ネタとかそんなんじゃなくて!?」


「だってぇ、ひかいちゃんとあそんでるほうが、ちぃたのしいからぁ」


 そんなぁ。

 俺とは遊びだったのね。

 ひどいわちぃちゃん。


 やっぱり若い子の方がいいだなんて。

 こんなにも、俺はちぃちゃんのことを愛しているのに。

 しくしく。


 なんて寸劇に見向きもせず家を出ていくちぃちゃん。


「はじめての友達に、ちょっとテンション上がっちゃってるんだなぁ」


 まぁ、仲良い子ができてよかった。

 俺は寸劇を止めると畳の上にごろりと寝転がった。


 はぁ。

 これでちぃちゃんの子守役もお役御免か。

 そろそろほんと、社会復帰を考える頃かもな――。


◇ ◇ ◇ ◇


「陽介? どうしたの? 頭でも打ったの?」


「……何が?」


 マミミーマートのイートインコーナー。

 俺はちぃちゃんが遊びに行ったのをいいことに昼間からそこに入り浸ると、コーヒーを啜りながらパンを齧っていた。


 コッペパンシリーズがマミミーマートは優秀なのよ。

 本当に優秀なのよこれが。


 それはそれとして、なんでそんな驚いた顔を向けられなくちゃならないのか。

 別に頭なんてうってやしないよ。いたって平常運転でございます。


 ――あぁ。


「もしかしてこれか?」


 手にしているそれを畳んで廸子に見せる。

 俺が思った通りだったのだろう、廸子はそうだとばかりにうなづいた。


 俺の手の中で開かれているのは情報誌。

 玉椿町近縁で募集されているアルバイト・パート・契約社員・正社員の情報がまとめられたフリーペーパー。イートインコーナーにあるのに減りが悪いのは、玉椿町の職業関係が完全に町の中で完結するから。外に出て仕事する奴はそういない。


 というか、残っていない。

 若い子がいないのだから仕方ないのであった。


 必要なのは俺みたいなやつ。

 若いのに、いろいろあって今仕事をしていない奴。

 あるいは戻って来て親元で再起を図ろうとしている奴。


 で、そんなもんを開いているのはなんでかと言われれば、ほかでもない。


「そろそろ次の仕事を探そうかなっておもってさー」


「……陽介!? 本気なのか!?」


「いや、就労許可出てないから本気もくそもねえよ。働けないってのはぶれない。けどまぁ、あれだな、傾向くらいは勉強しとこうかって」


「……まじかよ」


 やっと働く気になってくれたんだなって顔をする廸子。


 まぁ、そういう反応するだろうなって、それは覚悟してた。

 覚悟していたけれどやっぱりきついな。

 冊子だけ持ち帰って家で見るべきだったか。


 いや、そんなことをしようものならば、今度は廸子に代わって家族からの圧が強くなるだけ。しかも奴らは四六時中俺のことを監視しているから、そらもう相手するのが厄介なことこの上ない。


 やはりここで読むしかなかった。


 そわそわとした感じでこちらをカウンターから覗く廸子。

 別に客も居ないんだから、こっちに来て一緒に見ればいいのに。

 ほんと、かわいらしい奴。


「どうだ、陽介? 大阪の仕事の経験が生かせそうな会社とかありそうかぁ?」


「んー、ねえなぁ。中小ソフトウェアハウスなんて田舎にねえよ。そこそこの会社が密集している都会じゃねえと、あぁいうのは成立しない仕事よね」


「いやけど、ほら、リモートワークとかも最近はあるじゃん。よく知らないけど」


「あるにはあるけど正社員は少ないよ。フリーランスで業務請負かな。俺にそれだけの技術があるか――まぁ逃げ出した口だからお察しだわな」


 そんなことないだろと慰めてくれる廸子。

 だが、実際問題、俺のプログラマーとしての実装能力には問題があった。

 たぶん、業務請負だろうが、業務委託だろうが、先方の期待に応えられる品を作り上げることは難しいんじゃないだろうか。


 そしてなにより、俺にはコミュニケーション障害や、不安障害などという、まだ寛解していない病理が潜んでいる。


 実務能力よりもコミュニケーション能力が重視されるIT業界。

 そんな世界に戻れるとはちょっと思えないんだよな。


 うぅん。


「なにすればいいのかがまず分からんな。自分に何ができて、何ができないのか。情報系やって来て、それができないと分かった人間には、酷なUターンだぜ」


「そんなことないだろ。陽介だったらなんでもできるって」


「おう、なんでもできるよ。費用と時間をちゃんと出してくれればな」


 つまるところ、できないってことの皮肉である。

 あぁ、やだやだ、幼馴染に対してもぎすぎすしてくる。


 はぁ、と、ため息。

 俺は情報雑誌をたたむと、コーヒーのおかわりをしにレジ前へと移動した。

 じろりと廸子の冷たい視線がこちらに飛ぶ。


「なんだよ、もう、あきらめるのか?」


「んー、だいたい見たからなぁ。どれもダメだ。肉体労働系を除いたら二十万を越える求人がない。ボーナスもぼやかしてあるから、まぁ、年収二百も行かないな。それで未経験業種とか、ほんと新人からやり直すようなもんだ」


「あー、たしかに」


「前職の技術で食っていくには、もうちょっと都会に出なくちゃ」


「まぁ、それも、選択肢の一つではあるんじゃないの?」


「光熱費やら何やらがなぁ。実家住みの方が、どう考えても金は溜まる。まぁ、そこんところの折り合いつけて、いい仕事が見つかるといいんだけれども……」


 廸子からホットコーヒーのカップを受け取りドリップマシーンにかける。

 イートインコーナーに戻り、もう見る気も起きない情報誌を脇に、コーヒーを啜って外の景色を眺める。


 よく見てみると、ちぃちゃんと光ちゃんが、虫かごと網を持って駐車場横の公園で元気に遊んでいた。


 子供はいいよな、遊ぶのが仕事で。

 俺も遊ぶ仕事がしたかったぜ。


 そんなことを思う俺の隣に、突然廸子が座る。情報誌を取り上げ、ひょいひょいとめくって彼女は、これなんかいいんじゃないと俺に指さした。


 パソコン教室の講師。

 月給15万円。

 契約社員。


「給料めっちゃ低い上に契約じゃん。これはダメだろ」


「いやいや、ダメじゃないよ」


「どこが。ブラックとは言わないけど、こんなん男の仕事じゃねえよ。もっと稼がないと、お前を楽させてやれないだろ」


「いや、アタシも働くから、それは心配しなくていいよ」


 おっと。

 なんかちょっと男らしいことを廸子が言ったぞ。

 いやまぁ、働いてくれるのは助かるけれど。

 

 そっと廸子が指を這わすのは――勤務時間と残業時間。


「勤務時間、八時から五時まで、残業なし」


「いやいや、さすがに誇張でしょ。そんな会社、なかなかありませんよ、廸子さん」


「けど、本当だったら、アタシと一緒に夕飯食べれるぜ」


 ほら住所も近いし帰りにコンビニも寄れるし、一挙両得じゃんと笑う幼馴染。


 まったくもう。

 もう新婚気分ですか。

 そんな簡単にいくわけないけど、それで当然みたいに言う廸子のそういうところ。


 無自覚可愛いところは救われるよな。

 そうだな。


「仕事なんて別になんでもいいよな」


「うん? まぁ、そうだな?」


 それよりも大事なものがある。

 なら、それを大事に仕事を選ぶのも悪くないのかもしれない。

 嬉しそうに笑う廸子を見ていると、そんなことを俺は思うのだった。


 この笑顔には勝てんよ。


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