第91話
コンビニエンスストアで最も重要なのは煙草の取り揃えである。
そして、店員に最も求められるのは、お客様の好みを覚えて――いつもので煙草を出せる記憶力である。
というのを、ババアが前に言っていたのを唐突に思い出した。
「廸子さん、いつもの」
「はいはーい。キャメルね」
「……え、松田ちゃん、いつの間にそんな廸子とツーカーの仲に?」
「いや、別に、そういうのは特にないけど? なんで?」
いやだって、「いつもの」で、たばこを頼んだから。
ほんでもって廸子がすっとキャメルを出したから。
あれれ、あれれ、あれれれ。
どうして、どうして、どうして。
なんで、なんで、なんで。
いつの間に二人ってば、そんな足しげく通ったスナックの客とママみたいな関係になっちゃってるの。ちょっと、ちょっと、ちょっと、おかしいでしょ。
「やめてよね廸子!! 松田ちゃんは私の大切な親友なのよ!! それを横から、私の男みたいな感じで取っていくの勘弁してよ!! 松田ちゃんは、絶対に渡さないんだから!!」
「……いや、そっちにキレるんかい」
「え、なに? 廸子さんが怒られる流れじゃないよね、これ?」
ほんでもって松田ちゃんも、なに廸子に色目使ってんだよ。
アタイの知らない所で仲良くしやがって。
そういうのほんと勘弁していただける。
ちょっといけるかなと思ったけれど、アタイにNTR属性はないのよ。
親友をNTRされるのも、幼馴染をNTRされるのも、どっちもダメなのよ。
だからお願い――。
「なんでいつもので話が通じたのか教えてプリーズミー」
「いや、何度か買ってたら普通に覚えるだろ」
「いやけど、俺、ここでタバコ買ったの、これで5回目くらいだぜ?」
「3回も買ったら覚えますよ?」
「「マジで!?」」
すげーなコンビニ店員の記憶力。
というか、たったそれだけのやり取りで覚えることができるんだ。
俺とか、取引先の部長の好きな銘柄、覚えるのだって半年くらいかかって、いろいろとキレられたことがあったぞ。
「すごいなコンビニ店員の記憶力。というか、たったそれだけのやり取りで覚えられるもんかね。俺とか、ターゲットが吸ってるたばこの銘柄が分からなくて、結局Yah〇o!知恵袋に相談した覚えがあるぞ」
「……思うことは一緒だねえ松田ちゃん。ほんと、この親友感」
大切にしたい、友との絆。
そして、ポンコツ感。
友情は同じレベルの頭の持ち主の間にしか成立しないのだ。
そう、争いが発生しないのだと同じくらいに、それは真理なのだ。
とかまぁ、そりゃともかく。
「へっへっへ、すごいだろ。これでもアタシはここの従業員の中では覚えが一番いいんだぜ。これだけは千寿さんにも胸張って勝てるって言えるぜ」
「すごいすごい廸子」
「いや、たいしたもんだぜ、廸子さん」
へへ、と、嬉しそうに鼻頭をこする廸子。
けどまぁ。
驚いてなんだけど、割としょーもないスキルだよね。
まぁ、客商売するのには必要なスキルかもしれないけど。
そこまで効率よくやれればいいってもんでもないよね。
むしろ、逆にそんなすぐに覚えられると怖いというか。
もう少し、適切な期間を置いて、覚えてもらった方が――あ、俺もこれで常連か――みたいな安堵感があっていいといいますか。
なんにしても、そんなすぐに覚えてもらっても、そんなにうれしくない。
そんなことを思って俺と松田ちゃんは視線を交わした。
グッドコミュニケーション。
目と目を交わすだけで伝わるのはまさしく親友の証。
俺と松田ちゃんは、どうやら同意見らしかった。
「まぁ、なんだな。けど、たまにはほら、違う銘柄のタバコを吸いたくなるパターンもあるじゃない。そういうのもあるからさ、別にそんな大したことでも」
「あ、そういうレアパターンも漏れなく覚えておく。というか、お客様の気分とか体調とか察して、今日はあれだなってわかるようになって一人前だから」
「嫌な一人前だなおい」
「接客業を極めるにしてももうちょっと場所選んだ方がいいよ廸子ちゃん」
えぇ、という顔をする廸子。
どうやらご不満のご様子だが、もうはっきりぶっちゃけよう。
お前のやっていることはおせっかいに属することだ。
やめときなはれ。
まぁ、町の中、知らない顔がないからこそ問題にはならないし、冗談で済むけれども、これが都会のコンビニとかで起こったら、ちょっとした騒ぎよ。
え、ストーカーなの、みたいなことになりかねないよ。
「いいじゃん、向こうがいつもので言って、こっちがすぐ出せるんだから。スピーディーに効率化されてて文句なんてないじゃん」
「いや、文句とかじゃなくてね」
「普通にそのやり取りが異常ってことが言いたいわけでだなぁ。うぅん、どう説明した方が良いかな」
松田ちゃんがなんか考え込む。
頼むぜ松田ちゃん。
俺には廸子のやっていることを、うまく説明する自信がない。
彼女を改心させるには、いま、松田ちゃんの知恵が必要なんだ。
うぅんうぅんと唸る白スーツの男。
彼はひとしきり唸ってから、これで合っているかなという不安を顔に浮かべつつ廸子に向かって口を開いた。
「たとえばさ、知り合ってまだ数日しかない友達がいるとしよう」
「仮定の話だね。いいよ、うん、そういう友達がいました。それで」
「そいつがさ、唐突にさ――廸子さんって、あの陽介くんが好きなんですか、ありえなくないですか、あんなごくつぶしとか言ったらぎょっとするだろう?」
「ぎょっとしない!!」
「なんでだよ!!」
「全部事実だから!! 陽介がろくでなしなのも!! ごくつぶしなのも!! 好きなのも本当だからなにもぎょっとしない!!」
鋼メンタルかよ。
もっとこう、いろいと恥ずかしがってくれてもかまわんのだよ。
実際、恥ずかしい幼馴染なのだから。
って、そうじゃなくてね。
そこまでつきあいのない人に自分の好きな人を知られているって、それってなんか怖くねえっていうのが言いたいわけでしてね。
それはお前、どうなのよ。
「怖くないの。そんなのいきなり話されて。俺ならびっくりすると思うけれど。少なくともこの甲斐性なし相手なら、恥ずかしくって誤魔化すだろうな。俺は」
「松田ちゃん、おめーは俺の味方なのか、それともなんなのか」
「まぁ、ごまかしてもいずれバレることだし」
「そして廸子はなんでそこまで覚悟が決まっているのか」
いけない。
これはやっぱり松田ちゃんの説明があまりよくなかった。
廸子は俺のことに関しては、ちょっと馬鹿になっちゃうところがあるからな。
恋は盲目とはよく言うけれど、そんな感じになっちゃうからな。
なので、俺を引き合いに出したのはよくなかった。
うむ。
やはりここは廸子の専門家である俺の出番か。
「廸子や。松田ちゃんの説明ではピンとこなかっただろう。では、俺からお前にもよくわかる、自分のやっていることの怖さを教えてやろう」
「いや、だから、別に私は、仕事を真面目にやっているだけで」
「いいや違う!! それはただのお前の自己満足だ!! たとえお前が、俺に向かって――めっちゃ好みのエロ雑誌を、いつものですよねと満足げに渡してきたとしても、俺はそれを受け入れることはないだろう!! たとえ、お前が、いつものですよねと言って、TENG〇を差し出してきても、俺は感謝することはないだろう!! すなわち、お前が今、やっていることはそういうことだ!!」
「エロ雑誌もTENG〇も!! コンビニで買うなよ、アホ!!」
じゃぁ、どこで買えというのだ。
こんなジョークグッズを売っている店もない、玉椿町なんかで。
馬鹿もたいがいに言ってくれとため息をつく俺の前で、廸子は顔を赤らめる。
どうやら、分かってくれたようだな、自分のやっていることの恥ずかしさが。
「煙草も、エロ雑誌も、TENG〇も、プライベートに属すること。それを、いつもので済ますのには、それなりの信頼関係がいる。廸子。そういうことだ。何もかも早く覚えれば良いってもんじゃない。大切なのは、相手を思いやってそれを出すっていう、そういうサービス精神なんだよ」
「……そうだな」
「そして、エロ本もTENG〇も、よければ、俺にサービスしてくれても」
「それとこれとは話が違う」
ですよね。
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