ガチ論考ごっこ 劉裕家格考

ヘツポツ斎

劉裕家格考

○序文


 中国南朝の先駆けである劉宋りゅうそうを打ち立てた武帝ぶてい劉裕りゅうゆう、字は徳與とくよ。363-422)は、微賤の生まれ、粗野な武人、などとして紹介されることが多い。が、その背景を探ると、その家門は確かに高いと言い切れないにせよ、決して低いとも言い切れないことが分かってきた。そこで本稿は劉裕の家格について探り、「成り上がり」と称されることの多い劉裕栄達のルートを、より明確に描き出せるような下地を確保できるよう企図するものである。




○一 門閥もんばつ貴族の婚姻


 魏晋南北朝ぎしんなんぼくちょう期とは、門閥貴族社会であった、と言えよう。この当時の婚姻とは、同等の家格、あるいはやや高低差があったとしても、よしみを結ぶに値する(=家格を引き上げる価値のある)家格同士の紐帯を得る、という側面が大きかった。そしてこれは世説新語せせつしんごの方正編に載る下記の条文が示している。



 諸葛恢大女適太尉庾亮兒,次女適徐州刺史羊忱兒。亮子被蘇峻害,改適江虨。恢兒娶鄧攸女。于時謝尚書求其小女婚。恢乃云:「羊、鄧是世婚,江家我顧伊,庾家伊顧我,不能復與謝裒兒婚。」及恢亡,遂婚。……[1]


 諸葛恢しょかつかいの長女ははじめ太尉たいい庾亮ゆりょうの息子(庾会ゆかい)に嫁いだ。次女は徐州刺史の羊忱ようしんの息子に嫁ぎ、息子は鄧攸とうゆうの娘を嫁に迎えた。庾会が蘇峻そしゅんの乱にて殺されてしまうと、長女は改めて江虨こうひんのもとに嫁ぐこととなった。この時、謝尚しゃしょうが手紙を書き、諸葛恢の末の娘を嫁に迎えたい、と頼み込んできた。諸葛恢はこの頼みを断る。「羊氏や鄧氏は代々婚姻を結んでいる間柄。江氏は私が目を掛けている家、逆に庾氏は私に目を掛けてくれている。どうして我が家が謝氏と結婚する必要があるだろうか?」と。とはいえ諸葛恢の死亡後、謝尚は無事彼女を嫁に迎えたのだが。(以下略)



 ここから見出せるのは、東晋中期ごろにおける琅邪ろうや諸葛氏周辺の家格である。もっとも高位の家格が潁川えいせん庾氏であり、ほぼ同等の家格に諸葛氏、泰山たいざん羊氏、平陽へいよう鄧氏が並んでいた。やや下がり、濟陽さいよう江氏。そして東晋末には国内随一の家門として称されるようになる陳郡ちんぐん謝氏は、この段階では歯牙にもかけられない家門であったことが伺える。もっともそれは飽くまで諸葛恢の世代までの感覚であり、本文中に見られるように、下の世代の感覚では、もはや謝氏は盛族として認められつつあったことも伺えるのだが。


 以上のエピソードを参照すれば、劉裕りゅうゆうの姻戚を調査することにより、劉裕の家門がいかほどであったかを間接的に浮かび上がらせることが叶う、と言えるだろう。




○二 劉裕及び姻戚の家門について


 貴顕となる前の劉裕の姻戚は、以下が挙げられる。生母の下邳かひちょう氏。継母の蘭陵らんりょうしょう氏。栄達前の劉裕と結婚していた東莞とうかんぞう氏。上の弟劉道憐りゅうどうれんの妻の高平こうへいだん氏。下の弟劉道規りゅうどうきの妻のそう氏(本貫不明)。妹が嫁となった北地ほくち氏である。各家門についての来歴、及び婚姻当時の家格の手掛かりとなりうる情報を記すが、先だって劉裕の家門である彭城ほうじょう劉氏についても記しておく。



・彭城劉氏


 劉裕自身はかん高帝こうてい劉邦りゅうほうの弟、劉交りゅうこうの子孫ということになっている。この部分への疑義はひとまず棚に上げておき、ひとまず曽祖父の劉混りゅうこん武原ぶげん県令、祖父の劉靖りゅうせい東安とうあん郡太守、父の劉翹りゅうぎょう晋陵しんりょう郡功曹となった[2]。なお父は劉裕が幼い頃に死亡しているため、生存さえしていればもう少し高い官位には至っていたものと思われる。祖父が太守にまでのぼっていることを踏まえれば、それなりに高官の家柄であったと言えるだろう。

 一方、晋書しんしょには「彭城劉氏」と名乗る家門が他にも存在している。

 劉隗りゅうかい。やはり劉交の子孫として書かれており、永嘉えいかの乱に伴って江南の地に逃れてきた。そのひ孫の劉淡りゅうたんが、劉裕が間もなく皇帝になろうかと言うタイミングで廬江ろこう太守に就いている[3]。宋書そうしょ中には一切登場しない人物であるが、同郡人、同祖であることから、劉裕の家門の権威づけに何らかの関わりがあったのではないか、と思われる。

 劉牢之りゅうろうし東晋とうしん末を代表する将軍の一人であり、曾祖父の劉羲りゅうぎはその抜群の武力でもって司馬炎しばえんに仕え、雁門かんもん太守に至った。祖父は不明だが、父の劉建りゅうけん謝万しゃまんに仕え、征虜せいりょ將軍にまでなった[4]。いわば武将の家柄である。劉隗や、劉裕との血縁がどこまであったかは不明だが、劉牢之に引き立てられたことにより劉裕は立身の途に就いている[5]。この恩義に応えるためか、宋書では劉牢之を劉交の子孫である、としている[6]。無論実態は不明である。

 劉裕の家門が太守を輩出しているのであれば、ここで論を終了しても良いのだが、上の代の人間も権威づけとして追贈がなされた可能性も考えられる。やはり姻戚の官位についても調査を進めておく方がよいだろう。



・下邳趙氏、蘭陵蕭氏


 劉裕の生母・趙安宗ちょうあんそうは祖父の趙彪ちょうひょう治書侍御史ちしょじぎょし、父の趙裔ちょうえい平原へいげん郡太守となっている[7]。劉裕目線で眺めてみれば、父方の祖父、母方の祖父が共に郡太守であり、両家の家格がほぼ同一であったことを占えている。

 劉裕の継母である蕭文寿しょうぶんじゅは、祖父が蕭亮しょうりょう、侍御史。父は蕭卓しょうたく洮陽ちょうよう令[8]。郡太守は九品制で言うところの五品、県令は給与が千石以上だと六品、六百石以上だと七品である。侍御史は六品[9]。下邳趙氏と比較すると、やはりほぼ同格であるといえるだろう。

 余談だが、劉宋より禅譲を受けた斉の皇族は蕭文寿と同じ蘭陵蕭氏である[10]。



・東莞臧氏


 劉裕の妻、臧愛親ぞうあいしん。祖父の臧汪ぞうおう尚書郎しょうしょろう。六品である。父の臧儁ぞうしゅん郡功曹ぐんこうそう[11]。また兄の臧燾ぞうとうは、陳郡謝氏の謝玄しゃげんにその学識を高く買われていた[12]。

 下邳趙氏、蘭陵蕭氏よりはやや落ちる家門となるだろうか。これは劉裕の父が夭折したことにより、彭城劉氏の家格がやや低くならざるを得なかったからなのだろう。とは言え、その学識を陳郡謝氏に買われていたことを考えれば、必ずしもマイナスであったとも言い切れない。臧氏の姻戚となった、のであれば、何らかの形で謝氏に劉裕の存在が知られた可能性も有り得る。



・高平檀氏


 劉裕の配下将としてもっとも著名な檀道済だんどうさいの家門である。檀道済の妹が劉道憐の妻。父親は檀暢だんちゅうといい、永寧えいねい令となっている[13]。族父の檀憑之だんひょうし会稽かいけい司馬元顕しばげんけんの參軍として仕えている[15]。また関係性は不明だが、桓温かんおんや謝玄の配下将として戦い抜いた武将に檀玄だんげんがいる[15]。高平檀氏かどうかの情報は載っていないが、仮に檀玄と檀憑之が近しい血縁であったとすれば、高平檀氏は代々武将として戦ってきた家柄であったといえる。



・曹氏(本貫不明)


 宋書には曹氏とのみ載り、どういった家門の人物であるかは書かれていない。ただし 1969 年に発掘された「劉岱りゅうたい墓誌銘」[16](487 年に記銘されたもの)の記述から、彭城曹氏ではないか、との推測は許されるだろう。葬られた劉岱の曽祖父の名は、劉爽りゅうそう。一方で劉爽の孫には、劉裕の参謀として活躍した人物、劉穆之りゅうぼくしがいる[17]。劉穆之は劉裕から絶対の信頼を寄せられた人物である[18]。仮に異姓であったならば濃密な婚姻関係が結ばれていたとしてもおかしくない。それを裏付けるかのように、劉撫の息子の劉爽りゅうそうの妻は下邳趙氏、孫の劉仲道りゅうちゅうどうの妻は高平檀氏である。そして、ひ孫の劉粹之りゅうすいしの妻が彭城曹氏。ならば劉道規の妻も、彭城曹氏なのではないか、と――無論、飛躍気味の推論ではある。

 なお彭城曹氏は、晋書や世説新語中にその名が現れている。それによれば、王導おうどうの妻、蘭亭会らんていかい王羲之おうぎしの蘭亭序で有名)に参加した曹茂之そうもしなどが挙げられるという[19]。

 以上の人員を見ると、彭城劉氏に較べれば、彭城曹氏はやや家門が高いと言えなくもない。しかし正史に名前が残らないことを考えれば、劉裕の代には没落していたことも考えられる。劉道規は劉裕の七歳下の弟である[20]。劉道規が結婚適齢期になった時に劉裕が大きな武勲を挙げていた、と考えれば、没落家門の再起への賭けと、寒門の躍進のためのつながり作り、と言う利害の一致が見られたこともあり得よう。あるいは彭城曹氏とのつながりを経て、天下の盛門である琅邪王氏とのつながりを得ることが叶った、とまで想像を逞しくすることも可能であろう(劉裕の栄達の端緒として、宋書は琅邪王氏の王謐おういつに見出されたことを理由に挙げている[21])。

 無論ここまで話を広げれば、それはもはや、妄想にすぎないのだけれど。



・北地傅氏


 劉裕の妹が嫁いだ傅弘仁ふこうじん。その同郡同姓に傅亮ふりょうがいる[22]。劉裕の発布する詔勅類を一手に引き受けた、当代一流の文人である。もっとも、傅亮と傅弘仁との間の具体的な続柄は不明なのだが。なのでここでは「仮に近い親類であれば」の留保付きの話とはなる。

 傅亮は三國志さんごくしの時代、曹魏そうぎに仕えた文官である傅玄ふげんの子孫である。代々学者筋の家柄であり、父の傅瑗ふえんは学問で名を馳せ、桓温の参謀として名を馳せた郗超ちちょうに目を掛けられていたという。本人も安成あんせい郡太守になっている[23]。学者としての尊敬を集めてきた家柄である、と言えるだろう。



 以上を総括すると、元々太守クラスの人材を輩出し、趙氏や蕭氏とも通婚の叶う家門であった劉裕の家は、父である劉翹の夭折により没落の危機に立たされた。苦しい家計を何とか支える継母を助けつつ、劉裕ははじめ北府の将軍・孫無終そんむしゅうの下で武士としての頭角を現した[24]。次いで孫無終の上司であった劉牢之に、同郷同姓であったこともあり引き立てられた。この官途により臧氏、檀氏、曹氏、傅氏とのよしみを得ることができた、と言えよう。




○三 劉宋皇室の姻戚


 矢野主税やのちから氏「南朝における婚姻関係」[25]によれば、上記を除いた劉宋皇室と通婚した人物は以下のようになるという。


 ☆琅邪王氏 十五名

 ☆河南かなんちょ氏 九名

 ☆陳郡謝氏 六名

 ○盧江ろこう氏 五名

 □東海とうかいじょ氏 四名

 ○済陽江氏 四名

 ☆陳郡いん氏 三名

 □蘭陵蕭氏 三名

 ○汝南じょなんしゅう氏 三名

 □平昌へいしょうもう氏 三名

 ☆高平こうへい氏 二名

 □東莞臧氏 一名

 ☆陳郡えん氏 一名

 ○済陽さい氏 一名

 ☆太原たいげん王氏 一名

 ?丹陽たんよう氏 一名


☆印は東晋期第一流の家門

○印は東晋来の第二流家門

□印は姻戚や決起以来の同胞

?印は詳細不明


 史書に載らない通婚者も多くいるであろうことから、この数字がそのまま実績ではない。なお、劉穆之亡き後の劉裕の参謀役を務めた徐羨之じょせんしを擁する東海徐氏であるが、こちらの家門には、劉裕の初孫となった徐湛之じょたんしがいる(母親が劉裕の長女、劉興弟りゅうこうてい)[26]。徐湛之の存在ゆえに通婚が多かった、とも言えよう。

 総じて言えば、即位以降は元来の姻戚よりも東晋来の名門との通婚が多くなった、となる。ここに劉裕即位後の彭城劉氏が国内第一の家門として扱われるように変わった事実が見出せよう。




○結論


 東晋末、その圧倒的な武力をもって立身した劉裕が不世出の英雄であることは論を俟たない。しかしながら、評価がなされるにあたっては、その英雄性を強調するためか、さも劉裕が底辺出身であるかのように謳われている。その原因としては、宋代に司馬光しばこうが著した資治通鑑しじつがんの影響が非常に大きいと思われる。


 資治通鑑巻一一一には、以下の記述がある。


 及長,勇健有大志。僅識文字[27],以賣履為業,好樗蒲,為鄉閭所賤。

 劉裕は成長すると勇猛頑健、しかし知っている文字は数文字ほどしかなく、わらじを編んで生計を立て、ギャンブルを好み、郷里の者にいやしまれていた。


 これには出典元がある。魏書ぎしょ巻九十七島夷とうい劉裕伝である。


 恒以賣履為業。意氣楚剌,僅識文字,樗蒲傾產,為時賤薄。

 わらじ売りで生計を立てていたが、豪快にして粗雑な性分であり、知っている文字はわずか、ギャンブルで身を崩し、周囲からは軽蔑を受けていた。


 魏書とは北魏ほくぎ、すなわち劉宋の敵国の歴史を綴る書である。島夷劉裕伝とは、いわば「敵対勢力に風評被害をもたらし、その権威を損ねるための記述」である[28]。しかし司馬光は、その記述を劉裕の英雄性強化のために資治通鑑に持ち込んだ。

 司馬光の劉裕に対する歪曲は度を越しており、他にも宋書にある「数十人で千あまりの敵に囲まれたのを何とかやり過ごし、駆けつけてきた援軍と共に打ち破った」[29]と言う記述を「わずか数人で数千もの敵を打ち倒した」と改変している[30]。結果、無頼出身、けた外れの武勇を持った武将、と言う劉裕像が生み出されるに至った。なお、十八史略の記述もやはり資治通鑑の影響下に収まっている[31]。

 物語として劉裕を楽しむのであれば、そこに敢えて口を差し挟む必要もない。しかしながら、史書記述より劉裕を追うにあたっては、初めに参照することになるであろう資治通鑑に看過しきれない歪曲の跡がある。そのことについては、大いに注意を払って頂きたく思う。


 劉裕は不世出の英雄である。しかしながらその英雄譚を史書より手繰れば、単に武力一辺倒でのし上がったわけではないことが伺える。自分自身、その軌跡を探っている途上であるが、劉裕に興味を抱かれた方々が、いま流布している「物語」のイメージに引きずられすぎず、フラットな目で追って頂けるような手がかりを残すことができれば幸いである。 

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