第13話 祐純、あて宮に会って愚痴と夢の話を聞く
暫くしたある日、正頼が参内し、帝の御前へと伺候した。
「ずいぶんと長く顔を見せなかったな」
「はい。我が家にお産の穢れがありましたので、その関係でしばらくは」
「おお、そうだったな。その間のことはどうだったのか?」
帝は問いかける。彼もまた、娘の初産のことが聞きたくて仕方がなかったのだ。
「この頃殿上している男どもが、そなたの所で起こった興味深いことをあれこれと噂するのでな」
「は」
「そうそう、涼が行正を笑ったとはどういうことかな」
「いやまあそれは逆…… いえ、別に変わったことはございませんでした。ただ、兼雅の北の方が琴を弾いた時には、非常に趣深うございました」
「その琴はどういう由緒があるのか」
「何でも、尚侍が昔から弾いていた『りゅうかく』というものだと聞いています。そしてその琴は、生まれた子に与えたとのこと」
「おお、その子は素晴らしいものを手に入れたものだな」
「全く左様にございます」
すると帝は声を少し低める。
「……仲忠はその子のことをどう思っているのかな。可愛いと思っているだろうか」
おや、と正頼は思う。心配なさっているのだろう、と。
「存じません。あれがどう思っているか、までは…… ただ、こういうことを聞きました。子が生まれるとすぐに、喜んで舞を致したということです。そして毎日、夜昼問わず懐に入れて離さないのでございます」
そしてようやくほっとして帝は微笑んだ。
「そうか、満足しているのだな。どういう訳か知らないが、あの一族は女も賢い様だから、良かった良かった。さて、仲忠にも何か祝いをしてやりたいものだが…… 九日の夜の産養に行われた管弦はどうだったか?」
「琴を三つ、同じ調子にして弾きました。琵琶を女一宮、下さった和琴は院が大宮に御下賜になった『きりかぜ』という琴でございました。奥に置いておいた笛を誰かれに渡し、仲忠自身は横笛を吹きました」
「それは素晴らしい。何につけても心を込めてやったのは、子の生まれたことを嬉しいのだろう。きっと自分の手を伝えようと思っているのだろうな」
「本人もそう申しておりました。琴の秘曲を伝える人がなくてどうしようと思っていたところに生まれてよかった、と」
「あれにしては珍しく、我を忘れて喜んでいたということだな。仲忠も得意になってそんなことを言ったと見える。面白いことだ。音楽の家なども、なかなかの技量ならば、位を与えられても当然だろう。ところで和琴や琵琶は他には誰が弾いたのだ? 笙の笛は?」
帝は身を乗り出して詳しく聞きたがる。
「笙は弾正宮が。琴などは誰だったのでしょうか。何にしても、全てが一つ調子に合って、外れるということがありませんでした」
「そういう合奏に、一宮が寝たままで琵琶を弾いたのか?」
そう帝は言うと、嬉しそうに笑う。
「仁寿殿も和琴が上手いが。誰も彼もたいそう素晴らしかった夜だな。これを直接聴くことができたらな……」
思う様にならない身を帝はしんみりと嘆く。ことに音楽に関しては並々ならぬ執着を見せる帝のことである。残念だったろう、と正頼は思う。
*
一方その頃、藤壺には
ここ最近の我が家での出来事を彼は暫くつらつらと並べていたが、やがて話題は女一宮の産養に移った。
すると藤壺はふう、とため息をついた。
「どうなさいましたか?」
祐純は問いかける。
「いえ、宮は幸せですね、と思って」
「……それが」
「入内した私なんかより、ずっと良かったということですわ、兄上」
「! 何をおっしゃいます」
「だってそうではありませんか」
ふい、と藤壺は横を向く。
「あの方は皆が奥ゆかしい、素晴らしいと評判の仲忠どのと結ばれ、ただ一人の女として守られ、安心してお暮らしなんでしょう?」
「……御方」
祐純は言葉に詰まる。
「私なぞ、ろくでも無い何かと嫌な噂やら眼差しやら…… 東宮さまに嫌なことを吹き込む者も居ます。そんな中に放り出されて、いつも憂鬱です」
声の調子が今までとは違っている。祐純にはそう感じられた。
「東宮さまご自身も、さしてぱっとした方ではございませんし、その東宮さまですら、何かと面倒なことが起こりがちなので、最近では顔をお合わせすることもないのです」
何を言い出すのだ、と祐純は驚く。そんな兄の思いなど余所に、彼女は続ける。
「東宮さまは、私がいつも不機嫌なのが面白くないのです。私、気が付くと、里に居たころのことばかり考えています。さして長く生きる世の中という訳でもないのにどうしてまあ、こんな所に来てしまったのか、と……」
「そんなこと…… 御方、何てことをおっしゃる」
祐純は慌てて口を挟む。
「ゆめゆめそんなことを口にしてはなりません。東宮さまは性格も学問にも優れた方です。管弦なども誰と比べても劣ってはいらっしゃらないお方です。宮仕えなさる方には競争者が多いくらいの方が良いのです。人を羨んだりするのは……」
そしてふと思いつく。
「御方、誰か、昔の懸想人の中に格別お心に止まった方がいましたか?」
藤壺はぴくり、と扇を震わせた。祐純はその隙を突くかの様に言葉を投げかける。
「言い当てましょうか。仲忠でしょう」
「それは」
息を呑む音が祐純には聞こえる様だった。
「当時彼は身分は低かった。それでもあなたは何かと彼には御返事をしたそうではないですか」
「……あの方は筆跡が見事でしたから…… それが見たかっただけですわ」
「では今はどうですか? 見る機会は今でもございますでしょう。彼はまた大層上手になった様ですが」
「先日、女一宮に消息を申し上げたら、あちらから代筆で返事が来ました」
「その文を見せていただけますか?」
「え……」
「無論、何か彼からの私事もあるでしょう。そうそう、昔あなたに文を送った中には、今でも何かと思いをほのめかす者もあるのでは?」
「誰も」
ぽつりと藤壺はつぶやいた。
「そんな人、誰も居ませんわ、兄上。実忠どのなど、未だに私を恨んでいるでしょう。でもそれこそ、本当に私のことを思っていたということでしょうね。他には私に誠実だった方なんて」
「兼雅どのはあなたがお断りしたからこれと言った御消息もなさらなくなったのでしょう」
「そうでなくとも、元々仲忠どのの母君以外に脇見をする様なひとではないでしょう」
それはそうだ、と祐純は思う。だがこれだけは、と。
「仲忠は、結婚には元々気が進まなかったのです。そこを我等が父上が説き伏せて話をまとめられたのですよ。けどその結果として、彼が今、一宮と楽しく暮らしている訳です。その彼と今でも消息を交わすのはあまり誉められたものではありませんね――― また下手な噂を増やしたくは無いでしょう?」
「……」
「今でもあなたが入内なさったことを嘆くひとは多いのですよ」
「そうでしょうか?」
「ええ。例えば弾正宮。彼などはどうしようもなくてあきらめたのでしょうが、それ以来、どんな結婚話にもがんとして首を縦に振りませんのですよ」
「彼が私のことを本気でそう思っているとも考えにくかったのです。それに」
「それに?」
祐純は問い返す。
「人には言えない、もう一つの悲しく思うことが私にはあるのです」
「……それは」
「兄上にでも、それは言えません」
「そこまで仰有っておいて」
「口が滑ったのです。どうかお忘れ下さい」
「いや、もしかしたらそれは、私があなたに関して、ずっと感じて、様子をうかがっていたことかもしれません。どうか、どうかお話し下さい」
祐純は詰め寄る。
「……どうして兄上とてご存知な筈がありましょう」
「いいえ、私には判る。
息を呑む音が、祐純の耳に届く。
「そうなんですね。私はずっとそう思ってきました。あれは、あなたのために全てを失った奴です」
ああ、と藤壺の喉から声が漏れる。
「……ずっと夢に見るのです」
「夢に」
「仲純のお兄様は、じっと私を見ているのです。そう、あの生きてらした頃の様に。私は何も返すことができず、ただ……」
そう言って彼女は泣き崩れる。
その姿に祐純も思わず涙を誘われる。
「今までお聞きしなかったのは、こういった静かな機会が無かったからですが…… もっと早くお訊ねしておけば良かった。しかし一体、どういう訳でそんなことを……」
「言えません」
大きく首を横に振る。
「一生懸命に隠してらしたものを。ここで私が口にしてしまったら……」
「大丈夫です。大勢の兄弟の中でも、特に私と親子の契りを結んでいたような奴ですから……」
「ご存知なのですか。ご存知なのですね。なら、何もお隠しする必要は……」
嗚呼、と藤壺は喉の奥で嘆く様な声をあげる。
「最初はまだ小さな頃です。あのお兄様に私は箏の琴を習っていました。だけどその時から、何処かお兄様の様子はおかしくて……」
「そんな時からですか」
「そしてあの年頃、泣いて私をお恨みになったのですけど、……応えられる訳が無いことを!」
それは確かに、と祐純は思う。どうしようも無い、叶う筈も無い思いだったのだ。
「入内すればそれで何事もなく、ただのきょうだいに戻れると思ったのです。けどそれからも文をお寄越しになって……」
彼女は仲純からもらった最後の文を取り出す。
「これを持ってきてから間もなく、亡くなったという知らせが来ました。……このことを自分一人の胸に抱えているのが、ずっと、ずっと苦しかったのです」
そう言うと、堰を切った様にわっと彼女は泣き出した。
「仲純という奴は堅物すぎな男でした。だから自身を亡きものにしてまでも、あなた様に直接、言葉に出さず訴えもしなかったのですね。彼の後生を弔う営みをしましょう。まあ、言葉に出来ぬ思いと言えば、まだ入内なさっていなかった年の秋頃、あなたの様なひとを妻にできたらな、と思ったことはありましたがね」
そう言うと、藤壺もようやく泣くのを止めて、少し笑う。
「亡くなった方の様なことをおっしゃるのですね。仲純のお兄様は物を思い詰めすぎたせいか、はしたないことも少しありました」
「可哀想に」
祐純の口からほろり、とそんな言葉が漏れる。
ただそれがどちらに向けたものかは自分でも判らなかった。
「そう言えば」
祐純は話題を変えよう、と思った。さすがに亡き人のことをあまり続けるというのも心が重かった。
「彼が生きていたらきっとそうした様に、できるだけこちらへも伺おうと思っていたのですが、さすがに色々ありましてそうもいかず……」
今更の様なことを口に出す。
「お忙しいなら仕方がないことです」
「いやしかし、いつものことはいつものこととして、どうして今度のお産の御祝いのことなどは、ご相談くれなかったのですか」
藤壺は黙って苦笑する。
「女一宮に贈られたものなど、どうしてこういうものが入り用だと、我々におっしゃってくれなかったのです」
「それはかねてより東宮さまが、『そういう折りには考えよう。そなたの思うようにさせよう』と仰っていたので、その通りにしたほうがいいと思いました」
「しかし贈り物には黄金もずいぶん使ってあったはずです。あれだけのものを用意するのは大変だったでしょう」
「ええ、実は。東宮さまが帝に申し上げて、陸奥の国守から黄金をお召しになったりしました。けどそれでも足りずに、黄金は上の方に、下の方には別のものを入れた、と後で聞きました。誰かそれを見たでしょうか」
「仲忠が取り寄せて、たいそう丁寧に見ていたということです」
ああ、と藤壺は袖で顔を隠した。
「何って恥ずかしいこと。よりによってあの方に」
可哀想に、と祐純は思う。
藤壺の趣味の高さを理解できずに安請け合いをし、しかしそれなりに努力した東宮にせよ、決して悪い訳ではないのだが……
祐純は軽い挨拶をして退出する。
それ以上妹に恥ずかしい気持ちで自分の前に居させるのも可哀想だった。
*
三条殿に戻ると、祐純はすぐに北の大殿の両親の元へと向かった。
「用のついでに藤壺へお伺いに行ってきました」
すると正頼は身を乗り出す。
「おお、どうだったかね」
「ええ……」
祐純は藤壺でのあて宮の憂鬱の件、贈り物の件を二人に詳しく話す。
「成る程な。今度のお産の時のことを聞けばついそう思ってしまうのだろう。しかし世の評判はどうあれ、只人には限界があるものだというのにな…… まあ、人は見栄えや心や振る舞いが目につくものだ。だから仲忠の様な、その点で何もかもが優れた者と女一宮が結婚したことで、あてこそも嫉妬を感じるのだろう。……もっとも、それで東宮さまを軽んじるというなら少々何だが……」
ううむ、と正頼は腕組みをし、暫し考える。やがて納得した様にうなづく。
「しかしまあ、仲忠相手なら仕方が無いだろうな。あれはあまりにも飛び抜けていすぎる。それが共に育った女一宮に、他に女は居ないとばかりに尽くしていると聞けば、宮中にあれども、女という女誰でも嫉妬の一つもするだろうな」
「確かに」
祐純も口を挟む。
「男である私から見ても、仲忠は何と言うか…… 何をしたとしても許してしまいたくなる様な風情がございますからね」
まあ、と男達の話を傍らで聞いていた母大宮は呆れる。
「何せ亡くなった仲純なんぞ、あれを妻か子の様にしていたから、何処にも女を作らなかった程ですよ」
「仲純か…… そう言えば彼奴等は兄弟の契りを結んでいたと聞くものな」
「そうです。男同士ですらそうなのです。ですからそういう人と結婚できる機会が少しでもあったのにできず、宮仕人として夜も昼も心無いお仕えをしているとなれば、それはそれで非常に可哀想なのではないでしょうか」
すると大宮は手を挙げ。
「しっ、壁に耳ありと言いますよ。祐純、言葉には注意なさい」
「それでもね、母上。嘘なら慎まなくてはならないと思いますが、皆ある程度は感づいていると思います。子供の数は少なくとも、あれの母君の様にお育てするのがいいのでは? 何せうちは大勢でも、何やら皆豚の様で、役に立つ者は一人もなくて」
「まあ、何てことを」
「それでも役に立つと皆で期待していた仲純は若くして亡くなってしまった。それが私には残念で」
仲純、と聞くと大宮はかつての悲しみが揺り返されるのか、ふっと涙ぐむ。
「実は父上、母上」
祐純は意を決して切り出す。
「実は、仲純があて宮の夢に現れるというのです」
「何だと」
「何ですって」
正頼夫妻は同時に驚く。
「お聞きしましたところ、道ならぬ罪障のせいで成仏もできず、あの方の夢の中に現れたというのです」
間違ってはいないが、肝心なことを隠して祐純は打ち明ける。
「どういうことでそうなったのだろう?」
正頼は首を傾げる。
「我々やきょうだいを恨む筋合いなどあれにあっただろうか。官位は私の地位や、そなた達きょうだいの関係で、あれ以上につけることは無理だったことは仲純も知っていただろうに」
「父上、男の執念というものは何と言っても女のことに尽きるのではないでしょうか」
「何だと」
正頼は腰を浮かす。
「確かに仲忠のことは可愛く思っていたかもしれませんが、それはそれ。奥ゆかしい仲純のことでしたから、色にも出せない恋をしていたのではないかと」
「誰か、心当たりがあるのか?」
「ええ」
祐純はうなづく。そして言葉を慎重に選んで。
「中の大殿の宮達の中に」
宮、という曖昧な言葉で彼はぼかす。女御の生んだ一宮等は勿論、大宮の生んだ娘も某宮と呼ばれるのだ。
さすがにそれを聞いて、大宮はその場にわっと泣き崩れた。
やはりそうだったのか、と彼女は自分の考えが間違っていなかったことを確信した。
「だがそんな素振りは全く見えなかったが」
「ええ、そんな素振りはまるで」
大宮は小さくつぶやく。
そう、決して見せなかった。自分達両親の前では見せまいと努力していたのだ。それでも、判ってしまうものはあるというのに!
何故あの子は。大宮はふと自分があて宮を憎みそうになっていることに気付く。決して彼女のせいではないというのに。
「ともかく誰であれ、良かれ悪しかれ、男は男、女は女として、別に扱うべきでした。それは私の落ち度です」
「いやそなたの」
「いいえ、中の大殿の子達に関しては、私のせいです。皆始終一緒に暮らしていて、仲良く楽しそうだったから、それで良かったと思っていましたが…… そういうことが起こる可能性もあった訳です。可愛い姫達は大勢居ましたから、何処かで間違った心を起こしたとしても、仕方がなかった…… 私のせいですわ」
「相手は」
正頼の声にはっと二人は顔をあげる。
「女一宮ではないだろうか」
二人は唖然とする。呆れる。そんなこと、想像もしていなかった。
「そうだそうだ、女一宮だ。宮はあれに思われても仕方が無いくらい美しい姫だ。現に今、あの仲忠でさえ夢中ではないか」
正頼は自分の確信にやや嬉しそうに手を叩く。
その様子を見て、母子は咄嗟に視線を交わす。祐純は別の件ではっとする。
母は知っているのだ。彼は気付く。
正頼の間違いは可笑しい。だが祐純、そなたはどうなの?
そう彼女が問いかけている様に、祐純には思われた。
彼は思う。母には全く敵わない、と。
実際彼は、この現在の時点で、女一宮をほんのりと思っていたのだから。
無論「あの」仲忠が熱愛する妻となった今では、思ったところでどうにもならないと思っている。
それに彼には皇女の妻も居る。過ちを冒そうとは思わない。いつかこの思いも消えて行くだろう、その日を待っている。
「仲純には無理やりでも妻を持たせるべきでしたね」
「そうですね。その方が良かったかも、と今では私も思います」
大宮も同意する。
「誰であれ、それでも情が湧けば、仲純ほどの男のことですから、それを置いて病気になることもなかったでしょう。実忠とは違って」
「あれは少々情けのうございます」
大宮は吐き捨てる様に言う。
「まあ言うな。あれはあれなりの純情なのだろう」
「ともかく父上」
実忠への弁明はあまり聞きたく無い様な気もしたので、祐純はすかさず話題を変える。
「仲純のために、これから誦経をお願いします。その誦経の文には、執念の罪障を免れしめ給え、と書かせて下さい」
「おお、そうだな。今問題なのは仲純のことだ。早速手配しよう」
「そう、それも出来るだけ美しく――― 右大弁季英どのにお願いしたいのですが」
「判った。藤英に頼もう。仲純のために心を込めて願文を書いてくれ、とな」
それではお願いします、と言って祐純はその場から立った。
「何だねあれは」
正頼のつぶやきに、大宮は首を傾げる。
「たいそう真面目な男だと思っていたのに、何故いきなりあの様なことばかり言い出すのだろう。あて宮にせよ、仲純にせよ、そんなこと、考えもできなかったぞ。それが本当であれ何であれ、わしには考えつきもしなかった。いや、そんなことどうでも良いではないか」
このひとは、と大宮は内心嫌な気持ちになる。
正頼には恋をするという感情が無いのだろう、と彼女は常々思っていた。
確かに自分に過去、求婚の形の文を送ったことはあった。大宮も当時はその言葉に胸をときめかせたものだ。
が、一度夫婦として同じ屋根の下で暮らす様になって以来、そんな思いは何処へ行ったのやら。
確かに頼れる人ではあるのだが、若いひとの思いというものに、あまりにも無頓着になっていないか。
そう大宮は感じるのである。
だからつい、嫌味になってしまう。
「誰か綺麗なひとにでも、思いをかけているのではないですか? そのひとに望みが無いと思って、勝手なことを言うのでしょう」
母は気付いていた。祐純の一宮に対する思いを。
だが祐純の思いは決して叶わないだろうし、危ない橋を渡る男でもないことも知っていた。だから傍観していた。
しかしここで夫にそのまま言うのも何だし、―――と。
「全く、お互いに親しいのはいいことなんだが、恋愛沙汰まで引き起こすのは困ったものだな…… ともかく仲純のためには精一杯のことをしてやろう」
はい、と大宮は答えた。可哀想な子のために、彼女はできるだけのことをしてやりたかったのだ。
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