第16話 目隠し

【前回のあらすじ】

 期せずして海賊船「ブルーポラリス号」へと招かれたクィントだったが、その艦内で自分とミレニアを遭難させた元凶である赤いマリナーのパイロットと出会う。激高のあまり反射的に殴ってしまったが、シェフと名乗る隻眼片足の男にその場はおさめられた。




「あ。そこ段差あるから、気をつけてね」


「え? あ、はい……」


 海賊船ブルーポラリス号の荒くれ者達から、尊敬の念を込めてシェフと呼ばれる大男。

 彼につれられてクィントは船内をそぞろ歩く。


 船内には優れた空調装置があるらしく、室温は一定に保たれていた。また潜水艦であるためか、はたまた海賊船のみが持つ独特なものなのか、潮と生活臭とが混ざったような、不思議な「臭い」がこもっている。


 クィントの興味は尽きない。

 だが、彼の好奇心を十分に満たすには、ひとつ大きな障害があった。


「あの、なんで目隠しをされているんでしょう、おれ」


 そうなのだ。

 格納庫での騒動のあと、「船長に会わせる」と放言したシェフにつれられて上層甲板へと一歩踏み出した瞬間である。「そうだ少年。ちょいと失礼するよ」と、シェフはポケットから取り出した一枚のハンカチで、クィントの目元を覆ってしまった。


「うわっ、ちょっ!」


 抗議もむなしく、クィントはシェフのなすがまま、目隠し状態で手を引かれ船内を練り歩くことになった。どうやら人気ひとけのある場所を通っているらしい。時折、この状況をからかうならず者達の笑い声が聞こえた。


 シェフは言う。


「きみを歓迎するとは言ったが、悪いけどまだ信用はしていないんだ。あいにくブルーポラリス号の内部は我々の極秘事項でね。船長の許可が出るまでは、残念ながら非公開さ」


 そういう具合で、いまのクィントには視覚以外の情報しか入ってこない。いくら超人的な視力を持っているからといって、透視能力がある訳ではないのだ。


 しかし、感覚の一部が遮断されてしまうと、残された器官というのは逆に鋭敏になるものだ。聴覚、嗅覚、そして足裏を伝う冷ややかな床の感触。クィントは、いま持てるすべてを注いで、船内の在りようを測ろうとしていた。


 どうやらこのフロアは居住区であるらしかった。

 格納庫のように広い空間をワンフロアとして使用してはおらず、ブロック状の区画を縦列につなぎ合わせて構成させているらしい。


 目隠しをされるまえに一瞬見切れた光景のなか、丸い隔壁が幾重にも亘って設けられているのを確認した。おそらく浸水した際に、すばやく区画閉鎖が出来るようになっているのだ。


 格納庫との共通点として、フロアの真ん中を通用路が走っていることが挙げられる。また相違点としては、その両側にあるのがサイロではなく壁であり、壁面には等間隔にドアが配されていることであった。


 現状、クィントが知り得る船内構造は大体こんなものである。シェフが「段差」と呼んでいたのは、多分隔壁を通った時のことだろう。


 そんな「段差」をいくつか越えて、しばらく通路を行った時。

 突然、音の響きが変わる。どこかいままでとは違う、広い空間に出たのである。


「ふむ、分かるかい? 勘がいいね。ここは本船の第二艦橋だ。と言ってもまあ、ラウンジのようなものだがね。ちなみにこのうえが戦闘用の第一艦橋で、さらに奥に行ったところに船長室がある」


 極秘事項の割には、意外と気前よく教えてくれるものだが、いまのクィントにそんなことを気に掛けている余裕はなかった。


 船長室、その言葉の意味が持つ重厚な響きが、彼の心臓をわしづかみにする。そこにいるのは果たしていかなる者なのだろうか。この正真正銘の海の男の風情を持つ、シェフすらも従えるほどの人物とは――。


「ここだ」


 そう言ってシェフが立ち止まったのは、足裏に絨毯の柔らかさを感じた時だった。コンコン、とシェフがドアをノックする音が聞こえた。


「船長。例の遭難者をつれてきました。……入りますよ?」


 ガチャリ、と音がする。返事のないままシェフがドアを開けたらしい。そして、彼に手を引かれ、クィントは船長室だと思われる部屋に入った。


 まず感じたのは強烈な酒の臭気だ。

 何日も宴会をし続けたあとの、親方の家みたいな臭いがした。足元の絨毯はフカフカだが、その毛足のなかに細かい異物を感じる。

 掃除はあまり行き届いてはいないようだ。


「……」


 沈黙が続く。シェフも、そこにいるはずの船長も。

 かといって自分勝手に動く訳にもいかず、クィントは困惑してしまった。すると、何者かが彼の背中をドンと押した。


「わあっ」


 たたらを踏んだクィントは、すねのあたりをなにかにぶつけ、そのまま前につんのめる。しかし、倒れこんだ先は弾力に富んでいるらしく、一切の痛みを感じなかった。ばかりか、転ばぬようにとついた手は、なにか柔らかいものをつかんでいた。


 突如、クィントの目を覆っていたハンカチが外される。その時、彼が目にしたものは、自分の身体の下で悩ましげに横たわる全裸女性の姿だった。しばし呆然とした彼のたなごころは、女性の持つ見事な胸のふくらみを感じ、次第に汗ばんでいくのだった。


「ん……」


「どぅわあああああああっ!」


 女性の身じろぎに腰が抜けるほど驚いたクィントは飛びのいた。

 勢いよくベッドのうえから転げ落ち、そのままフカフカの絨毯に尻餅をつく。

 動悸が止まらない。


 ミレニアとの出会いを思い出させるような際どいシチュエーション。しかしその興奮と危機感は、あの時の比ではない。


「ぷっ、ぶわぁ~っはっは!」


 シェフが腹を抱えて笑っていた。手には、先ほどまでクィントの顔を覆っていたハンカチが握られている。


「え? な、なにっ?」


 うろたえるクィントをよそに、隻眼の大男は笑い続けている。


「はぁ、はぁ……お腹痛いっ。くくくくっ」


「だ、だましたな!」


「はい~? だましたって、なにを?」


「猛獣よりも厄介な船長がいるからって、こっちは緊張していたのに! なんだよ、あの裸の女のひとはっ!」


 震える指をベッドに向けたクィントだったが、目はまともにそちらの方を見れない。

 室内の印象はほぼ目隠しをされていた時と変わらなかった。足許には乱雑にものが置かれ、酒瓶が散乱している。

 典型的な片付けの出来ていない部屋だった。

 壁には子供が描いたような絵が貼られており、テーブル上にはおつまみの残骸と思しき魚の骨が転がっていた。


「なんだよって言われてもねぇ。見ての通りの二日酔いなんだが」


「そういうことを言ってるんでなくてっ」


 そんなふたりのやり取りがやかましかったのか、そうこうしていると、ベッドで寝ていた裸婦が「うるっさ~い」と飛び起きた。


 赤く燃える豪奢な髪に、絹のように滑らかな肌。そして、完璧とも思えるプロポーションが、クィントを圧倒している。そんな女性がいま、今年十五になる純朴な少年を前にして、一糸まとわぬ姿であぐらをかいているのだ。


 クィントは声も出ない。

 また、彼女の目はすわっていた。


「フランツ~? その坊や、だ~れ?」


 機嫌が悪いのか、かなりだるそうな口調で彼女が言う。酒臭い息が、クィントのところまで漂ってきた。おもわず露骨に顔をしかめる。


「紹介しよう。彼女が我がブルーポラリス号の船長、ヴィクトリア・エルマーだ」


「はあ?」


 クィントは耳を疑った。


「船長。彼が例の救難信号を送っていた人物です。名はクィント・セラ」


「あっそ。じゃあ、くわしいことはまたあとで聞くから、とりあえずテキトーに船内でも案内してあげればぁ~? わたしはもうちょ……っと寝……」


 それだけ言うと彼女は再びベッドにつっぷし、再び夢のなかへと旅立っていった。


「よかったな少年! 船長の許可が下りたぞ!」


 クィントがまだ狐につままれたような顔をしていると、彼の背中をシェフがドンとたたいた。我に返ったクィントがポツリと「許可それって本当に必要なことだったんですか」と聞くと、シェフはなにも言わず、ただニヤリと口元をゆるませるだけだった。


「やっぱり……」


 クィントはその場に崩れ落ち、深いため息をついた。


「あ! そーいやさー」


 と、急にヴィクトリアが起き上がり、クィントをまじまじと見つめて言った。


「なんであんた裸なの?」


 あんたにだけは言われたくない、とクィントは心の底からそう思った。



〈つづく〉

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