#5 +αの異能者
東京某所にある――異能力特別調査隊の施設。見た目は立派なオフィスビルのようになっており、入り口の自動ドアは、網膜認証システムと、指紋認証の二段階のセキュリティシステムによって守られている。
学生の俺たちには畏れ多いようなシステムに感じるが、政府が指定した施設であるため、普通に利用させてもらっている。
システムを解除する前に、周囲に誰もいない事を確認する。近くに人間がいた場合、俺の後に入り込むことが可能になるからだ。
「よし、大丈夫だな」
安全を確かめた後に俺は二つのセキュリティを解除し、そしてすぐに封をする。俺たちがいつも使っている部屋は四階にあるが、そこまで距離もないので、階段で向かうことにする。
エレベーターの前には、観葉植物と、円筒型の大きな灰皿が置かれている。ここで喫煙してねということなのだが、俺達が今向かっている部屋にいる人間は、そこでは滅多に吸わない。
「失礼しまーす」
挨拶をしてドアを開くと、まるで古い映画に出てくる探偵事務所のような風景が広がっている。俺達はここでデスクワークをしたり、備品としてあるポットでコーヒーを作って飲んだりしている。まあ、普通のオフィスと変わらないような感じだ。
デスクスペースの前には来客用(と言ってもここまで客が来るのは珍しい)のソファーが置かれているが、その上に彼はいた。
圧倒的な実力を持つ異能者――。しかし、目の前にいる男はそんな雰囲気を微塵も感じさせず、ただ椅子にもたれかかってダラダラとするだけだ。
細身の体にあっていない V ネック。ズボンはだらんとされ垂れ下がり、肩ほどまである黒の長髪がベージュ色のソファーに流れる。
零さんの髪は、異能力特別調査隊の女性陣も憧れるほどサラサラで、天断もどうやって毎日ケアしているのかと聞いたことがあるらしい。
羽谷 零。学生だらけの異能力特別調査隊の中で、唯一のおっさんだ。俺は買ってきたおやつをテーブルの上に乗せて男の向かい側に座る。さっそく彼の手がその袋に伸び、袋をガンガン開けていく。
「零さん、そのポテチ好きですよね」
「美味しいぞ。コンソメがよく効いていてオススメだ」
「いや、俺のり塩派なんで」
「嘘だろお前……ポテチといえば、絶対コンソメに決まってる。それ以外は認めない」
剣兄さんが買ってきたタバコをふかしながら、零さんはポテチの袋をあっという間に空にした。刺激的な煙の匂いが俺の鼻をツンと刺す。
部屋の扉が開いて、マグカップを持った天断がやってくる。はい、と手渡されるカップの中には、俺の大好きなコーンスープが入っていた。ふーふーと冷ましながら、頂くことにする。
「あーそうだ。零さん、俺ちょっと異能の実力を上げたいんですよね」
「ならトレーニングルームで一戦やろうか。お前の今の実力を見なきゃ、合ったアドバイスもできないし」
「いいんですか? 疲れているって言ってたのに」
さっきのだるそうな感じはどこへやら。バトルと聞いた瞬間、零さんの目がキラリと輝く。
「話を振ってきたのはそっちだろう? なに、少しのバトルぐらい大丈夫さ」
「じゃあよろしくお願いします。零さん」
「あいよ」
無機質な廊下を通り抜け、零さんと俺はトレーニングルームへと向かう。異能力者用に設計されたその部屋は、たとえ俺の異能で焼き焦がしても傷が残らない。
そのため、よく異能のシュミレーションに使っているのだ。面積は、学校の体育館より少し小さいぐらい。体を動かすには十分な大きさだ。
静かな音を立てて自動ドアが開く。入り口に用意されているタブレットに手を当てると、様々なメニューが浮かび上がる。その中で《荒野》戦闘モードを選択。
荒野ステージは大きな石や枯れ木が障害物となっており、これをうまく使えるかがポイントになるフィールドだ。
「この前俺が北海道に行った時は、異能で熊とやりあうやつもいたな。一緒に戦ったりもしたけど、俺が不要な時もあったぐらいだ」
「クマですか!? 下手したら死ぬんじゃ……」
登山に行って熊に食い殺されたという話はニュースでたまに聞く。食物連鎖の崩壊や森林伐採によって、山で餌が取れなくなり、昔よりも獣が里に下りてくる回数が増えているのだ。関東でも猿による農家の被害は甚大になっているという。
俺たちは何でも屋なので、そういった害獣たちの討伐依頼もよく受けるのである。
「北海道のやつは日常茶飯時だって言っていたぞ。都会民は少し鍛えた方がいいんじゃないか?」
「といっても東京に熊は出ませんし……」
「分かんないぞ? 昔はでなくても今はいろんな奴がいるから、熊も出るかもしれない」
ははは、と笑う零さん。しかしその目は笑っていない。これは本気で言っているんだ、と俺は思った。
戦闘モードを開始するボタンを押し、二人の間に文字が浮かび上がる。三十秒のカウントが始まり、その間に異能を発動。
俺は、体にまとったスパークを白虎の形に変えるが、零さんは何も準備をしようとしない。目を瞑って静かに時が過ぎるのを待つだけだ。
三十秒のカウントが終了し、スタートの文字が表示された瞬間に、両者の体がかすむ。双方ともに全力で相手を倒しにかかる。
「俺が見ないうちに早くなったな……」
「零さんこそ! 負けませんよ――雷虎、出番だ!」
白銀の体毛を持つ虎が、両者の間に割って入る。ガルルと唸りを上げて、長身痩躯の男に襲いかかる。
だが彼はそれを狙っていたようだ。ニヤリと口端に笑みを浮かべて、大きく後ろに飛び退る。そして瞬間転移。ヴゥンという低い音とともに、零さんの姿が消える。
目標を見失った虎は、金色の双眸を限界まで見開いて辺りをキョロキョロと見回すが、零さんの姿はどこにも見当たらない。
「零さん、どこに行ったんだ……?」
「ガルウゥ……?」
俺と白虎の一人と一匹が揃って首をかしげた、その時だ。
「乖離――華よ、乱れ咲け」
よく通る静かな声で、異能の発動を告げる声が聞こえてきた。とっさに身構えるが、もう遅い。刃のような切れ味を持った赤い花弁によって、石が次々に砕かれる。
そして砕かれた石の破片が容赦なく俺を襲い、あっけなく勝負が終わってしまった。未だに何が起こったのか分からない。一瞬の出来事だった。
砂煙が立ち込めるなか、零さんは飄々としていた。俺はなんとか立ち上がり、彼の元へと向かう。
「俺が教え始めた時に比べればだいぶ成長したと思うけれど、まだまだ俺に届くには時間がかかりそうだな」
「いやーやっぱり敵いませんねぇ……零さん強すぎますって」
「まあな。お前らに負ける気はないよ。アドバイスといえば……そうだな。雷は異能で大分体力を消耗しているように見える。それが課題だろうな」
「あー……そうですよね。まだ虎の異能が制御しきれなくて。それで無駄に体力を使ってるんだと思います」
「体力の消耗は命取りだぞ? もう少し効率のいい戦いを探したほうがいいと思うが……そうだな。一回、虎を呼んでくれ」
俺は頷いて、白虎を呼び出す。異能の回復は人間より早く、すっかり治った虎はくるると吠える。
「おー、いい子だ。前までは噛みついたりしていたけど、甘噛みを止めたんだな」
「ガルウゥ……」
最初、俺に異能者になる資格があると家に通達が来たときは、驚いたものだ。別にテストをしたわけではなく通達が来る二週間ほど前に脳波を測る検査をしたぐらいだったのだ。
それがニュースで話題になっていた異能を扱える異能者としての検査だとは思わなかったので、俺を含め学校中のほとんどの人間が普通通りに検査をパスした。
通達が来たあとに、俺は異能力特別調査隊に入ることになった。様々なチームを選ぶことができたが、このチームがなんとなく一番いいような気がしたのだ。
その勘は当たり、個性豊かなメンバーと一緒に今までいくつもの依頼を片付けてきた。その中心にいたのは、このおっさんだ。
不思議でつかみにくい性格ではあるが、帰ってきた時にはいつもフレンドリーに接してくれる。そんな零さんが、俺を含めてメンバー全員好きなのだ。
分析も正確だし、人物的にも頼れる。異能力特別調査隊に、なくてはならない存在だと言っても過言ではないだろう。
「よし、いい感じになったぞ。これでエネルギー消費を抑えられるはずだ。少し威力がダウンしたが、カバーすればどうにでもなるからな……天断もレベルアップしているし」
「白虎、よかったな!」
「グルルッ!」
虎の頭を撫でてやると、首を擦り寄せてきて、ふわふわの体毛が俺を包みこんだ。とても温かくて、気持ちがいい。
「今、俺がやったのはパワーバランスの調整だな。異能も攻撃特化、防御特化、バランス……などなど、いろいろとカスタマイズできるそうだ。これは最近わかってきたことらしいが……まあ、また困ったことがあったら俺に相談してくれよ」
「ありがとうございます、零さん!」
「おうおう」
やっぱり、零さんは頼りになる。今度来たときは、コンソメ味のポテチを大量に買ってこようと俺は思った。それも、零さんが食べきれないぐらいに。
「そうだ、少し異能の力をいじったから……使い勝手も試しておいたほうがいいだろう。しばらくトレーニングルームで練習しておけ」
慣れた手付きで、零さんは入り口にあるタブレットを操作し、敵を生成する。スライムのような形をした異型のモンスターがいくつも地面から湧き出てきた。
「ありがとうございます! よし、白虎――パワーアップしたお前の力を見せてやれ」
「グルオオォッ!!」
白虎は勢いよく走り出す。よほど零さんに診てもらえたことが嬉しかったのか、飛び跳ねるようにしてスライムたちに襲いかかる。それを見て俺の心も踊る。
両者が繋がれたような一体感に身を任せ、しばらくの間、俺達はトレーニングルームで戦いを続けていた。
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