ソード・アンチノミー
Penドラゴン(案乃雲)
【1章】異世界への来訪者(トリックスター)
【1-1a】少年が異世界へ招かれた理由
頬に当たる冷たい感触で少年は意識を取り戻した。
起き上がると体の節々が痛む。寝るにはふさわしくない土の上に伏していたらしい。頬や黒色のブレザーに張り付いた土を払い、視界がぼやけた目を手で擦る。
眼鏡がない。辺りを手で探ってもそれは見当たらなかった。
目の前に誰かが歩み寄ってきたので、そちらを向いた。
ぼやけてよくわからないが、黒くウェーブのかかった長髪の女性の後ろに銀の鎧を来た人の群勢が控えている。一人ひとり長い棒…いや、槍や剣を携えていた。
少年に女性がコツコツと靴音を鳴らして目の前まで歩み寄り、やがて跪く。
「------ ---- --- --------- -----.」
日本語ではない何かを言ったくらいしか分からず、え? と聞き返した。
「----- ---------.---, ------, ---- ------- ------.------- -----, --- --- -------- ---------- --- ----. --------------.」
何やら長い話をしているようだ、くらいしか少年は理解できなかった。昔、通りすがりの外国人から何かを尋ねられたような感覚を思い出してしまった。
辺りの景色を見回すと、ここは大理石を床に敷いた広場らしい。しかし、大理石は女性が跪いているところで途切れて、少年のところで黒い土になっている。
黒い土の地面をたどって振り向くと、言葉にならない何かが口からこぼれたようだった。
わずか数メートル先に巨大な何かが壁のように立ち塞がっていた。
黒い土から生えた並木の幹ほどの太さの木々が幾重にも重なって巨大な、それは巨大な一本の連理木となっている。その表面に緑の蔦が生い茂っていた。
青空の果てまで届きそうなほどそびえ立つその存在に、東京スカイツリーですら間近で見たことがない少年は勢い余って背中を反り、仰向けに倒れた。
薄れていく意識の中で少年は言葉を紡ぐ。
「なんなんだよ……、これ……」
「■■■,■■ ■■■■■■■?」
冷静で優しさが感じられるような、しかし何を言っているか分からない男性の声で目を覚ますと広い部屋のふかふかなベッドの上だった。
そして、ベッドの傍には何者かが椅子に腰をかけているが、また眼鏡がないようでボヤけている。
その何者かが眼鏡を手渡したので、受け取ってかけると、いつもの鮮明な視界を取り戻した。
傍にいたのは20代に見えなくもない男性。
赤色のフードがついたローブを羽織り、銀色の長髪を後ろで結っている。肌は中東人のように浅黒く、目はニッコリ笑っている様に見えるほど細い。
そして、耳が所謂エルフのように尖っていた。
「■■■■■. ■■■ ■■■■, ■■■■■■■■■■■■■■.」
エルフ耳の男性は聞き取れない何かを言うと、懐からブローチを取り出した。青色のドーム状の宝石…、というよりはガラスのドームに青色の絵の具を混ぜた水が入っているようで、雲のような青色が今も動いている。
それを、一度は遮った少年の手を払ってブレザーの胸ポケットの位置に取り付けた。
すると、キーンと透き通るような音が鼓膜を揺らして、視界も波紋が立つように少し歪んだ。頭を押さえて違和感が収まるのを待つと、
「聞こえるかな? 少年君。私が言ってることが分かるかい?」
先程何かを言っていたエルフ耳が日本語を喋っている。しかし、口の動きを見ると言葉と合ってないように見える。例えるなら外国の実写映画に日本語の吹き替えがついているもののようだ。
少年が「はい」と答えてみると、「それはよかった」と返ってきた。
「それは『読心のブローチ』だ。テレパシーを利用して結果的に異なる言語同士でも会話が可能になる。じゃあ、自分の名前は言えるかい?」
少年は目を閉じて頭に思考を巡らせた。
自分は誰で、どこから来たのか。どうしてここにいるのか、思い出す必要がある。
それは秋。夏休みが明けたばかりの2学期のころだった。
生徒に諸事情がある場合、教室で授業を受けず、保健室に通って出席扱いにする措置が認められることがある。学校によって条件や裁量はまちまちだが、城華大学附属高校ではテストの順位が上位であるなら許可される。迅はその条件をクリアした。
この保健室登校に制限は課されていない。ずっとベッドに横たわってもいいし、真面目に勉強しても構わない。迅は後者であった。
ベッドの上で問題集を解いていると、いろんな生徒が保健室にやって来る。普通に具合が悪くなった生徒や、授業がかったるくてサボりに来る連中、養護教諭と馴れ合いたさで来るやつもいる。
「失礼しまーす」
早速、ベッドを囲む仕切りのカーテンの向こうから今日も聞き慣れた気怠げな女性の声が聞こえてきた。
「あれ? 先生いない? 照木くーん。いるでしょー?」
その声が迅に呼びかけると、すぐさま仕切りのカーテンを開く。
茶色に染めたボブカットが清楚でヤマトナデシコの様な印象を抱かせるだろうが、彼女はそんなに大層な人じゃない。時計を見る限り今は授業の真っ最中だ。そんな時にここへ来る人なのだから。
「伊吹先輩。またサボりですか?」
「休憩って言ってくんないかな? クラスのしがらみから解放されることも大事なのだよ、後輩くん」
飄々とサボりを正当化する彼女は伊吹ひかる。迅より一つ上の先輩に当たる。
「あ、そうだ! この前いいもの買ったんだ〜。えーっと……」
ひかるがゴソゴソと学校指定の手提げカバンの中を探ると、取り出したのは、
「じゃーん! Switch買っちゃいましたー! いやぁ、自分で買うゲームは重さが違うね〜」
未開封のSwitchを嬉しそうに掲げ、頬ずりまでしている。迅はやれやれと呆れ半分で微笑む。
「さぁ、照木くん! スマブラ買ったから、キャラ解放手伝いなさい! 先輩命令!」
「先生戻るまでですよ……?」
そうして、ひかるたちは隠れてゲームに興じた。迅も慣れない手つきでジョイコンを操り、ひかるはジョイコンが壊れんばかりのコントローラーさばきで、迅を蹂躙し、勝つ度けたたましく一喜する。
ひかるが迅に笑いかけること。照木くん、と呼びかけること。それが一日中ベッドの上で誰とも関わらずに過ごす迅にとってかけがえのないものとなった。
しかし、虚しくもあった。ひかるはすぐ隣にいるのに、まるで手が届かないところにいるような…。
そのワケを考えると、心臓が圧迫されるように苦しくなった。ジョイコンを握る手に汗が滲んでくる。迅は渋りながら、口を開く。
「そういえば、先輩……。彼氏さんとはどんな感じなんですか……?」
「ん? ああ、拓海くん? 拓海くんねぇ……」
拓海くん。迅の頭の中で反響する。確か2年のバスケ部の人だ。
ひかるに彼氏がいることは珍しいことではない。顔が整った美少女を誰か放っておくだろうか。そんな男子が多すぎて、というよりひかるが男をとっかえひっかえしているから『ビッチ』のレッテルすら貼られてしまっている。
少し俯き気味で顔に皺を刻む迅をよそに、ひかるは悩ましい表情で考えていた。
「……。拓海くんは、もう別れようかなって……」
「え!?」
迅は不意にパッと目を輝かせてしまい、とっさに顔を反らして隠した。「どうして?」と聞いてみる。
「んー。悪い人ではないんだ。むしろいい人過ぎて私に遠慮してるっていうか……。ま、とにかく私好みじゃなかったかなー」
と答えるとゲームにまた集中し始めた。キャラクター選択画面でカーソルを右往左往させながら呟く。
「運命の人っていうのかなー。どこにもいないねー」
迅はキャラクターを選択する。内に芽生えた希望と罪悪感で口が強ばった。
その日の放課後。結局ひかるは放課後までゲームを遊び倒し、先生にこっぴどく叱られたらしい。それで、反省文を書かされて、迅は(自主的に)待つ羽目になった。
夕日が落ち、白い街頭が灯り始めた頃、ひかるは迅と帰り道の商店街を同じくして、愚痴を聞かせていた。
「だから俺は一応注意したんですよ? ハメを外しすぎたんですって」
「照木くんも共犯者だかんね! DLCの新キャラまで買わせてさ! ムシャクシャするから全額請求ね!」
「半分払ったんですから、ケチんないでくださいよ……。先輩のゲームなんですから」
こうして憎まれ口を叩きあうことさえも、迅にとってかけがえのない日常の一部だった。
しかし、この日常ももしかすると危うくなるかもしれない。
近頃、日本。いや、世界で行方不明者が相次いでいる。
何の前触れもなく、昨日まで元気だった人間が突如姿を消す。それが日本だけでも100件に登るらしい。
テレビのスポーツニュースでインタビューしていた女子テニス選手だったり、大学教授だったり、刑務所からも人一人消え、脱走事件の疑いと騒がれてもいた。
もちろん、迅やひかるがいる東京でも。
だから、迅はひかるを一人にはできなかった。万が一のためだ。そう、万が一のため……。
神社の石垣が見えてきた頃だった。
「迅くんさ、もしかして私狙ってる?」
ドクン……! 心臓が高なって冷や汗がドバっと出たようだった。
迅は首が硬直して、こちらを見るひかるに顔を合わせられず、横目で見るのがやっとだった。
「い……、いや……!」
とっさの否定の言葉も1オクターブ高くなった。顔に風があたって涼しい。
ひかるはプッと吹き出して笑う。
「まぁ、もうフリーになるから、決めたら私んとこおいで。ていうか、私が保健室行くかもだけど」
竹林に囲まれた神社の前、石造りの鳥居が見える十段ほどの階段前で「ばいばい!」と言うひかるは鳥居の奥へ駆けて行った。
迅は一度は立ち止まったが、やがて歩き出す。その足でコンビニへ立ち寄った。ソーダ味のバーアイス一本を買い、一人ゴミ箱の隣で頬張る。
バーアイスを口から離すと、「私の事そんな目で見てたんだ」とか「あれ本気にしちゃったの?」とか聞いてもいないもしものひかるの声が頭の中で反響した。
息が詰まり、顔をしかめる。気を紛らわせるためにスマホを取り出すが、新着はなにもない。その手でとっさにYouTubeを開いたりカードゲームアプリを開いたりしたが、手につかずに閉じる。
手に冷たい感触がなでてきた。バーアイスが溶けかかって落ちそうだった。残りを口に押し込み、はずれ棒をゴミ箱に投げ入れると、1度深呼吸をして、歩を進めた。
神社の前まで戻ってきた。石垣に『琳音神社』と彫ってある。
ひかるはあんな性格だが、この神社で巫女をしている。今年の夏の祭りでも神楽を披露していて、迅は一人、ひかるにも見つかることなく見に行っていたことを思い出す。
鳥居の奥、境内は薄暗く見える。
迅は鳥居を見据えると、ゆっくり階段の一段目に足を掛けた。
「や……! いやぁぁぁぁあああ!!」
叫び声が鼓膜を揺らした。迅はひかるのものだとすぐに分かった。迷わずに階段をかけ登る。
ひかるは境内で倒れていた。
いや、違った。砂利の地面にマーブル模様の何かが広がって、巫女服の袴の膝辺りが沈んでいるように見える。
さらに腹に何かが絡みついている。木の根のようなものだ。
ひかるは砂利を握っているが、段々と引きずり込まれていっている。
「先輩!!」
迅は駆けよって右手でひかるの手を掴む。涙目のひかるも握り返す。
しかし、地面の何かに迅も引きずられていく。
さらに、地面のマーブル模様は迅の足元まで広がり、その中から何かが伸びてきた。
ひかるに巻き付いているものと同じ木の根のようなものが迅の足に絡みつき、泥沼のように足が埋もれていく。
足を動かすと余計に埋もれすぐさま腹まで飲み込まれてしまう。
しかし、ひかるを握る手は放さなかった。精一杯の力で引き寄せられなくとも、掌、指まで力を込める。
しかし、汗が滲んでひかるの手が抜けていく。
「せん……ぱい……! 先輩……!」
ひかるの手が滑って抜け落ち、涙で濡れた顔も地面に飲み込まれて見えなくなった。
「先輩……!! すみません……」
迅も肩、首とズブズブ飲まれていき、抗えず、全て意識とともに沈んでいった。
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