翌日から
翌日の土曜日から月曜日までの間のことは、いつ何があったかはっきりとは覚えていない。とにかく状況に慣れることに必死だったのと、やはりストレスから頭がぼんやりしていたからだ。
ニュースで流れる被害映像は見たくない。亡くなった方の名前を延々聞かされるのもつらい。緊急地震速報はこわい。怖いと思いながらも、いやだと思いながらも繰り返し悲惨な映像が流れるテレビニュースをひたすら見てしまう。
繰り返し繰り返し目にするこの世のものとは思えないすさまじい映像に、自分の感覚がマヒしていっているのが分かった。犠牲者や生き埋めになっている方の、残されたご家族にインタビューをするのは本当にやめてほしいと思った。
そんな状態で数日を過ごした。
そしてこの数日の間、わたしは助け合うことのありがたさと大切さを知り、人の優しさに触れた。
たしか翌日は買い出しに行ったと思う。とにかく食べるものを確保しなければならなかった。向かったスーパーでは店舗の外で食べ物などを販売しており、人がたくさん並んでいた。パンはすでになく、お菓子とジュース、お茶、カップめんのお蕎麦くらいしか手に入らなかった。飲用水がないのでポットでお茶を沸かして蕎麦を食べた。空腹感はまぎれたが、お茶でそばを作ると塩気を強く感じて、喉が渇いた。お米が食べたかった。
現地の同僚たちは自分たちも被災者なのに、わたしたち出張者のことを何かと気にかけてくれた。
ある人は、給水車でもらった貴重な水を持ってきてくれた。
ある人は、水が出るところがあるからと、知人のお宅までお風呂をいただきにわたしたちを連れて行ってくれた。久しぶりのお湯が気持ちよかった。
ある人は、奥様が作った塩にぎりをたくさん持ってきてくれた。みんなで「おいしい、おいしい」と泣きながら食べた。
本当に、なにからなにまで人の厚意にお世話になりっぱなしだった。
家を貸してくれている現地の同僚が、わたしたちと一緒にテレビニュースを見ていた時だ。その時は県内の土砂崩れの映像が流れていた。何人かが生き埋めになって亡くなったらしい。
その人の携帯電話が鳴った。いくつか言葉を交わした後、その人の声がかたくなった。
「今、テレビでやってるやつかい」
どこか他人事だった「震災の犠牲者」が身近にやってきた瞬間だった。テレビニュースで放映されている土砂崩れと同じ地区の、ほかの土砂崩れ現場で親戚の方が巻き込まれて亡くなったとの連絡だった。
わたしも被災者だ。テレビでもいろいろな被害の状況が流れ、多くの人が命を落としている。だが、人の死はどこか遠かったのだ。
何百人、何千人と亡くなって、どんどん増えていく犠牲者の数に感覚がマヒしているなかで、その連絡はとてもリアルだった。
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