いま、そして、これからへの応援コメント
今回、企画を立ち上げた、押羽です。
記憶の記録、読ませていただきました。
貴重な体験記をよせていただいて、うれしく思います。
この作品が、もっと、もっと、みなさんの目にふれ、心にふれるよう願うばかりです。いまなお、苦しみの中におられる方たちの心を支えるのは『人の優しさ』、私もそれにつきるように思います。
ありがとうございました。^-^
作者からの返信
押羽さま
ご覧いただきありがとうございます。
こちらこそ、企画を立ち上げてくださりありがとうございました。
押羽さまの自主企画がなければ、今回の手記を書くことはありませんでした。
少しの優しさが、周りの人に大きな喜びを与え、それがさらに多くの人の喜びにつながっていくと信じています。
優しさは波紋のように拡がっていくのだと。
今も苦しんでいる方の苦しみや悲しみが、少しでも和らぐことを願ってやみません。
ありがとうございました。
いま、そして、これからへの応援コメント
拝読させていただきました。
二度の震災を経験されたことはとても辛いことでありそれを文章にされることも大変な心の痛みを伴うことだったと思います。
わたしもあの日のことを覚えています。東北とは離れた違う場所ですけれどもつけ放しのテレビから一晩中緊急地震速報が鳴り続け、その度に揺れが起こって、この地も家が崩れて海もある場所ですので津波が起こるのではないかと。
もしそうなったらば老いた舅・姑やまだ小さかった子供たちの命をどうやって守ればよいのかと夫婦して絶望感の中にありました。少し離れた場所にいる実家の父母たちをもどうすればよいのか。
わたしは誰も失うことがありませんでしたけれども、こうして貴重なご経験を知ることができ、改めてすべて自分自身の問題であるという気持ちを持たせていただきました。
とてもリアルで人間の大切な部分をも表現してくださった記録だと思います。
ありがとうございます。
作者からの返信
コメントをくださりありがとうございます。
思い出し、思い出し書きましたが、当時の思いがこみ上げてきて、さすがに一気に書き上げることはできませんでした。
ですが、こうして読んでいただき、少しでもなにか伝えられたのなら大変うれしく思います。
わたしは自分一人の命を守ればよかったですが、大切なご家族を守らなければならないご心労とご不安の中で過ごされたこと、想像に余りあります。
生き残った私たちが大震災から学んだこと、経験したことを忘れず、いかに生きていくか、次世代にどうつないでいくかということを真剣に考えることが、犠牲となった方への弔いにもなるのではと思っております。
阪神淡路大震災の後、神戸市の小中学校では「しあわせ運べるように」という歌を歌うようになりました。わたしも数えきれないくらい歌いました。
当時はそこまで深く考えていなかったのですが、いま改めて、歌詞の深さをしみじみと感じております。
「亡くなった方々の分も 毎日を大切に生きていこう」
「支えあう心と明日への 希望を胸に」
わたしは愛する人に愛していると伝える、心にもないことは口にしない、ケンカしたまま別れないようにしています。
いつ、その人と会えなくなって、言葉を交わすことができなくなるかわからないのですから……。
愛する人たちと、日々を大切に生きていきましょう。
読んでいただきありがとうございました。
もう10年への応援コメント
1、5Lのペッtボトルにお水が3本、お風呂には絶えずお水が張ってあり、食料品ストッカーにはクラッカーが。ただし、生き残れたらね。南海トラフは絶対来ると言われて久しい。うちは海のすぐ傍で、しかもマンションの低層階という恐ろしさ。
阪神淡路大震災のときにはゴーという地鳴りがして生きた心地がしなかった。
その渦中におられて、大変でしたね、ようご無事でとしか言葉がありません。