第26話 水君
「いやはや、まさか法皇様までおいでとは……このような形で拝見できて恐悦至極に存じます」
「よい、面を上げよ。大々的な歓迎を受けては民たちの真の姿も見ることはできない。私がこの国の真の姿を見たいと我儘を言っただけだ」
フィーラウネ公爵家の謁見の間にて、すらっとした礼服に身を包んだ中年の紳士は、年齢を感じさせるも若い頃は相当モテたであろう甘いマスクに穏やかな笑みを浮かべて3人の美少女と向き合っていた。
工業都市を治めるヴェーフェル公爵とは見た目も雰囲気も違うが、ヴェーフェル公爵と同じく、長くこの街を治めてきたことを感じさせる統治者のオーラを感じさせる。
大したことでは動じなさそうな、そんな器量が見受けられた。
「先代法皇様と変わらず、相変わらず法皇様になられる方はお美しい方ばかりですな」
嫌味のない笑みを浮かべる公爵の褒め言葉に嬉しそうにするでもなく、セレマウはメイドたちが用意した紅茶を口にしていた。
「ユフィ嬢も、幼い頃よりも格段と大人の美しさになりましたな」
「ありがとうございます」
「そちらは中央のミュラー男爵の令嬢でしたか。噂には聞きますがミュラー男爵と言えばかつては熟練の魔法騎士として戦場を駆け抜けたとか。ナターシャ家のユフィ嬢とミュラー家のナナキ嬢がお供とあれば、法皇様もご安心ですな」
「ああ、頼りにさせてもらっているよ」
今日は純白の法衣ではなく、侯爵位を示す薄緑の法衣のままだが、セレマウが放つオーラは一切隠せていなかった。
先ほどまでの無邪気な瞳が、今は冷酷さも覚えるような眼差しに変わっているのは、いつ見ても驚きの二文字に限る。
「我が娘も今は芸術都市で“歌姫”などと呼ばれておりますが、いやはや、法皇様たちの前には姫などおこがましいというものです」
身分の高いセレマウとユフィだけでなく、ナナキも含めて対応しようとするフィーラウネ公爵の振る舞いに、セレマウは単純に好感を抱いていた。
それ故今日の法皇モードは少し上機嫌になっているのか、世辞を受けてもそれを遮るようなことはしなかった。
「ご息女は芸術都市にいらっしゃるのか」
「え、“歌姫マリア”のことですか!?」
淡々とした反応のセレマウとは異なり、ユフィはどこか興奮した様子で公爵へ聞き返す。
芸術都市といえば、今回の査察の最終目的地で、水の都の次に訪れる予定の街だ。
南部にリトゥルム王国との国境を抱える首都を含む皇国中南部の中で、最も西部に近い位置にあるのが芸術都市だ。
水の都からの距離は比較的近く、3日後には到着している予定である。
「ええ、我が娘マリアは手前味噌ながら歌に秀でておりまして、芸術都市の舞台女優をやっておるのです」
「あの歌姫が公爵のご息女だったとは。これも何かの運命ですね。水の都の次は芸術都市で観劇の予定なのです。昨年も母様と見に行かせていただきましたが、本当に美しい歌声で……思い出しただけで胸がいっぱいになる思いです」
うっとりとした様子で思い出に浸るユフィに、娘を褒められた公爵も嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「おお、見に行かれるのですか。であれば、私の名で予約をさせていただきましょう」
「よろしいのですか?」
「お安い御用です。ユフィ嬢が娘のファンでいてくれたというだけで、私も嬉しく思います」
フィーラウネ公爵もナターシャ家と同じく公爵位を頂く身分だが、首都に居を構え皇国軍を預かるナターシャ公爵家と政務を支えるコライテッド公爵家は皇国内でも別格の存在だ。その立場を正しく理解する公爵の振る舞いは自然体でありながら丁寧だった。
「フィーラウネ卿、この街はよい街だな」
そんな二人のやり取りを眺めていたセレマウも、どこか満足気にそう呟く。
「お気に召したのであれば幸いです。これも法皇様が皇国の平和を保ってくださる賜物ですよ」
「私が、か……」
公爵の言葉に含みはなかったように思われたが、思うところがあるセレマウは少しだけ普段の彼女を見せた気がした。
「誰しもが気軽にこの街へ来られるよう、早く平和を手にせねばな」
その言葉は誰に向けられたものだったのか。
セレマウの願いを込めた言葉は二人の従者の心に留まり、彼女のために、という思いを大きくさせる。
その後も都市の日常をいくつか話し合ったセレマウたちは、夕暮れ時には公爵家を後にした。
☆
「うわーっ! みてみて!」
公爵家を出てナターシャ家別荘に戻る橋を渡り始めたセレマウは、一気に法皇モードを解除し駆け出した。
急に駆け出す彼女に続き、慌てて二人も駆け出しアーチの頂上部で彼女に追いつくと、セレマウの言葉の意味を理解した。
暮れゆく夕日が湖面を金色に輝かせ、まるで街全体が輝いているかのような美しさに、3人は言葉を忘れ、息を飲む。
明るい時間の透き通る水面も美しいが、夕暮れ時はまた違った美しさを備えるこの街が、セレマウは大好きになっていた。
「また来ようねっ」
まだ明日も滞在するというのに、もう次を要求する彼女が愛おしくなる。
「そうね、また来ましょ」
「はい、お供いたします」
彼女の目指す世界を実現する、それを心に誓った二人は力強く頷く。
暮れゆく夕日を惜しみながら、3人はまた歩みを再開し、ナターシャ家別荘へ向かっていった。
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