第22話 同じ世界 戦う国

 アーデンらと落ち合った翌朝、民家で一晩を明かしたアーファらは、集落の奥に止めてあったクラックス家の馬車に乗り移動を開始していた。


 二頭立ての馬車に乗るは黒の法衣に身を包んだアーファとアーデン、そして執事のような白のシャツに黒のジャケット姿になったゼロとルーだ。

 昨日ゼロが制圧した黒のローブ1号2号の二人もゼロたちと同じ格好をして御者台に座り、バハナ高原を進む。


 朝の時間帯、春の空気はまだ冷たく、窓から流れ込む冷気にアーファは少しだけ寒そうにしていた。

 昨夜決まったのは皇国内での動きについて。

 法皇の法話は10日後。皇国を見たいと述べたアーファの意見も踏まえ、最も危険な首都に長く滞在するよりは、皇国内の各都市を転々とし万一の発覚の可能性を下げる方針で決定した。


 本日は終日移動を行い、防衛都市を目指すこととなっている。

 防衛都市といえば最前線に出陣する兵が多く、ゼロとルーが勘付かれる可能性が高そうに思えたが、どうやら防衛都市の皇国軍は守備兵が大半のようで、侵攻作戦の際は首都から皇国軍の精鋭がやってくるためそこまでリスクはないとの話だった。

 もちろんこれが嘘だとしたら、という思いもなくはないが、昨日の打ち合わせでアーデンを信用した3人は彼の提案通りに行動することを決めたようだ。


「自然の美しさは、王国も皇国も変わらんもんだな」


 寒さを感じつつも、窓から外を眺めるアーファがそう漏らす。


「ファラお嬢様、お寒くはありませんか?」

「やめろ、気持ち悪い。昨日までと同じでよい」


 アーファに対しファラお嬢様、とゼロが呼んだが、国内を移動するに当たりアーファはアーデンの愛人の子という設定で動くことになり、ファラ・クラックスを名乗ることになった。黒髪のウィッグや伊達眼鏡は国境を越える前からそのままだ。

 執事然とした恰好をしたゼロは昨日までの法衣よりも似合っており、得意のスマイルを浮かべアーファへ微笑んでいた。そんなゼロになんだか無性に腹が立ったアーファがゼロに対し毒を吐く。


「申し訳ございませんな、お二方の身分に沿わぬ思いをさせてしまいまして」


 昨夜二人の素性を知ったアーデンは大変驚き、意識を取戻した黒のローブ1号2号は「そりゃかてねーわ」と青ざめた顔をしたものだった。

 そもそもこの旅の開始時から比べれば、最も整った身だしなみになったのだから、二人は全く気にするそぶりは見せなかった。


「既に退役した私では防衛都市の防衛機構をお見せすることはできませんが、防衛都市を治めるフィートフォト公爵は顔見知りです。謁見なさいますか?」

「いや、たかだか愛人の子が謁見するのは道理がないだろう。それに戦争をするために侵入するのではない。人々の生活を知れれば、それでいい」

「畏まりました」


 傍から見れば貴族の祖父とその孫が、従者を伴って国内旅行をしている図にしか見えない一向を乗せた馬車は、その後も何事もなく街道を進み、日没を過ぎた頃には巨大な外壁に囲まれた防衛都市へと到着した。


 防衛都市の貴族用の宿屋ではアーデンとアーファが個室、ゼロとルー、アーデンの従者らがそれぞれ二人部屋であった。

 宿屋の質はここまでアーファ一向が泊まってきた宿場町のものとは比べものにならないほど立派で、町と都市の差が顕著に感じられる。

 特に魔法文化が盛んな皇国は魔力を込めるだけで魔法効果を発揮する魔道具が流通しており、その技術に驚きを隠すのに苦労した。皇国の者の目がなくなると、アーファらリトゥルム王国から来た3人にとっては非常に興味深かそうに魔道具を眺めるのだった。



 その日夕食を終え、アーファはゼロとルーの部屋を訪れていた。


「魔道具とは便利なものだな」


 洗面所にてまじまじと水道の蛇口の横についた棒状の装置を見つめながら、アーファが呟く。その棒状のものに魔力を込めると、刻まれた魔導式が発動し、貯水タンクの水が温められるという設計になっていた。

 そのおかげで温水のシャワーを浴びることができたからか、アーファは上機嫌だ。


「噂には聞いてましたけど、すごいですね。何か持ち運びできるような簡単な道具があれば、ぜひ持ち帰りたいですね」


 魔力を込める部分の表面に魔導式が刻印されているところまでは見たままなのでわかるのだが、内部構造は分解しないと分からない。流石に宿屋のものを分解するわけにもいかないため、明日の午前中の防衛都市を見学する際手に入ればいいと思う。


「魔力込めたら動くって、アノンに似てるな」

『私をあんな無機質な道具と一緒にしないでくれる?』


 ゼロのシンプルな感想に、彼の相棒は拗ねてしまったようだ。用途が固定化された魔道具と違い、エンダンシーは所有者の意思に応じて形を変えるし、魔導式などの刻印もない。そもそも意思を持つ存在な点で、明らかに異質なものなのだ。

 自らのブレスレットに謝るゼロを見てアーファは苦笑いを浮かべていた。


「経典で魔法についての知識を与えることが、平民たちでも魔道具を使用する下地となっているのだな。実に合理的だ。これは見習いたい」


 アーファの表情も完全に統治者のそれとなっていた。

 室内の壁には丸くて白い石が埋め込まれており、それも表面には魔導式が刻まれていた。試しに魔力を込めてみると、石が発光し、室内をかなり明るく照らし出す。従来の火を灯すタイプの照明もあるが、魔道具タイプの照明であれば火事の心配もない。リトゥルム王国の都市では大半が石材で出来た家屋だが、まだまだ地方の町や村には木造の家屋が多く、火事の発生は日常茶飯事となっている。

 この魔道具があれば、生活の安全度に革命が起きるだろう。


「この技術は生活を向上させるぞ……!」


 ベッドの上に腰掛けたアーファは持参した日記帳に楽しげに魔道具について記録していた。そして熱を生む魔導式や光を生む魔導式についてルーに尋ね書き込んでいく。さらにはこんな魔道具を作るとしたら、というアイデアを出し、その魔導式をルーに考えさせ始める。


「一日馬車の中だったんで、ちょっと外歩いてきますね~」


 蚊帳の外に置かれる状況になったゼロの言葉は、果たして二人に聞こえたかだろうか。そんなことは気にせずゼロはこそこそと部屋を出ていくのだった。



 部屋を出たゼロの恰好は今朝と同じだが、実は今着ているのは宿についたときにアーデンが用意してくれた全く同じ見た目の新しいシャツとジャケット、スラックスだった。

 個性を出さないためにも、従者とはこんな手間があったのかと驚いたものだ。


 宿泊部屋は宿屋の3階だったため、ゼロが階段を下りると、階下でアーデンがグレーのショルダーバッグを持った帽子の男と話をしていた。


「手紙ですか?」


 階下まで降りたゼロは一応の礼節を意識しそう尋ねる。


「あぁ。本当は兄も来たがっていたからね。少しでもと近況報告だよ」


 完全に隠居した貴族と、その道楽に付き合う従者の構図を演じるアーデンの演技は見事なものだった。その振る舞いには全く違和感がなく、先に話しかけた自分がちゃんとできていたか不安になる。


「よろしく頼むよ」

「お任せ」


 ショルダーバックの男はアーデンからの手紙を預かると、大事そうにバッグにしまい、宿屋の外へ出ていく。

 こうした貴族御用達の宿屋には専用の荷物や手紙の運送業者が常駐している。一般用の手紙などは届くまでに一週間以上かかることが多いが、きっと貴族御用達の業者ならばそう日を置かずに届けてくれるのだろう。


「外へ行くのか?」

「はい。ちょっと身体を動かしたくて」

「そうか、宿屋を出て左手を進むと大通りに出る。まもなく露天商も店じまいの時間だろうが、ファラに何かお土産でも買ってくるといい」


 そう言ってアーデンから銀貨5枚を渡された。

 ここまで演技しなくても、と思わなくもないゼロだったが宿屋のロビーには受付の従業員も常駐しており、二人のやり取りは見られているのだから、用心に越したことはないのだろう。


「ありがとうございます」


 得意の笑顔を浮かべたゼロに、受付の女性が見とれていたことに本人は気付いてはいないようだった。

 アーデンから渡された銀貨は自分の財布には入れず胸ポケットにしまい、ゼロは言われた通り宿屋を出て左手に進んだ。

 2,30メートルほど進むと言われた通りの大通りに出る。南北に貫かれた大通りは、北側にある防衛都市の入場門から南側にあるリトゥルム王国に対する外壁までを繋ぐ文字通りの大きな通りとなっていた。おそらく馬車5台が横に並んでも通れるだろう。


 この道を通り、皇国軍は行軍していることを想像し、ゼロは軍事力の規模の違いを痛感する。

 リトゥルム王国が建造した防衛砦には都市機能はなく、軍隊が長く駐屯するには不向きである。輸送隊と連携しないと長期戦には耐えられない構造なのだ。

 だがこの都市は居住区も広く、恐らく年単位で長期戦に耐えうる規模だろうと推察された。

 そんな皇国の軍事力を痛感していると。


「むっ」


 宿屋とは通りを挟んで反対側に、桃色の髪の女性が歩いているのに気付いた。

 宿敵であるマスク女を思い出し、思わず駆け出しそうになった瞬間、今度はゼロの方へ向かってくる桃色の髪を長く伸ばした女性と茶髪の男性のカップルが目に入る。


――桃色の髪って、皇国じゃ珍しくないのかな。


 あのマスク女はどんな顔をしているのだろうかと想像しながら、ゼロは大通りを歩き始める。


――肩に届かないくらいの長さだったよな、たしか。


 片想いの少年のごとく、ゼロは数度戦場で対峙したあの規格外の少女のことを思い出そうとする。


「よお、お兄ちゃん! どうだい、もう店じまいしちまうから、安くしとくぜ?」


 戦場での記憶をたどりながら当てもなく歩くゼロに、露天商の中年男性が声をかけてきた。現実に引き戻されたゼロの視線が捉えたのは装飾品を扱う露天商だった。


「しかし兄ちゃんべっぴんさんだなぁ。女の子たちがほっとかないだろ?」

「それほどでも」


 得意のスマイルを浮かべ答えつつ、ゼロは陳列された商品を眺めた。何気なく手に取る小さ目のリング状のシルバーピアス。


「お、お目が高いね! それはペアになってるから、兄ちゃんのコレにあげるなぴったりだぜ?」


 悪意のない笑みを浮かべた男性は小指を立ててゼロが手に取るものをもう一つ用意してくる。


「本当なら1つ大銅貨紙幣6枚だが、2つで銀貨1枚でどうだい?」


 恋人なんかいねーよ、と内心思いながらも、勘違いしたままの店主に押し切られたゼロは結局そのピアスを購入した。


「っつ」


 その場で貸してもらったピアッサーで左耳に穴を開け、ピアスを付ける。派手すぎないシルバーピアスはゼロの黒髪と絶妙にマッチし、彼の美しさを引き立てた。


「おー、似合うね! ピアッサーは1個おまけだ。幸せになりなよっ」


 買ってはしまったものの、行くあてのないピアスを内ポケットにしまい、慣れない左耳の違和感に耐えつつ、ゼロは露天商に礼をしてから大通りをまた歩き始めた。


 ちらほらと通り過ぎる人々の視線を感じるものの、敵意などは感じない。敵国に潜入しているというのに平和そのものだ。


 最前線に近い防衛都市ですらこうなのだから、今はやはり小康状態が続いているのだろう。

 アーファが即位して2年、一度たりとも王国側から侵攻作戦を行っていないことも影響しているのだろうか。


「国境またぐだけで、何が違うんかねぇ……」

『それを決めるのが人間なのでしょう?』


 アノンの指摘は最もだった。大地も、風も、植物も、空も、王国でも皇国でも違いはない。違いはないのに、人間が違いを決めつけるのだ。


 アーファが目指す世界が実現できれば、そんな無駄な区別もなくなるのだろうか。


 数日前に歩いた宿場町での夜を思い出す。あの時も露天商に声をかけられたが、あの時と今、いる場所は違えど人々の温かさは同じだ。戦争というものがつくづく不都合なものだと実感させられる。

 何とも言えない気持ちを抱いたまま、ゼロはしばらく歩いたあと、宿屋へと戻って行った。

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