第2章 小市長の野望 後篇


     五


「さて、支援する側にまわるのに僕が一番当てにしているのは、こんな人々です」

 新たな展開を期して、由井耕造は息を吸い込んだ。


「若者が家に引きこもってしまうという重大な情勢が広まっております。しかるべき社会的背景あってのことなのでしょうが、その改善を待つ間にも、やれることが我々にもあるのではないか、出来なくて元々でやってみよう、数打ちゃ当たると」

 耕造は片方の口角をゆるめた。それが絶妙で笑いを誘った。


「物の本によりますと、脳内への働きかけは体からの信号でも有効だということですが、世にけっこうある指圧鍼治療院ですね、あの方々に、つまりけっこうな数の若者があの道に入っていて、しかもそんなにも成功しているように見えないのが辛いところなのですが、この種の若者に、引きこもりの人へマッサージのサービスを行ってもらうのです。


 接触するのはその道のNPO、それに市の福祉、教育関係の方がまず、その情報をもって徐々に指圧師が自宅へと手配されて行きます。成功率はまだわかりませんがね。これが第一段階」


 耕造はまた、指を突き出し始めた。ふっと失笑が漏れたが好意的なものだった。同時に紙片の、それらしきイラストを指し示した。素人っぽさもけっこう使えるな、とその図を和十は見ている。


「カウンセラーは数も少なくお金がかかりますから、是非この手も使いたい訳です。

 さて、ひきこもり陣が外へでてもいいかな、と思い始めますでしょう。でも何をする。これから第二段階ですが、とりあえずは余り人と関わらない手仕事、配達、庭仕事、片付けなど、とくにシルバー人材センターと協力していきます。


 そうそう、先の指圧師陣、ならびにこの軽労働旧ひきこもり陣にも、いくばくかの日当が是非必要ですね。ボランティアではあっても、生活の足しにはなるべきです。そのお足の出所を打診して回るのが、うちのグループの重要な仕事でもあります。

 みなさん、たばこ銭の一箱分でもお願いしますよ」


「ほんとうに一箱分でいいの? それともワンカートン?」

「あ、田川君、ありがとうございます。その恰幅だとツーカートン?」

「ワハハ、いいぜ、俺も手伝ってもいいよ」

 耕造は満面の笑みでこたえた。本当に嬉しそうだ。


「そうなんですよ。この子たちにはね、田川君のような、太っ腹な、あ、体格のことじゃなくですね、自然体の大人がほんとうに必要なんです。世界がそんなに怖いものでもない、と実感させてくれるようなネ」

 

第三段階もあるのかい、と大きな声がかかった。ありますとも、と耕造が指を三本突き出したので、案の定、と笑いが起こった。

「根本君、聞きたがってくれてありがとう。そうなんですよ。これからが佳境です。

えーっと、ここですね、この部分。サービスの対象者、介護保険などがカバーしてくれる範囲は行政に任せる。しかしそのはざまのお年寄り、孤老。そこへお助け隊を派遣したい。それはこの元ひきこもり隊ですよ。彼らが働きの本部隊になっていく、ここがミソなんです。市長さん」


 いきなり呼ばれた和十は反っくり返っていた椅子に座り直した。「俺?」


 意図した訳ではないのだが、笑いを呼んだ。


「君だよ。あのね。政府肝いりの例の空き家有効利用策ね、この子たちの職業教育もかねて修繕なんかにつかってくれない? 少し費用も組んで」

「ふ~ん、僕もねえ、ちょうど女房と話し合っていたのさ。こちらの要望とあちらの条件がそこそこのところで合う働き手がいないかしらんてね」


「奥さん、お変わりない?」

「お、変わりなくシビアな人ですよ。耕造、汀子を知ってた?」

 耕造はにやにやして黙っていたが、誰かが

「当然知ってるさ、秘かなピカピカの女性だったからね」

と、茶々を入れた。ひとしきり妻の噂話になって、和十は自分のうっかりな面をまた知ることとなった。


家柄や押し出しの良さ、家同士の付き合いなど夫婦にとっては当然のような結婚だったのだが、妻が男たちの酔眸の的であり高嶺の花であったことをほとんど意識することがなかったのだ。耕造が最後にまとめるように言った。

「こんな俺でもさあ、女房がいるんだぜ、帰ると。嬉しいねえ。話を聞いてくれるし、意見も言うし、俺の背骨だよ」


「ああ、そう言えば僕にとっても妻は物差しですよ。時にはそれでお尻を叩かれますよ」 

 みんなの頭が、頷いていた。

「それから?」



    六


「さあ、最終段階です。四本ですよ! 僕も実は頭が痛いんです。ホームレスのひとたちね。見るだに辛いでしょ。家が無い。選挙権も無い、何も無い。自分を護る術を知らない。心身の病気や不幸不運を抱えている。みんな見て見ぬ振りをしている。行政の黒い穴ですよ。手を出すのはものずきなNPOだけ。でも人手も金もない。どうします。まず彼らに話しかけることすら大変なんです」


「俺はときどき、話しかけるよ。人によるけどね。中には明らかに障害があると思われる人もいる。実は専門家が見なくちゃならない事例なんだね」


「なんかなあ、腕章でもして数人で話しかけるのならできるかもなあ。あれで自由を感じているってこともあるのじゃない?」

 根元達治が言うと、同調する数人がいた。


「今更何か趣味を始めても、まあそれはそれで始めて良いんだけど、趣味で終わるよな。ボランティアといっても花を植えたり、道の掃除したり、病院の付き添いなんてあるけど、必須事項じゃないから、もひとつ気合いが入らないじゃない」


 そう言ったのは、その息子が青年商工会議所で最近話題になっている切れ者だという藤村正である。正は電子工学の知識があり、新しい3D印刷を請け負う小さな会社を立ち上げたという。


 すっかり弱者救済思考にはまってしまった石野和十市長は、すたすたと彼のほうに歩いて行った。どんなチャンスも自立し損なったかれらのために逃したくない、中には理数系の頭をもつやつらもいるはずだから。

 もうひとつの可能性へと彼は歩み寄って行った。


「藤村君。久しぶりだね。お元気そうで何より。秀才と評判の息子さんも藤村君と同じように本格的な助け合い志向があるんだろうか。単刀直入で申し訳ないけどね」

 藤村正は、大きく頷いた。

「親が言うのもなんだが、切れるだけに今のままではまずい、ということが見通せるんだね。優しさというより理の当然だと」

 へえ~と和十は大きく目を見開いた。




     七


 旅立ちの前夜、七時半のころにはいわゆるスーパーエクストラムーンが東の空半分のところに上ってきた。確かに大きい。残念なことに薄い白雲がかかっており、乱視のせいもあり、汀子にとっては楕円の大きい月だ。

「それでも少しずつ月は遠ざかっているんだって」

 独り言をいつものように言う。

 

 和十の話を聞いてから、なんとなく筋道が見えてきたような気がする。安寧な人生に恵まれた自分が、ちょっと間が悪いような感じをずっともっていた。自分の力を正しく使わずに、怠けていた、まさに汀子が怠け者に対して辛辣だったことも恥ずかしい気持ちの裏返しだったのだろう。


汀子は市長の妻として、新しいプロジェクトに積極的にかかわった。もちろん素人なので、目立たないところで手伝っている。しかし、次第にやはり上に押し上げられてきていた。それはそれで、汀子にふさわしい働きができる地位でもあった。


 人付き合いが苦手だと思っていたが、人の繋がりを求めるという立場に立つと、その目的が正しいと確信できると、面白いように見知らぬ人に話しかけられる。そして世間話を省略して、その人の本質にぐっとはいりこむこともできるようになった。しかも自分は自然体である。


 主にオーストリアとアイルランドの視察をかねて、夫婦で昼頃出立した。まもなくすると夜となり大満月が望まれた。

 まるで人工衛星から見るかのようだった。


人類の善き面のみが見えるような気がした。


その下の地上ではいくつものミサイルが、ウクライナ、イラク、シリア、ガザ、飛び交っていた。そのひとつがまた機体に当たってくるかも知れないのだった。 

       

          了

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