希少率0、8%木原東子の思惑全集 巻5 人類建設譚「友理と空海」「小市長の野望」「ホリスティック」「東天アパート」 

@touten

第1章 友理と空海 少年期

(一)

 僕の生まれる前から凝った名前をつけるのが日本中に蔓延していて、その飛沫を浴びたと言おうか、平成二十二年生まれの僕は、父さんの案だそうだが、理科の友、つまり友理、ゆうりという名をもらった。単純ではあるがなかなか深い解釈を許す名前だ。

 十五歳と言えば、昔なら元服したというではないか。僕も声変わりして、体毛も生え生殖能力も獲得している。社会の成り立ちも状況も、話を聞き本を読めば理解し想像できる


 僕もそろそろ為すべきことを始めなくちゃなあ、と目をパチパチさせていると、窓に小さな音がはじけた。そんな古風なことをするのは空海に決まっているし、心待ちしてもいたのですぐに日曜日の窓を開けた。


 暑熱の夏もやや終焉を迎え、ややに涼風が立つ頃だ。下の小屋根に小さな石ころがのっている。


 空海とは幼馴染で、学校もずっと一緒、僕にはなくてはならぬ相手だが彼自身にとって僕は少し物足りないのだろうとはわかっている。僕だってかなりの知能なのだが、空海はずば抜けている。


 彼の両親は果物屋をしているのだが、只者ではない。

 顔立ちは別として、その皮膚や毛髪、声、瞳の輝き、歯並びすべてが極上質なのである。かぐや姫もかくや、と思うほど。しかもごく普通の庶民なのだが。


 したがって空海もそれに倍した輝きを放っている。まるで超合金のロボット人形、しかも柔らかいときている。これにプラスして、彼の脳内には人類数万年の、あるいは生物何十億年の記憶がくっきりと詰め込まれているらしい。しかも性質はこの上もなく優しく、すべてを識る大人であり、無垢の子供でもあった。


「何してた?」

「うん、僕ももう元服の歳だなあとね」

「何か始めたいと思って?」

 うん、と僕は頷いた。行動範囲が広くなるので、自転車を使う。


 小さな河沿いの公園を抜けて、右に曲がり中央図書館まできた。春には桜並木となるあたりで、そこらの石に腰かけた。僕は早速 アイフォンのヴォイスメモを開く。空海が何か話し出すと録音しておくのだ。


「いいかい、こうなんだ。日常生活の不如意や煩悶はすべて相対的なものだから、誰でもそれはわかっているから本当に真には受けていなくて、実は根本の苦悩は、人間の存在の謎、存在の意味が不明だという点にある。これを思い惑うほどの脳の発達にまで、地球上に膨大な時間は過ぎていった。宇宙は壮大な花火大会のようなものだ。我々はそれを観察し楽しみ、唖然とする。


 一方、この肉体の成り立ちのシステムはそれはそれで宇宙の巨大さに匹敵する、小ささの宇宙だ。我々はこれも観察し、分析し理解する。とりあえずはこの点だ。こちらの方に追求の手を激しく伸ばすべきだ。


 自然の一部である我々自身の中にも、またその他の自然物の中にも、自己組織化とその後の崩壊の秘密は潜んでいる。それをあばくために営々と我々は探求してきた。どんなシステムによって存在しているか、それは真理そのもの秘密だ。そして今、それが完璧に理解できるまで、あとは時間の問題だと思う。


 さて、この知識をもって何をするのか。この真理を分析でき、理解できてもそれで何をするか」


 立て板に水、というように話していた空海が、息をついた。僕は彼の顔を見た。

「そのためにさ、有志を募ってみたんだ。世界中の大学関係、ありそうなあらゆる学科を網羅して、この一点に集中できる人材を集めたいわけだ」

 僕には、まるで純金のおりんを叩いたかのような、その音波すら見えるかのような空海の声だ。子供の声だったのがいつのまにか男の声に変わっている。


「まだ話の行き先がよくわからないけど、それで幾人か見つかったの」

「うん、特にここまでの筋道に同意しそうな頭脳が四、五人見つかったよ、あとは連絡するだけだけどね。僕が十五歳だというのには驚かれるかもね」

「で、まあどんな方向性なの」

「そうだね、人間立て直し、かな」



(二)

「でもさあ、有史以来の人類に、少なくともいい進化って起こってないよね。多分その前の数万年間だって基本的な作りは同じままだったんじゃないかなあ」


 僕だってこれでも空海の話し相手として不足はないのだ。ひとりで考えるよりスピードは鈍るだろうけど、彼にとっては。


「確かに人間そのものの性向は同じだとしか言いようがない。たとえば群れを作るという基本性向は、ますます規模が大きくなっていくんだね、結果として大都市に人は集中し地球を搾取する」


「とはいえ、民主主義にせよ、共産主義、その他の社会主義ですら、それ以外の過去の体制に比べると進化しているでしょう。主義を主張する人間そのものが進化したとは言えないにしろ」と、僕。


「思考程度は、学問的文化的な経験の集積を活かすことによって、有効性が増し、人間のよりよい人生に寄与するようになってきたわけだけど」

「でも、あれだよね。よりよい人生を享受できるグループは数が限られてきて、はみだした多数の人たちの復讐がいつか起こるよね。近未来映画によくあるテーマだけど」と、僕。


「結局は、人間の衝動からすべては流れ出してきた。儲けること、名声を得ること、単に勝つこと、何を目的としてであれ人間は競合する。競合するからより高みへと達する。多くの敗者を残していく。下層の人々の感情の暗さがどんな影響を与えているか、実はよくわかっていない。心理学を超える分野だ」


「確かに、人間の限りない衝動、求めて飽くことない欲は全分野へと良くも悪くも影響を与えているよね」と、僕。



 実情は、こんな風にまるで卓球のように、素早く球を打ち合ったわけではない。

 僕が理解したのは、とりあえず人類存在への全分野的アプローチを通じて現生人類の事実を見極め、展望を得ようという段階にいるということだ。それが可能になった世紀だということだ。


 空海はすでに道筋を見つめているような黒い瞳を、僕に向けた。


 人間の社会と文化、歴史、それは大きなうねりだが、個々人の心の中の動いて止まぬとりとめのない感情、喜怒哀楽、生活と死への漠たる不安というものも、真理と照らし合わせてその位置関係を確かめなければならない分野である。

 しかも、個人の抱く山のよう波のような思考と感情は、その儚くも強く、不分明なあり方は、すべて頭の中の灰白質の中に、その下の中脳の中に、あるいはもっと古い脳の中から湧き起こってくる。

 単純ではなく、複雑な道を辿り、体からのフィードバックと呼応しながら、個々に独自の、しかも平均的に等質の感情的反応を生み出す。


「今、思っているのはね、人間は脳にコントロールされているけれど、脳の機能と反応は絶対完璧とばかりはいえないし、時にはだましたりだまされたりだ。としても、脳の優位は確かだ。だからこそ、脳も批判的に科学されなくてはならない。このままの脳でいいと決まったわけではない。こんな考えも意識も意思もまさに同じ脳に由来する故に、難しくても脳と距離を保つことができないといけない。人間の愚かさを、悲喜劇のように笑って眺めているいわゆる神様のような傍観者なら別だけどね、このハチャメチャな感情脳はもっと進化すべきで、無駄な騒動と苦悩を人間に与えるべきじゃない」


 僕は空海が、ハチャメチャなんて俗語を使ったのでつい吹き出してしまった。彼もふと笑って見せた。まるで上等の絹を肌に貼り付けられたロボットのような、彼の顔の表に表情が生まれた。その度に驚かされるほど愛すべき笑顔である。



(三)


 考えて判断し、結論が出たら即実行する。そこに迷いはもうなく、集中と持続が強い意思と連動している。障害は克服する。


 空海が類稀れな能力に恵まれているとしても、時間的実質的に投入される努力の膨大さには驚かされる。僕が投入する努力の千倍にもなろう。

 努力という概念を超えている。


 三日後に、空海を学校でつかまえた。在籍してはいるが自由にあちこちの大学の研究室に出入りしている。

「やあ、空海、昼飯でも一緒に食うかい?」

と、僕が低脳なおふざけを見せたのには理由がある。彼が両腕を胸に組んで、左手のてのひらで耳のあたりを触っていたからである。何かが気になっている様子だ。僕と喋ると時に、気晴らしになって展望が変化することがあるのだ。



「生態系だよ、生物の存在は一筋縄ではいかない、生物存在の真理はこんな揺らぎにあるのかもなあ」

 僕の無言の問いかけに対してこんな風に始めた。


「ここ二十年、すでに明らかにされているように、ミクロの目で見ると、個々の生物の存在なんて言っても、非常に曖昧なんだよね。生体を構成する元素が日に日に入れ替わっている。おおまかな塊としては機能するが、構成物質は入れ替わっているんだ。おまけに、リアルな大きさの次元でみても、つまり普通の顕微鏡で見ることのできるくらいの次元だが、生体は単純に自分だけではない」


 僕はここで思い出した。まるで映画にでてくるような宇宙の怪物の姿。

 ありとあらゆる恐ろしい姿の生物が、人間の皮膚や毛髪や、身体中に共生している。

 もちろん腸の中にも細菌フローラという「花畑」があるのは周知の情報だ。

 我々はそんな生物と共存している。


 これは二人に共有されている事実であるので、それを踏まえて僕はこう言い始めた。


「たとえば、こんなことも読んだよ。もっと大きな生態系だけど。オーストラリアのグレイトバリアリーフには葉緑素をもつ藻を自分の体の一部にしている珊瑚があってね、その藻から栄養やエネルギーを供給してもらう。二酸化炭素と酸素の出し入れ係でね。しかし海温が上昇したりすると、その藻が毒素を出すようになり、それを嫌って珊瑚は藻を追い出す。しかしそれでは白化してしまい死に至ってしまう。それでもまだしばらくは生きているのだけど、そこへ他の海藻がくっついて繁殖したりすると、覆われて完全に死んでしまう。ここで重要なのが、たまたまその海藻を食料にする魚の存在だってさ。これと、他の条件が整うとまた再生するということだった」

 空海は、頷いた。が、てのひらのポジションは変わらない。



「考えてるのは、特にわれわれ人間の機能を整理してもう少し明確に筋道立てて、それをデジタル化できないかということなんだけどね」

「あ、人工知能かい」


「人間的欠点をどこまで排除できるか、その結果もはや従来の人間とは言えないとしてもどんな存在の仕方があり得るのか。それを知る必要がある。ただ、存在の複雑さ、とくにいろんな次元での特有の関連性多様性の問題があってね、今君が述べたように、他の存在が絡みついているんだよね。その連中の機能をどこまで排除できるか、あるいは肩代わりする存在が可能なのか。そんな問題点があるんだよね」


 人間の欠点ってたくさんあるよなあ。

 おまけに僕は僕だけの存在じゃないなんて、生命集合体としてのみ存在できるなんて。

 こんな僕らの肉体と脳のすべてを理解して、さてそれをどう生かすか、人間を凌駕する人工知能と手を組んで人間の欠点と限界をどこまで越えていくことができるか。


 今後は空海のような天才たちとスーパーコンピューターの働きに任すしかないだろうなあ。僕はじっとしている空海の頭を見つめながら黙っていた。

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