三話 吸血鬼学の授業②


 俺は説明しながら、黒板に書いた純血と貴族の間に線を引いた。


「まず、貴族の吸血鬼は不老不死ではない。貴族は吸血鬼と人間の混血だからね。それでも寿命は人間よりも長いし、身体も頑丈だけれど、加齢や病気で死ぬ。それから、吸血鬼特有の老化現象の一つである『悪食』が起こるのも貴族以下の吸血鬼だけだ」

「あくじき?」

「そう。人間も子供と大人で味覚が変わることがある。俺も子供の頃はコーヒーの苦さが嫌いだったが、最近は美味しいと感じるようになってきた。お酒もそうかな。逆に甘いものが苦手になってきたけど」


 人間にとって味覚の変化は、大した問題ではない。でも、吸血鬼にとっては命に関わる変化だ。

 病気だと考えてもいいかもしれない。


「吸血鬼にとって一番栄養のある血は、子供や若い人の血だ。でも、栄養価が高い血を味覚や体質の変化によって受け付けなくなり、次第に老人や病人の血を求めるようになる。それが悪食と呼ばれる老化現象であり、吸血鬼の寿命を縮める大きな要因だ。そして悪食が進むにつれ、隷属や屑鬼まで落ちる」


 黒板の文字が多くなってきた。結構専門的な内容も含まれているが、皆意欲的にノートをとっていてくれている。ルネでさえ、頑張って鉛筆を動かしている。

 神父様は仕事が進んでいるだろうか。後ろの席を見やると、神父様が顔を上げて黒板を見つめているのが目に入った。


「…………」

「神父様? どうされました?」

「え? あ、いや、何でもないよ。ちょっとぼうっとしてたんだ」


 続けて続けて、と神父様は誤魔化すように笑いながら手を振った。何か間違っていただろうか、と彼が見つめていた黒板を見やる。

 彼は真祖の文字を見ていたようだったけど……間違ってない、よな。真祖は六体。うん、抜けはない。


「えっと、続けよう。吸血鬼は老化するにつれ理性が無くなり、獣のようにただ血を求める。もしくは人間の認知症のような症状が現れる。それが屑鬼と呼ばれる、吸血鬼の成れの果てだね。屑鬼まで階級が落ちるというのは、自死を選ぶ個体も居る程屈辱的なことだとされている。だから、そうなる前に純血や真祖に取り入って力を分けて貰う吸血鬼も居る。それが隷属、つまりは上位の奴隷になる吸血鬼のことだ。隷属……つまり別の吸血鬼の奴隷になるってことだけど、自我を保つことが出来るから、屑鬼よりはマシだと思われているらしい」


 説明しながら、俺は生徒達の顔を見る。大半が理解出来ない、という顔をしていた。ちょっと踏み込みすぎたかと反省する。


「吸血鬼の階級については、この辺りで終わらせようか。吸血鬼はどの階級でも強くて怖い生き物だってことはわかって貰えたと思うけど、吸血鬼にも天敵が居る。皆は『ダンピール』って聞いたことあるよね?」

「うん! ライラお姉ちゃんとヒーロー・ヴィクトルのことだよね!」


 手を挙げたのはルネだが、他の皆も知っているようだ。ライラはこの村の出身だからわかるが、ヴィクトルの人気は目を見張るものがある。


「ライラとヴィクトル、この二人のことで正しい。ダンピールは人間でありながら、吸血鬼を凌ぐ力を持っている。で生まれた彼らは、人間が心血を注いで研究してきた科学からのギフト、とも言われている。とにかく俺たち人間の希望だ」


 そう話しながら、俺は今も戦場で頑張っているであろうライラのことを思う。今年二十歳になる同い年の幼馴染は、子供の頃から男勝りというか、少々ぶっきらぼうな女の子だった。

 友人は居ないわけではなかったが、皆と公園で遊ぶよりも一人で虫取りに行ったり木に登ったりするような子だった。

 これは聞いた話だが、ライラの母親は首都から引っ越して来た女性で、彼女を産んですぐに亡くなってしまったらしい。父親は居ない。だからこんな小さな村では居心地が悪いと思っていたのかもしれない。

 そして俺も、両親を幼い頃に事故で失った。お互い似たような傷を持っていたからだろう。いつしか彼女とは親密な仲になって、未来を語り合うようになった。彼女の笑顔を守りたいと思った。

 それなのに、十五歳になった年の洗礼式でライラはダンピールであることが判明した。洗礼式とは言っても、昔のような神が関係するものではない。

 吸血鬼との戦闘が可能か否かを判別する検査だ。


『いやだ……いやだよ、レクス。どうしてアタシが戦争に行かないといけないの? どうしてレクスと離れないといけないの!?』


 気の強い彼女が泣いたのを見たのは、この時が初めてだった。ダンピールは貴重な戦力である為、有無を言わさずに首都への出向が言い渡されたのだ。

 拒否すれば、罰せられる。描いていた未来を戦争一色に塗り潰されたライラを見て、俺は決めたのだ。

 彼女のような才能や素質は無いが、勉強だけは得意だったから。

 吸血鬼の真実を暴く研究者になって、彼女を支えると――


「レクスお兄ちゃん? どうしたの?」

「え、いや」

「あー! もしかして、ライラお姉ちゃんのこと考えてたんでしょー」

「きゃあ、やっぱり二人ってラブラブだねー! お兄ちゃん、ずっと指輪してるもんねー?」


 きゃー! とはしゃぐルネに、子供たちが同調し始める。思わず左手を隠すように背中にやりながら神父様の方を見ると、仕方ないと笑いながら立ち上がって手を叩いた。


「はいはい、静かに。そろそろ時間だから、この辺りで終わろうか。皆、レクスくんはこれから吸血鬼と戦う為に、首都の大学へお勉強をしに行くんだ。だからしばらく会えなくなってしまうけど、応援しようね」

「はーい! レクスお兄ちゃん、がんばれ!」

「授業、ありがとうございました。ライラお姉さんに会ったら、村の皆は元気だよって伝えてください」


 笑顔で手を振って、授業は終わった。名残惜しさはあるものの、お別れ会は別日に開いてくれるみたいだからか、子供達はすぐに荷物を持って帰って行った。

 時間は午後四時。朱色になり始めた空が、窓越しに見える。


「お疲れ様、レクスくん。いい授業だったよ」

「ありがとうございます。でも、少し専門的になりすぎたような気がして、子供たちを退屈させてしまったかも」

「大丈夫。皆、吸血鬼のことに興味を持ってくれたと思うよ。今は理解できなくても、これからの勉強や生活で知っていく為の取っ掛かりになることも、授業では大事な要素だからね……って、言えたら立派なんだろうけど」


 書類束をトントンと揃えながら、神父様が苦笑しながら白状した。


「正直に言うと、この書類の作成を急いでいてね。今日の夕方までに提出しないとだから、時間がなくて……レクスくんのおかげで本当に助かったよ」

「今日の夕方って……間に合うんですか、それ」

「うん。もう出来たから、あとは持って行くだけさ。教会のお偉いさんがね、クローゼ村に立ち寄る予定が出来たから、今日中に仕上げて提出しろだなんて言って来たんだよ? 毎度のことながら、教会のムチャぶりには困ったものだよ――」


 やれやれと言いながら神父様が書類を抱えた、その時だ。

 教室の扉が蹴破られたのかと思う程の勢いで開かれ、顔を真っ青にした村長さんが飛び込んできたのは。


「キュリロスくん! ここに居たか。よかった」

「村長さん? そんなに慌てて、何かあったんですか?」

「ああ、そうなんだ。わしの妻が、持病の発作を起こしてしまった。もう薬も無くなってしまってな、心配だからすぐに診てやって欲しいんだよ!」


 今にも神父様に縋り付きそうな剣幕だ。村長さんの奥さんは昔から身体が弱くて、今時分のような季節の変わり目にはよく体調を崩していた。

 この村に医者は居らず、神父様が診療所の役目も代行している。こういう時の神父様は、流石に「神に祈れば救われます」などとは言い出さずしっかり診てくれるので、村中から信頼されている。


「わかりました、すぐに行きます」

「でも神父様、その書類はどうするんです?」


 俺の指摘に、神父様がはっとした表情を向けてきた。世界の根幹を担う教会の命令は絶対だ。

 あえて言うまでもなく、神父様は教会の人だ。書類を持っていかなければ、自分の役目を放棄したと取られてしまう。そんなことになれば良くて叱責、最悪の場合は罰せられるだろう。

 彼もそれはわかっているらしく、笑顔を作るが口角をひくひくと引きつらせている。


「えっと……後で謝れば何とかなるよ、うん。始末書くらいなら慣れてるし。罰金は……キツい、かも」

「あの、渡すだけでいいなら俺が代わりに行きますが」

「え、いいのかい?」


 俺は手を伸ばして、神父様から少々強引に書類を受け取る。流石に仕事内容についてはわからないが、渡すだけなら簡単なおつかいだ。


「ええ。俺が書類を持って行きますので、神父様は早く村長さんの家に行ってください」

「ああ、ありがとうレクスくん。相手はオルセンさんという人で、明日の朝まで宿屋に滞在するそうだ」


 頼んだよ! 捲し立てるように言って、神父様は村長さんと一緒に教室を後にした。俺は教室の備品から封筒を一枚拝借して、書類をその中に入れる。

 この村に、宿屋は一軒だけ。俺は自分の身なりを見下ろして、汚れがないことを確認してから教室を出て宿屋へと急いだ。


 

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