第31話 元カレの彼女

 それから一週間ほど、「NO-LIMIT」のメンバーからは全く音沙汰がなかった。そうしてようやく連絡が来たのは、さらにそれから二日後だった。ユキタカからだった。


「はい?」

『どうも自分が病気してしまって、迷惑かけました』

「いえいえ」


 会話しているのはハルである。

 ついては迷惑のおわびとお礼をしたいから、スタジオ「POP-1」へ来て欲しい、と彼は付け足した。まあ考えられないことではないから、とハルは時間を確認して約束した。

 「POP-1」は何度か行ったことがある。つまりはカラセやヤナイと時々合わせたところだ。短い期間に度々通ったんで、アルバイトのおねーさんとも顔見知りになってしまっている所だ。


「……何となくやだな」

「? どうして」

「だってカラセさんやヤナイさんならともかく……」

「まあ一応おわびとお礼、とか言ってるし」


 そうだろうか、とまほは思った。時々ハルは妙に楽観的になる。だが自分はそこまでそうはなれなかった。彼が自分にいい感情持っている筈がないのだ。それに「お礼」という言葉には二種類の意味があることも。

 だがまあいいか、まほは思った。何が起こるにせよ、ハルが一緒なら無茶苦茶なことにはならないだろう、と思っていた。実際ハルは強い。電車でかち合ったチカンに本気で怒って往復ビンタを食らわせていたこともある。最も彼女は自分に対する危害に対しては結構無関心で、専ら怒るのはまほに危害が加えられた時だったが。



 梅雨の晴れ間、という奴だった。白くてふわふわした雲の合間から夏の青がのぞいている。前夜の雨がアスファルトを濡らしている。蒸し暑くなりそうだ、と出かける二人を見てマリコさんは言った。

 傘を持っていかなくともいい、と言うのは快適なものだ。二人は特別何も持たずにぶらぶらとバスに乗ると、目的地のある所までスムーズに着いた。


「……暑いっ!」


 降りた瞬間、まほがそう言った。急に陽射しが強くなっていたのだ。


「本当……」


 降りたバスを見送っていると、向こう側にゆらゆらと陽炎が立ち登っている。真夏と言う奴が本当に間近なのをハルは感じた。早く梅雨が明けてくれればいいのに。ハルは真夏が好きだった。


「日坂さん!」


 と。


 不意に声をかけられた。そう呼ぶのは今はまずいない。その声は女の子のものだった。


「日坂さん! 学校辞めたんですって? 探してもいない筈だわっ!」


 けたたましいな、と蒸し暑い大気の中、ぼんやりとハルは思った。


 誰だっけ。


 何故か自分は人を覚えるより、覚えられる方が多い。だが別にハルが人覚えが悪いと言うわけではない。人に与える印象の問題である。


「……えーと……」

「刈嶋よう子です」


 名前を言われてもまだ判らない。よう子、よーこ……


「ああ……」


 ようやく思いだし、うんうん、とうなづく。学校の友人たちが噂していた、メイトウと現在つきあっているという子。


「あーそーか…… あなた」

「……よく考えたら私と日坂さんは直接には面識がないですよね」


 刈嶋よう子は苦笑する。

 ハルはどうもこの名字で呼ばれると落ち着かない。自分を呼ばれているような気がしないのだ。

 彼女はパステルカラーのサマーセーターに、紺のやや短いタイトスカート。髪は肩くらいで、きちんとブローしてあるようだ。……このタイプはあまりにも学内に多かったんで、ハルはいちいち認識していなかったことを思い出す。

 とても、きちんとしているのだ。

 TPOをわきまえた恰好と音。大人しすぎて、個の区別ができない。


「ちょっと時間取れますか?」


 ちょっとヨーコ、と彼女の友人らしい連れが目を見開いてどーしたのあんた、とTPOをわきまえたコトバを発する。


「時間ねえ」


 作れば、ある。だがこの女はこっちも連れが居るようには見えないのだろうか? ハルはちら、と自分の連れであるまほの方を見た。


「あたし先に行ってる。POP-1でしょ」

「道、覚えてる?」

「大丈夫だって」


 じゃいいですよ、とハルは刈嶋よう子の方へ向きなおって言う。

 相手の方も連れとの交渉がなんとかなったようで、連れは、今度はあんたのおごりよ、と念を押して去っていった。

 だがハルにしてみれば、刈嶋よう子の連れもよう子自身もあんまり区別はできていなかった。全体の色調があまりにも似通っていた。

 立ち話も何だから、と先ほど降りたバス停のベンチに腰をかけ、自販機で缶コーヒーを買った。

 路線バスの停留所とはいえ、なかなか人の集まる所だから、いくつもベンチはあるし、日除けもついていた。はっきり言ってハルは、彼女と長話をする気はなかった。


「普通こうゆう時って、何処か入ったりしません?」

「普通って?」

「……」

「別に誰かが決めた訳じゃないでしょう…… 話があるのはあなたなんだし。何を話したいの?」


 缶を開けながらも、さらさらとよどみなく流れるハルの言葉によう子は一瞬ひるんだ。正直言ってよう子はこのタイプの人と相対することは滅多になかった。


「この間、メイトウさんと別れました」

「ふーん」

「何で、と聞いたら、『君は連れていけない』と言いました」

「連れていってほしかった訳?」

「そりゃあそうですよ。でなかったら、待ってるつもりでした」

「ほお」


 こりゃ自分にゃあ理解不能のタイプだ、とハルは思った。


「連れていってもらったとして…… そこであなた何するつもりだった訳? ……じゃなかったら、待っている間、何しようと思っていたの?」

「そんなことに理由がいるんですか?」


 むっとした顔になってよう子は切りかえす。


「一緒に居たかったから、そう思ったんです。そこで何をするかなんて、その後ですよ、当然じゃないですか」

「当然ねえ」


 なるほど。


 ハルは何となく感心する。


 あたしに疲れたんなら確かにこのタイプ選ぶだろうな。


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