第25話 「あの部屋でめちゃくちゃにドラム叩いてるハルさんの方があたしは見てて楽しい」

「バンドかあ」

「キョーミある?」


 デパートの中に入っているデザイナーズブランドの服を見ながら、まほはふと思いだしたようにつぶやいた。


「キョーミはあるわよ、もちろん。やったことないし、でも音楽は…… ロックは好きだし」

「メンバーがいたらやってみたいと思う?」

「うーん」


 黒のびろうどの服を手に取りながらまほは考え込む。


「あたし、楽器関係全然できないし、それに『メンバー』と一緒にいる自分って思いつかない」

「どうして?」

「人と一緒にものごとするっての、凄く難しい気がする」

「そりゃあそうよ」


 ふと思いついて、ハルはまほの手を引っ張って、同じデパート内にあるチケットカウンターまで連れて行った。

 カウンターの横には現在発売中のチケットの内容がマジックで書かれた色紙がぺたぺたと貼られている。


「……」


 ハルはしばらくそれを眺めていたが、やがてお、とその一つに目を止めた。

 見覚えのあるバンド名。確かまほの選んだ中の一つだ。

 その下に書いてあるのはどう見ても「会館」とか「ホール」といった単語はついていない。それでいて割合近い。


「すみません」


 あっさりとそのバンドのチケットを購入するハルをまほはあきれて見ている。いったいどうしたっていうのこの人は。


「行こうね」


 そう言ってチケット屋の袋をひらひらと彼女の前で振る。


「うん」



 そのライヴはチケットを買った三日後だった。

 何処かと思ったら、カラセと会ったレコード屋の隣の隣の、地下だった。こんな所にライヴハウスがあるなんて知らなかった。最もハルはライヴハウスの存在自体も知らなかったくらいなのだから当然ではあるが。

 二人ともジーンズにTシャツ、それにジャケットという程度の軽い服で、ほとんど手ぶらだった。包帯を外したまほの手首には、同じデニムのリストバンドが巻かれている。

 開場時刻より三十分早めに行くと、既に地下に続く階段には何人か座り込んでいた。Gジャンジーンズの少女もいるし、皮パンツにTシャツもいる。髪も長いのもいれば、中学生らしく、短すぎる奴もいる。どう見ても高校生の、可愛らしい服を着た女の子が煙草をふかしている。あ、似合わねえ、とハルは思った。

 この日ライヴがあったのは、「フォスター・マザー」というバンドだった。一応ハルもまほのすすめで「予習」はしてきている。だが、レコーディングされ、パッケージに入った音は、ライヴとは違う。


「フォスター・マザーってどういう意味か知ってる? ハルさん」

「ただのお母さんじゃないことは確かよね?」

「育ての母って意味なの」

「へえ」


 一瞬まほの表情が曇った、ような気がした。



 開場しても、一部の少年少女を除いて、前の方に行こうとしているという訳ではない。少しだけ高くなったステージには、所狭しとばかりに器材が置かれている。

 カウンターバーでは厚手の無地のエプロンをかけたウェイターがチケットと引換にくれた券をオレンジジュースやカルピスソーダ、ビールと言った飲物に換えている。


「何か飲む?」

「後でいい」


 まほは答える。


「ライヴの後の方が欲しくなるんじゃないの?」

「それもそうね」


 ハルはドリンク券をポケットに突っ込む。

 ただ待っているというのはなかなかしんどいものだ、とハルは思う。

 あちらこちらで煙草の煙。しゃがみこんでいる中学生くらいの少女。ステージ横に置かれている、大きなスピーカーからは、あたりさわりのない音楽が流れている。

 照明はあまり明るくないから、そばにいるまほの表情がようやく判る程度だった。ステージには青い照明が下の方から沸き上がっている。

 お喋りな少女達の噂は、案外今日のお目当てとは違ったものだったりする。仲間うちの噂や、学校のこと、そうでなかったら最近聞いた音楽や行ったライヴのこと。追っかけている別のバンドの恰好いいギタリストのこと…


 「開演時刻」を15分ほど過ぎた頃に、いきなりスピーカーの音楽が止まった。そして暗転。何ごと、とハルはステージの方を向く。と、背中からぶつかってくる気配。突然のことに慌ててバランスを崩し、まほの肩を借りてしまう始末。男か女か判らないが、客の一人が前列めがけて突進してきたのだ。

 そして次の瞬間、ライトが点いて、ステージにはヴォーカル以外のバンドのメンバーが既にいた。カウント4のハイハットの音が響き、ギターとベースの音がはじけた。

 それを合図のように、ヴォーカリストが右側から飛び出してきた。女性だ。ややハニーブロンドに染めた髪がゆるくウェーヴしている。それはライトに当たっていっそう輝く。普通の女性よりは濃いめのメイクだ、とハルは思う。太めに描いた眉がきりっとしてよく似合う。


「*******!」


 ヴォーカリストは曲のタイトルを叫んだ。



 暑い、とまほは甘えるように言った。

 本人は気がついていないが、それは確かに甘える口調だった。

 ハルはハルで、いつのまにか前の方に固まっている客の中に飛び込んでしまっている自分に気がついた。

 狭いライヴハウスの中で、換気もよくない中で、はっきり言って身体の方はかなり気分が良くない。

 でも、気分は良かった。どうして身体の方がついていかないのか、と自分に怒りたくなるくらいに。

 二人はポケットの中でよれていたドリンク券をスポーツドリンクに換えて一気に飲み干していた。


「はー疲れたあ」

「ハルさん年?」

「ばーか」


 ぐしゃぐしゃ、とハルはまほの髪をかきまわした。彼女も汗だらけだった。髪の中までじっとりと濡れている。


「でも気持ち良かった」

「あたしも」

「一度だけコンサート、で県民会館に行ったことがあるんだけど、その時はその時で気持ち良かったと思ったんだけど」

「だけど?」

「何か今日の方が気持ちイイ」

「うん」

「ハルさんは?」


 そうだね、と残っていた氷を一つ口に含む。そしてある程度溶けてから、


「クラシックもジャズも行ったけれど…… あたしはこっちの方が好きだ」

「でしょお?」


 薄暗い店内でもはっきり判るほど、まほは口の端で笑ってみせた。笑い猫の笑いだ、とハルは思う。彼女にしては珍しい。


「何、まほちゃんあんた予想してた?」

「ハルさん絶対ロックの方が合ってる」

「どおして」

「大人しいハルさんって、いつも見ている気はするんだけど、妙」

「妙?」

「あの部屋でめちゃくちゃにドラム叩いてるハルさんの方があたしは見てて楽しい」

「見てるの?」

「見てても気付かないくせに」


 そう言って、溶けかけた氷を一つ口に含んで、噛み砕く。

 はて、そうだったか。ハルは頭をぐるんと回して記憶をたどる。そういえば居たような気もするが、そういう時はどうでもいいことだったんで、放っておいたような気もする。


「ピアノも、クラシックなハルさんも、あたしは知らないけれど、ドラム叩いてるハルさんは、気持ち良さそうだもん」

「そういうあんたは?」

「あたし?」

「好きなものってないの?」


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