第19話 12月31日

「それじゃあ、改めて。村上さん、就職おめでとう」


 合掌の代わりに彼女への祝福の言葉を伝える。彼女は照れ臭そうに頬をかいた。


「ありがとう、ございます」


「さ、食べようか」


「はい」


 テーブルの上に置かれた箸を手にする。目の前には丼の上に乗ったマグロ、ブリ、カツオの刺身、味噌汁、コップに注がれたジンジャーエールが置かれている。彼女の方にはほろよいが置かれている。


 丼に好きな量の醤油をかけてから口に入れる。


 今日はいつも座っている場所をお互い一つずつずれて座っている。いつもは彼女の後ろにテレビがあるのだが、彼女も見えるように座っている。


 テレビはどこも特番で面白いものばかりなのだけど、俺たちは紅白をつけていた。


 知っている曲や知らない曲について2人で話しながら夕食を進めていた。


「村上さんはこの曲知ってる?」


 昔よく聞いていた曲が出て来たので話題を振った。しかし彼女からの返答はなかった。テレビの方に向けていた視線を目の前の彼女に向ける。


 彼女は俯いて体を左右に揺らしていた。


「村上さん?」


 もう一度尋ねると顔を真っ赤にした彼女が顔を上げた。目もとろんとなっている彼女は首を傾げる。


「なぬれす、か?」


 呂律が回っていないのか、彼女の日本語は今朝以上におかしくなっていた。


「村上さん酔ってる?」


「酔ってないれすよ・・・ヒック」


 彼女の今の状態は誰がどう見ても酔っていると言うに違いない。でも彼女が飲んでいるのはノンアルコールのほろよい。アルコール濃度0%の飲み物だ。どうしてこんな状態に・・・。


 腕を組み、俯きながら考えていると彼女に呼ばれた。


「ねぇ、秋原さん」


 顔を上げると、目の前の彼女は少し残っている食器を避け、テーブルに伏せていた。人差し指で空になった缶を左右に揺らしている。


「どうして私を拾ってくれたんですか?」


「それは・・・」


 俺は言葉に詰まった。あの時の俺の心情を俺すらもあまり理解出来ていないのだから。


 確かに善意の気持ちはあの時あった。でもその善意は本当に善意なのだろうか。何かしらの下心があったのではないか。時間が経った今ではもうわからない。


「いいですよ」


 黙り込んでいると彼女が体を起こした。顔の赤みも目がとろんとしているのも変わらないのに、その表情だけはさっきまでの彼女とは違っていた。


「いいって、何が・・・」


「私の体、好きにしてもいいですよ」


 その場で立ち上がると、彼女は今着ている上の服を脱いだ。白くて柔らかそうな腕、大きく膨らんだ胸にそれを包む薄ピンクのブラジャー、シュッと引き締まった腰回り。


 俺は彼女の体に釘付けになった。彼女の体から目が離せないでいた。


「どうですか?」


 手で体を隠す素振りもない彼女の問いにようやく我に帰った俺は、彼女の質問には答えずその場に立ち上がった。


「村上さん酔いすぎだよ!水持って来るから早く服着て」


 俺は早歩きで彼女の横を通ってキッチンを目指した。


 しかしその足はすぐに止まった。横を通る瞬間に彼女に腕を掴まれたのだ。彼女の腕の力なら振り解くのは難しくなかった。しかし俺はそうすることが出来なかった。


「なんで、逃げるんですか」


 低いトーンで彼女は言う。俺にはどこか悲しみを含んでいるようにも聞こえた。


「逃げてるわけじゃ・・・」


 彼女とは反対の方向を見ながら答える。


 彼女は俺の腕を離すとそのまま俺をソファのある方に突き飛ばした。まさかの展開に反応出来ず、俺はソファの上に倒された。


「何を・・・」


 するんだ、そう言い終える前に彼女がソファに手を突きながら俺の上にのしかかった。彼女は目をうるうるとさせながら俺を見下ろす。


「私の体はそんなに魅力がないですか」


「そういうわけじゃないけど・・・」


 彼女から目を逸らす。今の彼女を見ていると、こっちの理性が保たなくなりそうだった。


 目をカーテンの方に向けていると、急に彼女が倒れて来た。ブラジャー越しでも彼女の柔らかい胸の感触と、暖かい体温が伝わって来る。顔が真横に来て、彼女の息遣いが耳元に聴こえて来る。


「む、村上さん!」


 目を彼女の方に向けながら名を呼んだ。しかし彼女からの返答はない。


「村上さん?」


 返答がないので、今度は彼女の肩を揺らしながら尋ねるが、彼女からの返答は相変わらずない。代わりに聴こえて来るのは落ち着いた息遣いだけ。


「寝てる?」


 彼女を押して横に倒す。仰向けになった彼女は目を閉じ、気持ちよさそうに寝ていた。


「はぁ」


 溜息が口から漏れた。危機が去ったことに安心する一方で、あのまま進んでもよかったなと馬鹿みたいに後悔をしている自分がいた。


「まず服を着せよう」


 ソファから起き上がり床に放置された彼女の服を取る。その服を寝ている彼女に着せる。


 寝ている彼女に服を着せるために彼女の腕や腰回りに触れる。その度にとてもいけないことをしているような気分になった。


 なんとか服を着せ終えると彼女の布団を引き、そこに彼女を運んだ。軽い彼女を運ぶには容易だった。


 運んだ彼女に布団をかけてから額を拭う。額に多少の汗をかいていたようで、拭った服が濡れていた。


「結局何だったんだろう」


 ノンアルコールを飲んだはずの彼女が酔っ払った理由が俺にはわからなかった。


 食器が放置されたテーブルに戻ってスマホを手にする。検索アプリにノンアルコール、酔うと検索をかける。するといくつかのホームページがヒットした。その中の一つと見る。


「空酔い?」


 聴き慣れない単語の後に細かく説明が書かれていた。


「ノンアルコールを飲んだとき、体がアルコールを摂取したと勘違いして、アルコールを飲んだ時と同じ症状が出ること・・・へぇ〜」


 もう一度寝ている彼女の顔を見る。


 さっきの村上さんの様子にとても当てはまっていた。ビールを飲んだことで赤くなるところや、思考回路が不安定になっているところも。


 彼女を見ているとさっきの言葉が思い出される。


「どうして私を拾ってくれたんですか?」


 本当の気持ちを伝えたくても伝えられないからお酒に頼る、そういう人は少なからずいるらしい。


 お酒は人の思考回路を単純にするのかもしれない。相手の気持ちや周りのことを気にせず、自分のしたいこと、言いたいことが出てしまうのだろう。


 もしそうだとすると・・・。


「理由・・・か」


 口に出しながらテーブルに置き残された食器を片付けることにした。


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