姚興51 劉裕はザコ   

姚平都ようへいと許昌きょしょうから、姚興ようこうの元に。

そして言う。


劉裕りゅうゆうが何やらよからぬことを企んで、

 芍陂しゃくはに軍備を備え始めております。

 我々の領土を奪い取ろうという

 魂胆なのでしょう。


 どうかこの平都を派遣し、

 奴らの軍備を焼き尽くさせ、

 その野望をくじかせてください」


姚興は言う。


「劉裕めの貧弱な兵力で、

 私の国を侵せるとも思わんがな!

 もし奴が動くとしても、

 それは我が子や孫の代の

 こととなろうよ」


などと言いながらも、それでもやはり

劉裕の動きは気に食わない。

楊佛嵩ようふつすうを召喚し、言う。


のガキは自らの分も弁えず、

 不遜な真似に出ている。


 冬に入り次第、

 そなたを派遣しようと思う。

 精鋭三万騎を預ける。

 奴らの軍資を焼き尽くしてまいれ」


楊佛嵩は答える。


「陛下が臣にこのお役目を

 ご任じいただけたならば、

 肥口ひこうより淮水わいすいを渡り、

 ただちに壽春じゅしゅんを攻め落とし、

 そこを拠点に周辺を平らげ、掃き清め、

 兵や食料を使い切らせましょう。


 さすれば吳のクソガキどもは

 ひれ伏し、恐れ、

 アッパラパーとなりましょう」


この言葉に姚興、大喜びした。




潁川太守姚平都自許昌來朝,言於興曰:「劉裕敢懷奸計,屯聚芍陂,有擾邊之志,宜遣燒之,以散其眾謀。」興曰:「裕之輕弱,安敢窺吾疆埸!苟有奸心,其在子孫乎!」召其尚書楊佛嵩謂之曰:「吳兒不自知,乃有非分之意。待至孟冬,當遣卿率精騎三萬焚其積聚。」嵩曰:「陛下若任臣以此役者,當從肥口濟淮,直趣壽春,舉大眾以屯城,縱輕騎以掠野,使淮南蕭條,兵粟俱了,足令吳兒俯仰回惶,神爽飛越。」興大悅。


潁川太守の姚平都は許昌より來朝し、興に言いて曰く:「劉裕は奸計を敢えて懷き、芍陂に屯聚し、擾邊の志を有さん。宜しく遣りて之を燒かしめ、以て其の眾謀を散ぜしむべし」と。興は曰く:「裕の輕弱なるに、安んぞ敢えて吾が疆埸を窺わんか! 苟しくも奸心有せるは、其れ子孫に在らんか!」と。其の尚書の楊佛嵩を召じ之に謂いて曰く:「吳兒は自らを知らず、乃ち非分の意を有す。待ちて孟冬に至らば、當に卿を遣りて精騎三萬を率い其の積聚を焚かしめん」と。嵩は曰く:「陛下の若し臣を以て此の役を任したらば、當に肥口より淮を濟り、直ちに壽春に趣き、大眾を舉げ以て城に屯じ、輕騎を縱まとして以て野を掠し、淮南をして蕭條せしめ、兵粟は俱に了し、吳兒に令し俯仰回惶せしめ、神爽飛越せるに足らん」と。興は大いに悅ぶ。


(晋書118-12_言語)




おっ、この動きは宋書では一切うかがえない情報ですね。いやだからなんでそういう動きを宋書で拾い上げらんないのおかしいでしょ……沈約さんブテーヘーカ伝説を書きたいのは結構ですけど、あのさ、マジで「お国の歴史」書いてくださいませんかね? もちろんその傾向は何承天かしょうてんとか徐爰じょえんの段階で既にあったものに従ったんでしょうけど、なんでそういう「宋国の都合」にあんたまで引っ張られるかなあ。


ときに 411 年の末頃。つまり五斗米道ごとべいどうという最大の「南の脅威」がなくなったことで、北部に意識を集中しやすくなってきたタイミングです。こうやって考えると盧循ろじゅんの存在ってマジやばかったんですね……劉裕の北伐をどれだけ妨げてたんだ。南燕なんえん戦の時に「そのまま後秦こうしんもぶっ潰す」みたいなこと書いてたけど、まぁたぶん劉裕としてもはったりだったんでしょうね。無理だよどう考えても、盧循ほっといて後秦なんか討ってらんないっす。


そして姚興の言葉を見ると、「おれの代まではともかく、姚泓の代になっちまったらどうなるんだ……」みたいな恐れも感じます。辛い、辛いなぁ……ほんとそれしか言えねぇ……。

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