姚興46 対東晋4    

譙縱しょうじゅう姚興ようこうのもとに使者を遣わす。

任ぜられたのは譙良しょうりょう楊軌ようきである。

かれらに任じたのは、再度の援軍要請。

五斗米道ごとべいどうの進軍に合わせ、

しょくからも軍を出す、その援護依頼である。


いざ、蜀軍が出陣。

部隊長は桓謙かんけんおよび譙道福しょうどうふく。総勢二万。

この部隊で江陵こうりょうを襲撃する。

姚興は援軍として

苟林こうりんに騎兵隊を率いさせ派遣。

苟林って後秦軍だったんだ!!?!!!


桓謙らは枝江しこうに駐屯、苟林は江津こうしんに。

ところで桓謙は元々桓温かんおん一門として、

荊州けいしゅう近辺に大きな影響力があった。

そのため呼応するものも多かった。


この時荊州を守っていたのが

劉裕りゅうゆうの弟、劉道規りゅうどうき

やべえと思い、守りを固める。


そんな劉道規の元に援軍がやってくる。

荊州の北、雍州ようしゅうを守っていた魯宗之ろそうしだ。


劉道規、かれに江陵の守りを任せ、

自らは桓謙ら迎撃に打って出る。


桓謙軍は水軍、勢いも

かなりのものであったのだが、

枝江での会戦ののち、敗北。

軽船に乗って苟林のもとに

落ち延びようとしたのだが、

捕まり、斬られた。


この事態を受け、苟林は撤退を試みる。

しかし宋書そうしょによれば、

やはり劉道規によって斬られている。




譙縱遣其侍中譙良、太常楊軌朝於興,請大舉以寇江東。遣其荊州刺史桓謙、梁州刺史譙道福率眾二萬東寇江陵。興乃遣前將軍苟林率騎會之。謙屯枝江,林屯江津。謙,江左貴族,部曲遍于荊、楚,晉之將士皆有叛心。荊州刺史劉道規大懼,嬰城固守。雍州刺史魯宗之率襄陽之眾救之,道規乃留宗之守江陵,率軍逆戰。謙等舟師大盛,兼列步騎以待之。大戰枝江,謙敗績,乘輕舸奔就苟林,晉人獲而斬之。苟林懼而引歸。


譙縱は其の侍中の譙良、太常の楊軌を遣りて興に朝ぜしめ、大舉を以て江東に寇ぜんことを請わしむ。其の荊州刺史の桓謙、梁州刺史の譙道福を遣りて眾二萬を率い江陵に東寇す。興は乃ち前將軍の苟林を遣りて騎を率い之に會せしむ。謙は枝江に屯じ、林は江津に屯ず。謙は江左の貴き族にして、部曲は荊、楚に遍かれば、晉の將士には皆な叛心有り。荊州刺史の劉道規は大いに懼れ、嬰城固守す。雍州刺史の魯宗之の襄陽の眾を率い之を救いたるに、道規は乃ち宗之を留め江陵を守らしめ、軍を率い逆戰す。謙らが舟師は大いに盛んにして、步騎を列ね兼ね以て之を待つ。枝江にて大いに戰わば、謙は敗績し、輕舸に乘りて奔り苟林に就かんとせど、晉人は獲りて之を斬る。苟林は懼れ引き歸す。


(晋書118-7_仇隟)





マジか……(マジか……)


いや、この条読むまでね、俺苟林って五斗米道将だと思ってたんですよ。あぁ宋書じゃこの人「荀林じゅんりん」って書かれてるんですけどね。ところがどっこい。後秦が派遣した援軍だったんですね。このひと檀道済だんどうさいとか到彦之とうげんしとか、劉裕配下でもトップクラスの将軍撃退してんですよ。なるほどー……そりゃ強ええはずだわ。確かにこの辺、斉梁せいりょうの段階じゃ照合できるはずもないものなー。


すごい。出来るんじゃん史料批判! やったね!

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