姚興36 西方の英雋   

王尚おうしょう長安ちょうあんに到着すると、

呂超りょちょうの宮殿の女官、はい氏を匿っていた。

また、あわせて亡命者の薄禾ぼからを

勝手に殺したりなどもしていたため、

南台なんだいに拘留状態となった。


それを知り、宗敞そうへい張穆ちょうぼく邊憲へんけん胡威こいら、

つまり、王尚の元部下たちは、

王尚を釈放してほしい、と願い出る。


その文面が、実に素晴らしいもの。

なので姚興ようこう、それを見て喜び、

姚文祖ようぶんそに聞いている。


「そなた、宗敞を知っているか?」


「我が領にも評判は聞こえております。

 西方の英雋と呼ぶべきでしょう」


「なるほど。今ここに、

 王尚の釈放を願い出る訴え出が来た。

 この文章がまた素晴らしいのだ。

 これは王尚が書いたものなのかな」


つまり、訴え出を書いた人間が

宗敞以外にいる、と姚興は考えたのだ。


「王尚は南台に拘留されております。

 余人と会える状態ではありません。

 一方の宗敞は楊桓ようかんのもとに

 寄寓しております。

 ならば、王尚からの働きかけ、

 というわけでもなさそうですが」


「宗敞らの独断か。楊桓ならば、

 それをサポートするだろうか?」


「西方での宗敞の評判は、

 楊桓を遥かにしのぎます。

 宗敞の文才をお疑いであれば、

 呂超りょちょうに諮問してはいかがでしょう。

 かの者は昔、宗敞と昵懇でおりました」


なるほど、そうなのか。

姚興、さっそく呂超を召喚した。

そして聞く。


「宗敞の文才はどのようなものだ?

 例えば、どのような人物と

 比較すべきであろうな?」


「かれは西方にて激賞されております。

 例えるならば建安七子の陳琳ちんりん徐幹じょかん

 晋であれば潘岳はんがく陸機りくきに比されましょう」


ふむ、そこまでのレベルなのか。

姚興、ここで訴え出を呂超に示す。


「不思議でならんのだ。

 涼州りょうしゅうは小さき地でしかないのに、

 なぜこのような才を輩出できるのだ?」


呂超、訴え出を読んだ後に言う。


「申し上げておきますが、

 この文では彼の文才を測り切れませぬ。


 そも、琳琅りんろう昆嶺山こんろんざんから掘り出され、

 明珠めいじゅは海辺にて取れるもの。


 第一、土地を人材の由来とするならば、

 禹王うおうの地にいた家族に捨てられた男、

 しゅう文王ぶんおう

 単なる夷蛮の地の案内人となりましょう。


 ただ文章の良し悪しから、

 下手にその土地を差別なさるのは

 よろしくないようにも思われますが」


呂超の言っていることは、この文章なんぞで

宗敞の文才が測り切れるわけねーだろ、

というのと同時に、おいなにてめー

涼州 dis 決めてきてくれてんだ

なめてんのか〇すぞ、という感じだろうか。


ともあれ、その物言いは姚興の意に

とても適うものであった。


こうして王尚の罪は許され、

尚書に任じられた。




尚既至長安,坐匿呂氏宮人,擅殺逃人薄禾等,禁止南台。涼州別駕宗敞、治中張穆、主簿邊憲、胡威等上疏理尚。興覽之大悅,謂其黃門侍郎姚文祖曰:「卿知宗敞乎?」文祖曰:「與臣州裏,西方之英雋。」興曰:「有表理王尚,文義甚佳,當王尚研思耳。」文祖曰:「尚在南台,禁止不與賓客交通,敞寓於楊桓,非尚明矣。」興曰:「若爾,桓為措思乎?」文祖曰:「西方評敞甚重,優於楊桓。敞昔與呂超周旋,陛下試可問之。」興因謂超曰:「宗敞文才何如?可是誰輩?」超曰:「敞在西土,時論甚美,方敞魏之陳、徐,晉之潘、陸。」即以表示超曰:「涼州小地,寧有此才乎?」超曰:「臣以敞余文比之,未足稱多。琳琅出於昆嶺,明珠生於海濱,若必以地求人,則文命大夏之棄夫,姬昌東夷之擯士。但當問其文彩何如,不可以區宇格物。」興悅,赦尚之罪,以為尚書。


尚の既に長安に至れるに、坐して呂氏が宮人に匿われ、逃人の薄禾らを擅殺し、南台に禁止さる。涼州別駕の宗敞、治中の張穆、主簿の邊憲、胡威らは尚を理むべく上疏す。興は之を覽て大いに悅び、其の黃門侍郎の姚文祖に謂いて曰く:「卿は宗敞を知りたるか?」と。文祖は曰く:「臣州が裏と與す、西方の英雋たり」と。興は曰く:「王尚を理むべきたる表有らば、文義甚だ佳し。當に王尚を研思したらんのみ」と。文祖は曰く:「尚は南台に在りて禁止され、賓客と交通せず。敞は楊桓に寓さらば、尚の明に非ざらん」と。興は曰く:「若し爾らば、桓は措思を為さんか?」と。文祖は曰く:「西方の敞を甚だ重く評せるは、楊桓に優る。敞は昔、呂超と周旋したらば、陛下は試みに之に問うべし」と。興は因りて超に謂いて曰く:「宗敞が文才は何如? 是れ誰が輩たるべきや?」と。超は曰く:「敞は西土に在りて、時論は甚だ美とす、敞を魏の陳徐、晉の潘陸に方ぶべし」と。即ち表を以て超に示して曰く:「涼州は小地なるに、寧んぞ此が才有りしか?」と。超は曰く:「臣は敞が余文を以て之に比ぶるに、未だ多きを稱うるに足らず。琳琅は昆嶺より出で、明珠は海濱より生ず、若し必ず地を以て人を求まば、則ち文命は大夏の棄夫にして、姬昌は東夷の擯士なり。但だ當に其の文彩の何如を問いて、以て區宇を格物したるべからず」と。興は悅び、尚の罪を赦し、以て尚書と為す。


(晋書117-29_文学)




王尚さんは地元の人たちに絶大な支持を得ていたみたいですね。ちなみに以下が宗敞さんの提出した上表です。


臣州荒裔,鄰帶寇仇,居泰無垂拱之安,運否離傾覆之難。自張氏頹基,德風絕而莫扇;呂數將終,梟鶚以之翻翔。群生嬰罔極之痛,西夏有焚如之禍。幸皇鑒降眷,純風遠被。刺史王尚受任垂滅之州,策成難全之際,輕身率下,躬儉節用,勞逸豐約,與眾同之,勸課農桑,時無廢業。然後振王威以掃不庭,回天波以蕩氛穢。則群逆冰摧,不俟硃陽之曜;若秋霜隕籜,豈待勁風之威。何定遠之足高,營平之獨美!經始甫爾,會朝算改授,使希世之功不終於必成,易失之機踐之而莫展。當其時而明其事者,誰不慨然!


既遠役遐方,劬勞於外,雖效未酬恩,而在公無闕。自至京師,二旬於今,出車之命莫逮,萋斐之責惟深。以取呂氏宮人裴氏及殺逃人薄禾等為南台所禁,天鑒玄鏡,暫免圇圄,譏繩之文,未離簡墨。裴氏年垂知命,首發二毛,嫠居本家,不在尚室,年邁姿陋,何用送為!邊籓耍捍,眾力是寄,禾等私逃,罪應憲墨,以殺止殺,安邊之義也。假若以不送裴氏為罪者,正闕奚官之一女子耳。論勳則功重,言瑕則過微。而執憲吹毛求疵,忘勞記過,斯先哲所以泣血于當年,微臣所以仰天而灑淚。


且尚之奉國,曆事二朝,能否效於既往,優劣簡在聖心,就有微過,功足相補,宜弘罔極之施,以彰覆載之恩。臣等生自西州,無翰飛之翼,久沈偽政,絕進趣之途。及皇化既沾,投竿之心冥發,遂策名委質,位忝吏端。主辱臣憂,故重繭披款,惟陛下亮之。


まーざっと言うと「王尚はいいやつで苦労もしてきたんだよ、助けてやってよ」をめっちゃ美文で言ってます。対句アンド対句アンド対句。そして情報量はそんなにない。

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